望月

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1/30/2024, 10:02:07 AM

※拙いですが過呼吸表現、薔薇要素あります。苦手な方はスクロールお願いします。

《I LOVE…》

 佐伯は幼少期から病気がちだった。
 風邪をこじらせては入退院を繰り返した。
 だが、そんな彼を両親は愛した。誰よりも大切な存在だと。
 幸せだった。愛情で満たされていた日々だった。
 それが壊れたのは一瞬だ。
 通り魔に、両親を刺し殺されたのだ。
 幸か不幸かまだ幼かった佐伯は、両親の腕の中で守られた。ただ、気絶することなく、両親の命の喪失を感じ続けた。
 それから、そうなったのか。あるいは、こうなるのは必然だったのか。
「——き、佐伯ー!」
 物思いにふけっていた佐伯を現実に引き戻した声の主は、友達の加藤だ。
 いつもの爽やかな声で名前を呼んでいる。
「……あぁ、次二限体育だっけ」
 佐伯より少し背の高い彼の隣に並んで、ぽつりと返す。
 こうして佐伯のような社交性のない男とつるむ様には見えない彼だが、何故か佐伯とよく話す。本人曰く、話したい奴と話してるだけなんだそうだ。
 沢山の友達もいるだろうに、こうして佐伯を誘って来るのも物好きと言えよう。
「ほら、ぼーっとしてないで行くぞ、佐伯」
「わかってるって。加藤、勝負なー」
「また持久走の一周目で全力で走るのか? あれペース配分馬鹿だって、この前先生に言われたんだけど。佐伯の所為でなんだけど」
「細かいことは気にするな。シンプルに周回で競うのは無理だろ、現役サッカー部め」
「はいはい、仕方ないから文芸部様のお遊びに付き合ってやるよ」
 いつものように軽口を言い合いながら体育が始まった。準備運動中も、揶揄い合う姿勢は変わらない。
「よし、勝負だからな」
「負けないからなー」
 先生の「自分のペースで」なんて言葉を聞かなかったことにして、二人は全力で走り出す。
「あいつらやっぱ馬鹿じゃん!」
「またかよ、つかどっちも早ぇー」
「どうせまた加藤の勝ちだろ!」
 他のクラスメイト達の笑い声を聞きながら彼らは全力で走る。
 佐伯は体力はないが、足は早い方だ。もちろん加藤はそのどちらも持っているが。
 お互い一歩も譲らず駆け、最後、僅かに加藤が先を走った。
「俺の勝ち! 佐伯の負けだ!」
「くっそー、勝てないか流石に! ……てか疲れた……もう走れない」
 途端にスピードを落とす佐伯に、ふはっ、と加藤は破顔する。
「お疲れ、リベンジは受け付けるぜ、じゃなー」
「もう無理だっての!」
 持久走に真面目に取り組み出した加藤の背に怒号を投げ、佐伯はまた一歩踏み出した。
 正しくは、踏み出そうとした。
 その瞬間視界がぼやけ、体に力が入らなくなって膝から落ちる。
「……ぁ、やば……あ……っ」
 倒れる、と思った直前、
「佐伯ッ!」
 加藤の声が聞こえた気がして、意識が遠のいて行った。

