カランカランと、寒空に鳴り響くベルの音。
先頭の嬉しそうな人を見て驚きと諦めに包まれる待機列。中には項垂れながら列から外れる人もいる。
前に並んでいた友人が5枚のチケットを持ちながらくるりと、残念そうな顔をして振り返った。
「1等の旅行券、もう当たっちゃったらしいわ」
屋外市場のクリスマスマーケットでは年末のセールも兼ねた抽選会が行われていた。ちょうどクリスマスから年末に行う色々なパーティーの準備のために、こうして友人と3人で買い出しに来ていたところだ。
抽選会の景品は豪華旅行券からスポンジ詰め合わせセットまで幅広く取り揃えられている。しかしその景品のほとんどは、どこかの店の在庫処理のようにも受け取れる、当たり外れが大きい印象だった。
だから参加はやめようと強く言ったのに、休みがなかなか取れない多忙な仕事柄、旅行券の魅力に勝てなかった2人が食べ物やお菓子や、1年にたった2日しか使わないのにクリスマスの飾り物を買い、抽選会に5回ほど参加出来るくらいのチケットを集めていた。それはそれはうきうきと心を踊らせながら並んだ。
それがこの有様だ。
「雑貨はともかくこの無駄に買った食料はどうするんだ。2日で食べ切れるのか?」
「君んとこの冷蔵庫、なんにも入ってなくてガラガラだからそこに入れればいいじゃん。今年のクリスマスパーティーと年末年始はそっちに集合しよう」
「賛成。良い案ね」
「また勝手に……」
列に並びながらぼそぼそと話す。もうみんな意気消沈してしまって口喧嘩をする気力も湧かない。ワクワクしていた抽選会も、せめて使える物を引いて帰ろうと思っていた。
途中で離脱した人がいたのか、前に多く並んでいた割には早く順番が来た。自分はもうあまり興味も無いから、チケットの命運を2人に託し、代わりに荷物を受け取って先に列の出口の方で待つことにした。
果たして結果は。
「参加賞のポケットティッシュが2つ、6等の食器用スポンジ5個入りセットが2つ、そしてこれが5等の……何だ? 石鹸?」
「裏にシールが貼られてあるわ。ちょっと待ってね。……入浴剤だって。柑橘の……ゆずの香り、って書かれてるわ」
結果は惨敗。それなりの金をかけて集めたチケットは、そこらでも買える安い消耗品になった。
この中で1番ランクが高い入浴剤は店員曰く効能が良く質が良いためまだ当たりの方らしいが、それでも大幅に損をしていることは明らかだった。
「5枚中5枚ともハズレかあ。こんなことになるならやらなきゃ良かったね」
「だから最初に無理に集めるのはやめろと言ったんだ。今度からは付き合ってやらないからな」
「ねえねえ、この入浴剤、あたしが貰ってもいい?」
「僕が引いたんだから僕のものだよ!」
「あたしは女の子なんだから譲るべきよ!」
元気を取り戻したのか、いつも通り始まった些細な喧嘩を尻目にさっさと帰路へ着く。思考の優先順位はこの大量の荷物を狭い部屋の何処に仕舞うべきかへ移っていた。
お題:ゆずの香り
滅多に自分を見せない人がいる。
いつもニコニコしていて人当たりが良いけれど、でもそれ相応にひどい欠点がある。傍から見ればとても人間らしい人なんだ。
その人はドーナツが好きらしい。
とは言っても、その会話をしていたのが街の喫茶店で、ちょうどその人の手元にあるメニュー表に描かれていた小さなイラストがドーナツだったからで、本当にその人がドーナツが好きなのかは分からない。
だけど、「好きな食べ物とかある?」の問いに「ドーナツかな」と答えた。だから多分、好きなんだと思った。
ある日、外回りの土産にドーナツを買って戻った。甘いし、ほどよく腹も膨れるからちょうど良いかなと思って。自分も含め居残りの4人が2つずつ食べられるようにと思って、期間限定から定番の味まで選んで箱に入れてもらった。
甘いものが好きな同僚2人が先に選んで、残りが自分とその人だけになった。穴が空いていてシンプルな定番の味が残っていたけれど、悩んでいるみたいだったから「以前あなたがドーナツが好きだと言っていたから」と言うと、案の定「そうでもないかな」の答えが返ってきた。
分かってた。この人はこういう人だから。ため息と一緒に愛想笑いをしようとした。
「だけど君が選んだものは好きだよ」
そう言って、箱の中から半分だけチョコがかかった硬い生地のドーナツを取り出した。それを片目にかざして、穴からこちらを覗き込んで、そして笑った。
