《愛する、それ故に》
暗い路地に入って少し。表通りの喧騒から距離を置いたところに、一組の男女の姿があった。
男はフードを被っていたが、女は被らず桃色の髪をふわりと揺らしていた。
「……ねぇ、エリオット様」
「はい、なんでしょう?」
彼女の言葉を聞こうと、男——エリオットが身を少し屈める。
「……わたし、」
その言葉の先を紡ぐ前に、彼女の腹から剣先が生えた。
否。無論、金属が唐突に生える訳もなく、背後から刺されたのだ。
「……! 何者だ!」
エリオットが誰何したが、黙したままの襲撃者は剣を更に深く刺し込む。
襲撃者はフードを深く被っていて顔は見えないが、手を見るに男のようだ。
完全に剣の間合いだ、エリオットは迂闊に動けない。
その傍らで吐血したかと思えば血潮を撒き散らして、甘ったるい笑みを貼り付けた女の体は地に伏した。
頬が泥に塗れてから、彼女は漸く悲鳴を上げた。
エリオットは、襲撃者の剣の柄を見て硬直する。正しくは、そこに在ってはならないの紋章から目が離せなくなったのだ。
襲撃者は耳降りな音を止めるべく、剣を彼女の首に落とす。
「……は……な、にを……して……」
呆然としたまま零れた困惑は、はたして、
「見てわかるだろう? 女を一人、殺しただけだ」
襲撃者の口を開かせるに至った。
襲撃者は剣を振って血を払い、鞘に納める。その一連の仕草は優雅で、とても人を一人殺した後とは思えない。
「——っ、なぜ貴方がこんなことを!」
エリオットが食って掛かった拍子にフードが捲れ、襲撃者の顔が露わになる。
金の髪に翡翠の瞳。整った顔立ちの、美しい男。
一度見れば忘れる筈もない、この容貌を持ち得ているのはただ一人。
「理由など、言わずともわかっている筈だ。エリオット」
エリオットが友と思い、また、主と仰ぐ人物。
「……どうしてですか、ルイ……!」
ルートヴィヒ。この国の王太子殿下、その人である。
彼が自ら殺人を犯すことの意味を知らない筈がないのに、なぜ事を起こしたのかとエリオットは混乱する。しかし、市井であるからと王太子を愛称で呼んだ辺り、彼は理性を失っていないだろう。
「……俺はお前に、理由を教えるつもりはない。だが、王家の者として剣を振ったからには、それ相応の大義のうえであることは……説明するまでもないか」
「……そうまでする理由が、あったと?」
「ああ、そうなるな」
淡々と告げるルートヴィヒを見て、エリオットは悟る。これは、ただの友人でもなく公爵子息たる己であっても立ち入れない物事なのだ、と。
そうは言っても、彼が目の前で少女を殺めたことの免罪符にはなりはしないと、そう思った。
「……ルイ、貴方は——」
「エリオット=フォン=アンティール。次期宰相たる貴殿の勤めを果たせ。これからも、な」
「…………はい」
だが、エリオットとて公爵家嫡男。
家名を出してまで制されては、閉口する他なかった。
「これは私兵に片付けさせる。……くれぐれも、一人で街に遊びに来たことを忘れるなよ」
「……そのように」
一言ことわって、エリオットは路地を出て行った。
納得がいかないのだろう、随分と剣呑な雰囲気を漂わせていたがあれで街を歩けるだろうか。
返り血の付いた上着を脱ぎ捨て、ルートヴィヒも場を去る。友とは反対に、路地の深くまで進む。
「…………これで満足か、性悪女」
誰もいない路地で独り言を呟くと、
「……ありがとうございますルートヴィヒ殿下ぁあああああああ!」
先程ルートヴィヒが刺し殺した女が、文字通り突っ込んで来た。
「……人気が少ないからと言って、俺の名前を叫ぶな! ……本当にあれが正解なのか?」
「はい、もちろん! 名演技、ありがとうございました!! 歓喜の極です!」
「何を言ってるんだ君は。おかげで俺はエリオットに口も聞いて貰えないだろうな、今後!」
「そのおかげで彼の命が助かりますよ殿下!」
そう。これは幻覚魔法を有した少女と、悪役に任命された王太子殿下の共犯で行われた事件だ。
エリオットの為に、と頼み込まれたのだ。
「……本当に、そのシナリオ? を回避してイベント? をなんとかできたんだろうな……」
