ぬくもりの記憶
外から帰ってきても、部屋の中は冷え込んでいて震えが止まらない。
布団に潜り込んでも、中は冷たくて体温を奪われるようだ。
それでも、小さく丸まりながら暖かくなるのを待つ。
身体はなかなか暖かくならない。なのに、胸の奥が熱くなってくる。
息苦しい。
その熱は次第に大きく膨れて、寒さを感じなくなった。胸の痛みと息苦しさに紛らわされた。それでも、震えは止まらない。
はぁ、はぁと過呼吸のように息をする私は、なんとも滑稽だ。
頭の中がうるさい。
耐えきれず、私は抱き枕を抱きしめた。
大好きだった彼の匂いはとうの昔に消えてしまったのに、その上着を抱き枕から脱がすことができずに、今日を迎えてしまった。
「わかってたのにぃ....。」
抱き枕の頬に当たる辺りが冷たく濡れるのを感じながら、彼の匂いを求めてさらに抱き枕をきつく抱きしめる。彼の温かさを求めて、毛布の奥に潜り込む。
それでも、彼の面影はなくて、彼が私を呼ぶ声が、彼の笑い声が脳内に重なって聞こえる。その隙間を縫うように、言葉が永遠と反芻する。
『あいつ、やっと新しい彼女できたんすよ。あなたと違ってギャルなんすけどね』
今日は特段に冷え込む1日だった。
今日は特段に疲れた1日だった。
今日は、何も無かった1日だった。何も。何も聞いていない。
そう、言い聞かせる。
秘密の手紙
名前:○○ ○○
性別:女
1.私は、脳死及び心臓が停止した死後のいずれでも、移植の為に臓器を提供します。
2.心臓/肺/肝臓/腎臓/脾臓/小腸/眼球
3.目が悪いです。
できるなら、お兄ちゃんみたいな子ども達に贈りたいです。
素敵な時間を過ごせますように。
追加:タバコ吸ってました。
事故現場に投げ出された財布から見つかった古びた紙は、幼い子どもの文字で綴られていて、追加の言葉だけ、大人びた文字で綴られていた。
贈り物の中身
「誕生日おめでとう!」
そう言って渡された箱は白く、黒いリボンがよく映えている。両手サイズの箱の中には、可愛らしい手乗りサイズのぬいぐるみのキーホルダーがふわふわの綿の中にいた。
とても可愛らしくて、ぬいぐるみを手に取ると思わず手の上に座らせて目を合わせる。
「かわゆいな。」
じーとぬいぐるみを見つめる姿を見て満足したのか、彼はタバコに火をつけて、だろ?と自慢げに笑う。
どこに置こうかな?なんて、私は考えながら頭を撫でた。
「おめでと。」
彼はタバコの煙を吐きながら私にそう言った。
ぬいぐるみの彼とは違う彼。
「準備してるから、もうちょい待ってな。」
彼のその言葉に、私はこくんと頷く。
そうして、私は待った。翌日も、翌週も待った。彼が何を用意してるのかはわからない。忘れたのかもしれない。
でも私は、物は何も要らなかった。
ただ、彼と2人きりでいる時間が欲しかった。
どこかに、2人きりで出かけてみたかった。
今にして思えばわがままだったのだろう。きっとそのバチが当たったんだ。
何ヶ月も前から考えて、買った彼への誕生日プレゼントは渡せないまま関係が終わってしまった。
私の部屋の窓辺に、紙袋が置いてある。
いつまで経っても、渡せないままに、季節が変わっていく。
失われた響き
「おはようございます、朝のニュースをお伝えします。
昨日可決された新法は、来月より施行されます。」
朝支度をしていると、何気なく流していたテレビのニュースキャスターの言葉に動きが止まってしまった。
「今回の新法、通称、音楽規制法は、アメリカ、ワシントン大学の研究結果に基づき制定されました。
研究結果では、音楽が人の感情を大きく左右させる事が判明し、犯罪を犯す原因にも繋がる事が明らかとなりました。」
音楽が規制される。
その言葉に脳が追いつかないままニュースキャスターは説明を続ける。
「音楽規制法により、今後歌唱、器楽等ジャンルを問わず利用できるものが規制されます。具体的には、国が認めたもの以外視聴できません。また、新たに作成された音楽は国に認められなければ公表することは禁じられます。
店舗内のBGM等にも適応される音楽規制法は、店舗経営者らにも影響を与えます。それでは実際のインタビューです。」
音楽が規制される。
その輪郭がやっと掴めてきた。
信じられない私は、朝の支度をそっちのけに、スマホを手に取る。
立ち上げた音楽アプリは告知の表示があり、音楽の再生は出来なくなっていた。YouTubeMusicも同じく使えない。
Googleで音楽規制法と入力すると、AIがまとめた内容が表示される。
『音楽規制法は、視聴、制作、公表、演奏、歌唱の禁止、または規制する法律です。』
頭が痛くなってくる。趣味イコール音楽な私からすれば、夢であって欲しいと願いたい。
「....また、楽器を所持することも法律違反となります。お手元に楽器がある方は、各市区町村の回収に従ってください。」
再び聞こえたニュースキャスターの言葉に、目眩がする。
壁際に置かれた楽器ケースと目が合う。必死に貯金して、やっと手に入れた楽器を、手放さなければならない。そんな現実が目の前に叩きつけられる。
心の深呼吸
息が吸えない。
そう感じたのは、いつからだっただろう。
酸素が足りず、頭の回転も悪くなったように思える。出来ることが出来ないことになり、その数が増えるにつれて、余裕を失った。必死に、必死にもがいて取り戻そうとした。でも、取り戻すどころか手からこぼれ落ちる。
気付けば、私の手には何も無かった。
何も持たない手では、何も感じない。
喜び。悲しみ。憂い。怒り。切なさ。楽しみ。憤り。
何も感じない。
全てを失った私は、海の上の崖へやってきた。
冷たく鋭い風が頬を刺す。
勢いのある風は身体にめぐり、気持ちいと思った。
もっと空気を。
そう求めて身を乗り出すと手が滑り、崖の下へ落下した。
重力に導かれるままに落下した私の肺には、入り切らないほどの空気が入ってきた。
大きく吸い、大きく吐く。
私はやっと息をできた。