 佐伯が目を開くと、真っ白で無機質な壁が広がっていた。
 がばり、と急いで起き上がると、そこは保健室のベッドの上だった。
「……僕、なにして……、持久走か」
 少し汚れた体操服が目に入り、何があったのかを思い出す。
 倒れたのだ。調子に乗って本気で走ったから。
 自業自得も甚だしいが、誰かが佐伯をここまで運んでくれたのだろう。
 濁すまでもなく、特に人付き合いの良くない佐伯を助けるのは一人だけだが。
「……授業中か、まだ」
 壁に掛かっている時計を見ると、十時十五分を過ぎたところだった。
 それでも三十分は気絶していただろうか。
 保健室特有の、消毒液やらの混ざった薬の臭いに佐伯は息が詰まりそうだった。
 タイミングが悪かったのか、保健室の教諭養護の人もいない。本当に、一人明かりの付いた保健室に眠っていたのか。
 それを考えると、ふと佐伯は寒気を感じた。無性に寂しくなってきたのだ。
 病院の臭いに近い空間で、ベッドの上にいる。
 嫌でも過去のことが脳裏を過り、そのまま最悪の記憶へと繋がって行く。
 今から五年前の、冬。
 この季節だった。
 いつものように風邪をこじらせて入院していた佐伯が、また退院した日。
 退院祝いに、両親に本をねだった日。
「……はぁ……は……っ、あ……!」
 呼吸が浅くなっていく。
 極力思い出さない様にと蓋をしていた記憶が、蘇ってくる。
 その時、扉が強引に開けられた。
「……っ!!」
 一瞬加藤かと思ったが違うようで、その女子生徒は絆創膏を棚から取ると「せんせー絆創膏貰いまーす」と申し訳程度に断って、また豪快な音を立てて去って行った。
 自然と強ばっていた体をぎこちなく動かす。
 考えるな、考える必要なんてない。
 一瞬でも期待してしまったのだ、心配した加藤が来てくれたのではないかと。だが、実際今は授業中、来る筈もない。
 それが、会いたいときに、話したいときに側にいない両親を思い起こさせる。
「……ッ、ぁ…………はあっ……はっ……!!」
 無人の保健室に、チャイムが鳴り響く。
 それが嫌に孤独を際立たせるようで、佐伯は冷や汗をかいていた。
 遠くで鳴ったチャイムが、頭痛を呼ぶ。
 やめろ、考えるな。ここは病院じゃないし、五年前でもない。
 なんとか思考を切り替えようと思えば思う程、それの記憶を探り出してしまう。
 鮮明に、色も音も、世界全てを引き連れて。
 過去に、染まる。
「——佐伯! 大丈っ……どうした!?」
 その彩られた世界を真っ向から壊したのは、この男の声だった。
 入ってくるなりベッドの端に座る。
「……なっ……で……けほッ……!?」
「なんでって……当たり前だろ? 友達の心配してなにがおかしい? そんなことより過呼吸か。よし、俺の目を見て呼吸を合わせろ」
 佐伯の返事も待たず加藤は肩を掴んでしっかりと自分の方に顔を向かせる。
 驚き目を瞬いている佐伯に、加藤は柔らかく微笑んだ。
「できるだけ俺に合わせてみろ。深呼吸な? すぅー、はぁー、すぅー、はぁー」
 深呼吸をして、真似ろと加藤は言っているのか。
 ろくに回らない頭で佐伯は、その言葉に従い息を整える。
 だが、上手く呼吸にならず喉から変な音が出るばかりだ。
「佐伯、焦らなくていいから。ゆっくり吸って、ゆっくり吐いて。俺の真似だよ、大丈夫」
「もっ……いいッ……ぇほっ、けほけほっ……! か、とぉ……戻っ……て……!!」
「こんな状況で置いていけるわけないだろ」
「だ、て……迷惑……だか、ら……ごめ、」
「迷惑なんて思わない。俺が佐伯にできること、なんでも言って?」
 悲しそうにそう言われると、佐伯も頑なに戻れとは言えない。
 佐伯の為を思っての言動だからだ。
 なのに、ふとこんな考えが過ぎる。
 先生に頼まれただけとか?
 責任感の強い加藤のことだから、俺の所為で全力で走らせてしまったと、悔いたのか?
 一人でいる僕を可哀想に思ったから?
 加藤の優しさを信じ切れない。
