《夏》
夏祭り。
アイス。
風鈴。
スイカ割り。
花火。
海。
蚊取り線香。
かき氷。
暑さ。
扇風機。
その全てに、君がいた。
譬えばハンバーグの付け合せの野菜の様に。
当然にして、馴染んで、そこに君はいた。
だけど。
そこだけ。
たった100日の世界にだけだ。
毎日シャッターを切っても、100枚で尽きてしまう。
それっぽっちの時間に、景色に、君はいた。
「林檎飴って最後に買うものじゃないの、普通」
やっぱり硬いって、笑って。
「流石に直ぐ溶けちゃうね、美味しいけど」
早くないって、笑って。
「チリーンってこの音、涼やかで好きなんだよね」
わかるいいよねって、笑って。
「もうちょっと前かな、いや、後ろ……?」
下手じゃんって、笑って。
「この音って笛の音らしいよ、花火師さんの」
風情がないなあって、笑って。
「うわ、しょっぱい! 水、掛けないでよ」
仕返しだって、笑って。
「この線香の香り、なんだかんだ好きだよね」
落ち着くよねって、笑って。
「冷たっ! え、こんな味だったっけ、美味っ」
もう無いじゃんって、笑って。
「いや、外歩くだけで疲れるよ。家に篭ってたい」
疲れるよねって、笑って。
「ああぁ〜……ってする人いるけど、君もかよ」
嗚呼一緒だねって、笑って。
それで良かったのに。
君のいる景色が、日々が。
その世界だけが。
夏だった。
想い出になった世界が。
夏の、全てだった。
だけど。
「いい? 夏は、楽しむ季節だからね!」
向日葵が咲いたみたいな君の表情が。
「私がいない夏だって、楽しんでよ」
淋しそうに、惜しんで見えた君の表情が。
「約束! 絶対絶対の約束!」
それでも励まそうとしてくれる君の声が。
「夏は、私だけじゃないから。みんなと楽しんで!」
君との日々を、夏の総てにした。
全てじゃなくなったことを、君は笑って。
赦してくれるだろうか。
……褒めてくれるんだろうな。
完全に君とのものだった季節。
少し他のモノとの季節になって。
それでも、存在し続ける季節が。
——夏。
《繊細な花》
野花ほど、その言葉の似合うものはないだろう。
何故って、理由は簡単。
道端に咲いている小さな花なんぞ、人が一瞬で踏み荒らすことができる。
摘んでしまえば尚更、一瞬にして世界から『野花がそこに咲いている』という事実を消し去る事ができる。
誰かの何気ない行動で花弁を散らす、その繊細さは言うまでもない気がするのだ。
けれど、繊細なだけかと言われればそうでもない。
寧ろ、強かな花であるとも言えるだろう。
また、か弱い少女というのもまた、それと似ている。
細腕で思わぬ剛力を発揮するやもしれない。
つまりは、繊細に見えるだけの花もそうでない面を持ち合わせている、と思うのだ。
「今回の話はまあまあね」
「お気に召されませんでしたか……」
「まあまあ、と言ったのよ。聞こえなかったかしら?」
「申し訳ありません、陛下」
「次はきっと、面白い話であって頂戴ね」
「……必ずや」
「語り部」
「はい? いかがなさいましたか、陛下」
「楽しみにしているわ」
「……ありがたきお言葉」
知を、想いを、好む不可思議な女王が居る。
その噂の真偽や、如何に。
《あなたがいたから》
彼女が死んだ。
自殺だったそうだ。
知らせてくれたのは彼女の母親で、何度も面識があった。
遺書が傍に置かれていたようで、両親への感謝から始まっていたそうだ。
そして俺にも触れていたらしく、最後の一文。
『あなたがいたから、私は』
その続きは、血で判別できなくなっていたそうだ。
きっと、自殺を選んだ理由でも書かれているのだろう。
そう思っての、電話だそうだ。
「……彼女の自殺の理由に、思い当たることは、あります」
そう答えた途端、弱々しかった彼女の母親の声色は非難の色を帯びた。
きっと俺が彼女を追い詰めたと思ったのだろう。
何があったのか、なにかしたのか。
そう問われたとて、答えなど俺には無い。