「間抜けな顔してるね」
そのドーナツを半分に割って、綺麗にチョコが掛かっていない方を差し出してきた。
「親愛のしるしだよ」
「これ、チョコが掛かってないけど」
「ドーナツよりもチョコレートの方が好きなんだよね」
なんだそれ、と呆れて脱力してしまって、チョコが掛かっていない半分のドーナツを受け取った。もうどれが本当でどれが嘘なのか分からない。
残りのドーナツはそれぞれ半分に割って2人で分けて食べた。片側しかトッピングがないものは、勿論その人がトッピングがある方を食べた。
その人はいつもよりご機嫌で、楽しそうにしていたのを覚えている。
後から聞くと、どうもドーナツは本当に好きじゃないらしく、悪い事をしたなと思った。だけど、それなら最初に「ドーナツが好き」と答える相手もかなり悪いだろ? そんなことを言ったらこう返ってきた。
「これから好きになると思うよ。穴を壊してくれる人がいるから」
あの人はいつも意味が分からないことを言って真意をはぐらかす。それは、やっぱりこちらが信頼されていないだけなんだろうけど……
まあ、難解で取っ付き難いのはいつも通りだし。せめてこんなふうに回りくどい言い方をされないような関係にはなりたいかな。それがきっと友人のあるべき姿だろうし。
お題:寂しさ
そろそろ冬支度を始める日。私は物置から少し小さめの箱を1つ取り出した。両手で持てる程の大きさしかないそれは特に何かロゴや柄がある訳でもなく、とてもシンプルな茶色の箱だった。
私はそれを宝箱にしていた。蓋を開けると、散らかったようにも見えるまとまりのないあれやこれやが無造作に入れられている。整頓しようにも『大好きなものがたくさん入っている』この光景が愛しくてなかなか掃除することが出来ない。
例えばおはじき。ガラスでできた色とりどりの平たい玉が5つくらい、散らばって入っている。
例えば人形の服。何度見てもどうして服だけ入っているのかしら? と思うけれど、かつての私はこれにひどく心動かされたらしい。
例えば可愛らしいボールペン。もう壊れてインクは出ないけれど、青とピンクの模様がとてもお気に入りだった。
その中から1つ、真ん中に入っていた球体を取り出す。平べったい台座と丸いガラス、中には小さな小屋の置物と赤い服を着た人形。
そう、サンタクロースのスノードーム。私はこれが宝物の中でもいっとうお気に入りで、冬が来ると宝箱から取り出して眺める。毎年の冬の恒例行事だ。上下をひっくり返してから戻すと、小さな雪がひらひらと降る。この手のひらの中の冬が可愛らしい。
表面を布で綺麗に拭いてから本棚の一角に飾る。しばらく眺めて、またひっくり返して、元の位置に戻す。雪がぱらぱら降ってくる。
ここは温暖な気候で、雪は滅多に降らないし積もらない。だけど冬の夜はひどく寒くて、それでも雪が降らない土地が恨めしかった。雪が降る土地への憧れもあった。
だからこのスノードームはお気に入り。ここで唯一雪が降る場所。私の手のひらの中で、小屋には今日も雪が降る。
「他にもたくさん入ってるのよ。私の宝箱、見せてあげようか?」
「同じ話を毎年聞いてるから今年はいいよ……」
「何回話しても足りないわ! それなら今年も付き合ってもらおうかしら」
「ええっと、用事を思い出したから、僕は今日この辺で失礼するよ……また今度、お菓子を持って来るからその時に聞かせてね」
とりとめもなく話せる、私の宝箱。
お題:冬は一緒に とりとめもない話(昨日分)
友人らしき人物は白いマスクと黒いサングラス、何故か室内でヘルメットを被ってバスタオルを肩にぐるぐる巻いていた。
そっ……とドアを開けて恐る恐る部屋に入ってきた姿はまるで不審者だった。
格好と挙動に思わず笑ってしまい、つられてさっき止まったばかりの咳がまた出てきた。ゲホゲホと咳き込むと、心配そうに慌てる姿がおかしくてまた笑いと咳が込み上げてくる。
落ち着いた頃に息を整えながらそいつの方を見ると、サングラスとマスクで顔が隠れていても分かるほど心配そうな顔をしていた。大丈夫だ、と親指と人差し指でまるを作ると、持っていた小さいホワイトボードにペンで文字を書き始めた。
『ご飯たべれる? 食べられそうなものある?』
手には軍手を着けているため、書きにくかったのかふにゃふにゃの字だった。ホワイトボードをそっと渡してきたから返事を書く。
