望月

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※拙いですが過呼吸表現、薔薇要素あります。苦手な方はスクロールお願いします。

《I LOVE…》

 佐伯は幼少期から病気がちだった。
 風邪をこじらせては入退院を繰り返した。
 だが、そんな彼を両親は愛した。誰よりも大切な存在だと。
 幸せだった。愛情で満たされていた日々だった。
 それが壊れたのは一瞬だ。
 通り魔に、両親を刺し殺されたのだ。
 幸か不幸かまだ幼かった佐伯は、両親の腕の中で守られた。ただ、気絶することなく、両親の命の喪失を感じ続けた。
 それから、そうなったのか。あるいは、こうなるのは必然だったのか。
「——き、佐伯ー!」
 物思いにふけっていた佐伯を現実に引き戻した声の主は、友達の加藤だ。
 いつもの爽やかな声で名前を呼んでいる。
「……あぁ、次二限体育だっけ」
 佐伯より少し背の高い彼の隣に並んで、ぽつりと返す。
 こうして佐伯のような社交性のない男とつるむ様には見えない彼だが、何故か佐伯とよく話す。本人曰く、話したい奴と話してるだけなんだそうだ。
 沢山の友達もいるだろうに、こうして佐伯を誘って来るのも物好きと言えよう。
「ほら、ぼーっとしてないで行くぞ、佐伯」
「わかってるって。加藤、勝負なー」
「また持久走の一周目で全力で走るのか? あれペース配分馬鹿だって、この前先生に言われたんだけど。佐伯の所為でなんだけど」
「細かいことは気にするな。シンプルに周回で競うのは無理だろ、現役サッカー部め」
「はいはい、仕方ないから文芸部様のお遊びに付き合ってやるよ」
 いつものように軽口を言い合いながら体育が始まった。準備運動中も、揶揄い合う姿勢は変わらない。
「よし、勝負だからな」
「負けないからなー」
 先生の「自分のペースで」なんて言葉を聞かなかったことにして、二人は全力で走り出す。
「あいつらやっぱ馬鹿じゃん!」
「またかよ、つかどっちも早ぇー」
「どうせまた加藤の勝ちだろ!」
 他のクラスメイト達の笑い声を聞きながら彼らは全力で走る。
 佐伯は体力はないが、足は早い方だ。もちろん加藤はそのどちらも持っているが。
 お互い一歩も譲らず駆け、最後、僅かに加藤が先を走った。
「俺の勝ち! 佐伯の負けだ!」
「くっそー、勝てないか流石に! ……てか疲れた……もう走れない」
 途端にスピードを落とす佐伯に、ふはっ、と加藤は破顔する。
「お疲れ、リベンジは受け付けるぜ、じゃなー」
「もう無理だっての!」
 持久走に真面目に取り組み出した加藤の背に怒号を投げ、佐伯はまた一歩踏み出した。
 正しくは、踏み出そうとした。
 その瞬間視界がぼやけ、体に力が入らなくなって膝から落ちる。
「……ぁ、やば……あ……っ」
 倒れる、と思った直前、
「佐伯ッ!」
 加藤の声が聞こえた気がして、意識が遠のいて行った。

