今日のテーマ
《終わりにしよう》
「なあ、もう終わりにしようぜ」
「あと1回! もう1回だけ!」
クレーンゲームのコントローラーを握りしめながら彼女が言う。
お目当ては彼女の推してるキャラクターのマスコット。
恋人のオレをそっちのけで、今や『それ』しか目に入っていない。
そのことが面白くなくて暫く放置してたけど、3回も両替した小銭が尽きかけているのを見てさすがに止めに入った。
「それが最後の1回だからな。それで駄目なら諦めろよ」
「うん……よし、今度こそ! 今度こそ取れて!!」
祈るようにコインを投入し、真剣な顔でレバーを操作する。
その横顔を、オレにもそのくらい真剣な瞳を向けてくれよ、と密かに思いながら静かに眺める。
結構いいところまでいっているのに、彼女はこの手のゲームが壊滅的に下手くそで、今回もやっぱり取ることができなかった。
「あああああ」
「ほら、約束だぞ。これでおしまい」
嘆きの声を上げる彼女を強引に引き剥がして店を出る。
ここで所持金を大いに減らした彼女は、昼食前にATMに寄らせてほしいと、情けない顔で言ってきた。
さすがにオレを放って長い時間夢中になっていたのに罪悪感を覚えたのか、彼女はその後はクレーンゲームの話題には一切触れることなく、明るく楽しげに振る舞っていた。
それどころか、いつもならキャラクターグッズを扱う店の前を通れば見ていきたいと言い、コンビニでそのキャラクターのコラボ商品を見つけたらすかさず話題に出してくるのに、今日はそうしたことも全くない。
そんなに気遣わせるほどオレが不機嫌に見えたのか、はたまたそれほどあのマスコットが取れなかったことに凹んでいるのか。
どちらにしても、空元気なのは丸わかりで、そのことにオレは余計に苛立ちを覚えた。
「ちょっとトイレ。そこの本屋にでも入って待ってて」
「あ、わたしもトイレ行きたい」
「じゃあ、終わったら本屋で合流でいい?」
「うん」
そう言って彼女が女子トイレに入っていった途端、オレは即座に踵を返し、人にぶつからない程度の小走りで午前中に寄ったゲーセンに向かう。
待ち合わせを本屋に指定したのは、自然に別行動を取るための言い訳である。
件のクレーンゲームの前に客はなく、オレはポケットから素早く小銭を出して投入した。
幸い、彼女が欲しがってたマスコットは、あれから殆ど位置が変わっていなかった。
クレーンゲームはどちらかと言えば得意な方だ、
あの場でもし彼女が頼ってくれていたら、無駄金を使わせることなくあっさり取ってみせたのに。
いや、オレが変に拗ねたりせず、素直に「取ってやるよ」と言っておけば良かったんだ。
そうしたら、彼女に無駄金を使わせることも、あんな風に空元気のぎこちない笑顔を浮かべさせることもなかったに違いない。
後悔と罪悪感に苛まれるが、そんなことで集中力を切らして失敗するのは馬鹿らしい。
しっかりゲットして、彼女に心からの笑顔を見せてもらうんだ。
本屋で待つ彼女と合流し、店を出てから件のマスコットを渡すと、彼女は周囲の人が振り向くくらいの大声で喜びを露わにし、オレが今日一日ずっと見たかった晴れやかな笑顔を見せてくれた。
モヤモヤを抱えた不機嫌な彼氏も、凹んで空元気で振る舞う彼女も、これにて終了。
そこから仕切り直して、デートの後半戦は2人して心から楽しく過ごしたのだった。
今日のテーマ
《手を取り合って》
「旧校舎に猫がいるんだって」
「猫?」
「うん。野良猫が住み着いてるみたい」
「誰かが餌でもやってるのかな?」
「かも。子猫もいるんだって」
「子猫もってことは親猫もいるの?」
