今日のテーマ
《手を取り合って》
「旧校舎に猫がいるんだって」
「猫?」
「うん。野良猫が住み着いてるみたい」
「誰かが餌でもやってるのかな?」
「かも。子猫もいるんだって」
「子猫もってことは親猫もいるの?」
「何匹かいるらしいから親猫もいるんじゃないかな」
旧校舎というのは、学校の敷地内にある別棟のような建物のこと。
といっても漫画とかに出てくるようなボロボロの建物ではない。
うちの辺りは30年くらい前に宅地造成したりマンションが増えたりした関係で学校が手狭になり、その時に新しく校舎を増築していた。
ところが今や少子化の影響で生徒の数は随分減ってしまっている。
そのため、当時増築した新校舎をわたし達が使い、それ以前からあった旧校舎は地域の避難場所として残されているのだ。
一応、いざという時に使えなかったら大変だからと時々業者の人が入ってメンテナンスをしてるらしいし、一部の教室は倉庫代わりに使われてたりもするけど、基本的に普段はあまり人の出入りもない。
ちなみに去年の夏休みには上級生の男子が忍び込んで肝試しをしようとして、先生に見つかって大目玉を食らったなんて話もある。
普段はあまり近寄ろうとは思わないけど、仲良しの友達からもたらされた情報にわたしは目を輝かせた。
わたしは無類の猫好きなのだ。
うちで飼ってる猫が一番可愛いとは思うけど、それはそれとして余所の猫も愛でたい。
野良猫を見ればふらふら吸い寄せられるし、SNSの猫写真や猫動画を眺めてはいいねを押しまくっている。
そんなわたしが「猫がいる」と聞いて、どうして足を運ばずにいられようか。
というわけで、放課後になるや否や、わたしは足取りも軽く旧校舎へ向かうことにした。
もちろんこの情報をもたらしてくれた友人も一緒だ。
彼女もまたわたしと似たり寄ったりの猫好き仲間なのである。
「柄とか聞いてる?」
「白っぽいのと、ブチ柄と、キジトラは見たって。白っぽいのが白多めのブチなのか、別の子なのかまではよく分からなかったけど」
「そうなんだ。どの辺りで見たとか分かる?」
「水飲み場の辺りだって言ってたかな?」
小声でそんな会話を交わし、辺りを気にしながら慎重に進んでいく。
用もないのに旧校舎の辺りをうろつく後ろめたさとか、猫を驚かさないようにとか、そんな気分が自然とわたし達の声を落とさせ、足音を忍ばせている。
立入り禁止というわけではないけど、先生に見つかったら怒られそうだし、猫も処分されてしまうかもしれないという不安もあって。
目撃情報のあった水飲み場の辺りまできたけど、残念ながら猫の姿はなかった。
餌をやってる人がいるとして、その時間帯が決まっているのであれば、猫たちも近くに潜んでいるかもしれない。
そう思って植え込みや物陰などを見回してみたが、やっぱりそれらしい姿はなかった。
もしかすると知らない人間が来たと警戒してどこかに隠れてしまっているという可能性もある。
餌になるようなものでも持っていれば別だけど、今日はそういうものもない。
猫を怖がらせるのは本意ではないし、いないならまた後日探しに来よう。
そう言い合って戻ろうとしたところで、ぬっと大きな影がわたし達の前に現れた。
見上げるほどの巨体にぼさぼさの髪、顔の下半分が不精髭で覆われている。
黒いヨレヨレのジャージを着ていて、手には鎌のようなを持っている。
ぎょろりとした目がこちらを見据えた瞬間――
「ひっ!!」
「いやあああっ!!」
わたし達は手と手を取り合って転げるように駆け出した。
単独でバラバラに逃げた方が生存確率は上がるかもしれないけど、1人で逃げるなんて怖すぎる。
幸いわたし達は足の速さも同じくらいだし、どちらかが送れて足を引っ張るようなこともなかった。
泣きながら逃げ出したわたし達の悲鳴を聞きつけた男子や先生達がわらわらと寄ってきたので、しゃくりあげながら旧校舎で出くわした不審人物のことを告げる。
「黒いジャージの大男が」
「なんか、鎌みたいなの持ってて」
「髪はボサボサで、無精髭もすごくて」
「ぎょろっと睨まれて」
恐怖に震えるわたし達の辿々しい説明を聞いて、先生達も色めき立って「警察に連絡を」とか「生徒をすぐに下校させた方が」とか「いや危ないから逆に校舎内に避難させた方が」とか話してる。
集まってきた人の中には顔見知りの子もいたようで、一緒に怖がりながらもわたし達の肩や背を撫でて慰めてくれる。
わたし達はまだ互いの手を取り合ったまま、頻りに背後を気にしていたのだけど。
「あー、そこの1年女子2人、鞄落としてったぞ」
わたし達が逃げてきたのと違う方向から、のっそりとした動作でさっきの男が姿を現した。
別のルートを使って追ってきたのだろう。
つまり相手は校内の配置などをわたし達より熟知しているということで。
恐怖のあまりパニックに陥るわたし達だったが、しかしその場にいた上級生や先生達からは安堵したような空気が漂ってくる。
「なんだ、先生じゃん」
「まあ確かにパッと見だけだと不審者だよな」
「ああ、1年は受け持ってなかったですもんね」
周囲の緊張感が弛んでいく中、わたし達は聞こえて来る言葉の数々から、その大男が先生であるらしいことを遅れ馳せながら理解した。
自校の先生相手に不審者扱いしてしまったこと、不用意に大騒ぎしてしまったことなどに思い至り、別に意味で血の気が引いてくる。
涙目になりながら平身低頭で謝るわたし達に、先生は「気にするな」と苦笑いで許してくれた。
それどころか「俺も誤解されるような風体だったから」とか「驚かせて悪かったな」と逆に謝ってくれたくらい。
見た目はともかく、どうやら優しい先生だったようで、そのことでわたし達は益々居たたまれなくなったのだった。
ちなみに、この日を境に彼女とは更に親しくなった。
単なる猫好き仲間から一歩前進したのは、たぶんあの時2人で手を取り合って逃げた連帯感によるところも大きい。
夏休みになってからも、わたしと彼女は手を取り合って旧校舎を訪れている。
表向きは、不審者の冤罪や迷惑をかけてしまったお詫びとして、先生のお手伝い――あの時、先生が鎌みたいなものを持っていたのは周辺の雑草を刈り取るためだった――をするために。
でも本当の目的は。
「先生が猫に餌やってたんですね」
「子猫可愛いー!!」
「夏休みの間に里親見つける協力しますね」
「おまえら、手伝いに来てるんじゃないのか? 猫と遊ぶのはそこら辺の雑草を抜き終わってからにしろ」
炎天下の旧校舎付近では、今日もそんな会話が繰り広げられていた。
7/15/2023, 9:32:14 AM