「絶対大丈夫です! エリオット様は無事です! これでフラグが折れたので!」
「……もし失敗していたらそのときは、本番だからな……?」
「えっ、怖いこと言わないで下さい! でも、大丈夫です! 多分! 絶対!」
「どっちだよ……」
呆れたルートヴィヒは、思わず天を仰いだ。
転生ヒロインと、それを知ってしまった王太子。
最推し? というエリオットの命を救うべく。
大切な友人が死ぬフラグ? を回避すべく。
学園で出会った二人が、シナリオを改変していくのは——これが序章である。
《既読がつかないメッセージ》
普通、連絡というのは頻繁に取るものだと思い込んでいた。
メッセージを送って、少しして返信が来て、また会話が続くようなイメージで。
僕が性分的に、気がついたら直ぐに返信をするタイプだからというのもあるが、現代人の多くは三日と空かずに連絡を返すものだと思っていたのだ。
しかし、恋人はそんな僕の考えを遥かにすり抜けてしまう。
返信が一日以内であれば早い方で、三〜五日程度が平均。一週間、酷ければ一ヶ月近く既読すらしない。しても、返信は来ない。
こういう感じか、と最初の頃は拍子抜けしたものの受け入れていた。
なんというか、ここで変にもっと早く返信してくれ、と言って嫌われたくなかったのだ。
けれど、最近はとても不安になる。
だって、好きな人からの連絡に既読もつけず、既読をつけてもスタンプですら返信をしないことがそうあるのだろうか。
気がつかなかった、と何度送られてきたか。
前の質問にも答えず、僕が新たな話題を投じて、そこから更に時間が経って返信が送られてくたときの気持ちを、考えたことはないのか。
きっと面倒臭いと思うだろう。
理解できないと思うかもしれない。
だから、言わない。
「返事に困ったときは、スタンプでも何でもいいから送ってくれると嬉しい」
それだけ。
不安になるから、なんて。
嫌われたのかと思うから、なんて。
君にはそんなつもりがないのはわかっているから、直接は言えない。
でも、不安になるくらいは許してくれ。
《ひとりきり》
ある魔女が死んだ。
とても強大な力を持ち、誰よりも恐れられた魔女だ。
彼女は森の奥深くにある塔に幽閉されていた。実質の牢獄である。手も口も拘束されてはいなかったが、塔の最上階から鎖の伸ばされた足枷があった。
塔には彼女の他に、唯一の出入り口である一階の扉の前に門番が一人。また、時折出入りする使用人が一人。
魔女は放つ言葉の全てに魔力が込もり、さした苦労もなく魔法を紡ぐ。
魔法とは、魔女のみが所有する常軌を逸した力のことである。魔力を込めて言葉を発することで成立するのだが、魔女と会話をしているうちにどんな魔法に掛けられてしまうかはわからない。
つまり、会話自体が命取りなのである。
彼女とは言葉を交わすこともない使用人が三日に一度、硬いパンと水を与えに来るだけの日々が長く続いていた。
魔女は人間ではなく、食事を取らずとも死ぬことはない。だが、飢餓感が存在していない訳ではなくその苦しみだけが身を襲うのだ。
それでも、人間と比べれば随分と長く腹は空かなかった。
それが魔力を原動力とする魔物と同じだ、として恐れられた。
それゆえ王の命令で討伐隊が組まれたのだが、魔女は無限の魔力を所有しており倒し切ることは叶わなかった。
それでも捕縛に成功したことは確かな功績とされ、前王は讃えられている。
一方、魔女は王城の地下牢からすぐに魔法を封じる塔へと移され、かれこれ幾年かひとりきりという訳だ。
そんな魔女の元に、また使用人が硬いパンと水を寄越す。最上階に据えられた小窓以外時間の流れを測ることもできない塔で、使用人の訪れる回数が時間の経過を教えてくれる。
だがそれも、魔女は幾らか前から数えるのを止めてしまっていた。
どうせ命ある限り塔からは出られないのだし、現に幾年が過ぎようと日々になんの変化もなかった。
魔法も使えず、生きる意味も与えられず、それでも死ににくい体を抱えて生きる他なかったのだ。
「——魔女様、貴女はどうしてこちらにいらっしゃるのですか?」