「何匹かいるらしいから親猫もいるんじゃないかな」
旧校舎というのは、学校の敷地内にある別棟のような建物のこと。
といっても漫画とかに出てくるようなボロボロの建物ではない。
うちの辺りは30年くらい前に宅地造成したりマンションが増えたりした関係で学校が手狭になり、その時に新しく校舎を増築していた。
ところが今や少子化の影響で生徒の数は随分減ってしまっている。
そのため、当時増築した新校舎をわたし達が使い、それ以前からあった旧校舎は地域の避難場所として残されているのだ。
一応、いざという時に使えなかったら大変だからと時々業者の人が入ってメンテナンスをしてるらしいし、一部の教室は倉庫代わりに使われてたりもするけど、基本的に普段はあまり人の出入りもない。
ちなみに去年の夏休みには上級生の男子が忍び込んで肝試しをしようとして、先生に見つかって大目玉を食らったなんて話もある。
普段はあまり近寄ろうとは思わないけど、仲良しの友達からもたらされた情報にわたしは目を輝かせた。
わたしは無類の猫好きなのだ。
うちで飼ってる猫が一番可愛いとは思うけど、それはそれとして余所の猫も愛でたい。
野良猫を見ればふらふら吸い寄せられるし、SNSの猫写真や猫動画を眺めてはいいねを押しまくっている。
そんなわたしが「猫がいる」と聞いて、どうして足を運ばずにいられようか。
というわけで、放課後になるや否や、わたしは足取りも軽く旧校舎へ向かうことにした。
もちろんこの情報をもたらしてくれた友人も一緒だ。
彼女もまたわたしと似たり寄ったりの猫好き仲間なのである。
「柄とか聞いてる?」
「白っぽいのと、ブチ柄と、キジトラは見たって。白っぽいのが白多めのブチなのか、別の子なのかまではよく分からなかったけど」
「そうなんだ。どの辺りで見たとか分かる?」
「水飲み場の辺りだって言ってたかな?」
小声でそんな会話を交わし、辺りを気にしながら慎重に進んでいく。
用もないのに旧校舎の辺りをうろつく後ろめたさとか、猫を驚かさないようにとか、そんな気分が自然とわたし達の声を落とさせ、足音を忍ばせている。
立入り禁止というわけではないけど、先生に見つかったら怒られそうだし、猫も処分されてしまうかもしれないという不安もあって。
目撃情報のあった水飲み場の辺りまできたけど、残念ながら猫の姿はなかった。
餌をやってる人がいるとして、その時間帯が決まっているのであれば、猫たちも近くに潜んでいるかもしれない。
そう思って植え込みや物陰などを見回してみたが、やっぱりそれらしい姿はなかった。
もしかすると知らない人間が来たと警戒してどこかに隠れてしまっているという可能性もある。
餌になるようなものでも持っていれば別だけど、今日はそういうものもない。
猫を怖がらせるのは本意ではないし、いないならまた後日探しに来よう。
そう言い合って戻ろうとしたところで、ぬっと大きな影がわたし達の前に現れた。
見上げるほどの巨体にぼさぼさの髪、顔の下半分が不精髭で覆われている。
黒いヨレヨレのジャージを着ていて、手には鎌のようなを持っている。
ぎょろりとした目がこちらを見据えた瞬間――
「ひっ!!」
「いやあああっ!!」
わたし達は手と手を取り合って転げるように駆け出した。
単独でバラバラに逃げた方が生存確率は上がるかもしれないけど、1人で逃げるなんて怖すぎる。
幸いわたし達は足の速さも同じくらいだし、どちらかが送れて足を引っ張るようなこともなかった。
泣きながら逃げ出したわたし達の悲鳴を聞きつけた男子や先生達がわらわらと寄ってきたので、しゃくりあげながら旧校舎で出くわした不審人物のことを告げる。
