初音くろ

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今日のテーマ
《これまでずっと》





関係が変わってしまうのが怖かった。
想いが報われるならいい。けど、もし駄目だったら――それを思うと、どうしても告げる勇気は出なかった。
今のまま、幼馴染みとして、一番近しい異性の友人として側にいられればそれでいい。
傷ついたり、関係が壊れたり、側にいられなくなるより、その方がずっといい。
これまでずっと、そう思っていた。

そんな考えが変わったのは、夏休み間近のある日のこと。

バイト中、彼女が見知らぬ男と楽しげに話しているのを見かけた。
俺に見せる笑顔とは違う、どこか遠慮がちな、それでいてとても嬉しそうな顔。
つきあいの長い俺には猫を被っているのが丸わかりだけど、傍から見たらきっととても可愛らしく見えるだろう態度。
彼女が何か言うたびに、相手の奴も楽しげに、そして愛おしげな顔で笑う。
時折、染まった頬を誤魔化すように頬を擦り、その様子を彼女がからかうような様子が窺える。

その時、俺は初めて気がついた。
異性の幼馴染みなんて、彼氏ができたら距離を置かれるに決まっているだろうということに。
今まで当たり前の顔して隣にいられたけど、彼氏ができたら当然その場所はそいつのものになってしまうだろうということに。
考えてみるまでもない。俺だって、恋人の隣に異性の友人が我が物顔で寄り添ってたりしたら「何だこいつ」と思うこと請け合いだ。それどころか「幼馴染みか何か知らないけど距離感考えろ」と腹を立てるに違いない。

あの男と彼女がつきあっているのかどうかは分からない。
親密というにはまだ少し距離があるように見えるから、つきあってまではいないかもしれない。
けど、客観的に見て2人がいい雰囲気であることは間違いない。
いわゆる『両片想い』というやつだろうか。
だとしたら、2人がつきあい始めるのも時間の問題かもしれない。

俺は無理矢理2人から視線を引き剥がすと、ジクジク痛む胸を堪えながら仕事に意識を傾けた。
バイトとはいえお金をもらっている以上しっかり働かなきゃならない。
それが単なる現実逃避だと分かってはいても、どちらにせよ今の俺にはどうすることもできないのだから。


バイトを終えて家に戻ると、マンションの玄関で彼女とばったり出くわした。
咄嗟にさっき見たことを思い出してキョドる俺とは対照的に、彼女は上機嫌のいい笑顔だ。
もしかすると今まであの男とデートしてたのかもしれない。
だからこんなに嬉しそうで、そのことをこれから俺に自慢しようと思っているのかもしれない。
そう思ったら、これまでずっと抑えていた恋心の蓋がどこかへ弾け飛んでいくような気がした。

「おかえり! バイトお疲れ様!」
「……」
「あれ? どうしたの? もしかしてバイトで何か嫌なことでもあった? 愚痴くらいなら聞くよ?」
「夕方、うちの店の近くで男と一緒にいるとこ見たんだけど」
「ああ、見てた!? 格好いいよねえ!!」

それとなく探りを入れるなんて器用なことはできないから直球で聞く。
彼女から返ってきた反応は、照れでも恥じらいでもなくいっそ見事なくらい堂々とした惚気だった。
それほどまでに俺は意識されてなかったのかと気づかされて更に凹む。
確かに男女を感じさせるような、密かな恋心を悟らせるような態度は取ってなかったかもしれないけど、こんなに長いこと一緒にいたのに微塵も俺の気持ちに気づいてもらえてなかったのかと思うと切なさと悔しさで泣きたくなってくる。

「……つきあうのか?」
「つきあうっていうか、とっくにつきあってるよ。もう毎日ラブラブで」

嬉しそうに頬を緩めてそんなことを言う。
そんな幸せそうな顔を見せられたら、今更俺に付け入る隙なんてないんだって改めて思い知らされたような気がした。

こんな風に後悔するくらいなら、とっとと告っておけばよかった。
たとえ振られても、こんな風に勝負をする前から諦めなきゃならないよりはきっとマシだった。
だってこんなんじゃ未練が募るばかりできっとずっと忘れられない。

それとも、今からでも告白してみようか。
どうせこいつとは距離を置かなきゃならなくなるんだし、それなら木っ端微塵に振られた方がいっそすっきりするかもしれない。
幸せの絶頂なタイミングで幼馴染みをこっぴどく振らなきゃならないこいつには申し訳ないけど、そこはこれまでずっと俺の気持ちに気づかなかったツケということで勘弁してもらおう。

覚悟を決めて顔を上げると、心配そうな彼女の顔。
突然目の前でガチ凹みした俺に戸惑ってるのが伝わってくる。
その表情に、本当に、こいつはこれっぽっちも俺の気持ちなんて気づいてなかったんだなと自嘲する。

「ごめん。困らせるって分かってるから先に謝っとく」
「う、うん?」
「俺、おまえのことが好きだったんだ」
「え? ええっ!? ていうか、それはすごく嬉しいんだけど何で過去形なの!?」
「何でって……そりゃ、彼氏ができたってのに告られても迷惑だろ」
「待って待って、彼氏ができたのはお姉ちゃんだよ!? わたしじゃないよ!?」
「へ?」
「違うからね!? あの人はお姉ちゃんの彼氏で、今日一緒にいたのもお姉ちゃん待ってるとこに声かけただけだし、わたしが好きなのは――」

必死な剣幕で言い募る彼女の言葉が、驚きで止まりかけていた俺の頭にじわじわ浸透してくる。
え? つまり、俺の勘違い?
あの男はこいつの彼氏じゃないってことか?

「わたしが、好きなのは……」

潤んだ目が上目遣いで俺を見上げてくる。
その顔は夜目にも分かるほど真っ赤で。
彼女は、いつのまにか俺のシャツの裾を握って、くいくいっと引いてきた。
子供の頃からの、俺に何かねだる時の癖。

「過去形なのは、わたしに彼氏ができたと思ったからだって、自惚れてもいい?」
「こっちこそ……そんな必死に言い訳するくらいには、俺に誤解されたくないって思ってくれてるって自惚れてもいいか?」

きっとたぶん絶対、俺もこいつに負けないくらい赤い顔をしてると思う。
だけど、俺の問いに大きく頷いた彼女のふにゃりと蕩けた幸せそうな顔を見たら、照れ臭さや恥ずかしさなんて全部吹き飛んだ。
さっきよりも何倍も、何十倍も嬉しそうなその様子に、心の中でガッツポーズする。

これまではずっと『一番仲が良い異性の友達』だったけど、今この時から俺達は『誰より大事な恋人』になったのだった。





7/13/2023, 9:40:52 AM