 佐伯はそれを苦々しく思う反面、結局はいつも通りか、と諦めている。
 ずっとそうだった。
 両親を亡くした佐伯を哀れみ、同情から側にいてくれる知り合いはいた。
 だが、それだけだ。
 哀れみ、哀れまれる関係。それ以上になった人は、両親以外存在していない。
 チャイムが一度鳴っても、加藤は微塵も教室に戻る素振りを見せなかった。
 浅い呼吸を繰り返し、押し黙った佐伯に加藤は口を開く。
「なあ、佐伯。その……なにか、したか? 俺はお前のことちゃんと知れてないから、無意識に気に触るようなこと言ったり、」
「ちがっ……! お前はッ……悪く、ないから」
 悪いのは、友達を頼れない自分の方だ。
「じゃ、嫌われちゃったかな? はは、だったら離れるから、今は側にいさせてくれよな」
「嫌、な……わけ、ないだろ……!? 僕が、僕の、勝手な、想像の所為でっ……」
「そっか。……ならさ、今じゃないってわかってるんだけど、聞いてくれるか?」
 言葉を紡ごうとするが、佐伯は上手く喋れなくなった。過呼吸は一度治まりかけたが、すぐにぶり返してしまったようだ。
 そんな佐伯に加藤は意を決して告げる。
 俺は最低だな、と心の中で自身を嗤いながら。
「佐伯——好きだ。俺は、お前が大好きなんだ」
「……は、ぁ……?」
 よほど衝撃を受けたのか、息を止めた佐伯は加藤を見た。
 それはもう、目を見開いて。
 対する加藤の顔は耳まで赤く染まっている。
 つまりそれは、そういうことなのだろう。
「……っ……!!」
 照れが佐伯まで伝播して、過呼吸であった筈の彼は酷く落ち着いていた。いや、別の意味で落ち着かなくなってしまったが。
 実際、どれほど時間が経ったのか。
 すっかり過呼吸は鳴りを潜め、若干の甘い空気というかが場を支配する。
 一瞬にして保健室を告白現場に仕立てた加藤の手腕は、流石と言ったところか。
 空気感に耐えられなくなったのか、加藤が立ち上がる。
「あー、その……せ、制服取ってくるわ」
 一言置いてそそくさと立ち去ろうとしたその腕を佐伯が掴む。
「……あのさ、僕も丁度聞いて欲しい話があるんだけど、いいかな?」
「ま、まぁ……全然」
 視線を泳がせながら、加藤はベッドに座り直した。
 佐伯の緊張が伝わったのか、加藤は真剣な表情になった。
 佐伯は口を開いた。
「僕、両親が通り魔に殺されたんだ」
 その後は、簡単だった。
 五年前の冬の惨劇を。
 淡々と、感情を載せずに佐伯は語る。
 退院祝いの本をねだったこと。
 そこで通り魔に出会ってしまったこと。
 両親が殺されてから、祖父母に預けられたこと。
 心の傷を癒そうと、祖父母は優しいが腫れ物を触る様な環境だったこと。
 それから、愛情で満ち足りた世界を喪ってから、心が乾き切っていたこと。
 全てを話すと、加藤は黙って佐伯を抱き締めた。
 佐伯もただ、されるがままだった。
 二人とも、泣いていた。
「……俺、佐伯のことなんにも知らなかったんだなぁ……ごめん、ごめんな」
「ううん、話してなかったのは僕の方だし。謝るようなことなにもないし」
「いや、体育の授業なんか蹴って、ずっと起きるまで待ってればマシだったかも知れないだろ? だから」
「……今僕の為に、三限サボってくれてるからいいよ。……なんてね」
 少し笑った。
 佐伯のその陰りの意味を初めて知った加藤は、動揺の中、それでも伝える。
「今の話を聞いて、なおさら。俺はお前のこと大好きだから、心配すんな」
「……それさ、I LIKEなの? それとも、」
「I LOVE……って言ったら、困る? 佐伯は」
 不安なのか、視線を逸らして問う加藤に佐伯は耳元で囁く。
「困るんなら、最初から聞き流してるっつーの。……バーカ」
 苦しいことがあっても、悲しいことがあっても、辛いことがあっても。
 加藤だけは、頼ってもいいかもしれない。
 佐伯はそう思って、嬉しくなった。
 両親が、ようやっと安心してくれた気がしたのだ。