「黒いジャージの大男が」
「なんか、鎌みたいなの持ってて」
「髪はボサボサで、無精髭もすごくて」
「ぎょろっと睨まれて」
恐怖に震えるわたし達の辿々しい説明を聞いて、先生達も色めき立って「警察に連絡を」とか「生徒をすぐに下校させた方が」とか「いや危ないから逆に校舎内に避難させた方が」とか話してる。
集まってきた人の中には顔見知りの子もいたようで、一緒に怖がりながらもわたし達の肩や背を撫でて慰めてくれる。
わたし達はまだ互いの手を取り合ったまま、頻りに背後を気にしていたのだけど。
「あー、そこの1年女子2人、鞄落としてったぞ」
わたし達が逃げてきたのと違う方向から、のっそりとした動作でさっきの男が姿を現した。
別のルートを使って追ってきたのだろう。
つまり相手は校内の配置などをわたし達より熟知しているということで。
恐怖のあまりパニックに陥るわたし達だったが、しかしその場にいた上級生や先生達からは安堵したような空気が漂ってくる。
「なんだ、先生じゃん」
「まあ確かにパッと見だけだと不審者だよな」
「ああ、1年は受け持ってなかったですもんね」
周囲の緊張感が弛んでいく中、わたし達は聞こえて来る言葉の数々から、その大男が先生であるらしいことを遅れ馳せながら理解した。
自校の先生相手に不審者扱いしてしまったこと、不用意に大騒ぎしてしまったことなどに思い至り、別に意味で血の気が引いてくる。
涙目になりながら平身低頭で謝るわたし達に、先生は「気にするな」と苦笑いで許してくれた。
それどころか「俺も誤解されるような風体だったから」とか「驚かせて悪かったな」と逆に謝ってくれたくらい。
見た目はともかく、どうやら優しい先生だったようで、そのことでわたし達は益々居たたまれなくなったのだった。
ちなみに、この日を境に彼女とは更に親しくなった。
単なる猫好き仲間から一歩前進したのは、たぶんあの時2人で手を取り合って逃げた連帯感によるところも大きい。
夏休みになってからも、わたしと彼女は手を取り合って旧校舎を訪れている。
表向きは、不審者の冤罪や迷惑をかけてしまったお詫びとして、先生のお手伝い――あの時、先生が鎌みたいなものを持っていたのは周辺の雑草を刈り取るためだった――をするために。
でも本当の目的は。
「先生が猫に餌やってたんですね」
「子猫可愛いー!!」
「夏休みの間に里親見つける協力しますね」
「おまえら、手伝いに来てるんじゃないのか? 猫と遊ぶのはそこら辺の雑草を抜き終わってからにしろ」
炎天下の旧校舎付近では、今日もそんな会話が繰り広げられていた。
今日のテーマ
《優越感、劣等感》
数日間にわたる期末試験も今日でやっと終わった。
今日からは試験勉強から解放され、これでようやく自由を満喫できるというものだ。
「今日、この後どうする?」
「お昼どこで食べようか」
「あ、ごめーん、これから彼とデートなんだー」
いつものメンバーで昇降口へ向かいながら話をしていたら、その中の1人がそう言いながら手を合わせた。
しかし言葉とは裏腹に、その顔にはあからさまに自慢げな表情が浮かんでいる。
口で言うほど悪いと思っていないのは全員にしっかり伝わった。
なにせ、本人が迸る優越感を隠す気もなさそうなのだから。
友人達が一気に白けた顔になるのも当然というものだろう。
「あっそ。じゃあ早く行ったら?」
「そうそう、彼氏待ってるんじゃない?」
「待たせたら可哀相だし、あたし達のことはいいから行ってあげなよ」
「やだ、そんな追い出すみたいに言わなくてもいいじゃん」
みんな彼氏がいないからって僻んでるんでしょ?
