善次

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I LOVE...

 外見が良いと社会は優しい。優遇されると言いかえるべきか。美しく生まれた妹を羨むたび、みじめな気持ちになってしまう。
 妹はわたしと二歳差でこの世に生を受けた。最初も女、次も女ということで母はがっかりしたようだが、かわいく、美しく成長していく妹のことは愛していた。父によく似て平凡オブ平凡な顔立ちをしたわたしのことは自分の手足か、妹のための試験紙程度に捉えており、扱いは良くない。
 わたしもかわいく生まれていたらな――と毎日のように鏡を覗いてため息をつく。ぼんやりとした印象の薄い顔、中途半端な奥二重、低い鼻、厚い唇。顔の骨格もどこか四角くて、かわいらしい丸みや華やかさとは程遠い。
 妹こそが主役であり、わたしはモブに過ぎない。傷だらけの自尊心を慰めるさもしい言い訳で自分を納得させ、目立たぬように生きてきた。が、人生には驚きが待ち構えているものだ。
「わたし、カニになりたいの」
 深刻な顔をした妹がそう申し出たとき、なんのこっちゃか全くわからなかった。
 家族会議になった。泣き喚く母、困惑する父、とりあえず理由を尋ねるわたし。妹はこの瞬間を想定していたように繰り返し「カニになりたい」「カニは美しい」「甲殻類こそが美の象徴」と答え、疲弊した家族の前でカニについて語り続けた。
 結局、妹は種族変更試験に合格し、カニになった。マンジュウスベスベガニになった妹は、いまは太平洋沿岸のどこかの岩礁で波とたわむれ、生きているだろう。
 愛された妹が愛したものはなんだったのか。妹の立場わ羨んでいたわたしの憂鬱はなんだったのか。わたしが本当に欲していたものは、なんだったのか。
 母はかわいがる対象を失い、カニに憎しみをぶつけた。おかけで連日我が家にはカニかまが食卓に並んでいる。年に一度は本物のカニを食すのだが、いつか妹を食べる日が来るかもしれない。マンジュウスベスベガニは有毒らしいので可能性は低いが。
 わたしは妹という、ある意味で絶対的障害であった存在を失い、己のアイデンティティの乏しさに気づいた。妹を羨み、妬むことで自己憐憫に浸り、成長する機会を自ら捨てていたのだ。
 鏡に映るわたしは、なにも愛してこなかった者の顔をしていた。
 まずは自分を見つめ直し、愛してやろうと決めた。そうすると鏡には意外とかわいい目をした自分がいた。ポジティブに捉えるとわたしはラッコに似ていなくもない。ラッコは高級食材が好物で、カニも食べるはずだ。
 わたしはラッコを目指すことにした。試しにリビングで仰向けになり、腹にカニをのせて石で叩くと、いい音がした。父と母がわたしの奇行を咎めたが、仰向けになったままぐるぐる回りつつ腹のカニを石で殴るわたしに恐れをなし、なにも言わなくなった。
 そんなわけで我が家は毎日カニの甲羅を叩くリズミカルな音があふれている。今日は『ボンゴを演奏するゴリラ』に憧れる後輩とセッションの予定だ。
 自分を愛すると世界は変わるものだな、とわたしは幸せを感じた。

1/29/2023, 2:08:55 PM