『なんでもいい』
『なんでもいいが1番困るよ!』
『喉に良さそうなものがいい。喉が痛い』
『分かった。ちょっと待っててね』
グッと親指を立てて足早に部屋から出ていった。
出ていく途中でドアにヘルメットをぶつけていたところは笑うとまた咳が出そうになったから必死に見ないふりをした。
伝染らないようにぎこちなく感染対策しつつも看病してくれる優しさが有難い。なにせ今は兄弟たちとは離れて暮らしているため、身近で頼れる人があいつしかいない。
この前、どうしても抜けられない会議の前に痛めていた喉は普通に風邪だったらしい。同じ部屋で過ごしたあいつはいつも通り元気そうなのが良かった。
体調管理には気を付けていたつもりだが、不健康な生活には残念ながら自覚がある。あの厳しい医者の手にかかればこっぴどく怒られるのは間違いない。でも仕方ないんだ、仕事が本当に忙しく終わらなくて。
などといった言い訳を並べても喉の痛みは治らない。考えるのをやめようと、自然に落ちてくる瞼に身を任せた。
気配を感じて目を開けると、黒いサングラスに反射した自分の情けない顔が見えた。いつの間にか友人が帰ってきていたらしい。
こちらを覗き込んでいた彼は顔を上げるとまたホワイトボードへ書き始めた。
『さっきおでこを触ってみたけど熱も少しありそうだね』
通りで至近距離まで近付かれても起きなかったのか。頭の動きがずいぶんと鈍いらしい。
『とりあえずゼリーとプリン買ってきたよ。薬も貰ってきたから、食べ終わった後にそこの水で飲んでね』
サイドテーブルには桃味の果肉が入ったゼリーが置かれていた。好きな味だ。ボトルに入った水と白い紙袋――恐らく薬だろう――も見えた。
『昼休憩終わりそうだからそろそろ戻るね。何かあったらすぐに連絡して』
わかった、と小さく頷くと、親指を立てるハンドサインを掲げながら彼は足早に寝室から出ていった。
時刻は普段の休憩終わり5分前を指していた。今ここにいて果たして間に合うのだろうか。この寮から執務室にはかなりの距離があるはずだが……
身体を起こしてヘッドボードにもたれる。さっきよりも悪化しているのかひどく怠さを感じた。とにかく何か食べないといけないから、傍に置かれたゼリーに手を伸ばした。
お題:風邪 『愛を注いで』の続き
「兄ちゃん、雪が降ってきたね」
「そうだね」
廃墟で暮らしていた僕たちが、雪が降ることを恐れていた僕たちが、こうして降る雪を家の中から見る時が来るなんて夢のようだった。僕たちを拾ってくれた恩人様には感謝しないといけない。
弟は窓ガラスに鼻がくっつくほど熱心に外を眺めている。雪に触ってみたいと前から言っていたけれど今年は出来るだろう。
……この子は理解しているのだろうか。雪が降ってきたということは、あのスラム街にも冬がやってきたことを。頼りないシートを使って寒さに耐える人がいることも。
僕たちはたまたま運が良かっただけで、この雪で苦しむ人がいることも、知っているのだろうか。
「また、お兄ちゃんは何か小難しいことを考えているね?」
後ろから両肩に手をぽん、と置かれた。思わず振り返ると、僕たちを拾った恩人様がニコニコ笑って立っていた。背の高い人が怖いのか弟はまだこの人のことに慣れないようで、窓から離れて僕の袖をぎゅっと握って背中に隠れた。
「雪が降っているんだね。今日は冷えそうだ」
「はい。たくさん、降っています」
「へえ! それは良いね。僕は雪が積もった景色が大好きだよ。出張で別の国に行った時に見たんだ。辺り一面が真っ白になって、いつも見ている景色が見えなくなった。本当に面白い経験だったよ」
話しながら、恩人様も窓に近付いて外を見た。雪はまだ降っていて、真っ暗な空から落ちる白い塊がよく見えた。
「でもここは比較的温暖だから、あれくらい積もることはほとんど無いんだよね。せいぜい靴底が埋まる程度だよ。いつか君たちにも、本物の雪景色を見せてあげたいな」
弟は早々に寝てしまった。あたたかい毛布と柔らかいベッドの中で安心した顔で眠っている。
考えることや思うところはあるけれど、弟が雪を楽しみにしているなら僕はそれで満足だ。いつか、こうやって溶けて水になる雪じゃなくて、今日聞いたような積もった雪も見せてあげたい。
雪はまだ降っていた。僕も眠ろうとして、隣にいる弟を抱きしめた。
お題:雪を待つ