「お姉さま、わたし、お姉さまと一緒なら、新しい世界を作ることも、この世界を壊すことも、なんだって出来る気がするの」
可哀想な妹の説得は、すっかり心を閉ざした姉の耳には届かなかった。大雨は音をかき消して、姉妹が交わす感情を無常にも断ち切る。
「お姉さま、わたしと一緒に生きましょう。この世界はお姉さまに相応しくないわ。わたしたちが作る世界には必ずわたしたちの居場所があるから、だから、お姉さま」
言い終わる前に、目の前を稲妻が走った。強大な雷は大地を裂き、姉妹の間に大きな谷を作り出す。地震でも起こったかのような地響きに、妹はたまらず杖を取り出し身体を支えた。
この世界で魔法を使う者なら、その雷は自然現象ではなく魔力によって生み出されたものだとすぐに見分けられる。自然を操れる高位の魔法を扱えるものは数少なく、その眼前の脅威は『史上最強の魔法使い』と謳われる姉によって操作されたものだと一目で分かった。
力を目の当たりにして、後ろに控えていた軍勢は怯え、パニックになりながら後退してしまった。所詮は下級の魔法使い、寄せ集めでは自然災害を体現したような姉に勝てるわけがない。
残されたのは姉と妹――そして、姉が拾ったみすぼらしい孤児の少女だけ。
少女は姉が羽織る黒いローブに縋り、姉はその少女の背中を支え、庇うようにして立っている。二人が寄り添うその様子に反吐が出る。そこはわたしの特等席だったのに、まるで敵を見るかのように蔑んだ目でこちらを見ている。どうして、どうしてお姉さま。
「お姉さま、わたしたち、唯一の家族でしょう。わたしたちには同じ血が通っているのよ」
「君は道を違えてしまったから、もう一緒にはいられない。私には君を殺す理由が出来てしまった」
「お姉さま――」
大雨と、突風。風に煽られ立っていることもやっとなのに、谷の向こう側では杖も出さずに平然とした顔でこちらを睨み付ける姉がいた。
それでも手を伸ばして、姉に近づこうとしたけれど、伸ばした手は風に遮られ、別のものに触れた。
「我らが姫、ここは早く撤退致しましょう。今の私達が争う意味はありません」
「あぁ、でも、お姉さまが、」
「あちらの魔力に引き寄せられた雨雲の下で戦っても勝ち目なんかありません。我らは永い命を持つ魔法使い、きっとまたどこかで会えますよ」
風と共に現れた男は妹に仕える仲間の一人。その細い手首を取り、そのままふわりと宙に浮いた。引き上げながら上昇して、姉と妹の距離はどんどんと離れていく。目を離さないようにと必死に見つめていたが、ついぞ目が合うことは無かった。黒く大きな帽子と、風に靡かれる暗い赤髪。大好きだった姉の姿を目に焼き付けて、思わず涙が零れた。
「お姉さま、わたし、いつか必ずこの世界からお姉さまを救ってみせますわ。そうしてみんなが居なくなったあと、わたしたち二人だけの世界で、幸せになりましょうね」
雨雲を抜けて、快晴の下へ飛び出した。大雨はさっきまでいたあの一帯だけに降っていたらしい。
遠くに虹が見える。妹の目には、あれは祝福の門であり、幸せへと続く道のように映った。
お題:二人だけの。
寝静まった世界でただ1つ、動いている生命がいた。それは世界の半分を見渡せると言われる高い塔に住んでいる魔法使い。この魔法使いは孤独を酷く嫌うため、自分が異質な存在であることを隠し、時々外へ降りては仕事をして、親しい人間達をからかいながら毎日を過ごしていた。
魔法使いは眠らない。自分を守るために世界の全てを警戒していたら、いつの間にか眠り方を忘れた。だからこうして、人々が眠りにつく時は一人ぼっちになる。
外へ出た魔法使いは人気(ひとけ)のない市場を歩いていた。目に映った適当な露店の、店先に掛けられている布をめくって、売られているお菓子を1つ拝借した。1つくらいならバレないだろう。
少しずつ、大切にお菓子を齧りながら、石畳の道をゆっくりと歩く。ここはよく歩く道だ。買い物、視察、暇潰し……親しい人といつも歩く道。今は1人だけど。
誰もおらず、何も売られていない露店を流し見ながら歩き、貰ったお菓子を食べ終わった頃に目的地へ着いた。
国で1番大きい建物。王様が住む宮殿だ。絢爛豪華と言うには質素だが、シンプルながらに洗練されたデザインが美しい。この魔法使いは魔法使いの中でも特に感受性が欠落しているため、何を思うことも無いが。
入るには承認が必要だが、受付もとうに閉まっているため無視して入る。不具合が起きても知らない。魔法で誤魔化せば良い。
大理石の広い廊下を靴の音を響かせながら歩く。今日は気温が低いため、通路も冷たい。肩に掛けていた白い上着に袖を通した。
