『20歳』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
20歳
(お題更新のため本稿を下書きとして保管)
2024.1.11 藍
11歳。
叩いていいって言われたら、
遠慮なく顔を叩く子供だった。
病院に行った。
大人になったら治ると言われた。
私はどこも痛くはなかった。
13歳。
目を殴った。
勝手に睨みつけてくる目が嫌いだった。
私はぎりぎり、大丈夫だった。
もうやってはいけないと言われた。
虐められていて良かった、そうだ。
18歳。
成人にさせられた。
みんなは1人で電車に乗れない私を笑った。
電車で ものをとったことがあった。
私は分からなかった。
落とし物を拾ったつもりだった。
20歳。
知らない人達がたくさんいた。
あの子の目はまだ治っていなかった。
私が悪いらしかった。
あの子の名前は忘れた。
すぐに家に帰った。
家に帰って、診断書を見た。
9年前の診断書だった。
私が見ても分からなかった。
文字は読めた。
いつ大人になるのか書いていなかった。
紙を破った。
「20歳」
「書く習慣っていうアプリやってる人おいで!!!!」
というオプチャの管理人ですー!!
誰でも歓迎しているので、ぜひぜひ来てください!!
20歳の頃、一応社会人として
生活や仕事をしている時
知人や職場 歳上の人から
[俺の若い頃は〜]なんて
過去話を聞かされた
僕も歳を取り周りには年下の人が増え
関わることで色んな話を聞く
ジェネレーションギャップを感じ
俺も歳を取っただなんて考える
そして気が付けば言ってる
[俺の若い頃は〜]なんて
正直そんなこと言われた側って
どうでも良くて興味ないのに
ただ歳を取っただけじゃなく
ただ面倒臭い大人になってる
20歳だった頃の僕から見て
僕は一体どう写っているのかな
20歳。
何をしようか。
友達と遠くの場所に出かけてみる?
初めてのお酒でも堪能する?
それとも、のんびりとドライブでもする?
一人で何でも出来る、自由な身。
でも、そんな楽しいことばかりに気を取られていたら……
考えたくもないなぁ。
〜20歳〜
二十歳になったら勝手に大人になって
何もしなくても当時の二十歳のような感じになると思っていた。
けれど、実際時が経ってみると、精神面はそこまで変わらないままだ。
「学生気分」なのだ、大人になったなあと、感じるのは23歳頃からかな。
自由に使えるお金があって、好きなところに移り住み。
仕事をするとやっと一人前になれたかな?と。
中学生のときに思う20歳にはそれでも遠かったけれど。
社会経験が自分を映し出す鏡になる。
30超えても、未だ立派になれていない。
いつになったら満足するかな。
気がつくと、なんと20年も生きていた。
取るに足らない日を積み重ね、間違いばかりの時間を刻み、ふと振り返るとここまで来ていた。
「まさか自分が成人するなんて」
ぽつりこぼすと、同級生に笑われた。
笑う隣の彼女は、思っていた通り振袖がよく似合っていた。
ひとが成人する姿は簡単に思い浮かべられるのに、自分のことなら夢か幻、想定外の出来事としか言いようがなく、頭の上には疑問符ばかりが浮かんでいる。
……きっと。
これから先の長い時間、この疑問符は私にずっと付きまとうに違いないのだ。
『20歳』
疑問符を浮かべながらも生きてこられた今に感謝します。
#20歳
世の中で勝手に決められた区切り。子どもなんて守られる対象ではなくて、20歳という数字が成人を表していて、私たちはそれだけで周りから大人として見られる。ただの数字で。
何の条件もなく、生まれてから20年過ぎれば、私たちは大人のような人に成れる。
