《とりとめもない話》
西日に照らされる通路を行く女が一人。
すれ違う者もおらず、迷いなく足を進めていた。
吐く息は白く、厚手の外套を纏っても鼻の赤いのは治らない。
それでも、期待の籠った目をしていた。
「……来て、ないよね」
通路の東端で足を止めたかと思うと、落胆したようにそう呟いた。
胸の辺りで強く握りしめられた拳が、力なく下ろされる。
今更ながら、冷え切った空気に身を震わせた。
ふと、後ろから布ずれの音がして振り向く。
「……悪い……待たせたか?」
現れたのは軽装の男。息が軽く上がっているが、それも一時的なもののようで、髪を鬱陶しげにかきあげる。
その頃には息も整っていた。
「……久しぶり、だな」
「うん、久しぶりだね……!」
一瞬見つめ合い、どちらともなく近付いて、そっと抱擁を交わす。
「——フィー。ずっと、会いたかった」
「私もよ、ルカ。本当に無事で良かった……」
「心配かけたか、すまない」
「また会えたんだから、気にしないで」
腕を互いに離し、けれども、手を握り合う。
「そうだ、聞いたぞ。合格したんだってな」
「そうなの。これでようやく、王宮で働ける」
「そうか……本当に、おめでとう。フィーがよく頑張っていたからだな」
「ありがとう! ……ルカは明日の早朝に此処を発って、北の方に向かうんだっけ」
「ああ……また戻らないといけなくて」
「そっか……忙しいのに、会えてよかった。来てくれてありがとう」
離れ難い手が、ゆるりと解かれる、
「あの! 時間があれば、なんだが……少し、話さないか? ほら、話すことは尽きないだろうし」
直前で貝殻繋ぎに変わり、二人並ぶ。
「ふふ、私も話したいことがたくさんある。少しでいいから、付き合ってほしいわ」
通路の縁に座って、目を合わせて。
「この前、こんなことがあってね、」
「あいつ、こう言っていたんだけどな、」
話の終着点を定めないまま、夜が更けていく。
《風邪》
熱のにおいがする。
いつも、そうだった。
なんとなくにおいが変化しているのか、微熱であっても、熱が出たときは気が付くのだ。
何か違うのかはわからないが、なんとなく。
熱のにおいが、いつもする。
「げほっ……けほっ、けほ……はー、だる」
鼻が詰まって、鼻水が止まらなくてなって……と、鼻からが多かった。
そして咳が酷くなって、喉を痛めてしまうのがいつもの流れだった。
特に季節の変わり目には要注意だった。
全然、二週間とか三週間とか、病院で薬をもらっても治らない。いつまで居座るつもりなのかと、呆れてしまうほど。
最早慣れた。それくらい、今年の冬も戦いは長引いたのだ。
だから、しっかりと体を休めなくては。
睡眠をとろう。
適度な運動も。
そうして、また元気に過ごせるようにと期待をしながら、不規則な毎日を送るのだ。
僕は、そういう奴なのだ。
今からちょうど一年前から始まったこの作品たちが——僕の綴る物語が、これからも続きますように。
そう願いながら布団に入った今日は。
「よく。眠れそうだ」
風邪を引かないように、毛布に埋もれて目を瞑る。
そうすれば、ほら。
明日が僕を包み込んでくれるから。
《何でもないフリ》
瞬きは今の自分にとって遅すぎる程度に。
呼吸は音もしないよう浅く絶えずして。
高さ、テンション、速度、滑舌、大きさの全てに至るまで『いつも通り』の声を。
間は取りすぎず、多少作りつつ。
メトロノームを頭の隅で鳴らして心拍を整えながら。
隙を殺しすぎず、作りすぎない程度に気を張って。
そして、強者の仮面をズラして弱者の仮面を半分見せる。
その上から不透明のベールを着けて、最低限は完成だ。
できればこれらの相手に与える情報を無意識に操作できるようにしてから場について欲しいものだが。
大切なのはディーラーや相手に仕掛けがバレてはいけないこと、ただ一つ。
イカサマとは、そういうものだ。
雑魚には、何かすら悟らせてはいけない。
強者には、何もないと思い込ませてもいけない。
万人に、何でもないフリをして、何かがあると思わせることが必要なのだ。
それの正体を隠したまま。
それを焦りに見せるか、虚勢に見せるか、イカサマに見せるかは己の技量次第だ。
《仲間》
背中を預ける、というのは本当に信頼している人に対してしか行うべきではないと俺は思っている。
