『I LOVE...』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「I LOVE…」
私の好きな人はすごくニコニコしてる
でも、ふとした時に見せる素の顔から
目が離せない時がある
消えちゃいそうな、儚い瞬間
消えないように抱きしめたくなる
あなたにその顔をさせる闇はなに?
はんぶんこしよ?私も持つから
あなただって一人じゃないんだよ
だからお願い。ずっと笑ってて
それだけで私嬉しいから。大好きだから
私には推しがいる。
他人と繋がることが難しい私にとって、推しの存在はインターネットにおけるペルソナを形作る重要なパーツだ。毎日推しへの愛を語り続けて数年が経ち、インターネット上の私は推し狂人としてのアイデンティティを確立している。
最早、それ以外で自分を形成する手段がない。「推し活」を除いた私自身の要素で勝負する自信はとうに失われてしまった。コンテンツにはいずれ終わりが訪れる。過ぎ去ったその後にはきっとがらんどうな自分しか残されていないけれども、つらい毎日を耐え抜く術は他に見つからないのだから仕方がない。いずれ向き合わなくてはならない空っぽな心から目を背けて今日も愛を叫ぶ。
「ばぁちゃん!俺だよ俺!分かる?」
病床のばぁちゃんに声をかける。
寝ているような起きているような、ばぁちゃんは天井に顔を向けていたが、俺の声が聞こえたのか、こちらにゆっくりと視線を向けた。
俺を見つけると、ばあちゃんは安堵した表情で口を動かした。
『………』
「えっ!なに?」
聞こえないので、耳をばあちゃんに近づける。
『…い……』
「えっ!?何?」
『いらぶ…』
「伊良部?」
『I LOVE…』
「?」
ばぁちゃんはそれだけを言うと、いつもの優しい笑みを浮かべて目を閉じた。
それが最後の言葉だった。
ただこの時はまだ、この最後の言葉が世間を揺るがすあの大事件へと繋がるとは思いもしなかった。
#15 『I LOVE…』
バターナイフを手にとって
木製のバターケースに載せたバターを削る
一回、バターを削った
食パンの上に載せられたバターは
トースターの中でとろけて
カリカリのトーストに染みこんで
美味しい朝食になった
三回、バターを削った
フライパンの上に塗り拡げられたバターは
牛乳が加えられた溶き卵と溶け合い
フワフワの半熟オムレツが出来た
フライパンの上に、脂質とタンパク質で焼けて焦げが残った
十回、バターを削った
ボウルに投げ込まれたバターは
小麦粉、牛乳、卵と一緒くたになり
フライパンの上に注がれて
小麦色のパンケーキになった
バターの味はしなかった
パンケーキはとても美味しかった
三十回、バターを削った
掌に塗り拡げられたバターは
乾燥でヒビ割れたカサカサの肌の破れ目に浸透し
潤した
このバターじゃなくてもよかった
百回、バターを削った
カタンと、バターナイフがバターケースを叩く音だけが響いた
バターは無くなっていた
新しいバターを足さないといけない
「このバターの値段はおいくらだったかしら?」
「−I LOVE…−」
[I love]
自分を好きでいられたらいいなと思う。
ずっと自分のことがきらいでどうしたらいいかわからなかった。
ここ数年ちょっとずつ自分のいやなとこも、受け入れられるようになった。それも自分なのだと。
まだ、全部は受け入れきれてないから。
受け入れていければいいなと思う。
あとは、興味のあることはなんでもやってみようかな。。
愛 というやつは、本当に理解しがたく、定義付けできない。
嫌悪や憎しみの感情は、分析していけばその要因が比較的わかるものだが、「愛」というのは、深掘りしても、何ゆえに愛しているのか解らなかったりする。人間としての本能なのだろうか? 性質的には性欲に似ているため、一時は「愛は性欲の一つの形態」だと考えていたが、性対象ではない自身の子供や、遠く離れた土地で蹂躙されている国の人々にたいして感じる「愛」は、どう説明できるだろうか。
僕は、この「愛」というものを定義付けたりするような行為は無意味だと最近思っている。人は社会性を持つ生き物として、備わった根元に鎮座する性質だと解釈しよう。
愛を下手に、定義付けたりすると、混乱が起きる。これに関しては、真理とかを求めず、自然体に委せたほうが・・・ 宗教やイズムで定義付けられた「愛」は、軋轢からの対立を生むし。
『I LOVE』
チョコレート
ポテトチップス
ハンバーグ
やっぱり家族と友人
I LOVE…って歌あったよな。よくは知らないけど、一時期死ぬほど流れてた曲。きっと大衆向けでいい曲なんだろうな、そういえばドラマの主題歌だったけか。
ドラマを観ないから、どんな話かは知らないけどヒットしたんだろうな。だって曲が売れたってことは、相乗効果でドラマも売れてるってことでしょ?