エレベーターに乗り込んで4階。このフロアは魔法使いの一応の職場だ。出席率はあまり良くないけれど、時々顔を出しては親しい人とお喋りして帰る。今日もその予定だった。数時間早く着いたけれど。
掛けられている鍵を適当に弄って執務室に入る。散らかされた本と整理されていない本棚、丁寧に世話されている観葉植物たち。お世辞にも綺麗とは言えないが、持ち主の性格や趣味をよく反映している部屋だ。
部屋の中央、窓際に置かれたデスクの上は細々とした物の他に承認待ちの書類が積まれていた。多忙故に仕事を溜め込んでしまうらしい。
椅子へ腰掛けて、書類の山を崩さない程度に隅へ退ける。空いたスペースに腕を枕にするようにして突っ伏した。後ろの窓から降り注ぐ外の光が暖かくて心地よい。
魔法使いは眠らない。眠らないけれど眠るフリをする。人間のフリをする。食べ物を食べるフリをする。
そうすれば穏やかな夢が見られるからだ。夢という名前の幻覚。閉じた目の裏に浮かぶ空想の世界では、魔法使いはいつも人と一緒に笑っていた。
「……さん! ⬛︎⬛︎⬛︎さん! ちょっと! 起きて!」
「ん……ああ、ようやく来たのか。待ちくたびれてしまったよ」
「他人の部屋に勝手に入ってデスクで寝てるってどういうことだよ! というかいつ入ったんですか! ほら早く退いた退いた」
「はいはい。よっこいしょ…… ああよく寝た」
「不法侵入はちゃんと怒られるってのに懲りないな…… ⬛︎⬛︎⬛︎さん、今日まだ始まったばかりで何も食べてないですよね? そこの冷蔵庫の中に飲み物とドーナツが入ってるから適当に食べていいですよ。ついでに俺のも用意してください」
「おや! ちょうどお腹が空いていたんだ。君は気が利くね。またたくさん半分こしよう」
「いいですよ。……でもたまにはトッピングが乗ってる方も食べたいかなーなんて思ったりして、ああごめん睨まないで」
お題:夢を見てたい
終了のチャイムと空白の進路希望調査表。落描きが消された跡があるそれを折りたたんでファイルに入れる。提出期限はまだ遠いから大丈夫だ。
毎日を適当に生きてきたから将来なんて分からない。ただ好きなことをして、それを続けていくことができるならなんでもいい。
ホームルームの話も聞き流し、放課後に浮き足立つクラスメイトたちをよそにのろのろと帰り支度をしていると、いつもの2人が話しながら寄ってきた。
「将来の夢なんて無いわよ。強いて言うなら、お父様を超える経営者になることかしら」
「有明さんはれっきとしたお嬢様だもんね。将来が約束されてて羨ましいや」
もう進路の話は懲り懲りだ。無表情にしていたつもりが不機嫌が伝わってしまったらしく、そいつは肩を竦めた。
「僕らは大人になっても一緒に遊ぶんだよね。20歳になったらお酒とか持ち込んで、どっちかの家に集まってゲームするんだよ」
目を合わせて、笑いながら肩を組まれる。いつもは鉄仮面のような顔の有明さんも、呆れた顔で微笑んでいた。
「早く部室行こうよ。対戦やろう」
「負けたらジュースの奢りね。ほら、碓氷くんも早く用意して。置いていくわよ」
ずれた眼鏡と掻き混ぜられた髪の毛を直して、引き出しの中のものを急いで鞄に突っ込む。早く行かないとこの後が面倒だ。
大人になっても、このバカみたいに騒がしいこの時がずっと続けば良いのに。自分の将来の夢は、今のこの時間が終わらないことだ。
お題:20歳
「あ、三日月だ」
「バカ、朝に三日月がある訳無いだろ」
「え、でもほら見てみなよ」
そう言ってそいつが指さした先には、確かに細い月があった。もう昇っている朝日に照らされて、薄く輪郭を浮かばせている。
「三日月は夕暮れに見えるものだ。だからあれは二十六日とかの月。月の満ち欠けって知ってるか?」
「あえ?」
わざとらしくとぼけた声をする奴に右肘を喰らわせる。お前はそれでも天文部か。
「いたた……君ってば酷いなあ!」
制服の上にコートを着込んでいるから別に痛くもないくせに。朝から通学路でこいつと漫才をやる気力なんてこっちには無いんだよ。
さっさと置いていくと小走りで追いついてきて、また隣に並んだ。
「お前は古典が好きだろ。『有明の月』って言えば分かるか?」
「ああ! 分かるよ、あれがそれなんだ」
そいつはそれきり黙った。横目でちらりと見ると、マフラーで口元が隠れていて表情はよく見えなかったが、目線は西の空へ向いていた。
「……今この時代にも、恋人を待って有明の月を見る人っていると思う?」
学校から1番近い交差点に差し掛かったところでそいつはまた口を開いた。突発的に話題が止まり、戻ることなんていつもの事。