急に大人なんて。心が追いつかなくて、その日を迎えることが怖かった。大人は何でも出来る存在だと、幼い頃の私はずっとそう思っていたから、私の見ていた「大人」の像に満たない私は何者になるのだろう、と。子どもでもない。でも、大人とも胸を張って言えない。不安を抱えて、なんとなく大人みたいな偶像の私を社会に写しています。
誰かが決めた成人から、何年か経ちましたが、私はまだ「大人」として生きていくのが怖いです。
でも、怯えながら成人を迎えたあの頃の私よりは、確実に成長を感じています。誰がなんといおうと、小さな世界で怖い怖いと嘆いていた私は、荒れ狂う社会の海へ、勇気を出して飛び出しました。
数字になんて、成人なんてただの表すための言葉になんて、こうあるべきだという誰かの決めた姿なんて、どうだっていいの。
この世界で、生まれて、20年間生きて、生き抜いた私たちを。
ひとりでは生きて来れなかった。誰かの手を借りてきたとしても、頑張って生きてきた私たちを。
ありがとう。かんばったね。
そして、心から、おめでとう。
これから一歩踏み出す君たちへ、苦しみながらも生きようと向き合う私たちへ、幸あれ。
なんか、疲れたんだよね
なんでか知らんけど
愛されたくて、でも2人で会えんくて
多分欲張りすぎなんだよね
なんか、全部嫌になったんだよね
どうしよっか、
【たすけて】
20歳
ハタチになっても、
昨日と地続きの私は少しも変わらなかったし、
あれから相当な時間が過ぎても、
大して違いはないみたい。
でもどうにかやれているよ。
もしあの頃の私に伝えられるなら、
焦らなくて大丈夫。何でもやってみればいい。
目いっぱいやったことだけが、
心に残る彩になる。
#143
我が家には20年物がたくさんある。
私は今年で二十歳になるのだが、私が生まれた時に待望の子供ということで、親戚一同がいろいろ買ってきたのだ。
20年物のブルーベリーの木。
毎年実がなったものをお菓子にして食べている。
20年物の株券。
あまり値上がりしてないが、買った株の配当は私のお小遣いになった。
20年物のぬいぐるみ。
単に捨ててないだけだが、今ではプレミアでとんでもない値が……。
私が二十歳になるまで、一緒にいられなかったものもあるけど、どれも私の人生を豊かにしてくれた。
そして今日は私の誕生日。
目の前に20本のろうそくが立てられたバースデイケーキが鎮座していた。
こんな歳になると嬉しいやら恥ずかしいやら、複雑だ。
私は家族に見守られながら、ろうそくの火を吹き消す。
『誕生日おめでとう』と祝福され、みんなからプレゼントをもらう。
それを見た父は嬉しそうに20年物のワインを取り出す。
私が生まれた時に、一緒に飲むんだと言って買ったワイン。
私の誕生日が近づくにつれて、ワインを眺めながら『まだかな』と言い続ける父。
本人よりも誕生日を楽しみにしているとか、何だこいつと思わなくもないが、今日は許してやろう。
正直お酒にはずっと興味があったのだ。
そして20年物――ではないワイングラスを取り出し、ワインを注ぐ。
ワインの香りは初めてだが、とても良い香りがする。
ワインを興味深げに眺める私を見て、父は満足気にうなずいた。
「それでは一人前の君に乾杯」
お互いのグラスをカチンと鳴らして、口をつける。
初めて飲んだワインは、とても甘美で苦い大人の味がした。
日付が変わって0時0分ジャスト。
たった数秒前では出来なかったことが今は可能になった。おめでとう自分。ようこそ20代。
とは言っても私は酒も煙草にもさして興味はない。そもそもハタチを迎えることを待ち侘びていたわけでもなかった。昔は今と逆で、早く大人になりたいだなんて思ってたけど。高校卒業したあたりからもう充分大人扱いだし、年齢のせいで出来ないことなんてあまりなかった。だからこれ以上歳を重ねてもなあ。はっきり言って、この先歳をとっても、責任が付き纏う人生になるだけじゃん?