1/29/2024, 7:24:36 AM

※うっかり書き終わった《優しさ》を消してしまったので、今回は複合のお題になります……。


《優しさ》&《街へ》

 街角で喚く少年とその首根っこを掴むおじさんを見付けた。
 人通りの多い時間ならともかく、朝方の時間に盗みが成功するとでも思ったのか。
 上質とまでは行かないが、そこそこ質の良い衣服を纏った少年。薄汚れているせいか、平民かそれ以下の水準の生活を送っているようにしか見えない。
 街行く人が無視していく中、俺は、とうとう手を振り上げたおじさんの肩を叩く。
「やあ、何かあったのかい?」
「このガキがうちのリンゴを盗みやがったんだ!」
「うるさい! 離せよ!!」
 全体的に青く、まだ熟していない美味しくなさそうなリンゴを少年は大事そうに抱えていた。
「そりゃあ大変だ。けど、子供相手に手を上げるのは良くないんじゃないか? ここで衛兵でも呼ばれちゃ、おじさんが悪者にされちゃうかも知れないよ」
 俺の言葉に、おじさんは慌てて手を下ろした。
「でもこのガキがうちのリンゴを盗みやがったんだ、見過ごせる訳ねぇだろうが!!」
「だね。じゃあ、この少年の代わりに俺が代金を払うから、それで手打ちにしてやってくれないか?」
「……物好きだな」
 そう言いつつも代金を受け取った途端に店に戻っていくのだから、現金なものだ。
「偽善者め! 優しくしたつもりだろうが、僕は感謝なんてしないからな!」
 そう吐き捨てて去ろうとした少年の肩を掴む。
「何言ってるんだ? そんなに買いかぶらないでくれよ、照れるだろ?」
 本当に見返りを求めないのであれば、偽善だと言われるのも納得だ。だが、こちらは見返りを求めているのだ、一緒にされても困る。
「俺はしっかりと、借りは返して貰うぞ?」
「……言っておくが、家もないし親もいないし金もないからな!」
 清々しいまでの告白に、流石の俺も同情を禁じ得ない。金はさておき、家も親もいないのか。
「なるほど、お前以外何もないんだな」
「そうそう僕以外……って、え?」
「伯爵様! お探しの御子が見つかりました!」
 それが道に響き渡ったかと思うと、わらわらと衛兵が少年を囲む。
「え? 何、怖っ……は? えっ?」
 少年の動揺している声が聞こえる。
 何も知らないままは可哀想かと思い、衛兵に一言断って近付き、少年の耳元で囁く。
「お前の母親は伯爵家に仕えていた。そして、伯爵との不義の子がお前だ。珍しく世間体を気にしただけの追放で、母親が病で死んだら伯爵家に保護されるようになっていたようだな」
 ぽかんとした表情の少年を置いて、俺は離れる。
 伯爵家の馬車に詰め込まれる少年の声を背で受け、俺は歩き出した。
 行きずりに先程少年と揉めていたリンゴの店主からリンゴを受け取り、その曲面に掘られた文字を読む。
『成功 ノーレンへ』
 任務の結果と、次の任務先の街名だ。
 そう、俺とリンゴの店主は同じ組織の構成員だ。
 先程の茶番は少年を伯爵家に引き渡す為のもの。
 盗みの経験のあるなしもそうだが、日常的に自分の目でリンゴを見たり切ったりしたことのある人物ならあのリンゴは盗らない。
 単純に、まだ熟しておらず今日明日の食糧としてならないからだ。
 だから、敢えて盗みやすい人通りの少ないところに、リンゴの屋台を置いた。
 盗みになれていない、そこそこ育ちのいい筈の少年が現れるのを待って。
「母親が亡くなったのが五日前……窃盗に手を出すまで時間がかかるあたり、良いとこの坊ちゃんだな」
 これから少年には、飢えて死を待つよりも地獄が待っているだろう。腹の探り合いも責任転嫁も、見る必要のなかった世界だ。
 なのに、組織が——俺という存在が関わったことで少年は人生が変わるのだろう。
 親に人生を左右されて、可哀想だ。
「……俺の優しさなんてもんは、母親の腹ん中にでも置いてきちまったさ」
 誰かを地獄に突き落とす為に、手を伸ばす。
 その行為が優しさであるはずがなく、偽善にすらなれないだろう。
 時折、罪悪感に苛まれ嫌悪感に呑まれるけれど。
 それでも、俺はこの組織から抜けることはないだろう。だって——唯一父親が俺に残してくれた、願いであり望みなのだから。
 俺の優しさはそういう、手段であり、悪意なんだ。
「……感傷に浸るのも馬鹿らしいな、珍しくも何ともない依頼だったのに」
 そう、依頼だ。それにしては、感情の動かされる。
 手にしたリンゴをしゃくり、と齧り俺は歩く。
 依頼主が望んだことを遂行すること。男爵以上の、貴族からしか依頼を受け付けないこと。必ず損得勘定で動くこと。
 それがこの組織の絶対だ。
 だから俺は、この組織で優秀になろうとしている。
 そうすればきっと、この組織の絶対的ルールを理解できるのではないかと思っているからだ。
 損得勘定で、なんて、およそ感情で動くことを否定しているのだろうか。
 だが人に感情は付き物だと思う。つまり人間性を否定しているのか、とも思うことが多々ある。
 なのに、そんな組織に身を置く理由は、自分自身には何かが欠けている、と自覚しているからだ。
 そうでなければ、きっと、とうの昔にくたばっていたことだろう。
 馬鹿らしくなった思考の果てに、俺はいつも一つの答えに辿り着く。
「——さあ、次なる街へ」
 任務をこなしている内に、見付けられる筈だ。
 本当の優しさと、その価値を。
 人々の想いが連なる国で、非道徳的な俺たち組織の足音は、きっと国中の闇に響いている。

