記憶
なんとなく目が覚め、時計を見るとあと5分で起きる時間だった。
少し早めに布団から出た私は、疲れの取れていない重い体を動かし支度を始めた。就職を機に引っ越した友人と1年振りに会う約束をしていた。
身体に残る睡眠薬を漢方の力で相殺し、カフェインを身体に流し込んだ。
電車の人混みに気持ち悪くなりながら、待ち合わせ場所に到着した。そこには、友人がいた。
『ひさしぶり!』
足取り軽く、彼女の元へ駆けたが、彼女はピクリとも反応しない。
イヤホンをしてるのかもと思いながら、隣に立つ。
『お待たせ。』
しかし、彼女はまだ反応がない。
『ねぇ....。』
私は彼女の肩に触れようと手を伸ばした。
その時、初めて彼女は私を見た。
「....どなたですか?」
予想だにしなかった返答に、言葉が続かない。
その時、通行人が私のそばを通った。
避けきれず、ぶつかったはずの通行人は何も無かったかのように歩き去っていった。
『....そっか。』
昨日、寝る前に願ったことが叶ったのだと気づいた。
毎晩、寝る前に願ったことが叶ったのだと気づいた。
私という存在は、この世界から、みんなの記憶から、消えていた。
もう二度と
“次は、〇〇駅に止まります。Next stop . 〇〇”
イヤホン越しに耳にした駅名に、ふと顔を上げ、立ち上がりかけた。
学生時代、何度も聞いた駅名に、無意識に反応してしまったのだ。
(あ、ここちゃうし、乗り過ごした....。)
自分のミスに気づき、慌てて降車の準備をした。
停車した電車から降りると、懐かしいホームが目に入る。
思わず立ち止まりそうな足を動かし、反対方向のホームへと足を運ぶ。
なんとなく、あの頃の記憶を避けて、この路線を、この駅を避けていた。実に10年振りだ。
“あ....。”
ホームに向かう途中、1枚のポスターを見つけて、遂に足が止まってしまった。
〜〜バレエスクール 発表会と、大きく書かれた文字の下に、くるみ割り人形と演目が記されていた。
(去年の発表会かな....。)
文字のバックに印刷された写真が、懐かしい。
しかし、当時とは体重も体型も変わった自分は、もう踊れないと自覚していて、ため息と共に足元を見た。
つま先を外に向けた何故か抜けない癖がそこにはあった。
bye bye ...
“あがります、お疲れさまです。”
いつものように周りに声をかけて、長くも短くも感じる4年間勤めたアルバイトのタイムカードを切った。この作業も最後だ。
あまり見送られたりするのが好きじゃなくて、今日が最後のことはほとんど言わずにこの日を迎えた。
“今日もありがとうなぁ、おつかれ!”
お世話になったフリーターの人達がいつものようににこやかに返事をくれる。
“お疲れさまです!”
後輩たちも、ペコッと頭を下げながら返事をくれる。
いつもと同じ雰囲気に、少しホッとした。
控え室に入り、制服を脱いだ。
いつもより、少し綺麗にたたんだそれを少し見つめたあと、控え室をぐるりと見渡した。
夜中までサビ残して怒られたことや、長めの休憩中に主婦の人達と話したこと、店長に褒められたこと、みんなで掃除をしたこと、色んな思い出が浮かんでくる。
懐かしいなぁという思いと、少しの寂しさが入り交じる中、制服をカバンに詰め込み、油まみれになった靴をゴミ箱に入れた。
お世話になりましたと一言メモを添えた名札をテーブルに置いた。
カバンを肩に、控え室の入口前に立ち、もう一度部屋を見渡した後、深く一礼をした。
“....4年間、お世話になりました。”
みかん
『寒いから身体に気をつけてね』
今年も届いた大きな箱には、そんな一言の手紙が添えられていた。
毎年届くこの箱には小ぶりなみかんが所狭しと詰まっていた。
この重い箱は家に冬を運んでくる。
イブの夜
「いらっしゃいませ。」
店頭もドライブスルーに来るのは男女ばかり。会話も、カップルと思われる人ばかり。会話の中から、今日はクリスマスイブだと気付かされる。
「ありがとうございます、またお越しください。」
そんな中、私は無心で働く。
「これ!早くしろよ!ケンタッキーのチキンが冷めるだろうが!」
そう言って突きつけられたレシートにはポテトLサイズが7個揚げたての文字が印字されている。
「申し訳ありません....。」
7個も揚げたて、そんなのすぐに揚がるわけが無いと心の中で悪態をつきながら、謝罪を告げる。
「お客様、他店でお買い上げの商品を店内でご飲食されるのはお控えいただけますか?」
20代後半の男女の席に広げられたものはモスバーガーのバーガーとチキンだ。
「えー、でも、ポテナゲと飲み物買ってるからいいじゃん。」
「おっしゃる通り、当店の商品もお買い上げいただいてますが、当店では当店でご購入されたものに限りの飲食をお願いしております。ご理解とご協力をお願いいたします。」
舐めた考えなのに、どうしてこちらが下手に出ないといけないのだろう。
夜もふけて0:00を回ろうとしている。
やっと帰れる。
「....てかオネーサンかわいそー。」
明らか酔っ払ってる女性が注文途中に絡んでくる。
「ねぇ、彼くんもそう思うよねー。」
男性は女性をたしなめようとしているが、彼女は暴走を続ける。
「イブなのにー、オネーサン彼氏いないんでしょ?だから働いてる、かーわいそー。」
私は幸せっ!と男性に抱きつく。
男性はすみませんと謝るが、その目は可愛い彼女に惹き付けられている。
「いえ、大丈夫ですよ。結構酔っていらっしゃるようですが、大丈夫ですか?」
「....つかれた。」
仕事を終えた私は、スマホで時間を確認しようと電源をつけた。
『バイト、お疲れさま 俺 忙しかったけど、そっちも?』
真っ先に通知が目に入る。
『そっちもお疲れさま。結構忙しかったよ。』
返事を送ると、直ぐに返信が帰ってくる。
『イブだもんな、マクドはたいへんや
がんばってえらいな そんなとこもすき』
散々な1日だったが、こんな形のイブも、幸せだと思った。