瀬尾はやみ

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7/18/2023, 1:33:47 PM

私だけ
 
 私は水色のランドセルを背負うたった一人の小学生だった。

 小学校に入学する前、ランドセルを選ぶためショッピングモールに家族で行った。男の子は黒、女の子は赤が定番で他の色は異端と言っていいほど珍しかった。実際、私が入学する前まで、その小学校に赤以外のランドセルを背負っている子はいなかった。

 だけど私のなかでは、どの色にするかはっきりと決まっていた。それは水色だ。理由は単純で、水色が大好きだったから。きれいで可愛くて、お店に並んだ水色のランドセルを見て、私にはやっぱりこれしかないと確信した。

 その場で両親に水色がいい、と伝えた。両親は困ったような顔していて、その日買うのは保留となった。その晩、家族会議が行われた。両親は赤色にした方がいいんじゃないかと言っていた。誰も水色なんて背負ってないし、ランドセルの色が原因でいじめられるかもしれない。

 親の説得は私にとって納得のいくものではなかった。みんな赤色だからそれに合わせろというのは理屈が通っていない。店には赤以外の色があるのに選べないなんておかしい。それになんとなくランドセル独特の赤色が好きじゃなかった。嫌いなものを六年間使い続けるのは無理だった。

 それに、いじめられるかもしれないというのもよく分からなかった。まだ起こっていないことを、どうして心配しないといけないのだろう。それにランドセルの色ごときで、いじめてくる人間なんてこっちから願い下げだと思っていたくらいだ。

 父は早々に折れたが、母は心配が尽きなかった。みんなと一緒じゃないといじめられるかもしれない。長く続いた攻防の末、私は水色のランドセルを勝ち取った。

 私は水色のランドセルが大好きだった。6年間それで学校に通ったことを誇りに思っている。水色のランドセルは私だけだったが、そんなのちっとも気にならなかった。いじめられることもなかった。
 
 大人になった今、街ではいろんな色のランドセルを背負った子どもを見かける。
 水色、ピンク、ラベンダー、ブラウン。どの子も似合っていて素敵だなと思う。二十年前、私だけのお気に入りはみんなの普通になっていた。だけど、それがすごく嬉しい。

7/17/2023, 2:52:30 PM

遠い日の記憶

 ベッドに腰掛け、生まれたばかりの妹を抱く母。
そんな母を囲む父と祖父母と、当時2歳の私。

 祖父母がぬいぐるみを二つ持ってきて、私にどっちがいいか尋ねた。私は両方と答えた。今までの私にどちらか一つを選ぶという選択肢はなかった。だって与えられるものは全てもらえると思っていたから。一つは妹にあげるのよ、と周りが困ったように、だけど微笑ましく笑っていた。

 この話は、両親に一番古い記憶はどれか聞かれたときに答えた話だ。
本当に古い記憶は別にある。

 それは妹が生まれる前のある日の夜。泊まりにきていた祖母に、寂しいと泣きついていた記憶だ。妹が生まれるにあたって母は入院した。父は仕事が忙しく、二歳児が起きている時間にはまず帰って来ないよう人だった。
 パパもママもいない理由がよく分かっておらず、いつ会えるのかも分からない。果てのない寂しさで泣くことしかできなかった。祖母は「大丈夫よ」とあやしてくれたけど、私は大丈夫じゃなかった。

 これが私のなかにある一番古い記憶だ。だけど親に話したことはない。妹が生まれたとき母が大変だったことも知っているし、父が一生懸命働いたから今の自分があることも知っている。だから言わないし、言う必要はないと思っている。
 
 当時の記憶はぼんやりとしか残っていないけど、寂しかったのだけは鮮明に覚えている。だけど忘れたいとも思わない。あの頃の寂しい気持ちも含めて今の自分がある。

 2歳の自分へ。
今は寂しいかもしれないけど、妹ができて楽しいことが沢山待ってるよ。それにあなたのことは忘れずに、今も自分の中にいる。だから寂しくないよ。

7/13/2023, 2:10:29 PM

優越感、劣等感

 わたしはドロドロした人間だと思う。そして乱高下が激しい。
 文章を書いていると特にそう感じる。文章を書くことは大好きだ、そして人に読んでもらうことも。ありがたいことに感想を頂いたり、いいねをもらうこともある。飛び上がりそうなほど嬉しい気持ちになる。

