「順調か」
先生の声に、ぼくはノートから目を離して顔を上げた。宮殿直属の王立図書館、学習席に座る自分の隣に先生は立っていた。腕を組んで、いつもは身に付けていない斜め掛けの鞄を提げていた。
この広い空間に自分以外の人はいなかったのに、先生の気配に気がつかないほど自分が集中していたことに気付いた。
「はい。今日も大丈夫です」
そう言って使っていた学習ノートを渡す。先生は数ページをパラパラと捲って満足そうに頷いた。
「君は要点をまとめるのがとても上手い。君がもう少し字が書けるようになったら、議事録の作成は君に任せたいな」
「それは恐れ多いです。ぼくはまだ文字を読むのも書くことも下手だから、色で誤魔化してるだけで」
蛍光マーカーや多色のボールペン。どうもぼくは勉強が苦手で、こうやって少しずつ整理しないと文字が頭に入ってこない。恐らく先生はぼく独自の色分けの意味を理解出来ていないだろう。
「自分を卑下することは良くない。何事も努力と、自分に自信を持つことが大切だ」
頑張って、とノートを返される。次に、先生はぼくが使っている参考書に目を向けると、また笑みを浮かべた。
「君はこうやって自分が理解しやすいように工夫しているだろう。その行動が素晴らしいよ。努力の過程は、こうして目に見えた方が良い」
マーカーと書き込みで彩られた参考書を指す。白いグローブを付けていても分かるほど先生の指は綺麗だ。参考書の文字をなぞる指は、そのまますうっと机を滑り縁で止まる。
「ところで本題だが、君は甘い物が好きか?」
「甘い物、ですか」
あまり食べたことがない。宮殿勤務になってからは大人たちにお菓子を分けてもらうこともあるが、ここに来る前は、嗜好品を買うほど生活に余裕が無かった。だからあまりピンと来ない。非常食のチョコレートはたまに食べていた。
それを正直に伝えると、先生は一瞬だけ目を伏せた。
「そうか。それなら逆にちょうど良いかもしれないな」
先生は鞄から何かを取り出してぼくへ渡した。それはぼくの手には少し大きい袋だった。
「とても不器用な女友達がいるんだ。そいつがお菓子作りに夢中になっていて、毎日何かしらを作っている。今回はマカロン、というお菓子らしい」
色がついた丸い形――と言うには少し形が歪だけど――のお菓子が3つ、花柄の透明な袋へ入っている。口には赤色よリボンが結ばれていた。とても可愛らしい。
「見境なく大量に作るから食べきれなくて配っているんだ。形は少し……だけど味はとても美味しいから大丈夫だ。休憩の時にでも食べてくれ」
先生は鞄の口を大きく開けてぼくへ見せた。中には色とりどりのお菓子が入った袋が一杯に詰め込まれている。あまり減っていなさそうだった。
「休暇をこの時期に取っている奴もいて、今の宮殿はいつもより人が少ないんだ。早く配り切らないとまたこれが今日の飯になる」
「また?」
「昨日から既に4回の飯がこれになった」
それを想像してぼくは血の気が引いたし、先生は青い顔をしていた。食事は労働者にとって何よりも大切で楽しみなものなのに……
「あの、もう1つ貰います」
「同情を誘うようになって申し訳ない。だが本当に助かる」
先生は鞄からまた1つ、お菓子が入った取り出して置くと、図書館のアンティークな壁掛け時計を確認した。残り時間のことを考えると長居も良くないだろう。
「勉強、その調子で頑張ってくれ。知識はきっと君の身を助けるものになるから」
ぼくの頭をぽんぽんと撫でて、先生は立ち去った。絨毯の床でも先生の特徴的なブーツの足音は分かりやすい。
図書館の中は飲食禁止だ。あともう少し頑張ってから、お菓子休憩を取る事にしよう。
椅子に座る姿勢を正してから、利き手とは反対の手に数本の蛍光マーカーを持った。
お題:色とりどり
1/9/2024, 7:22:10 AM