夜空の音

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10/23/2025, 3:27:02 PM

無人島に行くならば

無人島に行くならば、私は何を持っていこう。
無人島に行くならば、荷物は全て捨てていこう。
無人島に行くならば、大切なものだけ持っていこう。
無人島に行くならば、思い出をたくさん持っていこう。
無人島に行くならば、それ以外は何もいらない。

思い浮かんだメロディを口ずさみながら、私は荷物を整理していた。
要らないものは捨てて、捨てて、捨てて....。
カバンに収まったのは寝巻きとタバコ。あとはいつものお財布やポーチなどこの家に来る時いつも持ってきたものだけだった。
ゴミ箱のないこの家にあるのは大きなゴミ袋。私のものがあった場所はただの空間になっていて、そのゴミ袋に詰め込まれていた。

カチッと火をつけ煙を吐くと、少し頭がぼんやりとする。
そのぼんやりとした頭で、ぼんやりとソファーに座り、ぼんやりと部屋を眺める。

2人でソファーに座りたくて、“おいで”と言われたくて床に座って、ソファーに座るあの子の顔を見ながらタバコを吸った。結局欲しかった言葉は無くて、おいでと言って欲しかったと拗ねたように伝えると、「そんなに座りたかったら勝手に隣に来いよ。」と呆れたように言われた。
それでもベットに寝転んだあの子はソファーに戻ってきて、片膝を立てて背もたれに添わせ、私の座れる場所を作ってくれた。
でも“おいで”とは言ってくれないあの子は意地悪で、空いた空間はあの子の優しさが詰まっていた。そんな思い出がある。
でも、このソファーは、持っていけない。あの子のものだから。

ベットに6月末なのに季節外れな冬用の掛け布団。暑がりなあの子と、寒がりな私。
あの子は4月末には暑いとエアコンをガンガンにかけて寝ていた。私は寒くて、震えていた。でも、あの子の隣で寝たくて、あの子の腕の中で寝たくて、我慢しようと思った。
あの子は私を布団でぐるぐる巻きにして、暑いといいながらも抱き寄せてくれた。
あの布団が今でも片付けられないのは、あの子の物言わぬ優しさだと思う。そんなあたたかな思い出がある。
でも、この布団は、持っていけない。あの子のものだから。

手元に残ったタバコは、あの子のタバコの匂いがした。あの子が吸うのと同じもの。このタバコを吸いながら笑うあの子を思い出す。
あの笑顔の記憶と、タバコの匂いと、タバコは私のもの。だから、持っていける。

カバンに入れた寝巻きを取り出して、ギュッと抱きしめる。あの子の匂いがした。少しタバコ臭いこの匂いはきっと、いつも私を抱きしめて寝てくれたせいだ。
この匂いと、優しさと、寝巻きは私のもの。だから、持っていける。

もう一度タバコに火をつけて、さっきのメロディを口ずさみながら、続きを歌う。
無人島に行くならば、大切なものだけ持っていこう。
無人島に行くならば、思い出をたくさん持っていこう。
無人島に行くならば、それ以外は何もいらない。
無人島に行くならば、もっと気持ちが楽だった。
無人島に行くならば、こんなに悲しくならなかった。
無人島に行きたかった、監獄なんかに、実家になんか行かず。
監獄に行きたくない、あの子といたいから。
監獄に行きたくない、悲しいから。
あのこと離れることが、何よりもの地獄。

10/19/2025, 10:20:19 AM

君が紡ぐ歌

少しひしゃげた歌声が響く。
少し古びた曲調が響く。
少し音のズレたコードがギターから響く。
全て貴方から響く音だった。
全て貴方が教えてくれた曲だった。

真冬の河川敷で、少し震えながらギターを鳴かせ、枯れそうになりながら声を響かせる。
そんな貴方と、震えながら隣にいる時間が何にも変え難い幸せな時間だった。
貴方の鳴かせるギターのコードは音程がズレていて、辺りを歪める。歪みきった辺りを1本の剣のように貴方の声は私の耳を、心を突き刺す。
満足気に歌い切り、カタカタと震えカツカツと歯がぶつかる音がする。それでも貴方は満面の笑みで、赤くなった指の痛みを感じていないようだった。
そっとカイロを渡すのは、私の役目だった。ありがとう。と笑って受け取る貴方を見る、特等席だった。
そうして、何度もギターを鳴かせ、声が枯れるまで貴方は私の隣で歌っていた。

今日も、あの日の動画を見つめる。
貴方の突き刺すような歌声は機械では丸くなってしまい、ギターの歪みはほとんど聞き取れない。
あの日と似ても似つかない歌が流れる画面には、寒さを堪えながらも嬉しそうに歌う貴方の姿があった。
私は、そんな貴方にカイロを渡せない。

10/17/2025, 1:09:24 PM

砂時計の音

「好きです。」
その言葉に断りを告げる。
「俺のとこに来たら幸せにしてみせます。」
そんな言葉を自信もって言える姿を羨ましく思いながら、断りを告げる。
「俺に沼らせてみせます!」
無理だよ。と、断りを告げる。
何度繰り返しただろうか。断ることにも疲弊してきた私は、ある時断り以外の言葉を口にした。
「わかった、いいよ。」
その言葉と共に砂時計の音が響き始めた。

砂時計が落ちるにつれ、彼は敬語を使わなくなった。
「好き。」
ありがとう。
その繰り返し。

砂時計が有限であることを忘れた私は、気づかないうちに彼の沼に沈んでいた。
「ねぇ、ぎゅーして?」
「ねぇ、どうして笑ってくれないの?」
「ねぇ、こっち見てよ。」
私が沼に沈んだ頃には、砂時計は半分を切っていて、彼の心は離れかけていた。