1/26/2024, 4:40:11 PM

《ミッドナイト》

 学校、病院、街並み……それらはどれも多くの人にはありふれて感じられるものだ。
 だが『夜』という背景が付くだけで、その印象はまるで変わってしまう。
 夜の学校はどこか恐ろしく、夜の病院はホラーな展開でも起こりそうである。夜の街並みは、どこか大人な雰囲気を感じさせるかも知れない。
 本好きの市長が建てたと言われている、この大図書館も似たようなものとして挙げられるだろうか。
 開館時間は八時から二十三時と、普通の図書館より長く開かれている理由は単純、多くの人に利用して欲しいからだそうだ。
 閉館時間は、誰一人として館内にいない。
 市立なだけあって、夜間のセキュリティは万全と言える。
 二十三時から翌朝八時までの、司書が来るまでの時間を厳重に守っているのだ。
 だが、そんな中を許可もなくカノンは入って行く。
 セキュリティに止められることもなく、本棚の波を掻き分けたカノンはカウンターに向かう。
 右から二番目のカウンター席。
 何もない空間にカノンは声を掛けた。
「……司書さん、おすすめの本はどれですか?」
「——地下一階の00番の棚、その上の段の一番左にある本かな」
 落ち着いた声が、カノンの耳朶を打つ。
 最初からそこに居たかのように、着物姿の青年が悠然と足を組んで座っていた。
「司書さん、一緒に探して読んでくれますか?」
「もちろん。行こうか」
 青年は立ち上がり、カノンの手を取って階段へと歩き出す。
 そのまま特に何かを話すこともなく、目的の場所へと辿り着いた。
「さぁ、題名を読んでご覧」
 カノンは促されるまま、不自然に仄かに光る本を引き抜き、題名を見る。
 初めは何も書かれていない白い本だったが、カノンが手に取った傍から文字が現れていく。
「『言えない気持ち』」
「……さあ、貸してみて。読んであげよう。おいで、カノンちゃん」
 いつの間にか現れていた椅子に座り、膝の上に座るよう彼はカノンに勧めた。
 初対面で名を呼ばれたこと、距離の近さ、今更ながら自然と図書館に足を運んでいること。
 考え出せば切りがない程、違和感だらけの夜。
 カノンは思考を放棄して、彼の優しい手に導かれた。
「——これは、一人の少女の物語」
 