彼はいつだってそんな可愛気のないことを言っては、私がどのような反応するのか楽しんでいる節があった。
彼の話は脈略なく始まり、一方的で満足してしまえばそれ以降続くことはない。ただ聞いて欲しいのか、いつも返事を求める。私はいつも呆気にとられて、曖昧に笑うだけしかできなかった。しかし彼はそれをみて楽しそうに笑うのだ、きっと困っている私を見たいだけなのだろう。
そんな少しだけ面倒で、イタズラっぽい彼を愛している。
I LOVE
I love my free time.
大切な私の自由時間。
大好きな私の大切なものたちへ。
君たちをずっと守っていける力が
ありますように。
I love all.
出会ってきた全てのものに感謝を。
エネルギーはただ一つの目的のために、そのすべて一点へ注ぎ続けてきたのに、突然降ってきた傘が選択肢を増やしてから何もかもが散漫になっていく。
愛だとかではないかと言われるのを恐れている。だから気づかないように、気づかないように、そっと目を閉じて、一つの未来のみを見つめている
『I LOVE...』
I LOVE
My dear daughter
可愛いとき、性格ブスのとき。
腹立つとき、尊敬できるとき。
いろいろあるが、愛娘。
元気に、行って来ます!
笑顔で、ただいま!
その繰り返しの日々が愛おしい。
I LOVE…
その後に
YOU
と言いたかったけど
恥ずかしくってやめた
だから代わりに
I LOVE CATS
なんて言ってごまかしてみる
愛してるって
恋人に対しては『 愛してる』になるらしいけど、
家族や友人に対しては、『 貴方は私にとってとても大切な人だ』っていう意味なんだって
愛って難しいよね。
私は家族にその意味で愛されてるといいな。
#I LOVE...
I LOVE...
外見が良いと社会は優しい。優遇されると言いかえるべきか。美しく生まれた妹を羨むたび、みじめな気持ちになってしまう。
妹はわたしと二歳差でこの世に生を受けた。最初も女、次も女ということで母はがっかりしたようだが、かわいく、美しく成長していく妹のことは愛していた。父によく似て平凡オブ平凡な顔立ちをしたわたしのことは自分の手足か、妹のための試験紙程度に捉えており、扱いは良くない。
わたしもかわいく生まれていたらな――と毎日のように鏡を覗いてため息をつく。ぼんやりとした印象の薄い顔、中途半端な奥二重、低い鼻、厚い唇。顔の骨格もどこか四角くて、かわいらしい丸みや華やかさとは程遠い。
妹こそが主役であり、わたしはモブに過ぎない。傷だらけの自尊心を慰めるさもしい言い訳で自分を納得させ、目立たぬように生きてきた。が、人生には驚きが待ち構えているものだ。
「わたし、カニになりたいの」
深刻な顔をした妹がそう申し出たとき、なんのこっちゃか全くわからなかった。
家族会議になった。泣き喚く母、困惑する父、とりあえず理由を尋ねるわたし。妹はこの瞬間を想定していたように繰り返し「カニになりたい」「カニは美しい」「甲殻類こそが美の象徴」と答え、疲弊した家族の前でカニについて語り続けた。
結局、妹は種族変更試験に合格し、カニになった。マンジュウスベスベガニになった妹は、いまは太平洋沿岸のどこかの岩礁で波とたわむれ、生きているだろう。
愛された妹が愛したものはなんだったのか。妹の立場わ羨んでいたわたしの憂鬱はなんだったのか。わたしが本当に欲していたものは、なんだったのか。
母はかわいがる対象を失い、カニに憎しみをぶつけた。おかけで連日我が家にはカニかまが食卓に並んでいる。年に一度は本物のカニを食すのだが、いつか妹を食べる日が来るかもしれない。マンジュウスベスベガニは有毒らしいので可能性は低いが。
わたしは妹という、ある意味で絶対的障害であった存在を失い、己のアイデンティティの乏しさに気づいた。妹を羨み、妬むことで自己憐憫に浸り、成長する機会を自ら捨てていたのだ。
鏡に映るわたしは、なにも愛してこなかった者の顔をしていた。
まずは自分を見つめ直し、愛してやろうと決めた。そうすると鏡には意外とかわいい目をした自分がいた。ポジティブに捉えるとわたしはラッコに似ていなくもない。ラッコは高級食材が好物で、カニも食べるはずだ。
わたしはラッコを目指すことにした。試しにリビングで仰向けになり、腹にカニをのせて石で叩くと、いい音がした。父と母がわたしの奇行を咎めたが、仰向けになったままぐるぐる回りつつ腹のカニを石で殴るわたしに恐れをなし、なにも言わなくなった。
そんなわけで我が家は毎日カニの甲羅を叩くリズミカルな音があふれている。今日は『ボンゴを演奏するゴリラ』に憧れる後輩とセッションの予定だ。
自分を愛すると世界は変わるものだな、とわたしは幸せを感じた。
I LOVE…ワタシのために贈るME
お疲れさまとハグをベッドで
今日も一日が終わる。寝息の重なる寝室でおぼろげな頭で今日を振り返る。家族と何をしたか、子どもの新しくできたことは……。それだけを日記にまとめるだけで小一時間が過ぎる。忘れてはいけない。「今日はワタシは私に何ができたか」──I LOVE …たったひとりのワタシを私だから愛してあげたい。
お題:l LOVE…
I Love me !!