「どうして笑ってくれないの!どうしていつもいないの!どうして?」
どうして?なんで?
砂時計の残りが減ると共に、私は不安定になった。音がうるさくて、彼の声が聞こえなくなった。
「嫌いにならないで!ごめんなさい、ごめんなさい!すぐ出ていくから!嫌いにならないで....。」
壊れた私は荷物をまとめて彼の家から飛び出した。
砂時計の最後の1粒が落ちきった。
サーっと響いていた音が無くなると、魔法が解けたように涙がこぼれ出し、感情を知った。
「好きに、なってたんだ....。」
沼らせる。彼は有言実行していて、私は気づかないうちに沼に落ちていたのだった。
それからどれだけもがいても、砂時計の砂が元に戻ることはなかった。
音と彼が無くなった世界で、涙を零し続けた。

10/10/2025, 5:45:11 PM

一輪のコスモス

あなたに贈りたい。
そう思って花屋で買ったのは、1輪のコスモスだった。
小ぶりでありながらも綺麗な色をしたこの花はあなたにそっくりだと思ったから。
家に帰り、あなたに渡した。
「どうしたの?」
あなたは不思議そうに私を見る。
ただ綺麗だったからと押し付けるようにあなたの視線を避けた。小っ恥ずかしかった。
背を向けた自分を見て、あなたは、ふふっと笑いをこぼした。
「どうして赤いコスモスだったの?」
「....似てたから。」
そう。と言いながら、更にあなたは笑いをこぼした。
ソファに少し小さくなって座る自分の横にあなたは座って、顔の横にコスモスを近づけて、似てる?と尋ねる。
恥ずかしくて、無視してスマホを見る自分を横に、あなたは話し出した。
「コスモスの花言葉はね、調和や純粋なのよ。」
花言葉や宝石言葉が好きなあなたは嬉しそうに話を進める。
「それで、赤いコスモスは、愛情なの。」
「知ってる。」
小さい頃からよく聞かされた花言葉の知識には自信があった。自分は素っ気なく返す。
「だから花束じゃなくて1輪だけにした。」
その言葉を聞いて、あなたは少し目を見開いた。そして、目尻を和らげて、ありがとう。と呟いた。
いつも素っ気なく、感謝を口にできない自分だが、あなたに感謝を伝えたかった。
非行に走って家族と開いた溝にいつも橋をかけてくれる、母であるあなたに。
何があっても自分に真正面向かって話をしてくれる、母であるあなたに。
物静かな暖かい優しさを注いで育ててくれる、母であるあなたに。
抱えきれないほどの愛を注いで育ててくれる、母であるあなたに。
こんな自分なのに、母であるあなただけが味方でい続けてくれる。その、感謝を花に込めた。
花が好きな母なら、きっと気づいてくれると思ったから。

10/4/2025, 1:47:17 PM

今日だけ許して

『はじめましてー!どこ住み?』
ポンとなった通知と共に、メッセージが画面に表示される。
“𓏸𓏸です”
『近いねー』
『てか見た目めっちゃ好みで!今晩とか会えない?』
すぐに帰ってきたメッセージを横目に、1つ大きく息を吸った。
“はい、大丈夫です”
そこからはトントン拍子に会話が進んで、待ち合わせの時間と場所が決まった。

服は適当でいい。どうせすぐ脱ぐのだから。
メイクは崩れにくいものにしよう。きっと擦れるから。
お金は現金だけにしよう。カードや個人情報を抜かれたら困るから。
支度をすると共に流れる時間の波が、とてつもなく重たく感じる。後ろ髪を引かれる思いで、時計を無視した。

「𓏸𓏸ちゃん写真とまんまじゃん!」
待ち合わせの場所でしばらく待つと、知らない男の人に私ではない名前を呼ばれる。写真と違う顔をしているけど、顔はどうでもいい。
「ーーさんですね、はじめまして」
できる限りの笑顔を顔に貼り付けて返事を返す。挨拶もそこそこに、知らない男の人に連れられて建物に入った。

「てか𓏸𓏸ちゃんなんでアプリ入れたの?彼氏に困らなさそうじゃん」
事が終わって、タバコの煙の中知らない男の人は尋ねてきた。
「アプリ入れた理由ですか....?」
服を着直しながら、どうして?を自問自答するが、どれもこれも違う気がして答えられない。
カバンから消えたものがないことを確認して、無事なことに一息ついた。
相手がタバコを吸い終わりそうなのを横目に見ながら、今度は私がタバコに火をつける。
1度煙を肺に入れ、煙を吐き出すと共にありきたりな返答をした。
「今日は1人でいたくなかったからです」
ふーんと、知らない男の人はそれ以上追及してくることは無かった。
私は手元の煙を吐き出す灯をぼんやりと見つめた。
「....くさい....」
ボソッと声に出てしまった言葉に知らない男の人は気づいていない。
白いパッケージに入ったセッターは、私には美味しいと思えない。むしろタバコくさくて、吐きそうになる。
それでもふとコンビニに立ち寄ると買ってしまう。夜になると火をつけてしまう。大嫌いな匂いを求めてしまうようになって、1年になる。

建物を出て、知らない男の人は夜の街に消えて行った。
私は空を見上げて、また火をつける。口から煙が出ると共に、街灯がぼやっとしてはくっきりとする。その繰り返し。
スマホが日付が変わったことを知らすバイブが1度なった。
「お誕生日おめでと。....ごめんなさい。」
空に向けてつぶやく声は静かに消えて行った。
セッターが大好きなあの人と別れて、1年が過ぎた。

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