そう言いたげな態度と口調に、友人達の顔からじわじわ笑顔が剥がれてくる。
このままいくと本格的に関係に亀裂が入ってしまうかもしれない。
「はい! わたし超おなかペコペコだから、お店が混む前にお昼食べに行きたい!」
一触即発の空気なんか気づいてません、というように、わたしは敢えて空気を読まずにそんな発言をした。
いつメンの中でも一番仲良しの親友だけはわたしの意図を察してくれたらしく、すぐにそれに乗ってくれた。
ムードメーカーの彼女が頷くと、若干険悪だった空気はすぐに緩み、他の子達も追従してくる。
彼氏自慢をしたがってた子にみんなで「またね」と手を振って、何とか穏便にその場は収まったのだった。
お昼を食べた後は、試験の打ち上げを兼ねてみんなで夕方までカラオケに行った。
ところどころであの子に対する愚痴が飛んだけど、普段は仲が良いだけあって深刻な悪口にまではならない。
みんな、自分達に羨む気持ちがあるのも、彼女が舞い上がってちょっと暴走しちゃってるのも分かってるから。
とはいえそれを笑顔で受け流せるほど大人でもないから、思い出したように愚痴が出ちゃうんだけど。
「自分だけ彼氏持ちになったって優越感マシマシなのが鼻に付くんだよね」
「ほんとそれ」
「ノロケならいいんだよ。でも、あれは違うじゃん?」
「えー、あたしノロケも聞きたくないんだけど」
「私は種類とか話し方次第かな」
またもぶり返した話題に、わたしは親友とこっそり目を見交わして苦笑した。
実を言えばわたしも親友も彼氏持ちだったりする。
でもそれぞれ相手が別の高校に通ってるから話題に出すことはない。
隠してるわけじゃないし、聞かれたら普通に話すけど、自分から率先して話したりはしてなかった。
日頃から「彼氏がほしい」という彼女達に話したら自慢してるように思われそうだし。
だからわたしと彼女は余計な口を挟むことなく、飲み放題のジュースのおかわりと称してそっと席を立ったのだった。
「彼氏ほしいって言うけど、みんな好きな男子っているのかな?」
「あの子みたいに、告られました、相手のことも好きになりました、ってことなら平和につきあえるだろうけどね」
「合わない相手とつきあうくらいなら、友達とわいわいやってた方が楽しくない?」
「分かる」
ドリンクバーでジュースを注ぎながらそんな会話を交わす。
でも、そんな話をしながらも、みんなの言いたいことも分かるような気もしていた。
自分だって恋をしたい。
誰かの特別になりたい。
そんな気持ちはきっと誰しもが持つものだろう。
そして、恋をして楽しそうにしている友人の姿をつきつけられて、我が身に起こらないことにささやかな劣等感を刺激されてるのだろう。
わたしも、この親友に彼氏ができたばかりの頃は似たような鬱屈を抱いていた。
自分の片想いは叶いそうにもないのに、と羨んでいた。
結果的にはそれから程なくして恋は叶ったし、おかげで嫉妬も羨望も劣等感もすぐに消え失せたんだけど。
「彼氏と過ごす楽しさと、友達と過ごす楽しさは別物だからなあ。きっとあの子ももうちょっと落ち着いたらちゃんと分かって戻ってくるでしょ」
「そうだね。今はつきあい始めの一番ウキウキしてる時期だもん、しょうがないよね」
「そうそう。まあ、暫くは彼氏とあんなことして、こんなとこ行ったって自慢しまくりでウザがられそうだけどね。私も前にやらかしてたからちょっと居たたまれないんだけど」
「あはは」
主にノロケを聞かされまくって辟易してた被害者として、その言葉に思わず苦笑してしまう。
もっとも、わたしも彼とつきあい始めてからはノロケたり相談に乗ってもらったりしてたから、それについてはお互い様だ。
「みんなもいい恋ができるといいよね」
子供の頃にCMで『初恋の味』というキャッチフレーズが使われてた乳酸菌飲料。