 佐伯が目を開くと、真っ白で無機質な壁が広がっていた。
 がばり、と急いで起き上がると、そこは保健室のベッドの上だった。
「……僕、なにして……、持久走か」
 少し汚れた体操服が目に入り、何があったのかを思い出す。
 倒れたのだ。調子に乗って本気で走ったから。
 自業自得も甚だしいが、誰かが佐伯をここまで運んでくれたのだろう。
 濁すまでもなく、特に人付き合いの良くない佐伯を助けるのは一人だけだが。
「……授業中か、まだ」
 壁に掛かっている時計を見ると、十時十五分を過ぎたところだった。
 それでも三十分は気絶していただろうか。
 保健室特有の、消毒液やらの混ざった薬の臭いに佐伯は息が詰まりそうだった。
 タイミングが悪かったのか、保健室の教諭養護の人もいない。本当に、一人明かりの付いた保健室に眠っていたのか。
 それを考えると、ふと佐伯は寒気を感じた。無性に寂しくなってきたのだ。
 病院の臭いに近い空間で、ベッドの上にいる。
 嫌でも過去のことが脳裏を過り、そのまま最悪の記憶へと繋がって行く。
 今から五年前の、冬。
 この季節だった。
 いつものように風邪をこじらせて入院していた佐伯が、また退院した日。
 退院祝いに、両親に本をねだった日。
「……はぁ……は……っ、あ……!」
 呼吸が浅くなっていく。
 極力思い出さない様にと蓋をしていた記憶が、蘇ってくる。
 その時、扉が強引に開けられた。
「……っ!!」
 一瞬加藤かと思ったが違うようで、その女子生徒は絆創膏を棚から取ると「せんせー絆創膏貰いまーす」と申し訳程度に断って、また豪快な音を立てて去って行った。
 自然と強ばっていた体をぎこちなく動かす。
 考えるな、考える必要なんてない。
 一瞬でも期待してしまったのだ、心配した加藤が来てくれたのではないかと。だが、実際今は授業中、来る筈もない。
 それが、会いたいときに、話したいときに側にいない両親を思い起こさせる。
「……ッ、ぁ…………はあっ……はっ……!!」
 無人の保健室に、チャイムが鳴り響く。
 それが嫌に孤独を際立たせるようで、佐伯は冷や汗をかいていた。
 遠くで鳴ったチャイムが、頭痛を呼ぶ。
 やめろ、考えるな。ここは病院じゃないし、五年前でもない。
 なんとか思考を切り替えようと思えば思う程、それの記憶を探り出してしまう。
 鮮明に、色も音も、世界全てを引き連れて。
 過去に、染まる。
「——佐伯! 大丈っ……どうした!?」
 その彩られた世界を真っ向から壊したのは、この男の声だった。
 入ってくるなりベッドの端に座る。
「……なっ……で……けほッ……!?」
「なんでって……当たり前だろ? 友達の心配してなにがおかしい? そんなことより過呼吸か。よし、俺の目を見て呼吸を合わせろ」
 佐伯の返事も待たず加藤は肩を掴んでしっかりと自分の方に顔を向かせる。
 驚き目を瞬いている佐伯に、加藤は柔らかく微笑んだ。
「できるだけ俺に合わせてみろ。深呼吸な? すぅー、はぁー、すぅー、はぁー」
 深呼吸をして、真似ろと加藤は言っているのか。
 ろくに回らない頭で佐伯は、その言葉に従い息を整える。
 だが、上手く呼吸にならず喉から変な音が出るばかりだ。
「佐伯、焦らなくていいから。ゆっくり吸って、ゆっくり吐いて。俺の真似だよ、大丈夫」
「もっ……いいッ……ぇほっ、けほけほっ……! か、とぉ……戻っ……て……!!」
「こんな状況で置いていけるわけないだろ」
「だ、て……迷惑……だか、ら……ごめ、」
「迷惑なんて思わない。俺が佐伯にできること、なんでも言って?」
 悲しそうにそう言われると、佐伯も頑なに戻れとは言えない。
 佐伯の為を思っての言動だからだ。
 なのに、ふとこんな考えが過ぎる。
 先生に頼まれただけとか?
 責任感の強い加藤のことだから、俺の所為で全力で走らせてしまったと、悔いたのか?
 一人でいる僕を可哀想に思ったから?
 加藤の優しさを信じ切れない。
