望月

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7/11/2025, 9:52:40 AM

《冒険》

 一の章 氷に閉ざされし天空の迷宮

 咲の月‪ 一の日
 先遣隊として派遣されることとなった。
 着地予定地周辺の安全確認がされたらしい。
 選抜は昨日行われた試験結果を基準に、各々の得意不得意を考えたうえで成されたという。
 特に優秀な人材は、今回の作戦に投入されていない。つまり、この先の安全は保証されていないと知りながら向かわなければ。
 出立は五日後、それまでに荷物の準備と家族への手紙を書き遺しておこう。
 この日記も、帰ってくる頃には白紙が埋まっていることを願う。

 咲の月 六の日
 寒い。とても寒くて堪らない。
 心做しか、空気も薄く感じて動きが鈍い。
 今日は先遣隊として派遣された十人で、着地地点から少しの所に拠点を立てた。
 もう日が暮れた、この天空の島では時間の流れが分かりずらいようだ。
 既に寒さにやられている、もう休もう。
 夜空に拡がる星はとても綺麗だ。

 咲の月 七の日
 遺跡の入口と思しき空間に鎮座している大きな氷を溶かす、もしくは破壊することが一先ずの目標らしい。
 殴ってみたが、拳が割れそうだったので断念。大人しく火と削岩機に近い機械で削った。
 日没後、暫くして夜になり、道は開かれた。
 皆で協力してやっとのことだ、喜びを分かち合いたいが酒もない。
 それでも、干し肉と水と語らいとで楽しい夜だった。
 明日が楽しみだ。

 咲の月 八の日
 朝に作戦を立て、その通りに足を踏み入れることになった。
 道を塞ぐのは氷だが、入口を塞いでいたもの程分厚くはない。
 薄い氷を割って進むが、まさしく迷宮。
 どこを見ても変わらないような気がした。
 どのくらい進むことができたのかも分からないが、ある程度で区切りをつけて拠点に戻ることにした。

 咲の月 十一の日
 鞄に入れていた筈の食糧が凍っていて、とてもではないがそのままで食べられない。
 火の近くに置いて、氷を溶かしてから食べるのは不思議な感覚がした。
 パンが硬いようで柔らかく、面白い。
 毎回拠点に帰るのは難しい。二つ目の拠点を立てたが、後何度これを繰り返すことになるのだろうか。
 少し楽しみだ、寒さに慣れたのだろうか。

 咲の月 十三の日
 なんてことだ。まさか、氷が生える迷宮だったなんて。
 この迷宮は来た道を戻ることすら許さないのか。
 中心に近付いてる気がする。
 第二拠点に戻ろうとしたが、断念して、第三拠点を立てることになった。
 氷が生えて来ないことを祈ろう。

 咲の月 十七の日
 薄氷を割って、進んでいる最中に最後尾の隊員が氷に巻き込まれた。
 ここまで速く再生するのか。
 唖然としながら、念の為道を開いて五人が進んで氷が戻るのを待つ。それを繰り返すことになった。
 拠点はもう四つ目だ。もう撤去まで迅速に動ける。
 こんなことになるだなんて。

 咲の月 ??の日
 持ってきていた懐中時計が壊れてしまった。
 迷宮の中に窓なんてないし、あっても氷が塞いでしまっていて見えない。
 感覚的には二十の日だろうか、と思う。
 最早拠点も構える暇がない。
 進んで、進んで休んで。
 もう食糧がない。
 ここまで続くと思われていなかったのだろう、先遣隊なんてこんなものだ。

 ?の月 ??の日
 冒険だ、なんて目を輝かせていたあの頃が懐かしい。
 もうだめだ、割った傍から氷が生えてくる。
 偶然片腕なら通りそうな大きさの窓を見つけた。いや、建物が崩れたところに氷が生えていないだけか。
 もう二度と見ることはないだろう空に、この日記を預けることにしよう。
 これを見た者に、頼みがある。
 この日記を、家族に渡してくれないか。

 ————(掠れて読めない)

7/7/2025, 11:09:55 AM

《願い事》

 カササギが作ると云う、天の川に架かる道。
 其れが白く眩くモノであれば良い。
 ただ切に想う。
 愛の彼是は問うべきでない。
 然しして、情人らの行末を希わずには居られぬ。
 七夕とは曰く、其の様な宵を示すだろうと。