自分でも仕事上厄介な性格をしているとは思っているものの、これには理由がある。
過去に幾度も裏切られたのだ。
言ってしまえばそれだけのことだが、本日三回目の裏切りを耳にして、なお、落胆するら気持ちは堪え切れなかった。
通算五十回目。拍手でもしてやろうかな、ホント。しとこう。
「——ひいぃっ……!! ぼ、僕はこんなの知らないッ!」
「はぁ……もういいってそういうの。まーた逃げんだろ、俺一人ここに残して——ってもういねぇ! 逃げ足だけは早いな……」
ぺちぺちと手を叩き、緊迫した状況にそぐわない声で文句を言っても非難の声はない。
振り返った先にいたのは、どこにでも現れる下級魔物でお馴染みのゴブリンさんだ。しかもご丁寧に、血の一滴も流さずに六体とも武器をお持ちだ。俺が退路を任せていた少年は雑魚と判断したのか、皆俺の方を警戒している。
え? なに、ゴブリンの方がよっぽど優秀だって? 俺もそう思う。
「退路を人に任せるの、止めようかな……」
正面に顔を戻して数歩。後ろから、背中からなら簡単に討てると思ったのか魔物の迫る音がする。結構うるさい。
「でもやっぱり誰かを誘う必要があるんだよな……この制度クソだな、マジで。一人でも潜らせろよ、ダンジョンくらい!」
左手で抜刀。背後を一閃して、俺は歩を早めた。この調子じゃあ、日が暮れる。
地を塗らす魔物の血は黒く、人間のそれよりも粘着質だ。それが付着しては堪らない。
「冒険者って楽に見えて楽じゃないし……結局金と権力がものを言うんだから、自由に見えて全然そんなことないんだよなぁ」
冒険者、という職が多くの人に歓迎されている理由は、経済的な理由も多分ある。
様々な人から依頼を受けて、それをこなすにあたって金が動く。王家や大貴族からの依頼であれば豪邸を買えるほどの大金が動くこともあるし、物資が過程で必要となった場合はその依頼の場所ごとに金が落ちる。
そして、冒険者は誰にでもなることができる職業である、というのも非常に魅力的に映るのだろう。
その所為で、俺はこんなにも裏切られているわけだが。
「あーあ、貴族の坊ちゃんとか組むもんじゃないな……どいつもこいつも度胸もなければ技量もねぇし。心が弱すぎる」
さっき逃げた少年も子爵家のナントカ様だ。やたらと長い家名を意気揚々と名乗るより、実力で魅せてほしい。
ならなんで俺が組むのか? それには深いわけがある。
そう、俺が万年金欠という事実があるのだ。
だから、毎日ダンジョンに籠る必要性がある俺は、誰でもいいから今すぐ行ける人を連れてダンジョンに行くしかない。実力不足の権力だけはある冒険者、というのが割とそれに該当するのだ。
やむなく得た、仲間もどき。
「……いつか本気で背中を預けられるような奴が」
仲間ができたらいいのに。
そう思い始めて、ちょうど百日目の夜も更けて行く。
《泣かないで》
昔から、お前には弱かったように思う。
一生のお願い、なんて言葉をお前の口からはもう十数回も聞いた筈なのに。
もちろん、頭が上がらないのはある。
弱みならきっと、誰より握られているだろうし、そのくせお前の欠点も俺は知らない。
愉しいことが好きで、好奇心が旺盛で、時に手段を選ばない、好みのはっきりとしている、イタズラ好きの、悪魔みたいな、最低かつ最悪な奴。
それが俺にとってのお前だった。
真面目な面を被って、笑顔を貼り付けて、猫撫で声で話すお前は、俺以外にとってのお前だった。
「ねぇ、一生のお願いだから……早く、立てってば」
誰よりも自分の安全を選んだ上で、俺には後始末も全部押し付ける。不条理だし、最悪だ。
気が付けば犯罪に片足どころか全身突っ込まされそうになったことだってある。災難にも程がある。
それでもお前の傍に居続けたのは、俺も、普通でない人間の、そういう部類に入っているからだろうな。
普通じゃないことを肯定して、綺麗事の様な当たり前だと人々が認識するような事象を、まるごとお前は受け付けずに切り捨てる。
だから、俺も本当の意味で見限られることはない、と確信していた。
「ねぇってば……聞いてる? おーい? こんなにかわいくおねだりしてるのに、聞こえてないの?」
偽善者の放つ、私は貴方がどんな人間でも受け入れるよ、だから私に全部思っていることを話してくれたら嬉しい、なんて言葉が塵芥に見えるくらい。
