《ぬるい炭酸と無口な君》
外では元気にセミの鳴き声が連なり、太陽は鬱陶しい程の存在感を放つ。暑さを演じるには過ぎた演出と思えるが、自然とそうなっているので仕方がない。
好誠はその窓の向こうを思い浮かべながら、冷房の効いた部屋で漫画を読むことを享受していた。一時間前まで外にいたことも忘れて、汗のすっかり引いた涼しい顔でページを捲っていた。
ふと、あるページを見止めてその手を止める。
「……なぁ、朔」
漫画の持ち主であり部屋の主である友人、朔はスマホから視線を移す。
当の本人は、漫画から顔を上げることもなく続けた。
「祭りに行こう、夏祭り。……今日、地域の夏祭りがあるじゃん。一緒に行こう、朔」
そこでようやく顔を上げると、朔は彼の手にある漫画を指さして冷めた目を向けていた。
それ見たからだろ、と言わんばかりだ。
「……たしかに漫画読んでて、その影響ではあるけどさ。いいじゃん、夏祭り。……嫌?」
「…………夕方、七時に集合な」
「お! 行ってくれんだ? サンキュー、朔ちゃん!」
「朔ちゃん言うな……」
渋々了承しだ朔は、コップを手に取り茶を飲み干した。
夜予定があるわけでもない、断る方が後々駄々を捏ねて面倒だろうと判断したのだ。
高校に入って一年、このお喋りな友人と家を行き来する程の仲になったことは、今でも疑問に思う。
友人も多くクラスの中でも目立つ部類の好誠に対して、朔は口数が少ないためよく相手を怖がらせてしまう。
結果、対照的な二人がよく話しているのをクラスメイトからは、好誠が朔に対して絡んであげているのだろう、と思われているらしい。
だが、そんなことが二人の関係に何か影響を及ぼすかと言われれば、それはない。
こうして気楽に祭りに誘えるくらいには、気を許せているのだろうと解釈していた。
「……じゃあ、続きも読めたし一旦帰るわ」
好誠がそう言って立ち上がったのは、五時を少し過ぎた頃だった。
家までに掛かる時間は二十分。帰って出かける準備をするには十分だろう。
漫画を棚に戻して、二人でお菓子のゴミやらコップやらを片付ける。
鞄を手に取り、靴を履いて、
「貸してくれてありがとな、じゃ、また後でー」
笑顔で暑い世界へと進む彼の背中に、朔はひらひらと手を振った。
——神社の近く、いつもの待ち合わせ場所で好誠はスマホを弄っていた。
いつもは朔の方が早く待ち合わせ場所にいるのだが、今日は少し違って約束の時間になっても現れない。
たまにはそういうこともあるか、と思い周囲に視線を彷徨わせる。
地域の住民が多いからか浴衣を着ている人がよく行き交い、会話を弾ませている。
かくいう好誠も、先月母に買ってもらったばかりの紺の浴衣を着ていた。祭りに行きたいと言ったのも、これが理由の一つである。
「……好誠。待たせて悪い」
隣から聞こえてきたその声は、と目を向けると朔が立っていた。
「行くか。……どうした? 好誠?」
目が合った筈が、ぼんやりと足を止めたままの彼の肩を叩くと、はっとしたように瞬きをする。
「……あ、ごめん。い、行くか!」
慌てて歩き出した、随分と様子がおかしい友人の腕を掴んで止める。
「何だ?」
「……あー、その。結構渋々オッケーしてくれた感じだったから……浴衣で来ると思わなくて」
言われてみれば、である。
黒の浴衣に身を包んでいる朔だが、普段の彼を思えば絶対に着ようとは思わないだろう。とは言え、元から着るつもりだったのではない。
「……母さんが」
「あー、そういうことか。……俺とお揃いじゃん、やったね〜」
いつもとは違う服装に抵抗感のあった朔だが、好誠の屈託ない笑顔と共に告げられたそれが抵抗感を軽くする。
そのことに気付いているのかいないのか、
「似合ってるよ、朔」
そう言って今度こそ彼は歩き出した。
朔もそれに倣う。
夏祭りは、地域の大人たちが主体となって開催される。屋台を営んでいる人の殆どは知り合いだし、自分の親とそこで会うこともある。
先ずは腹ごしらえだ、と二人は屋台を幾つか巡ることにした。
焼きそば、かき氷、唐揚げ、わたがし、フライドポテト……と、そこまで食べて一段落する。
フルーツ飴を片手に、石段に座った。
「……これ食ったら、射的で勝負な!」
「勝負? ……罰ゲーム有りか」
「そう。負けた方は、買った方に何か奢りってルールでやろう! ……あ、ちなみに俺は射的めっちゃ上手いから。負ける気しないんだよなー」
と、意気揚々と言っていた筈の好誠だったが……結果は朔の勝ちだった。
「くっそー! 二個も負けた……!」
「……欲張りすぎだろ」
景品の獲得数で競っていたのだが、朔が堅実に落としやすいサイズのお菓子を狙ったのに対し、好誠は落としにくいだろう大きな箱を狙っていた所為だろう。
それでも二発で当てられたのは、やはり上手というのは嘘でないからか。
「……だってこれ、お前が好きな漫画のやつじゃん」
「好誠。……負けは負けだぞ」