 だけど、いいことばかりじゃない。文章を載せる媒体によっては読者の数やいいねの数が数字として現れる。むしろそっちの方が多い。同じテーマで書いても、他の人の方が高く評価をされているとすごく悔しい。絶対私の方が面白いのになにが足りないのだろう、書く価値がないのだろうか、と思ってしまう。
 もちろん逆のことも起こる。自分が一番良い評価をもらえた。普通に評価をもらうより嬉しいし、沢山の人に評価されることは自信につながる。勝った気分になる。

 文章は、もともと数値で評価されないものだと思っている。確かに読者やいいねといったものはあるけれど、全ての読者が良い作品だと感じたわけではないし、いいねも後から読み返すためかもしれない。

 初めて文章を書いたとき、記念のつもりでSNSに載せた。何件かのRTやいいね、それに感想をもらえた。そんなことは初めてだったから嬉しかった。そこからのめり込むように文章を書いた。評価をされたら嬉しいし、いまいちなときは落ち込んだ。優越感と劣等感の間で反復横跳びをしている感覚だった、しかも超高速の。そしていつのまにかつかれていた。
 
少し前まで文章を書くことから離れていて、最近また書き始めた。私と文章を取り巻く数字の環境はとくに変わっていない。だけど距離感は掴めた。評価にのめり込まず、好きなものを書く。自戒としてここに残そうと思う。

7/12/2023, 1:12:22 PM

これまでずっと

 子どものころから優しいね、と言われることが多かった。自分がなにをして、そう言ってもらえたのか忘れたが、友人、年上の人、上司、元恋人、その他いろんな人たちから言われた。

 優しいのはいいことだから、私はそんな自分が好きだなと思えた。できる限り多くの人に優しくしようと思った。笑顔で人に接し、なるべく要望に応え、喜んでもらう。
 だけど、最近は疲れたなと思う。人に優しいねと言われるたび、心の中でいや普通でしょと思う嫌な自分が顔を出し、本当は優しくなんてないのになと思った。それに無理してやった行いも、自分でこれくらいしなよと思ってしまう。

 相手にも自分にもがっかりする一連の流れに、一体どこに優しさがあるのだろう。

 そんな自分が嫌で、考えた対処法は一個だけ。感情もなにも発生しない行いを他者にしようと思った。感謝されたり、優しいねと言われたらラッキーだし、何もなければそれでおしまい。

 そう過ごすようになってから、だいぶ楽になった。

「優しいね」とこれまでずっと呪いを
かけられていた自分へ
嫌いじゃなかったけど、さようなら。

7/11/2023, 3:39:46 PM

1件のLINE

いつものようにベッドに寝そべりスマホをだらだら眺めていたときだった。
『明日の夜、ヒマ?』
そのメッセージで体を飛び起こした。最低限の用件だけで絵文字の一つもない。
だけど、いつだって私を簡単に舞い上がらせる。
なんの用事だろう。友人からのLINEだったら用件を聞くのは参加を決めるかの判断材料にするだけだが、彼からのLINEは違う。彼の誘いに対して断るという選択肢はない。
「ヒマだよ!」
と勢いのまま返したくなるが、ぐっと踏みとどまる。そんな軽率マネはしない。私は彼とただ遊びたいだけじゃない。好きな彼に好きになってもらい、恋人になりたい。できればその先も。
「一応空いてるけど、なに?」
考え抜いた結果、シンプルが一番だと判断した。送ったばかりなのに、まだ返信来ないのか、既読はついたかばかり気になってしまう。文面も読み返してみると少しそっけない気がする。部屋の中でそわそわ動き回っていると、ピロンと軽快な通知音が鳴った。
ベッドに放っていたスマホに飛びついた。
『花火しようよ、二人で!』
ぐっとガッツポーズをした。溢れ出る喜びでぴょんぴょんと部屋の中で飛び跳ねると、一階から静かにしてよ、とお母さんの声がする。
今はそんな場合じゃない。ついに二人で遊ぶ日が来たのだ。明日はなにを着ていこう。せっかくだから最近買ったリップもして行こうかな。
 明日は人生の最高の日になる。

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