「コミュニケーションを取るならメッセージを送るだろう。チャットアプリなんて今どき山ほどあるんだし」
「そのメッセージを待って夜更かしするんだよ」
「自分から送れば良いじゃないか。分からないな、悪いけど恋愛情緒には理解が無いんだ」
「君はロマンが無いね」
「お前が夢見がちなだけだ」
「あら、私の話かと思ったらいつもの喧嘩だったのね」
ほとんど同時に後ろを振り返ると、同じく天文部所属のクラスメイトがいた。ふだんの気品を感じさせない大きな欠伸をしてから「おはよう」と眠そうに挨拶をした。
「おはよう有明さん。有明さんの苗字にまつわる話だったよ」
「それは気になるわ。是非教えてちょうだい」
「大した話じゃないから別にいいよ……」
お題:三日月
「順調か」
先生の声に、ぼくはノートから目を離して顔を上げた。宮殿直属の王立図書館、学習席に座る自分の隣に先生は立っていた。腕を組んで、いつもは身に付けていない斜め掛けの鞄を提げていた。
この広い空間に自分以外の人はいなかったのに、先生の気配に気がつかないほど自分が集中していたことに気付いた。
「はい。今日も大丈夫です」
そう言って使っていた学習ノートを渡す。先生は数ページをパラパラと捲って満足そうに頷いた。
「君は要点をまとめるのがとても上手い。君がもう少し字が書けるようになったら、議事録の作成は君に任せたいな」
「それは恐れ多いです。ぼくはまだ文字を読むのも書くことも下手だから、色で誤魔化してるだけで」
蛍光マーカーや多色のボールペン。どうもぼくは勉強が苦手で、こうやって少しずつ整理しないと文字が頭に入ってこない。恐らく先生はぼく独自の色分けの意味を理解出来ていないだろう。
「自分を卑下することは良くない。何事も努力と、自分に自信を持つことが大切だ」
頑張って、とノートを返される。次に、先生はぼくが使っている参考書に目を向けると、また笑みを浮かべた。
「君はこうやって自分が理解しやすいように工夫しているだろう。その行動が素晴らしいよ。努力の過程は、こうして目に見えた方が良い」
マーカーと書き込みで彩られた参考書を指す。白いグローブを付けていても分かるほど先生の指は綺麗だ。参考書の文字をなぞる指は、そのまますうっと机を滑り縁で止まる。
「ところで本題だが、君は甘い物が好きか?」
「甘い物、ですか」
あまり食べたことがない。宮殿勤務になってからは大人たちにお菓子を分けてもらうこともあるが、ここに来る前は、嗜好品を買うほど生活に余裕が無かった。だからあまりピンと来ない。非常食のチョコレートはたまに食べていた。
それを正直に伝えると、先生は一瞬だけ目を伏せた。
「そうか。それなら逆にちょうど良いかもしれないな」
先生は鞄から何かを取り出してぼくへ渡した。それはぼくの手には少し大きい袋だった。
「とても不器用な女友達がいるんだ。そいつがお菓子作りに夢中になっていて、毎日何かしらを作っている。今回はマカロン、というお菓子らしい」
色がついた丸い形――と言うには少し形が歪だけど――のお菓子が3つ、花柄の透明な袋へ入っている。口には赤色よリボンが結ばれていた。とても可愛らしい。
「見境なく大量に作るから食べきれなくて配っているんだ。形は少し……だけど味はとても美味しいから大丈夫だ。休憩の時にでも食べてくれ」
先生は鞄の口を大きく開けてぼくへ見せた。中には色とりどりのお菓子が入った袋が一杯に詰め込まれている。あまり減っていなさそうだった。
「休暇をこの時期に取っている奴もいて、今の宮殿はいつもより人が少ないんだ。早く配り切らないとまたこれが今日の飯になる」
「また?」
「昨日から既に4回の飯がこれになった」
それを想像してぼくは血の気が引いたし、先生は青い顔をしていた。食事は労働者にとって何よりも大切で楽しみなものなのに……
「あの、もう1つ貰います」
「同情を誘うようになって申し訳ない。だが本当に助かる」
先生は鞄からまた1つ、お菓子が入った取り出して置くと、図書館のアンティークな壁掛け時計を確認した。残り時間のことを考えると長居も良くないだろう。
「勉強、その調子で頑張ってくれ。知識はきっと君の身を助けるものになるから」
ぼくの頭をぽんぽんと撫でて、先生は立ち去った。絨毯の床でも先生の特徴的なブーツの足音は分かりやすい。
図書館の中は飲食禁止だ。あともう少し頑張ってから、お菓子休憩を取る事にしよう。
椅子に座る姿勢を正してから、利き手とは反対の手に数本の蛍光マーカーを持った。
お題:色とりどり