魔女の息が止まった。
一階の扉近くに、いつものように硬いパンと水の入った瓶を置いて無言で去るかと思えば、
「魔女様?」
ある一定の距離は取るものの、反応を待っている。よくよく見れば、昨日までの女性ではなく男性へと代わっている。
「……王がそう命じたから、でしょう」
「……意外とかわいらしい御声をされているんですね。陛下の御命令がなければ、魔女様はこの塔から出られるのですか?」
「……出ら、れないわ。本来は極刑のところを、殺せないから、とここに閉じ込められたから」
「そうですか……」
動揺の収まらないまま会話は続く。
「でしたら魔女様、俺と結婚しませんか?」
「……私、見た目はこんなでもきっと貴方の倍は歳上よ」
「失礼ですが、お幾つでいらっしゃいますか?」
「……わからないの。ここに来る前は十九歳だったけれど、それからどれだけの時間が経ったかは……」
「ああ、それでしたら俺と貴女は二十三ほど離れていますね。俺は二十一歳なので」
「……私って、二十五年もここに居るの……?」
「? はい。ご存知ありませんでしたか?」
「……そう」
ここまで話して、魔女は年齢の話をしている場合ではなかったことを思い出す。
「……というか、早く戻った方がいいわ。そろそろ不審に思われてしまうから」
「お気遣いありがとうごさいます。ただ、遅ければ、死んだか逃げた者として扱われるだけでしょうから問題ありませんよ」
「問題あるでしょう。既に頭に異常をきたしているわ」
「ああ、結婚しませんか、では不十分でしたね。申し訳ありません。……魔女様、どうか俺と結婚していただけませんか?」
「そっちじゃないわ! ……あぁもう、貴方、何がしたいの?」
「……魔女様がおひとりで過ごされていると聞いて、それならば俺が共に過ごせないかと思いまして」
「……どうして?」
「共に刑に処されるためには、血縁関係にある親族か家族でないと不可能なので……他人の俺がそう在るには結婚するしかあるまい、と」
なぜ結婚という結論に至ったのかを聞いた訳ではないのだが、彼は当然のようにそう答えた。
「……わかった」
「本当に結婚して下さるのですね?」
「いいわよ、なんでも。どうせ貴方は先に死んでしまうし」
酷い言葉を吐いたとわかってのそれだったが、青年は一切表情を曇らせることなく破顔した。
「ありがとうございます! 魔女様——いえ、ユンテ様のことは、俺が一生を懸けて幸せにしますから」
「……え、えぇ……」
魔女は、名前を教えていないはずの彼が魔女と呼ばれる前の名を口にしたことに気付かなかった。
そんなことを考える余裕もなかったのだ。
ひとりきりでなくなった魔女と、結婚を願い出た挙句共に塔に幽閉されることとなった青年。
二人の紡ぐ物語、訪れる魔女の最期は——また、別の話である。
《ぬるい炭酸と無口な君》
外では元気にセミの鳴き声が連なり、太陽は鬱陶しい程の存在感を放つ。暑さを演じるには過ぎた演出と思えるが、自然とそうなっているので仕方がない。
好誠はその窓の向こうを思い浮かべながら、冷房の効いた部屋で漫画を読むことを享受していた。一時間前まで外にいたことも忘れて、汗のすっかり引いた涼しい顔でページを捲っていた。
ふと、あるページを見止めてその手を止める。
「……なぁ、朔」
漫画の持ち主であり部屋の主である友人、朔はスマホから視線を移す。
当の本人は、漫画から顔を上げることもなく続けた。
「祭りに行こう、夏祭り。……今日、地域の夏祭りがあるじゃん。一緒に行こう、朔」
そこでようやく顔を上げると、朔は彼の手にある漫画を指さして冷めた目を向けていた。
それ見たからだろ、と言わんばかりだ。
「……たしかに漫画読んでて、その影響ではあるけどさ。いいじゃん、夏祭り。……嫌?」
「…………夕方、七時に集合な」
「お! 行ってくれんだ? サンキュー、朔ちゃん!」
「朔ちゃん言うな……」
渋々了承しだ朔は、コップを手に取り茶を飲み干した。
夜予定があるわけでもない、断る方が後々駄々を捏ねて面倒だろうと判断したのだ。