だからといって納得はされないか。
「すみません、すみません、すみません……」
ひたすらに謝罪をして、暫く、二時間ほど経って。
「あなたがいるから、娘は幸せだったのに! そのあなたがっ、娘を……あの子を、殺すなんて!! もう二度と現れないでッ」
絶縁の叫びと共に電話は切れた。
彼女の母親からすれば俺は、娘を自殺に追い込んだ——殺した犯人だ。
怒りはもっとも。
「……俺は、これでいいんだよな」
彼女の意思はもうわからない。
けれど遺書にすら書かなかった事実を、俺が言う訳にも行かない。
しっかりと遺体を調べれば、彼女が、文字通り墓場まで持って行くつもりの真実も明かされるだろうが。
俺は、これでいい。
例え彼女の両親に恨まれようとも、彼女の遺志を尊重できるのなら本望だ。
だから、お義母さん、お義父さん、本当にすみません。ごめんなさい。
「……あなたがいたから、私は、病気に勝ったんだよ」
そう言いたかったんだろ、君は。
病気じゃなくて、自殺を選んだ理由は。
俺にだけ打ち明けていた入院生活。
それを両親に隠していたのは、そこに血の繋がりがなかったからだろう。
心配を掛けたくなかったからだろう。
足が悪く滅多に家から出ることの叶わない両親が、大好きで仕方なかったからだろう。
なんて、これ以上はわからないが。
「……なぁ。言わないって約束、守ったからさ。これからも守るからさ」
俺にも、実は生きてましたって、嘘くらい吐いてくれよ。
それで、病死よりも先に自殺を選んだ理由を、口にしてくれよ。
それだけは、きっと。
恨まれなきゃいけないはずだ。
「俺が罪悪感に呑まれないうちに、死ぬためだったんだろ」
俺のために、自殺した。
それは、きっと、自惚れじゃない。
《あじさい》
「ねぇ、知ってる? 『あじさい』ってさ、紫色の太陽の花って書いて『紫陽花』なんだよ」
唐突に漢字の話をしだしたのは、きっと課題という名の手の作業に飽きたからだろう。
一瞬止めてしまった手を動かし、視線も落としたまま「へぇー」と生返事をする。
「不思議だよね! 六月とかさ、雨が多い時期に咲くお花なのに太陽の漢字が入ってるなんて」
それに気を悪くすることもなく続けているからして、特に返事を期待していた訳でもなさそうだ。
昨日にでも、ネットか何かで読んだのか。
「漢字の由来って、あれじゃないの。唐の詩人の何とかって人が書いた詩で、名前はわからない色や香りの描写された花を、日本人が間違えてあじさいって捉えたとか……そんな感じの」
「え、そうなの!? ってなんだー、知ってたのか。しかも私より詳しいじゃんか!」
「前にネットの記事で読んだんだよ、というか詳しくはないだろ」
明らかに「ずるーい」と言う君の方が狡くないだろうか。君もネット情報だろ。
「ん、あれなんだって。『アジ』は『集まる』の『あつ』から来てて『サイ』は藍色を示す『真藍』を意味してるんだってさ。……読んでもあんまりわかんないね!」
いや、スマホで調べといてわかんないのかよ。
「……それはもうわかったから、いい加減課題やったらどうなの?」
「えー、だってわかんないんだもん」
「いや他人の答え写してるだけだろ」
「……それはそうなんだけどぉ」
飽きたのと、そもそもやる気がないのと。
結局そのまま片付け始める。
「明日出すんでしょ、いいの?」
「よくない! けど、また寝る前にやるよ、うん。最悪明日学校でやればいいんだし」
「間に合うかどうか知らないからね……」
さあ、ここまで来たら、こちらも気持ちが引っ張られるというもの。
10分も経たずに机の上は綺麗になった。
「せっかくあじさいの話したんだし、近くの公園に咲いてたから見に行こうよ」
「え! 本当? 咲いてたんだ、知らなかった」
「君の通学路でしょ? マジか」
特に明確な話題もなしに部屋を出て、靴を履いて外へ出る。
「うーん、段差要らないんだよなぁ、玄関前の」
「君の家だろ、文句言わないの」
「あ、あじさい!」