友人にそんな自分的解釈を話したら“あんたらしいわ”と言われた。彼女曰く、おおよそのことに対して私はいつもドライらしい。現実的って言ってよ。
そんな友人からのメッセージが早速届いた。
“20歳おめでとう〜……って、どうせ喜んでないだろうけど”。
そんな言葉と一緒にスタバのドリンクチケットまで送ってくれた。私も“ありがとう”をすぐさま返信する。
「明日、ヒマならどっか食べ行こーよ、っと」
彼女にご飯のお誘い文を打ち込んでる時、また別のメッセージを受信した。トーク一覧画面に戻る。嘘かと思った。
「え……」
夢でも見間違いでもなければ。そこに表れた名前はひとつ上のバイト先の先輩だった。連絡先を交換したのは確か半年くらい前。それから1度だってメッセージの交換なんてしたことはなかった。それなのに、なんで。
“店長から聞きました。今日誕生日なんだってね。おめでとう。もし、どこかで予定があったらご飯でもどうかな?美味しいお酒とお肉の店知ってます。ハタチの記念に良かったら”
「な、ななななな……」
思わず、寝転がっていたベッドから飛び起きる。勢いがよすぎたせいで足をすぐそばのチェストにぶつけた。めちゃくちゃ痛い、ということは夢ではない。
「うそ、うそ……」
何度も何度も送られてきたメッセージを読み返す。そんな、でも、なんで?わけが分からず自分の部屋の中で右往左往していると、さっきの友人から“オッケー”というゆるいスタンプが返ってきた。
「待って、ちょっといったん保留……!」
自分から誘っておいて彼女とのご飯を断るなんて酷いやつだとは自覚がある。でも、だって誘われちゃったんだもん。あ、だけど別に明日じゃないのか。そうだよね、そんなすぐに行くわけないもんね。
「美味しいお肉とお酒、かあ」
ハタチにならなきゃ味わえないもの。ひょっとして先輩は、私がハタチになるのを待っててくれたってこと?いやまさか。たまたま食べに行きたい店が美味しいお酒のあるところなんだろう。いやでも待って、文にはハタチの記念にってある。じゃあやっぱしそういうことなんだろうか。ていうかそもそも、なんで私をご飯に誘ってくれるの?
「……とりあえず、寝よう」
分からないことが多すぎるから、今日は遅いし考えるのやめよう。はたして寝れるだろうか。分からないけれど再びベッドの上に倒れ込む。時刻は0時13分。20歳になることは、やっぱり素晴らしいことなのかもしれない。……って、友人に言ったら調子のいいヤツって呆れられそうだな。
幼い頃は、ずっとずっと大きくて、届くわけがないと思っていたけれど、いざあと数年後に迫ってくると、なんのことはなかった。20歳なんて、実はまだまだ子供のままなのかもしれない。
そして、私が20歳になったとき。今度は40歳のことを遠く思うのだろう。でも、そのときは「まだまだ子供のまま」だなんて言えるのだろうか。言えてしまうのだろうか。
どちらが良いのだろうか。歳を重ねるごとに少しずつ、ゆっくりと大人になっていくのと、いつまでも「案外子供」のままでいるのと。
20歳と言えば成人式、和服で出席する人も多いだろう。 お祝いの晴れ着、その多くが鮮やかな色合いで縁起の良い柄の描き込みのあるものだ。
成人を迎えた若い方々、おめでとう。
さて、これからの「人生いろいろ」については他の諸先輩方もたくさん語っておられようから、私は少し目先を変えてみよう。成人式によく用いられる、着物(和服)のこと…辺りを。
和服。言わずと知れた日本の伝統的被服だ。形は基本的に皆同じ。近年は素材や飾りに目新しいものも増えて、思いのほか自由に楽しまれるようだ。しかし最もよく見かけるのは、テレビの時代劇ドラマの中のような気がする。
形こそ皆同じなのだが、どのような場であるか、年齢かでも「着方」が違う。素材や様式で「格式」が違う。日本に限ったことではないが、着方にも格式にもちゃんと理由がある。
私はいい加減トシなので、子供の頃の「おばあちゃんズ」は結構うるさ型と言うか、厳格な考えの人が多かった。
成人前の女の子は「えり抜き」をしない。髪の結い方にその必要性が無いから。成人後は結い方が変わるから必要な分だけ襟を抜く。現代でも、和服に慣れている人は髪型に従った襟の状態で着ているのを見かける。色の選び方、長襦袢の選び方、懐中の持ち物、なによりも立ち居振る舞いには、思想文化が如実に反映されていた。
最近は「ハーフ成人式」なんて言い回しも聞く。一度だけ、10歳の女の子の和服姿に目を剥いた(驚き怒った)が、それは私が「古い」のだろう。現代では何の意味も無い、ただのお洒落の自由なのだが、その出で立ちはまんま「禿」だったのだ。古都の着付師に着せてもらったと聞いて、更に怒りと呆れが倍増してしまった。今振り返ると無駄な怒りだったと思う。
被服は文化様式から生まれる生活のありようで発展する。日本にあった人間関係の姿や「敬い」を表す多くの振る舞い方もだいぶ廃れているが、そういう「独自文化の核心」こそは音も無く消え去るのかもしれない。
いかん、何だか晴れやかさの欠片も無いグダグダになってしまってる。こういうのを今の人は「老害」とか言うんだっけ?