真っ白な炭酸入りのそれを手に、祈るようにわたしはそう呟いた。
今日のテーマ
《これまでずっと》
関係が変わってしまうのが怖かった。
想いが報われるならいい。けど、もし駄目だったら――それを思うと、どうしても告げる勇気は出なかった。
今のまま、幼馴染みとして、一番近しい異性の友人として側にいられればそれでいい。
傷ついたり、関係が壊れたり、側にいられなくなるより、その方がずっといい。
これまでずっと、そう思っていた。
そんな考えが変わったのは、夏休み間近のある日のこと。
バイト中、彼女が見知らぬ男と楽しげに話しているのを見かけた。
俺に見せる笑顔とは違う、どこか遠慮がちな、それでいてとても嬉しそうな顔。
つきあいの長い俺には猫を被っているのが丸わかりだけど、傍から見たらきっととても可愛らしく見えるだろう態度。
彼女が何か言うたびに、相手の奴も楽しげに、そして愛おしげな顔で笑う。
時折、染まった頬を誤魔化すように頬を擦り、その様子を彼女がからかうような様子が窺える。
その時、俺は初めて気がついた。
異性の幼馴染みなんて、彼氏ができたら距離を置かれるに決まっているだろうということに。
今まで当たり前の顔して隣にいられたけど、彼氏ができたら当然その場所はそいつのものになってしまうだろうということに。
考えてみるまでもない。俺だって、恋人の隣に異性の友人が我が物顔で寄り添ってたりしたら「何だこいつ」と思うこと請け合いだ。それどころか「幼馴染みか何か知らないけど距離感考えろ」と腹を立てるに違いない。
あの男と彼女がつきあっているのかどうかは分からない。
親密というにはまだ少し距離があるように見えるから、つきあってまではいないかもしれない。
けど、客観的に見て2人がいい雰囲気であることは間違いない。
いわゆる『両片想い』というやつだろうか。
だとしたら、2人がつきあい始めるのも時間の問題かもしれない。
俺は無理矢理2人から視線を引き剥がすと、ジクジク痛む胸を堪えながら仕事に意識を傾けた。
バイトとはいえお金をもらっている以上しっかり働かなきゃならない。
それが単なる現実逃避だと分かってはいても、どちらにせよ今の俺にはどうすることもできないのだから。
バイトを終えて家に戻ると、マンションの玄関で彼女とばったり出くわした。
咄嗟にさっき見たことを思い出してキョドる俺とは対照的に、彼女は上機嫌のいい笑顔だ。
もしかすると今まであの男とデートしてたのかもしれない。
だからこんなに嬉しそうで、そのことをこれから俺に自慢しようと思っているのかもしれない。
そう思ったら、これまでずっと抑えていた恋心の蓋がどこかへ弾け飛んでいくような気がした。
「おかえり! バイトお疲れ様!」
「……」
「あれ? どうしたの? もしかしてバイトで何か嫌なことでもあった? 愚痴くらいなら聞くよ?」
「夕方、うちの店の近くで男と一緒にいるとこ見たんだけど」
「ああ、見てた!? 格好いいよねえ!!」
それとなく探りを入れるなんて器用なことはできないから直球で聞く。
彼女から返ってきた反応は、照れでも恥じらいでもなくいっそ見事なくらい堂々とした惚気だった。
それほどまでに俺は意識されてなかったのかと気づかされて更に凹む。
確かに男女を感じさせるような、密かな恋心を悟らせるような態度は取ってなかったかもしれないけど、こんなに長いこと一緒にいたのに微塵も俺の気持ちに気づいてもらえてなかったのかと思うと切なさと悔しさで泣きたくなってくる。
「……つきあうのか?」
「つきあうっていうか、とっくにつきあってるよ。もう毎日ラブラブで」
嬉しそうに頬を緩めてそんなことを言う。
そんな幸せそうな顔を見せられたら、今更俺に付け入る隙なんてないんだって改めて思い知らされたような気がした。