高校に入って一年、このお喋りな友人と家を行き来する程の仲になったことは、今でも疑問に思う。
友人も多くクラスの中でも目立つ部類の好誠に対して、朔は口数が少ないためよく相手を怖がらせてしまう。
結果、対照的な二人がよく話しているのをクラスメイトからは、好誠が朔に対して絡んであげているのだろう、と思われているらしい。
だが、そんなことが二人の関係に何か影響を及ぼすかと言われれば、それはない。
こうして気楽に祭りに誘えるくらいには、気を許せているのだろうと解釈していた。
「……じゃあ、続きも読めたし一旦帰るわ」
好誠がそう言って立ち上がったのは、五時を少し過ぎた頃だった。
家までに掛かる時間は二十分。帰って出かける準備をするには十分だろう。
漫画を棚に戻して、二人でお菓子のゴミやらコップやらを片付ける。
鞄を手に取り、靴を履いて、
「貸してくれてありがとな、じゃ、また後でー」
笑顔で暑い世界へと進む彼の背中に、朔はひらひらと手を振った。
——神社の近く、いつもの待ち合わせ場所で好誠はスマホを弄っていた。
いつもは朔の方が早く待ち合わせ場所にいるのだが、今日は少し違って約束の時間になっても現れない。
たまにはそういうこともあるか、と思い周囲に視線を彷徨わせる。
地域の住民が多いからか浴衣を着ている人がよく行き交い、会話を弾ませている。
かくいう好誠も、先月母に買ってもらったばかりの紺の浴衣を着ていた。祭りに行きたいと言ったのも、これが理由の一つである。
「……好誠。待たせて悪い」
隣から聞こえてきたその声は、と目を向けると朔が立っていた。
「行くか。……どうした? 好誠?」
目が合った筈が、ぼんやりと足を止めたままの彼の肩を叩くと、はっとしたように瞬きをする。
「……あ、ごめん。い、行くか!」
慌てて歩き出した、随分と様子がおかしい友人の腕を掴んで止める。
「何だ?」
「……あー、その。結構渋々オッケーしてくれた感じだったから……浴衣で来ると思わなくて」
言われてみれば、である。
黒の浴衣に身を包んでいる朔だが、普段の彼を思えば絶対に着ようとは思わないだろう。とは言え、元から着るつもりだったのではない。
「……母さんが」
「あー、そういうことか。……俺とお揃いじゃん、やったね〜」
いつもとは違う服装に抵抗感のあった朔だが、好誠の屈託ない笑顔と共に告げられたそれが抵抗感を軽くする。
そのことに気付いているのかいないのか、
「似合ってるよ、朔」
そう言って今度こそ彼は歩き出した。
朔もそれに倣う。
夏祭りは、地域の大人たちが主体となって開催される。屋台を営んでいる人の殆どは知り合いだし、自分の親とそこで会うこともある。
先ずは腹ごしらえだ、と二人は屋台を幾つか巡ることにした。
焼きそば、かき氷、唐揚げ、わたがし、フライドポテト……と、そこまで食べて一段落する。
フルーツ飴を片手に、石段に座った。
「……これ食ったら、射的で勝負な!」
「勝負? ……罰ゲーム有りか」
「そう。負けた方は、買った方に何か奢りってルールでやろう! ……あ、ちなみに俺は射的めっちゃ上手いから。負ける気しないんだよなー」
と、意気揚々と言っていた筈の好誠だったが……結果は朔の勝ちだった。
「くっそー! 二個も負けた……!」
「……欲張りすぎだろ」
景品の獲得数で競っていたのだが、朔が堅実に落としやすいサイズのお菓子を狙ったのに対し、好誠は落としにくいだろう大きな箱を狙っていた所為だろう。
それでも二発で当てられたのは、やはり上手というのは嘘でないからか。
「……だってこれ、お前が好きな漫画のやつじゃん」
「好誠。……負けは負けだぞ」
「ぐぅっ……わかってるって! あ、そうだ、何がいい? 奢ってほしいやつ」
「……腹減ってないから、後ででいいか?」
「もちろん。あー、てか遊び足りないなぁ」
先に遊び尽くそう、と追加で屋台を回る。
ボール掬いやヨーヨー釣りも、高校生が楽しめるものかと冷静な気持ちを動かす反面、何だかんだ祭りの雰囲気に当てられて楽しんでしまう。
朔は珍しく、純粋にこういったものを楽しめている気がした。
好誠はそんな朔の表情を見て、時折顔を綻ばせていた。