なんかよくわからんけど
生き方のプロセスがわかった気がして気分がいい!
人にしつこく干渉してしまう自分が嫌い!
だけど、そんなこと考えても意味がないんじゃないか!
柳緑花紅っていう禅語があるように、
柳も花も自然のままそこにあるだけで、それぞれが
個性を持ってて、かけがえのない命を全うしているからこそ美しいんだ。
人にもそれぞれ個性があって価値観も千差万別。
その違いを認め合うことから、よき人間関係は始まっていくんだ。ありのままの姿を受け入れるのは決して簡単ではない。しかし、
お相手を柳に喩えて緑とするならば、自分は花の紅。
柳を紅に変えようとするからストレスになるのです。
「理解してほしい」と相手を変えようとするのは、
柳を紅に変えるようなもの。お互いがお互いを素の形で認め合い、尊重し合うことが大切なんだと思う。
ってことを受験勉強してる時に思ったんで書いたんです
えぇ分かってますよ。受験勉強を真剣に取り組めって言ってんだろ。ほーーん。望むところよ。
では始めます。
#I LOVE...
I LOVE...
本のページをめくったそのとき、間に挟まっていたのだろうと思われる紙がひらひらと落ちた。
図書館の本に紙を挟むのなら、栞代わりか何かだろう、そう思って拾い上げれば、そこには『I LOVE...』と書かれていた。
とても綺麗な字で書かれているのに、紙はノートの端を破ったのか、かなり歪だった。
LOVEの後に続く文字は何だったのだろう。やっぱり、Youだろうか。それともこの本のことを言っているのか。なんとなく気になって、その紙が挟まっていたページを読んでみるが、LOVEや愛している、の類いの言葉はなく、わからずじまいだった。
少しだけもやもやしながら、その紙を元あったページへと挟む。何が、とか誰が、とかその紙に書き足して、答えを聞いてみたい気もしたが、あえてそれをせずに本を読み終えて、元あった棚へと戻す。
次読む誰かのために、その続きの言葉を想像するのもきっと面白いだろうから、なんて。
そう思いながら、誰かに届くはずの愛を、届くべき人に届きますように、そう願った。
ここに想いを綴ろうと思い書いたとしても
綴っている時間、私は思い返さなければならない
美化されつつあるこの思い出を私はどう表現したらいい。
私は彼をそこまで愛していなかった
酷い言い方をすれば好きになることなど無いと罪悪感を感じながら付き合っていたがその想いも日に日に
募っていき、申し訳ないの気持ちで一杯だった
私は彼に別れたいと告げた。
シュワシュワ はじきながらコップの上を踊る炭酸を眺めながら彼の返事を待った
私は暇なのでコップのなかにレモンを搾り飲み込んだ
あんなに恥じらいもなくはじけていたのに
時間が経ってしまったせいか。
飲み込んだらただのレモン水かのようにサッパリしていた。
それと同時に携帯が震えた
彼も私と同意見だったらしい。
「俺も別れたかった。別れよ」この一言だけだった
私は思っていたよりあっさり終わってしまった関係にさっきの炭酸水のようだと感じた。
最初は恥じらいもなくコップの外に飛び散る炭酸は私たちの気持ちを表しているのか。
時間が経てば落ち着き薄まり微動だにしない何も起きない。
その空間に私は1人置き去りにされたように感じた
私は涙が止まらなかった。
私は彼を愛していたんだ。
愛してる、のに…
愛してる、からこそ…
愛してる、が故に…
苦しみ…
悩み…
離れ…
哀しみ…
深く突き落とされることがある
それでも、その全てを乗り越え
再び立ち上がる力が湧き上がるのも
深く愛しているが故、なのだと思う。
ともに、乗り越えよう
ね?
大丈夫だよ
「I LOVE」プリクラに落書きしているときに思った、「I LOVEって愛してるじゃん、それって友達に使っていいのかな?」「あ~確かに」私の価値観で愛しているは恋人に言うものだと思っていた
みんなはI LOVEを使っているが、どうなのだろうか不思議に思った、「まぁでも、可愛い文字だからいいんじゃない?」友達は言った「えー、駄目だろ」心のなかで思ったが
まぁここだけの話実際友達の事を愛しているからな私は一番盛れてて貴方が主役のプリクラに書いた「I LOVE♡」。
I LOVE