こんな風に後悔するくらいなら、とっとと告っておけばよかった。
たとえ振られても、こんな風に勝負をする前から諦めなきゃならないよりはきっとマシだった。
だってこんなんじゃ未練が募るばかりできっとずっと忘れられない。
それとも、今からでも告白してみようか。
どうせこいつとは距離を置かなきゃならなくなるんだし、それなら木っ端微塵に振られた方がいっそすっきりするかもしれない。
幸せの絶頂なタイミングで幼馴染みをこっぴどく振らなきゃならないこいつには申し訳ないけど、そこはこれまでずっと俺の気持ちに気づかなかったツケということで勘弁してもらおう。
覚悟を決めて顔を上げると、心配そうな彼女の顔。
突然目の前でガチ凹みした俺に戸惑ってるのが伝わってくる。
その表情に、本当に、こいつはこれっぽっちも俺の気持ちなんて気づいてなかったんだなと自嘲する。
「ごめん。困らせるって分かってるから先に謝っとく」
「う、うん?」
「俺、おまえのことが好きだったんだ」
「え? ええっ!? ていうか、それはすごく嬉しいんだけど何で過去形なの!?」
「何でって……そりゃ、彼氏ができたってのに告られても迷惑だろ」
「待って待って、彼氏ができたのはお姉ちゃんだよ!? わたしじゃないよ!?」
「へ?」
「違うからね!? あの人はお姉ちゃんの彼氏で、今日一緒にいたのもお姉ちゃん待ってるとこに声かけただけだし、わたしが好きなのは――」
必死な剣幕で言い募る彼女の言葉が、驚きで止まりかけていた俺の頭にじわじわ浸透してくる。
え? つまり、俺の勘違い?
あの男はこいつの彼氏じゃないってことか?
「わたしが、好きなのは……」
潤んだ目が上目遣いで俺を見上げてくる。
その顔は夜目にも分かるほど真っ赤で。
彼女は、いつのまにか俺のシャツの裾を握って、くいくいっと引いてきた。
子供の頃からの、俺に何かねだる時の癖。
「過去形なのは、わたしに彼氏ができたと思ったからだって、自惚れてもいい?」
「こっちこそ……そんな必死に言い訳するくらいには、俺に誤解されたくないって思ってくれてるって自惚れてもいいか?」
きっとたぶん絶対、俺もこいつに負けないくらい赤い顔をしてると思う。
だけど、俺の問いに大きく頷いた彼女のふにゃりと蕩けた幸せそうな顔を見たら、照れ臭さや恥ずかしさなんて全部吹き飛んだ。
さっきよりも何倍も、何十倍も嬉しそうなその様子に、心の中でガッツポーズする。
これまではずっと『一番仲が良い異性の友達』だったけど、今この時から俺達は『誰より大事な恋人』になったのだった。
今日のテーマ
《1件のLINE》
ほんの20~30分の仮眠のつもりだったのに、目が覚めると部屋の中はだいぶ薄暗かった。
夕方なのか、明け方なのかも分からない。
だいぶぐっすり寝入った感覚があるのと、真っ暗ではないから夜ではないということが分かる程度である。
枕元を手探りで辿ると、すぐに目当ての物――スマホが手に触れた。
手繰り寄せて、側面にあるセンサーに指を当てて指紋認証で起動させようしたがウンともスンともいわない。
そういえば寝る前に動画を再生していたんだったと思い出す。
電池残量がそう多くなかったことも。
電源ボタンを押しても反応しないところをみると、電池が切れてしまっているらしい。
時間の確認すらできないことにため息を零し、これまた手探りでケーブルを手繰り寄せて充電する。
電池残量はやはり0%を示していて、この状態でも時間は表示されなかった。
仕方なく、欠伸を噛み殺しながらのっそり起き上がる。
凝り固まった体を解すべく大きく伸びをすると、背骨や肩がまるで小枝を折るようなパキパキとした音を立て、ぼんやりしていた頭に血が巡ってきて思考がクリアになってきた。
外はいつのまにか雨が降ってきていたらしい。
雨音から結構降りが強いことが窺える。