「……さて、そろそろ俺に何奢ってほしいか決まった? さっきはお腹いっぱいだから、って言ってたけど」
「……サイダーかな」
「たしかに喉乾いて来たか、了解! 適当にその辺で待ってて、買ってくるわ」
「え、いや、こうせ……! あいつ……別に買うのは一緒にでいいだろ」
静止の声も届かず、好誠は人混みの中に消えてしまった。後半は完全に聞こえていなかったろう。
いくら地域の祭りとはいえ、人は多い。
変に動いて合流に手間どるよりかは良いだろう、と近くの木陰で待つこと数分。
「——さーくちゃん、お待たせ、待った?」
「待った。めっちゃ待たされた」
「ごめんごめん……はい、朔」
苦笑を漏らして、サイダーを渡す。相変わらず「朔ちゃん」と呼ぶと怒られるが、本気で嫌がられているわけではないようなので、つい呼んでしまうのだ。
それをわかってはいるのだろう、ため息を吐いた朔は受け取って一口飲む。
「……冷たー、最高。夜とはいえ、結構暑いよなぁ」
「そうだな」
目の前を横切る子供たちは、暑さをものともせずはしゃいでいる。
最早羨ましいと思い掛けるが、まだまだ自分たちも高校生、元気な盛りである。
それを思って、好誠は朔の手を取った。
「……は? 何だよ、急に」
驚いた朔をそのままに、神社の方へと進んで行く。
迷いのない足取りに、狙いを察した朔はあからさまに大きなため息を吐くが、引きずられて行く。
「……神社か」
「正解! ってなわけで、登るぞ! 階段!」
まだ高校生だし元気残ってるからってそれを発揮するか、とはならないだろ。
朔の表情はそう物語っているが、見たらわかるだろうこの男は目的地を見据えて振り返らず登っている。
ふと、足を止めていつ気付くかやってみるか、と悪戯心が朔の胸中で芽吹く。
「……あと半分くらいか? 朔、へばんなよー 」
「……あぁ」
心でも読まれていたか、と本気で思う程好誠の言葉はタイミングが合っている。
これはもう無理だと判断した朔が諦めて登り出したので、好誠は引いていた手を離す。
全部で二八五段あった石段を登り切って息を切らす朔を他所に、好誠は満足げに頷いた。
「……お祭りの時って、上から見ると提灯が綺麗なんだな」
「……そのためだけに来たのかよ」
「恨むなって……けど、いいじゃん。これも俺との夏の思い出ってことで!」
「自分に自信ありすぎだろ……」
すっかり炭酸も抜けぬるくなってしまったサイダーは、ただの甘ったるい液体だ。
それをちびちびと飲みながら、朔は好誠の横顔を見つめた。
普段よく動く彼の口は、景色に心を奪われてか薄く開き弧を描いたまま動かない。
目も、ゆっくりと瞬きをしている。
「……何だよ、こっち見て」
「……え?」
気が付くと、視線に気付いた好誠が視線を祭りの風景から朔へと移していた。
「……いや、静かだな、と思って」
「普段うるさいってこと? ……俺だって景色に感動したりするって。だから、登って来たんだし」
「……だよな」
納得したのかいないのか、曖昧に頷いた朔を好誠は不思議そうに眺める。
そもそもこの友人は口数が少ないが、今日はいつもより少し多く話してくれている気がするのだ。
気のせいだろうか。
「……また来年も、一緒に夏祭り来ような」
「どうだろうな」
「えー、朔は一緒に行ってくれないのかよー」
「……好誠。この近くでも夏祭りをやってるらしい。来年は、別の祭りに行こう」
「朔ちゃん……!」
「だからやめろと何度言えば、」
「俺、今、今日で一番嬉しい! 来年一緒に夏祭り行くのは確定ってことだろ?」
嬉しさのあまり自然と笑顔になった好誠が疎かになった手元を、朔が支えて言う。
「……お前が、まだ……一緒に居てくれるならな」
本心である。
口数が少なく取っ付きにくいだろう自分と、多くの友人がいる中で付き合い続けてくれる友人。
そのかけがえのなさは朔もわかっているつもりだ。
「……ふっ……朔のバカ」
「おい、誰が」
「そういう時は……一緒に居たいって言うんだよ」
「……っ、そんな歯の浮いたようなセリフ言わない」
「俺は朔と一緒に居たいけど?」