「ぐぅっ……わかってるって! あ、そうだ、何がいい? 奢ってほしいやつ」
「……腹減ってないから、後ででいいか?」
「もちろん。あー、てか遊び足りないなぁ」
先に遊び尽くそう、と追加で屋台を回る。
ボール掬いやヨーヨー釣りも、高校生が楽しめるものかと冷静な気持ちを動かす反面、何だかんだ祭りの雰囲気に当てられて楽しんでしまう。
朔は珍しく、純粋にこういったものを楽しめている気がした。
好誠はそんな朔の表情を見て、時折顔を綻ばせていた。
「……さて、そろそろ俺に何奢ってほしいか決まった? さっきはお腹いっぱいだから、って言ってたけど」
「……サイダーかな」
「たしかに喉乾いて来たか、了解! 適当にその辺で待ってて、買ってくるわ」
「え、いや、こうせ……! あいつ……別に買うのは一緒にでいいだろ」
静止の声も届かず、好誠は人混みの中に消えてしまった。後半は完全に聞こえていなかったろう。
いくら地域の祭りとはいえ、人は多い。
変に動いて合流に手間どるよりかは良いだろう、と近くの木陰で待つこと数分。
「——さーくちゃん、お待たせ、待った?」
「待った。めっちゃ待たされた」
「ごめんごめん……はい、朔」
苦笑を漏らして、サイダーを渡す。相変わらず「朔ちゃん」と呼ぶと怒られるが、本気で嫌がられているわけではないようなので、つい呼んでしまうのだ。
それをわかってはいるのだろう、ため息を吐いた朔は受け取って一口飲む。
「……冷たー、最高。夜とはいえ、結構暑いよなぁ」
「そうだな」
目の前を横切る子供たちは、暑さをものともせずはしゃいでいる。
最早羨ましいと思い掛けるが、まだまだ自分たちも高校生、元気な盛りである。
それを思って、好誠は朔の手を取った。
「……は? 何だよ、急に」
驚いた朔をそのままに、神社の方へと進んで行く。
迷いのない足取りに、狙いを察した朔はあからさまに大きなため息を吐くが、引きずられて行く。
「……神社か」
「正解! ってなわけで、登るぞ! 階段!」
まだ高校生だし元気残ってるからってそれを発揮するか、とはならないだろ。
朔の表情はそう物語っているが、見たらわかるだろうこの男は目的地を見据えて振り返らず登っている。
ふと、足を止めていつ気付くかやってみるか、と悪戯心が朔の胸中で芽吹く。
「……あと半分くらいか? 朔、へばんなよー 」
「……あぁ」
心でも読まれていたか、と本気で思う程好誠の言葉はタイミングが合っている。
これはもう無理だと判断した朔が諦めて登り出したので、好誠は引いていた手を離す。
全部で二八五段あった石段を登り切って息を切らす朔を他所に、好誠は満足げに頷いた。
「……お祭りの時って、上から見ると提灯が綺麗なんだな」
「……そのためだけに来たのかよ」
「恨むなって……けど、いいじゃん。これも俺との夏の思い出ってことで!」
「自分に自信ありすぎだろ……」
すっかり炭酸も抜けぬるくなってしまったサイダーは、ただの甘ったるい液体だ。
それをちびちびと飲みながら、朔は好誠の横顔を見つめた。
普段よく動く彼の口は、景色に心を奪われてか薄く開き弧を描いたまま動かない。
目も、ゆっくりと瞬きをしている。
「……何だよ、こっち見て」
「……え?」
気が付くと、視線に気付いた好誠が視線を祭りの風景から朔へと移していた。
「……いや、静かだな、と思って」
「普段うるさいってこと? ……俺だって景色に感動したりするって。だから、登って来たんだし」
「……だよな」
納得したのかいないのか、曖昧に頷いた朔を好誠は不思議そうに眺める。
そもそもこの友人は口数が少ないが、今日はいつもより少し多く話してくれている気がするのだ。
気のせいだろうか。
「……また来年も、一緒に夏祭り来ような」
「どうだろうな」
「えー、朔は一緒に行ってくれないのかよー」
「……好誠。この近くでも夏祭りをやってるらしい。来年は、別の祭りに行こう」
「朔ちゃん……!」
「だからやめろと何度言えば、」
「俺、今、今日で一番嬉しい! 来年一緒に夏祭り行くのは確定ってことだろ?」
嬉しさのあまり自然と笑顔になった好誠が疎かになった手元を、朔が支えて言う。
「……お前が、まだ……一緒に居てくれるならな」
本心である。
口数が少なく取っ付きにくいだろう自分と、多くの友人がいる中で付き合い続けてくれる友人。
そのかけがえのなさは朔もわかっているつもりだ。
「……ふっ……朔のバカ」
「おい、誰が」
「そういう時は……一緒に居たいって言うんだよ」
「……っ、そんな歯の浮いたようなセリフ言わない」
「俺は朔と一緒に居たいけど?」
「……好誠と気持ちは一緒だ」
「あ、ずるい言い方で逃げた! もしや照れたか、朔ちゃん」
「だから普通に呼べよ……!」
これ以上サイダーをぬるくするわけにはいかないのだが、それもう、無理な相談だった。
友人との語らいは、あっという間に時間を捲ってしまうものである。
8/4/2025, 9:31:52 AM