学習机の上に鎮座しているデジタル時計の時刻は11:45。
横になったのは1時間ほど前だから、大幅に寝過ごしてしまったわけではなかったようだ。
部屋が暗かったのも雨のせいで、夕方や明け方ではなかったことにホッとする。
夏休みは始まったばかりとはいえ、惰眠を貪って一日無駄にしてしまった、なんてことにならなくて本当に良かった。
エアコンは入ってるけど、設定温度はそんなに低くはしていない。
おかげで寝ている間に汗をかいたらしくやたらと喉が渇いていた。
ベッドのヘッドボードに置いてあったペットボトルのスポーツドリンクを飲もうとしたものの、残りはほんの僅かでほとんど空に近い。
下に降りて冷蔵庫から冷えた飲み物でも出して飲むかと、スマホと空のペットボトルを持って部屋を出た。
平日の昼間とあって家族はみんな出払っている。
無人だから当然エアコンは入ってなくて、階下はむわっとした熱気に満たされている。
リビングのエアコンを入れ、ソファの脇に転がっている充電ケーブルをスマホに繋ぐ。
充電は5%くらいまで復活していたから、ケーブルに繋げた状態でなら電源が入りそうだ。
電源を入れて起動を待つ間に、ペットボトルを捨てて冷蔵庫から麦茶をコップに注ぐ。
ちょうど昼時だしそろそろ昼飯にするかと思いつつ、麦茶のポットをしまいながら冷蔵庫内を物色するが、すぐに昼食として食べられそうなものは入っていない。
この雨ではコンビニに買いに行くのも食べに出るのも億劫だ。
冷凍食品をチンして食べるか、カップ麺にするか。
自分で何か作るという選択肢はない。
作れと言われれば作れなくはないけど、面倒臭さの方が優る。
どうしようかと考えながら、無事に起動したスマホを指紋認証で開けば、各種アプリの通知がいくつも表示されていた。
その中にLINEの通知を発見して急いで開く。
『今日、予定ある?』
可愛らしいキャラクターのスタンプが添えられたメッセージは、夏休み前にできたばかりの彼女からのものだった。
送信された時間は今から15分ほど前。
勢い込んで了解の返信を送ると、彼女から喜びを示すようなスタンプが送られてきた。
姉や母親に見られたら延々からかわれること間違いないけど、今は家に1人きりなので思う存分ニヤニヤしてしまう。
『もうお昼食べちゃった?』
『まだ 今なに食おうかって考えてたとこ』
『だったら駅で待ち合わせて一緒にお昼食べない?』
『いいよ 雨だけど平気?』
『バス停がすぐ近くだから大丈夫 そっちは平気?』
『全然』
つい2~3分前まで「この雨の中、買いに出るの面倒臭ぇ」と思っていたことなど棚の上どころか空の彼方まで放り投げて返信する。
1人でダラダラしながら味気ないカップ麺や冷食を食べるよりも、多少雨に濡れたとしても可愛い恋人と一緒に食べる昼飯の方が断然美味しいに決まってるし、昼食後はデートというオプションまで付くんだから断る理由などありはしない。
待ち合わせの時間と場所を決めて応答を切り上げ、大急ぎでシャワーを浴びて着替えを済ませ、スマホとモバイルバッテリーと財布をボディバッグに突っ込むと、靴を履くのももどかしく外に出た。
雨はさっきより小降りになっていて、東の空は明るくなっている。
きっと程なく止むことだろう。
一旦中に戻ってビニール傘ではなく折り畳み傘に持ち替えて、俺はバス停に向かって駆け出した。
タイミング良くきたバスに乗り込んで外を見ると、窓の向こうに虹が見えた。
すかさずカメラを起動して写真を撮り、それを彼女へLINEする。
ちょうど彼女もバスに乗ったところらしく、そのままメッセージのラリーが始まった。
彼女からの1件のLINEに端を発した『恋人と過ごす楽しい夏休みの1日』はまだ始まったばかり。
テンション爆上がりの俺を乗せ、バスはゆっくりと駅へ向かっていくのだった。