キンモクセイ
金木犀、懐かしい音だ。
中学の教科書の小説に、その題名の話があったのを覚えている。何故か記憶に残る物語だった。少年が少女に初恋を抱く、進展もなにもしない。そんな物語。
金木犀の匂いが好きだ。
フレグランスで金木犀があればそれを選んでしまう。どこが好きとかはわからない。ただ、匂いが落ち着く。
小さく黄色い花は、印象的だ。
一つ一つに、何かが詰まってるようで。
私も、小さな花々に詰めていこう。
初恋を、純愛を、片思いを。思い出を。
そして、両手で抱え続ければいい。
行かないでと、願ったのに
カーテンの隙間から、明るい日差しが覗いている。今何時だろうと寝返りをうとうとするが、身体が動かない。頭も重く痛い。
程よく肉の着いた重たい腕が私を押さえつけ、ビクともしない。
またか。と思いながら首だけ横に、ぼやけた頭で彼の顔を見る。
長いまつ毛と、少し開いた口。チラッと見える八重歯。気持ちよさそうにイビキをかく姿は、どことなく幼い。
最近は会いに行っても仕事と友達と出かけていていないことが多い彼に、今日こそは隣にいたいと、私の休みの度にここに帰ってきてる。そんな彼とは最近、顔を合わせる度に言い合いをしてばかり心に怪我をおう。最後に笑顔を見たのは、笑顔を向けてくれたのはいつだっただろうと思うと悲しくなる。
「あんなに笑ってくれたのに....。」
独り言のようなつぶやきは、彼の爆音アラームに掻き消される。
「仕事の時間だよ、起きて。」
彼をゆさぶろうと腕を上げるが、その腕は重たく、力が入らない。彼はアラームを嫌うように、低く唸りながら寝返りを打つ。離れる重たい腕を恋しく思いながら、私はベットから降りた。
視界がグラッと歪み、私は身体が思うように動かなくて受身を取れずそのまま倒れ込んだ。深い眠りにいる彼はそれにも気づかない。なんとか上体を起こした私は机の上の菓子パンを手に取り、這うように彼の枕元へ向かう。
「起きて。」
何とか揺さぶると彼は半目を開いて、また眠りにつこうとする。
「だめ、ご飯食べて。」
そう言いながら少し開いてる口に菓子パンを押し付ける。嫌そうに顔を顰めながら、彼は少しずつ菓子パンを食べている。毎回、オオカミに餌付けてる気分になる。
30分ほどそれを繰り返し、彼はやっと目を覚ます。ねむいと言いながら、私に一切視線をよこさずタバコとスマホを手に彼はトイレに向かった。私は遅刻することはないと安堵のため息を吐く。
しばらくして帰ってきた彼は目が覚めていて、バタバタと着替えている。そんな姿を、ぼんやりと見つめた。
「じゃあ。」
そう言った彼は、初めて私を見てくれた。見送ろうと立ち上がる私はまたグラッとよろけて立てなかった。
彼の切れ長な一重が私を射る。口角は下がっていて、不機嫌そう。
「ベット上がって。」
有無を言わせない彼は部屋の入口で仁王立ちに立っていた。見送りたいの。という言葉は、彼の早く。という言葉にかき消された。
腕の力で何とかベットに上がった私を見て、彼は玄関へ向かい、すぐにバタンと扉の閉まる音がする。
「....いってらっしゃい。」
間に合わなかった言葉は虚しく1人の部屋に響いた。
目頭が熱くなり、さらに目眩が酷くなる。身体が限界になったようで、私は力無く布団へ倒れ込む。布団からは彼の匂いがした。重たい腕の感覚はなくて、肩が冷たく感じる。
「ODしなきゃよかった。」
力無く呟きながら瞼を閉じると、涙が頬を伝った。その冷たさを感じながら、私は意識を手放した。
tiny love