 お兄ちゃんがいた。
 お兄ちゃんは少し大変で、性格も他者に理解されにくい、そんな人だ。
 だから、お母さんやお父さんが、お兄ちゃんに構ってばかりなのも仕方なかった。
 けれど、自分自身で理解していた。
 疲れちゃった。
 頑張れない。
 頑張りたいのに、できない。
 どうすればいいのかもわからなくなっていく。
 だけど、どんな言葉も当てはまらない。
 その苦しみを初めて打ち明けたのは、友達でもなかった、オンライン上の誰かだった。
 言葉がどれも優しくて、頑張ろうと思えた。
 たとえその人が何か嘘を吐いていたとしても、それでもよかった。
 それで、根本的には解決していなくても心の平穏へと近付いて行った。
 なのに、たった一言そう言われただけで無理だった。
 頑張れって言わないで。
 お願い、そうじゃなくて、大丈夫って言って。
 お母さん、お父さん。
 そんなこと言わないで。
 私にとっては『ちょっと』の努力が、すごく『たくさん』の努力なの。
 そんな思いが溢れて、溢れて、零れて。
 言わないつもりだったのに、絶対に家族や友達には言わない前提の気持ちだったのに。
 そんな思いで支配されて、私は。
 
 そうしていつしか、終わりを選ぶ。

 それでも、忘れちゃいけないことがある。
 それは、気持ちを打ち明けた私が、誰かに掛けてもらった言葉があること。
 私なんか、は駄目だと言って貰えたこと。

 大丈夫だよ。

 僕はそんな君が好きだよ。

 だから、何かあったら話してね。

 きっと、絶対力になるから。

 友愛で包んでくれた誰かを、忘れちゃいけない。


「——これはそんな、物語の幕引きだ」
 本を読み終えて彼はカノンを見つめる。
 カノンは、立ち上がり本を受け取った。
「司書さん、ありがとう。忘れちゃってたな、みなさんのこと。だから……」
 カノンがたどたどしく続けようとした言葉を遮って、彼は。
「最期にリアルを見るくらい許されるだろうね。なんとかに口なしって言うからね、いいでしょ、まあ」
「……はい。いってきます、司書さん、ありがとうございました」
「いってらっしゃい」
 カノンに手を振り返すと、微笑んで、カノンは去った。
 大事そうに、一冊の本を抱えて。
 青年は満足気に頷き、定位置のカウンターのある一階へと戻る。
 それから書庫へと繋がる扉を開き、奥へと進む。古本の匂いが鼻を満たす。
 彼は最奥へ辿り着くと、一番上の棚の隅の本を手に取った。
 『鬼子の呪い』と書かれた本だ。
 『鬼子』と呼ばれた少年には特別な力があった。人の望みを視ることができるのだ。
 それ故に、望みを盗み見る少年のことを忌み嫌ったのだった。
 皮膚をなぞるだけで裂く鋭い爪。およそ人間ではない、金色の瞳。尖った歯。
 それらも少年を忌む対象とされた。
 そんな物語だ。
 彼は指の腹を爪でなぞり、溢れる血液を本に伝わせる。
 次の瞬間、彼の姿はどこかへと消えた。