いかんいかん、今日はこれにて退散だ。
《20歳》
私は、そんなに長くは生きられないらしい。
もって、あと一年だと言われた。
病の進行は思っているよりも遥かに早く、しっかりとした予測が立てられないらしかった。
難病指定されているこの病気の所為で、私の未来は閉ざされてしまった。
だから、今を、一日を大切にして過ごそうと思った。
余命宣告から一ヶ月後、同じ病室に同い年くらいの青年が来た。
「……こんにちは、お嬢さん」
「こんにちは。お兄さんは、今何歳なんですか?」
「俺? 今十九歳ですよ、君は?」
「……私は一個下ですね。十八です」
「そうか……少しの間ですがよろしくお願いします」
年上にかしこまられると困る。タメ口を求めると、一つしか違わないからお互い様にしよう、と何故かそれで落ち着いた。
とはいえ、病気のことには触れないつもりだし、向こうもそれは暗黙の了解として理解っているだろう。
病院外での生活を聞くのは楽しかった。
大学生で、バイトをしながら過ごしていたようだ。
大学ではどんな勉強をしていたの、とか、バイトはどうだったの、だとか。そんな、私にとっては絶対に関わることのない世界の話を沢山質問した。彼は丁寧に、一つ一つ答えてくれた。
それがあまりにも楽しそうで、つい、余計なことを口走ってしまった。
「お兄さんは、病気で死ぬこと怖くないの? 私はそんなに明るく生きられない……!」
これでは、彼だって病気で辛いはずなのに自分だけが辛いと言っているみたいだ。
そう気付いた時には、言葉は言い切ってしまっていた。
けれど、彼は優しかった。
「……死ぬのが怖くないわけ、ないだろ。でも、俺はこの病気に掛かったのはほんの一週間前だ。だから、きっと君より病院の外の世界を知っている。そこの違いじゃないかな」
「……そうかも知れませんね。変なこと聞いてすみません」
謝る必要はない、と彼は微笑った。
生まれながらにして病気がちな私と、全てが違うのだと思った。
「——あと十日で誕生日なんだ」
そう聞いたのは、彼が来てから二ヶ月経った頃。
すっかり仲良くなった私たちは、そんなたわいない話をする。
その八日後、彼は亡くなった。
病状が急変してしまったらしい。
「…………なん、で……っ……!」
悲しかった。苦しかった。辛くなった。でも何より悲しいのは、彼だろうと思った。
死んで漸く、家族が病院に来たのだから。
見舞いにすら一度も現れなかった彼の家族は、皆悲しんでいた。泣いていた。
そのときから、私は元気がなくなっていった。
生きる気力が湧かなくなった。
なのに、私の体は奇跡の回復を見せた。
余命宣告されてから、一年と少し——明日が私の誕生日だった。
だから、私は沢山笑った。笑って、笑って笑って。
その夜、身体中が悲鳴を上げた。
私も彼も、同じだった。
私も彼も、20歳にはなれなかったのだから。
「あなたに送る手紙」
20年前 あなたは 突然
ママのところにやってきた。
ママのお腹の中の
フカフカのゆりかごで
「とつきとおか」
その時を心待ちにしてた。
「おめでとう♡」
たくさんの祝福の中で
あなたは 産声をあげた。
二十歳「はたとせ」⋯
長かった? あっという間?