5/19/2025, 9:34:06 AM

《まって》

 太陽が沈んで、月が昇ってきた。
 初めて会ったあの日に交わした言葉を、昨日のことのように覚えている。
 うつらうつらと思考が浮かんでは消えて、暗闇が少し明るくなって。暗くなって。明るくなった。
 それで、声がいなくなった。
 また暗くなって、明るくなって、暗くなった。
 それで、顔が思い出せなくなった。
 また明るくなって、暗くなって、明るくなって、暗くなった。
 それで、君の温もりを忘れてしまった。
 嗚呼、どうして。
 どれだけの時が過ぎたのか。
 君が生きていたという事実だけを覚えている。
 君がどんな人だったのか。
 君とどこへ行ったのか。
 君はどう笑ったのか。
 君に何を話したのか。
 もう、何も思い出せない。
 時間は待ってくれないのだと、誰が教えてくれたのだったか。
 多分君だ、君のはずなのに。
 もう、思い出せない。
 君をどう思っていたのか——君をどう思っているのか、それだけが遺されたものだ。

5/17/2025, 10:01:43 AM

《手放す勇気》

 自分にとって居心地が良い場所を手放すのは、途轍もなく勇気のいることだ。
 あたたかく迎えてくれる場所というのは、言葉にするよりも深く心に刻まれている大切な場所なのだ。
 だが、そんなことは。
「……早く逃げろ!」
 悪魔にとってはまったくと言っていいだろう、気にするべきことではないのだった。
 悪魔。
 魔界という未開拓の異次元から突如として現れる、不可思議かつ最悪の存在。
 彼らは妖しげな力を行使して、ふとして夜にやってくるのだ。
 人は、いつしかそれを、悪魔術——魔術、と呼んだ。
「ひ、ひいぃっ……!」
「やめろ、やめてくれえッ!」
 悲鳴が方方から聞こえ、否が応でもその修状が現実だと理解させられる。
 身を斬られた痛みに喘ぐ人。
 右半身を失い流血に嘆く人。
 家族を目の前で失い叫ぶ人。
「ぐあぁあああッ……か、はっ……」
 今、体を裂かれ事切れた人。
 抉られた視界に絶望した人。
 痛みに心を喪って黙した人。
 そういう人たちの頭上に浮かぶ、夜の闇を凝縮したかのような黒い羽を有した化物。
 たった一体の悪魔が、街を悪夢に陥れて嗤っている。
 殆ど直感で、これは、死んでしまうのだな、と誰もが思った。
 そんな中、崩れた家屋から現れた青年が一人。
「……ごめん」
 衣服に付着した埃を払って、ぶつぶつとなにかを呟き始めた。
「真なるものは目に映らず、真なる音は耳に聞こえず」
 視線を地面に落として、まるで頭上に君臨する悪魔の存在に気が付いていないと錯覚するほどの集中を見せる。
 いや、地面に倒れている友人を見て顔を歪ませた辺り、周りが見えていないわけではないようだ。
「真なる調べは他に知らせず、真なることは他に知られず」
 たかが一人、だが、この状況では酷く異様だ。
 目的の場所でもあるのか、青年は迷いなく進んで行く。
「真なる其れは清きこともなく、穢れですらない」
 そこで漸く悪魔が、その矮小かつ愚かな存在に気が付いた。
 この状況で立って、歩いて、悪魔の存在を気にもしない人間がいるとは予想だにしなかったからだ。
「真なる幾ばくもの其れは、偽りの後に存在する」
 興味が湧いたのか、はたまた邪魔に感じたのか。
 悪魔が青年に矛先を向けた。
「成るは、【解放】」
 悪魔の毒々しい爪先が青年に迫り、
「【凍結】」
 その姿のまま、まるで絵画に閉じ込められたように動かない悪魔がそこに在った。
 青年の言葉に従って、凍結してしまったのだった。
「……人間だからって、魔術が使えないと思うなよ」
 そこでやっと青年が振り返ると、悪魔の奥に恐怖で顔を青くしたままの町の人達がいた。
 街が好きで、五年過ごしたこの場所は大切だったというのに。
 青年はこの力が周知のものとなってしまった今、もうここにはいられない。
 魔術とは本来、悪魔しか行使できないもので、青年が扱ったそれは同質のものに見えただろうから。
「早く、覚悟を決めれば……誰も死ななかったかもな」
 小さな声での後悔は、きっと誰にも届かなかっただろう。
 青年は肩を落として前を向いた。
 いつかこうなるとは思っていたのだ、なに、今更だ。
「さようなら。……ごめんなさい」
 悪魔の力を有した、半魔の青年はそう残して去った。
 後にはただ、街の残骸と数多の死傷者、凍結した悪魔が残されたのである。