「……好誠と気持ちは一緒だ」
「あ、ずるい言い方で逃げた! もしや照れたか、朔ちゃん」
「だから普通に呼べよ……!」
これ以上サイダーをぬるくするわけにはいかないのだが、それもう、無理な相談だった。
友人との語らいは、あっという間に時間を捲ってしまうものである。
《眩しくて》
こんな戦場に、美しい彼女が存在することなど誰が予想したろう。
「……私、は……っ、けほっ……」
「動かないで。水を」
「……あぁ、ありがとう。あなたは――」
「わたしはユリア。怪我はもう大丈夫ですか?」
「痛くない……そうか、治癒魔法を! 本当にありがとう、すみません」
「いえ、お大事になさって下さいね」
可憐に微笑む彼女が纏う黒のローブが、夜のように優しく包み込んでくれる気がした。
ぼやけていたはずの視界も良好になったところで、女騎士は上体を起こした。
見れば、周囲に負傷した味方が多くいる。
治癒師だろう白のローブを纏った数人は、味方だ。
「……助かったのか? 私は」
敵の罠に嵌められたのだ、側面から崩された女騎士を含む小隊は全滅する寸前で援護により救われた。
そして今、気絶している間に救援も届いたのだろう。
「……敵は去ったのか」
「いえ、近くにまだ残っているようです」
女騎士の問に答えたのは部下の一人だ。
遠くの方、木の影に身を潜めている影が多く見えた。夜とはいえ、逆に敵の黒は目立つのか。
逃げ遅れたにしては多い敵の数に、一瞬思考して、その意図を察した女騎士は叫ぶ。
「罠だ! 私たち負傷兵を囮として、救援部隊である治癒師の方々を攻撃するつもりだ!」
咄嗟に叫んだが、それが悪かった。
相手も意図を察されたのだ、このままでは待った甲斐がない。
「……っ、くそ、私の失態だ……!」
当然、敵は大勢を伴って姿を現した。
逃げられては困るのだ、馬を先に殺してしまった。
「そんな……!」
「どうしたら……」
治癒師は治癒魔法という、通常よりも希少な魔法を扱う魔法使いを指す。この特徴としては、治癒魔法以外を使用できないことにある。
つまり、今敵と戦うことの出来るのは負傷兵のみというわけだ。
現着して間もないのだろう、女騎士以外に回復した様子が見られるのは四名だった。
まさに、絶体絶命。
「……ごめんなさい、わたし、あなた達を助ける義理はないの」
その渦中に在りながら、ユリアはそう言い放った。
当然困惑した様子を見せたのは敵だけでなく、味方である治癒師や負傷兵もであった。
「……あなたは何を言うか。早く、逃げ、」
「治癒師を先に殺せ!」
治癒魔法がある限り、殺しにくいことになる。敵の狙いは明確かつ当然だったが、
「だから、わたしは生かしてあげられないわ」
と、声が響いた。
「【天秤】」
ユリアが一言放つ。刹那、敵が諸共頭が弾けたように血が散って、命をも散らした。
一瞬のことだ。
「……あな、たは……」
「この黒のローブで、わかってもらえるかしら。残念だけれどわたしは、治癒師でなくて魔法師よ?」
先程女騎士を安心させたのと同様、柔らかな笑みを浮かべて彼女はそう言った。
「魔法師……それでは治癒魔法が使えないはずでは」
「ええ、普通には使えないわ。でも、代償を渡せば使えるのは知っているでしょう? 騎士さんも」
呆然として敵の死体を目にしたまま零れた疑問に、ユリアはそっと歌うように返す。
代償。それは、その傷が快癒するまでに掛かる時間だけ、寿命を削ること。
「まさか……あなたは自分の命を削ってまで治癒していると!?」
「ええ、そうね。けど心配しないで頂戴。私は、ヒトではないのよ」
そう言って髪で隠れていた耳を露わにして、ユリアは笑った。
「私、エルフだから」
エルフは長寿で、見た目は十代後半から二十代前半で止まるものの千年から二千年は寿命を有する。
つまり、治癒魔法で寿命削った所ですぐには死なないから問題ないと言っているのだろう。
感覚の絶望的なまでの差に、女騎士は凍り付いた。
命の恩人である彼女は、ユリアはとても戦場には似つかわしくない程眩しくて、優しくて、強くて、命の色を身に付けた女性であった。