桜が舞っている。空は少しどんよりとしていて、灰色がかった色をしている。そんな中、私は初めて中学校の門をくぐる。
ブカブカのブレザーと、長いスカートはいつこのサイズに合うようになるのか....なんて、少し困ってしまう。身体に合わない制服を少し恥ずかしく思うけど、周りのみんなも同じようにブカブカの制服で、羞恥心が少し和らぐ。
案内に従って教室を目指す。
古い校舎に足を踏み入れると、ギシ、ギシと、足音とともに軋む音が響く。配管が剥き出しの壁はヒビが入っていて、校舎がとても古いものだと物語っている。南海トラフが起きたら真っ先に潰れてしまいそうだと恐怖を感じながらも、最上階の1番奥の教室を目指す。
たどり着いた廊下も、歴史を感じる壁に囲まれ、人がまばらに集まっている。教室の入口付近に男の子たちが集まっていて、入りにくさを感じながらも足を動かす。
男の子の集団の中に、猫背な男の子を見つけた。
私は胸がキュッと締まるのを感じた。
周りより少し背の高い男の子は、背が丸くなっていて、横から見てもわかる、丸いほっぺたをしていた。ニコニコと笑う姿は向日葵も恥じらうほどに眩しかった。
私はその横顔に、笑顔に、懐かしさを感じる。
幼稚園で仲良かった男の子だった。特に仲良しな男の子。そう思っていた。
あのころと同じように跳ねる鼓動を感じて、妙に納得してしまった。
私は彼に、小さく淡い恋心を抱いていたことに気づいてしまった。この気持ちが、大きく、そして醜くなることを知る由もない私は、この気持ちとこの瞬間を、優しくくるんで胸の中に置いてしまった。
終わらない問い
いつも頭に浮かぶのは同じ顔。
どこにでもいそうな、平凡な顔。
そこら辺にいる、少し素行の悪いクソガキ。
夜中に走る車も、夜になると沢山いるうるさい車の1つ。
今までの人と同じように、愛を囁いて離れていった。
顔が好きだと、そう言った。
中身を見ずに外側の殻しか見ない、元恋人の1人に過ぎない。
それなのに、どうして....。
あなたに恋してしまったのだろう。
あなたしか見れなくなってしまったのだろう。
揺れる羽根
風が吹く。
その風に乗り、1話の烏が青空を切り裂くように横切る。その翼は黒く、羽根の1枚1枚が太陽に照らされてツヤツヤと濡れたように光る。
烏は山へ降り立った。
野生の生き物と言葉を交わし、木漏れ日を浴びながらスイスイと木々の枝葉を避けて飛んだ。
一声鳴くと、辺りに響き声が帰ってくる。
風が優しく吹き、烏の羽根を優しく揺らした。
烏は海を羽ばたいた。
黒い翼は水面に反射し、水面下の生き物に目もくれずに飛び続けた。太陽の日差しが増し、濡れた羽根も煌めきが増す。
一声鳴くと、どこまでも遠くへ声が響き渡る。
風が強く吹き、烏の羽根を激しく揺らした。
烏は都会にたどり着いた。
所狭しと並んだ建物を下へ避けながら、広い空を悠々と翼を大きく広げて羽ばたいた。
地面に這い蹲るように居る二足歩行の生き物が有象無象にいる。奴らは狭く暗い地面を歩き、下を向いていた。青く広い空を見上げることはなかった。
なんともったいない
烏は二足歩行の動物を憐れむように一声鳴くが、都会の騒音に呑まれ声は消えていった。
バシッと音がして、烏は落ちた。透明の何かにぶつかり、そのまま真っ逆さまに落ちていった。
窓と地面からの衝撃で、烏は路上で息絶えた。
かわいそうに
気持ち悪い
二足歩行の動物は烏を憐れみ侮蔑の視線を向け、その声は意識が遠のく烏の脳内に響く。
時間が過ぎ、烏の身体は温度を失い固く固まっていった。
風が冷たく吹き、烏の羽根は揺れることはなかった。