「……雨降ってないけど、綺麗なもんだね」
「確かに、青空でも綺麗ー!」
「曇りだけどね」
「……そこはさぁ、君の方が綺麗だよ、くらい言ってくれないと。ノリ悪いよ?」
「無理だろ。あー……一応、ごめん?」
君に言えると思うなよ。本気で。
「酷いなぁ……まぁ、いいんだけどさ」
「あじさいって色んな色あるんだね」
「ね! 紫っぽいのはそうだけど、青とかピンクとかね」
「……君に似合うのは、白のあじさいかな」
「勇気出して言ってくれたね、及第点をやろう」
「はいはい。ありがとうございまーす」
合格点って何点なんだよ。
君の前にはどんな色のあじさいも霞んでしまうね、くらい言えばよかったのか。
土台無理な話を考えながら、並んで歩く。
「ね」
「ん」
「花言葉って知ってる?」
「あじさいの? 知ってるけど、うん」
「そうなんだ、へぇ〜」
知ってたって別にいいだろ。
「じゃあ、敢えて私に似合うのは白のあじさいだって、言ってくれたんだ?」
「……うっさいな」
「さっき調べた時に読んだんだよね」
ニヤける君を置いて、走り出す。
「あっこら! 逃げないでよー!」
無理だって。
白いあじさいの花言葉は。
『一途な愛情』
《好き嫌い》
人の好き嫌いというものは、とても曖昧で感覚的なものだと聞いたことがある。
例えば、嫌いな人がいたとして。
いや、回りくどい言い方をしたか、誰にだって嫌いな人くらいいるだろう。
苦手な人だと認識しているやも知れないが。
さて、嫌いな人をなぜ嫌いなのかと人は問われると何かしらの理由をあげる。
考え方が合わないだとか、趣味が理解できないだとか、ウザイだとか、キモイだとか。
最初は何かと明確な理由をあげて、最後には簡単な感情のみが言葉として残されていく。
そんな風に答える人は、多いのではないだろうか。
だって、そうだろう。
なぜ嫌いなのか。
考えが合わないから。
他にはあるのか。
理解できないから。
他にはあるのか。
うるさいから。
他にはあるのか——。
ずっと問答を続けているうちに、嫌いなところをあげる方が面倒になって答えは簡素なものになっていく。
それはたしかに面倒だからという理由だろう。
果たして、それだけなのだろうか。
いや、そうではないのだろう。
なぜって人は、嫌いだから嫌いなのだ。
理由も何もない。
理屈より先に感情が、嫌いだと認定する。
その後に、嫌いだから、何となく、だとかで返事をしたくないから人は理由を付けていくのだという。
後付でなお理由を求めたがるのは、人に知性があって、しかも集団に認められたいという欲求を秘めているからではないかと時々思う。
知性があるからこそ、理由を求める。
元は言葉など存在せず、意味など必要もなかった筈の日々を送っていたであろう生物が。
発展を続け、進化を遂げたが故に縛られるようになった概念や意識によるものか。
また、集団に認められたいが為に理由をつくるのは、自己を否定されることを恐れているからだ。
認められたい、嫌いだと感じる自分の方が正しいと思ってもらいたい。
そうした欲求が編み出したものではないかと、そう考えてしまうのだ。
真実など、なくてそれでいいのだ。
あったところで、人が認識を拒めばそれば真実でなく偽りとして記憶される。
それ故に、人は好き嫌いなどの感情をありのまま受け入れる者と、歪ませて手にする者とで別れるのだろうか。
好きと嫌いは、どちらにも理由などない。
ただ、最初にそう感じたからこそ人は、後に対象を知ることで大好きになったり大嫌いになったりと感情に変化が訪れるのではないだろうか。
好き嫌い。
相反する言葉こそ、表裏一体とも思える。
後に理由が必要になる感情。
後に理由が生まれる感情。
それが、好き嫌い、には含まれているように思えるのである。
ここまで読んでくれた諸君は理解できただろう。
適当を言いながら思考を続けていると、自分なりの答えには辿り着ける。
まぁ、つまりは、そういうことである。