5/16/2025, 9:16:09 AM

《光輝け、暗闇で》

 街道から少し脇に逸れて進み、草を掻き分けて漸く見える崖——の下には、月明かりも殆ど差さない。
 僅かに欠けた月は煌々と夜空に浮かんでいた筈だが、今となっては、零れた程度の月光から遥か彼方のそれを思い描くことでしか存在を感じられない。
「……抜かったな……これは」
 件の崖から落ちて数分後、状況を冷静に見られるようになってきて、今。
 旅人は、そう独りごちた。
 しかし、嘆いていても仕方がない。天と地とが逆さになっているのを、横転して地に座り、戻す。
 全身痛い。痛いが、矢張りこれも正しく把握しておくべきことだ。
 手を動かしながら全身をくまなく確かめる。
 伸び切った枝やら草やらに揉みくちゃにされた脚は、傷だらけ。腕も、腹も、とにかく全身小さな引っ掻き傷のようなものが有った。服も所々が裂けていて、血も付いているのか黒く見える。
 荷物は無事だったようで、鞄が裂けているということも無い。
 中に入れておいた物も……どうやら無事か。
「一番の問題は……これだよなぁ」
 後頭部に手をやると、ゆめりとした感触。手のひらを見れば、張り付いた血。
 頭部からの出血だ。洒落にならない。
「止血……ってどうやるんだ。くそ、やり方合ってるのか? ……いや、どのみちしっかりと手当を受けないとだな」
 もう視界がぼやけている時点で問題だ。
 時間はそう多くないだろう。死にはしないが、気絶くらいはする怪我だ。
 崖の上までは、恐らく身長の三倍程度。そこまで深くは無いが、この怪我で安心して登れるかと言われればそれは不可能。
 こんな時間に通りかかる人は……いるだろうが、果たして、崖の下にいる旅人になんぞ気が付くだろうか。
「だめだな、どうにかして気付いて貰わないと」
 声を張り上げても朝方まで保たないだろう体力の無さは、受け入る他ない。
 自己解決は諦めて、なにか目印にできないかと再び鞄を漁る。なにか……あった。
「短剣でも、光を反射くらいはするだろ」
 試しに光の差し込んでいる場所に抜き身の短剣を晒すと、眩しいくらいに反射した。
 謎に奮発して銀の短剣を選んだことが良かったのか。はたまた、殆ど使わないくせに、格好つけて手入れを怠らなかったのが功を奏したか。
 ともかく、これならしかと輝くであろう。
「問題は誰がこの光を見て、助けを求めているかわかるんだって話だ」
 血が止まっていないのか、痛いような寒いような心地がしてきた。
 できうる限り落ちた方とは反対側の崖に沿って座り込み、腕を一番高い所まで伸ばして、短剣を振る。
 後は、これに誰が気付いて声を掛けてくれされすれば、それに応えるだけだ。
「頼む……誰か、気付いてくれ……!」
 短剣よ。
 光輝け、暗闇で。
 頼む。
 腕が痛くなったら交代、と何度そうしたか。
 わからなくなってきた頃に、突然、現れた。
「——いないかー! 誰かー!!」
「……ここだ、ここにいる!」
 一瞬反応が遅れて、若干掠れているのを無視して叫んだ。
 音に反射的に反応した、という具合だが、それでも複数の足音が近付いてくるのが聞こえて安堵する。
 まだ、まだ助かっていない。
「崖の下にいるのか!?」
「そうだ! 怪我をしていてッ、動けない! 誰が、引き上げてくれないか!?」
「了解した! 少し待っていてくれ、必ず助ける!!」
 なんとか声を張り上げて、そのまま。
 相手方の声に安心して、ふと、気が抜けてしまったようだった。
 気絶してしまったのだ、恐らく。
 後に聞いた話だが、彼らが近くを通った際不可解な光を見付けてくれたそう。
 そこから、位置まで探し当ててくれたのだ。
 この日が。
 命の恩人達に出会った、初めの日のことだった。

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