あなたは 喜怒哀楽を 思いっきり味わい
時に 「生まれて来なければよかった」と
泣き叫び 打ちひしがれ
暗闇を彷徨ったっけ⋯
そして 今日…
あなたは 「はたとせ」を迎え
凛とした 清々しい笑顔で
そこに 立っている…
20回目の 「おめでとう♡」
最大限の声援を送るよ!
これまでも⋯
ずっと これからも⋯
#二十歳
お題「20歳」
20代の同僚と話していると自分の若いときと同じだなと思う
大人だからもうこんなこと出来ないよね
大人なんだからこうしないといけないんじゃない
なんてことを言っている
無理に大人になろうとしてるのか
大人として見られたいのかはわからないけれど
ちょっと微笑ましい
そんな風に思える私は大人なのかな
「せんせ、せんせぇ!みて、今日振袖の案内が届いて先生に選んで欲しいなっておもって持ってきちゃった!」
昨日の帰り、家の郵便ポストを覗いたら振袖の案内が入っていた。
私の地域では18歳ではなく20歳で成人式を行うらしいから、もちろん振袖を着れるのはあと数年かかるが。
どうせなら好きな先生に色だけでも選んでもらおうというそういう魂胆であった。
「振袖…?へぇ〜最近のってどれも可愛いのね」
そう言って私が持ってきた振袖のカタログを捲った。
そこには色とりどりの振袖を着てにこやかな笑みを称えている少女たちが写っていた。
今の”可愛い”に振袖を着た女の子の事が入っていない純粋な振袖だけの感想であれ、と願った。
「あ……これなんてどう?黒と白のボカシの地に牡丹とか桔梗とか日本ぽくて可愛んじゃない?」
先生が指さしたのは黒と白が基調の振袖だった。
帯までオシャレで、これに身を包んで門出の日を先生に祝って欲しいとおもった。
「黒は他の誰にも染まらないって意味があるし、きっと貴方によく似合うよ。…あれ、聞いてる?」
成人式、絶対黒い振袖を着よう。
……でも、先生と付き合えたりなんかしちゃったら白い振袖でもいいかもしれない。
あなたのいろに染まります、なんて先生が好きそうな言葉だなあ、なんて考えていた。
2024.1.10『20歳』
私は成人式を迎えた。
二十歳。お酒や煙草を吸える年代。
これからいろいろなことが待っているだろう。
花を添えながら思う。
「寒いよね、ごめんね。ストーブなんて持って来れないからさ。電源があれば持ってくるんだけど。」
なんて、洒落を飛ばす。
「まだ君は、子供のままだね。」
濁った石に、一滴の涙が寂しく落ちた。
お題:20歳 2024/01/11
20のあなたへ
私はイジメをしてしまいました。
自分がわからなくなって、弱いから何も言わないだろうって自分のイライラを優しいあの子にあたって気づいたら手を止められなくなってました。
やってはいけないと酷く後悔をしたのはあの子が引っ越しをしてから。
命を立つ前に逃げてくれて良かった。
命を経ってたら5年後の貴女に手紙なんてかけなかった
私には夢があります。
カウンセラーになってイジメられてる子を助けたいのは勿論、イジメめている子も救いたい
好きでイジメてるわけではない子も多いはずだから…
あの後悔をどうにか返したいのです
その答えを知ってるのは今読んでいる貴女です
今夢に向かって歩んでくれてますか?
不安はありますか?
大人になれてますか?
悪い大人にならないでください
自分だからこそ流されやすいのを知ってます
沢山の人の心を救ってあげてください
あの後悔をもうしたくないから…
未来に託します
15の私より
20歳
随分昔だな。
私が20歳の頃は、
成人式が1月15日だった。
地元にあまり親しい友人もなく、
社会人1年目で疲れ果ててた私は、
成人式に行かなかった。
行かなかった事を後悔した事は、
ただの1度もない。
写真でも撮っておけば、
無理してまで行くことはない。
と個人的には思う。
後に、高校時代の友人に行ったか聞くと、
(元々行くつもりもなく)起きたら昼だった。と。
類は友を呼ぶ…だな。
paki