それくらいには、お前に安心感を抱いていたんだと、今更ながらに気が付いた。
絶対的に、最後は裏切らないという信頼。
そんなものを持っていた俺が悪かったんだろう。
だからこうして、腹から血を流して、口から血を吐いて、地面に頬を付けているのだろう。
歪んだ視界を埋めていた空色が、遮られる。
「……聞けよ。……立て。立てって言ってるでしょ、この馬鹿。早くしてよ」
お前と俺はいわゆる悪友だった……と思う。
それにしては俺の方が不快な思いを多く味わって、お前の方が甘い蜜を吸えたんだろうが。
それでも、相棒だったのかも知れないし、相方だったのかも知れないし、親友だったのかも、幼馴染だったのかも、友人だったのかも知れない間柄だ。
そう思っていたのは、きっと、俺だけだったんだ。
漸く俺は己の体が動くことを思い出して、腹の熱さに灼かれながら、金の光に手を伸ばす。
「アホ、マヌケ、意気地無し。早く立ってよっ……! ねぇってば! いつまで寝たフリしてるわけ? もうそういうのいいから、早くしてよ、時間ない」
それがお前の目だと気が付いて、頬に手を擦り寄せる。うん、いつもと、昔と変わらない温もりだ。
本人は無意識だろうが、俺がこれをするとお前は自分からほんの少しだけ擦り寄ってくる。
なんだかんだ言って、怪我をすれば手当をしてはくれるし、情報収集はそもそもお前の十八番だろ。
時折見せる真剣な眼差しが、いつもの人を小馬鹿にしたようなニヤケ面とは違って、はっとする。
「……ぁ……ごめん、なさい」
珍しく謝るお前の姿を見ていると、なんだか、俺が小動物を虐めたかのような気分になって来た。
元はと言えばお前が悪いんだろう、俺はお前の言葉に従って、時に外れて生きて来たのに。
その俺を軽んじたのは、断じてお前の方からだ。
だから、これはお前にとっての報いだ。
頬にあった、力の入らなくなって来た手を落とす。
「……嘘だよ、全部。ただ、立ってほしいだけなんだってば。謝る、から……謝るからっ……!」
なんで、お前がそんなこと言うんだよ。俺は確かに驚いたけどな、けど、怒った訳じゃない。
謝るなんて、らしくない。いつものように傲岸不遜かつ不謹慎に笑って過ごせばいいと言うのに。
お前の手から落ちたナイフにこびり付いた血は、とうに腹から流れた血と混ざって道にしがみつく。
「だから……さっさと目ぇ覚ませって言ってるだろ」
どうせ元から同じ血だ、混ざったとて固まる時間が前後するだけだろう。
お前はいつもそうやって、肝心なところを誤魔化して生きながら間接的に人をころした。
もう目を動かすことすら精一杯な俺は、せめてもの抵抗にと一言残していくことにしよう。
「なあって……! お願い、だから……起きて……」
こんな時になって漸く俺に抱き着いて、今更だとは思わないのか。不思議なものだ。
それでも、やはり一緒に居たいと思う。
過去の話でも、未来の話でもない。今だ。
今を生きる上で、俺はお前のことが大切だった。
「ごめんなさい……お願い……起きてよ……!」
縋り付くお前を虚ろに眺めながら、無理やりにでも手を動かそうと粘る。
それでも、もう、指の一本も動かない。
さっきまでは俺も機関銃を手にできていたのに。抵抗出来なかったわけではない。
「お願いっ……起きてよ……ねぇ……!」
お前に刺されたくらいで俺は、死ぬつもりなんざ毛頭ない。
そんなふうに懇願されても、上からの命令は絶対だ。それは覆らない。
「ごめっ……お、願っ……!!」
俺はお前が間違えたことを全部今まで背負わされてきた。履歴も犯罪未遂も、なにもかもを。
だから、今回もそれは同じだ。お前が間違えたんだと思うならば、俺を黙って受け入れる他ない。
「……お願いします、神様。どうか、」
神なんてものを信じないし嫌いだと口にしていたお前が、俺の為にそれを言うのか。
他の誰でもなく、俺の為に、厭うものを。
「許さなくて、いいから。お願いだからっ……!!」
ありがとう、なんて。相応しくない言葉だけど、俺は確かにそう思ってしまったんだ。
「……離れていかないでよ、ねぇ」
泣かないでくれ。お前の可愛い顔が見えねぇだろ。
「……うるさい、馬鹿」
(((随分ご無沙汰しておりました、私事ですが謝罪を。また再開して不定期に上げますので、貴方の時間を彩るお手伝いになれればと思います……m(_ _)m