 佐伯はそれを苦々しく思う反面、結局はいつも通りか、と諦めている。
 ずっとそうだった。
 両親を亡くした佐伯を哀れみ、同情から側にいてくれる知り合いはいた。
 だが、それだけだ。
 哀れみ、哀れまれる関係。それ以上になった人は、両親以外存在していない。
 チャイムが一度鳴っても、加藤は微塵も教室に戻る素振りを見せなかった。
 浅い呼吸を繰り返し、押し黙った佐伯に加藤は口を開く。
「なあ、佐伯。その……なにか、したか? 俺はお前のことちゃんと知れてないから、無意識に気に触るようなこと言ったり、」
「ちがっ……! お前はッ……悪く、ないから」
 悪いのは、友達を頼れない自分の方だ。
「じゃ、嫌われちゃったかな? はは、だったら離れるから、今は側にいさせてくれよな」
「嫌、な……わけ、ないだろ……!? 僕が、僕の、勝手な、想像の所為でっ……」
「そっか。……ならさ、今じゃないってわかってるんだけど、聞いてくれるか?」
 言葉を紡ごうとするが、佐伯は上手く喋れなくなった。過呼吸は一度治まりかけたが、すぐにぶり返してしまったようだ。
 そんな佐伯に加藤は意を決して告げる。
 俺は最低だな、と心の中で自身を嗤いながら。
「佐伯——好きだ。俺は、お前が大好きなんだ」
「……は、ぁ……?」
 よほど衝撃を受けたのか、息を止めた佐伯は加藤を見た。
 それはもう、目を見開いて。
 対する加藤の顔は耳まで赤く染まっている。
 つまりそれは、そういうことなのだろう。
「……っ……!!」
 照れが佐伯まで伝播して、過呼吸であった筈の彼は酷く落ち着いていた。いや、別の意味で落ち着かなくなってしまったが。
 実際、どれほど時間が経ったのか。
 すっかり過呼吸は鳴りを潜め、若干の甘い空気というかが場を支配する。
 一瞬にして保健室を告白現場に仕立てた加藤の手腕は、流石と言ったところか。
 空気感に耐えられなくなったのか、加藤が立ち上がる。
「あー、その……せ、制服取ってくるわ」
 一言置いてそそくさと立ち去ろうとしたその腕を佐伯が掴む。
「……あのさ、僕も丁度聞いて欲しい話があるんだけど、いいかな?」
「ま、まぁ……全然」
 視線を泳がせながら、加藤はベッドに座り直した。
 佐伯の緊張が伝わったのか、加藤は真剣な表情になった。
 佐伯は口を開いた。
「僕、両親が通り魔に殺されたんだ」
 その後は、簡単だった。
 五年前の冬の惨劇を。
 淡々と、感情を載せずに佐伯は語る。
 退院祝いの本をねだったこと。
 そこで通り魔に出会ってしまったこと。
 両親が殺されてから、祖父母に預けられたこと。
 心の傷を癒そうと、祖父母は優しいが腫れ物を触る様な環境だったこと。
 それから、愛情で満ち足りた世界を喪ってから、心が乾き切っていたこと。
 全てを話すと、加藤は黙って佐伯を抱き締めた。
 佐伯もただ、されるがままだった。
 二人とも、泣いていた。
「……俺、佐伯のことなんにも知らなかったんだなぁ……ごめん、ごめんな」
「ううん、話してなかったのは僕の方だし。謝るようなことなにもないし」
「いや、体育の授業なんか蹴って、ずっと起きるまで待ってればマシだったかも知れないだろ? だから」
「……今僕の為に、三限サボってくれてるからいいよ。……なんてね」
 少し笑った。
 佐伯のその陰りの意味を初めて知った加藤は、動揺の中、それでも伝える。
「今の話を聞いて、なおさら。俺はお前のこと大好きだから、心配すんな」
「……それさ、I LIKEなの? それとも、」
「I LOVE……って言ったら、困る? 佐伯は」
 不安なのか、視線を逸らして問う加藤に佐伯は耳元で囁く。
「困るんなら、最初から聞き流してるっつーの。……バーカ」
 苦しいことがあっても、悲しいことがあっても、辛いことがあっても。
 加藤だけは、頼ってもいいかもしれない。
 佐伯はそう思って、嬉しくなった。
 両親が、ようやっと安心してくれた気がしたのだ。

1/30/2024, 10:02:07 AM