 真夜中の司書は、利用者の声を聞いて初めてカウンターに現れる。
 また、その利用者もセキュリティの反応しないモノだけだ。

——死者が為の、真夜中図書館。

 それが、この図書館の夜の顔だ。

1/25/2024, 3:40:01 PM

《安心と不安》

 勇者、というのは、人々に安心を齎す存在だ。
 たとえばその世界に仇なす魔王を倒し得る者。
 だが、魔王がいなくなれば不安を齎す存在だ。
 それはひとえに、持つ力の大きさが故だろう。
 やるやらないではなく、できるかできないか。
 力を有するというだけで、畏怖に値するのだ。
 持たざる者からすれば、当然の思考であろう。
 それでも、勇者は人々の為に魔王を倒すのだ。
 これ以上苦しめられぬようにと、願いながら。
 但し、勇者に選ばれた者であっても心は弱い。
 それ故に、魔王を倒した勇者は居場所を作る。
 己の心を守る為に、誰もが守られる国を作る。
 その後に、彼らは呼ばれるようになっていく。
 勇者ではなく、堕ちた存在、それ即ち魔王と。
 安心を与えていた者が、不安を与える者へと。
 皮肉にも、堕ちずとも同じ道を辿ってしまう。
 それが勇者という、悲しい生き方なのだろう。
 正反対の感情を世界に与える、それが勇者だ。
 相反する二つの感情は、表裏一体かも知れぬ。
 かつての勇者と今の魔王がそうであるように。

1/24/2024, 3:01:39 PM

《逆光》

 君は誰よりも眩しい存在だ。
 太陽のように、遍く全てを照らすような。
 だから、その隣にいる僕は誰よりも暗い存在なのだ。
 太陽に照らされた、月のように。
 君は困っている人がいたら必ず手を差し伸べる。たとえ時間がなくとも、相手がどんな人であったとしても。
 見ていてハラハラさせられるけど、君はそんなことまるで気にしていない。
 僕なんかの心配を他所に、誰かのヒーローになってしまうのが、君という人だった。
 泣いている人がいたら。
 何があったの、話したくなったらでいいから、話を聞かせてくれると嬉しいな。
 辺りを行き来している人を見たら。
 どうしたの、どこかに行こうとしているの、なにか探し物なの、もしよかったら手伝わせてほしい。
 怪我をしたら。
 痛いよね、大丈夫だよ、手当しようか。
 体調を崩している人がいたら。
 大丈夫、ゆっくり呼吸して、何かできることあったら言ってね。
 そんな風に、息をするように容易く駆け寄って人の役に立とうとする。
 そんな君だったから、僕は隣にいられなくなった。
 君が眩しすぎて、僕には君の姿が、本当の君が見えなくなっていったんだ。
 人見知りで、泣き虫で、気弱で。
 怖がりで、どん臭くて、不器用で。
 僕が知っている君は、今とは正反対の君だった。
 だから、いつの間にかその顔が上手く見れなくなって、声しか聞こえなくなった。
 いつも通り、取り繕ったような明るい声。
 怒った時だって、誰かの為に怒っていた。
 だから、君の心の底からの罵倒など、聞いたことがない。
 僕は、幼馴染なのに。
 少なくとも幼い頃は君の一番近くにいたのに、僕の記憶の中の君は、ある時から弱音も一切吐かなくなった。
 そうして、僕は思うのだ。
 君が心の底から笑ったのは、自分の為に怒ったのは、周りを気にせずに過ごせたのは。
 ずっとずっと幼い頃だけだったんじゃないか、と。
 僕らは幼馴染だけど、それでも、こんなに近くて遠くにいる。
 なら、それ以外の友達なんかはなおさら、本当の君の姿を見失っているんじゃないか。
 考え出したら切りがない。
 それくらい、今の君は眩しすぎる。
 なのに、烏滸がましい筈の思いが溢れる。
 
 ——君の本当の姿を見付けられるのは、僕だけなんだ。

 変に確信めいたその思いだけは、僕という影の中で輝きを放っているようだった。

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