『0からの』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
どこにいくでもない
あてもなく彷徨って
私はどこにもいけないことに気づく
それがどれだけ嫌だとしても
今はそれに耐えるしかない
嘘の笑顔の裏で嫉妬に呑み込まれ
汚い言葉を吐く君の涙も
ただ隣で見守ってくれていた君の暖かさにも
気づかないままに
自分の苦しみだけが全てだった
逃げ出した場所で出会った
あなたの姿、声、雰囲気全てが
生きることへの痛みを和らげた
世界が反転してあなたを中心に回り出した
0から始まる歌がずっとリピートされているのに
どうしてもタイトルが思い出せない
0と1が交差するじてん……何だっけ
お題:0からの
生まれたときに
世界から予め決められた長さの道を与えられるのだと
誰かがそう言った
平坦に伸びた一本道ではない
始まりと終わりが重なった
紙の輪っかのような道です
始まりには線が引いてあって
そこをスタートラインにしてひたすら歩いていく
その長さは人によって違います。
ものすごく長くて途中でグニャグニャ波打った人
テレビのCMみたいにすぐに終わっちゃう人
途中でハサミを入れられて道から落ちてしまう人もいるそうです
歩くのも走るのも自由です
立ち止まるのだけルール違反です
あと、後ろに戻るのもダメです
最初は楽しいです
みんな、歩幅はそんなに変わらないから
でも、始まりから距離が離れるほど不安になります
理由は分からないけど、どうにも心細いのです
でも、それは途中までです
ゴールが見えると何故か安心してしまいます
もう、何処に向かうか分からない道を
独りで歩かなくてもよいのです
***
「−0からの−」
「えっと、ここは…」
見たことはあるけど読んだことがない文字と開いた本を交互に眺めては同じ形を探す。正解を見つけては丸を付け、意味を書き、他の使い方があれば付け足していった。見れども見れども記号が文字として結びつかず首を捻る。自国の文字はこんなにも読めるし、話せて、組み合わせて文章を作ることだってできるのに。
手探りで学んでいるつもりが彼の故郷の吹雪にあったみたいに道が見えない。
言葉に触れた経験が少なく、足りないのは明らか。
彼の母国をもっと知りたくて、はじめに言語からと教本を手に取った。
たまに彼の口からこぼれる言葉が何を意味してるのか知るにはちょうど良いと思ったけど…。それがわかるまではまだまだ先のよう。そもそも発音すらままならなかった。
『0からの』挑戦は新しい発見と驚きを、無駄になるなんてことはないものの早く理解したくて使ってみたくて。
いつか手紙や話した時にそれを披露して彼を驚かせることを目標に、彼の故郷の歌を噛み砕きながら翻訳してペンを走らせる。歌の旋律を知らない私は言葉の意味から捉えたイメージだけで口ずさみ、少しだけものにしたに気になっていた。
本当に今のままでいいのか
それとも
全てリセットして
全てをゼロから始めたほうがよいのか
悩み、悩む
いまの状況を捨てられないのは
自分の中にあるプライドと
勇気がないだけ
本当は何も気にせず
なんとかなるって
思えたら一番生きやすいのに
『0からの』
新しい事を始めるのは、いつだって0からのスタートだ。
それは、人間関係も同じこと。
新しく友達を作るのも0からのスタートだと思う。
【親切】という漢字が、なぜ「親を切る」と書くのか、考えたことがある。わたし個人の勝手な解釈だが「親しみを切り出す」にたどり着いた。
「切り出す」は、スタートだ。
人に親切にすることは、親しみをスタートさせることだと、勝手に思うようになった。
そして、コミュニケーションは興味から始まる。
興味を持って、親切にしたら、人間関係もスムーズにスタート出来るように思う今日この頃。
ぼくの彼女は、嫉妬深い。彼女の交際経験は0に対し、ぼくは一人だけ元カノがいた。
この時点で彼女との交際は0からのスタートではなく、元カノの面影を重ね、無意識のうちに比較し、ある時は思い出に浸ったりする。それをどうにかしたくて、彼女は嫉妬するのだ。
「元カノと連絡は絶対禁止だから。名前を出すのも禁止!」
人生において、0からというのは実は相当難しいのではなかろうか。以前の経験が必ず印象の邪魔をする。
子供の頃は全てが初めてに包まれて、世界が輝いて見えた。人生の半分が20代で終わるという所以もその辺りにあるのだろう。
きっと彼女の目には、ぼくとのお付き合いはぼくより一層輝いているに違いない。デートに行く時も、キスをする時もドキドキと、ずっと心を高鳴らせて。
この一生に一度しかない体験を大切にしてあげよう。
「分かったよ」と彼女のちょっぴり面倒で可愛らしい願いを聞き入れた。
限りはあると知っていてももう少しだけ近づいて
『0からの』
好きなものは積もる。無意識に引き寄せ、絡め取り、少しずつ自分の中に蓄積されていく。顕在意識下で行うよりもずっと効率が良くて、繋がりやすい。
苦手なものは避けられる。誰しも好まないものに率先して近付くことはない。それは明確な意識のもとで行われる。
たとえば、自分が不得手だと思っていたこと。自分には出来ない、他者に劣ると思い込んでいたこと。それを実は無意識に自分が愛していたとしたら、どうだろう。
距離を取っていた、恐れていたもの。だけど目を惹いてやまないもの。意識的に避けていた。それでも、人の中では無意識が強いものらしい。
人生の中では思いがけず、何もないと思っていた0の輪の中に、無数のギフトが眠っていることがある。
向き不向き、得手不得手、効率や合理性。世の中には色んな基準や言葉があるけど、結局のところ愛に勝てるものは見つからない。
〉0からの
「0からの」
砂浜に
足跡を一歩
残して歩くような
すぐに
寄せる波に
流され消えるような
そんな感覚
0からのスタート
わくわくする歓びと
ドキドキする不安と
心の内側に
二つの感情が
同居している
自分ではない、「誰か」になりたいと
思う時がある。
愛しいものも、憎いものも全て取り払って
自分ではない、まっさらな存在に。
新しい人生へ。
そう願っても、朝起きたら名前が変わっていたり
性格が変わっていたり、
過去が変わるなんてこともない。
だから、少しだけ、変えてみる。
いつも朝はトーストだけど、今日は白いご飯。
いつも食後はコーヒーだけど、今日は紅茶。
いつもリップは赤だけど、今日はピンク。
きっと誰も気付かない。
でも、今日の私は全然違う、新しい私。
こうやって私は生まれ変わる。
何度でも、新しい私へ。
―0からの
気になって見に行くと、部屋はがらんとしていた。
「やっぱり」
自分と同じ間取りの、それほど広くない部屋。
元々物を置かない子だったけれど、からっぽのそこはずいぶん広く感じる。
正面にある掃き出し窓のすぐ下には1枚の紙が置かれていた。
拾い上げて目を通す。
《ごめんなさい。やっぱりあなたの隣りにはいられない。何もないわたしと、あるあなた。あなたとわたしは全然違う。》
「そんなこと、ないよ…」
白い紙にポタリと丸いシミができる。字が、にじむ。
「いっちゃん…」
急に後ろから声がかかり、とっさに涙を拭って振り向く。
「にぃくん。ごめん、やっぱりいなくなってた。わたし、いつも隣りにいたのに、全然、わかってあげられてなかっ」
「いっちゃんのせいじゃないよ」
そういって抱き締めてくれるあなたはいつもわたしの隣りにいてくれる。わたしたちの間に誰かが来たとしても、隣りはあなたなんだと信じていられる。
「大丈夫。必ず帰ってくるよ。君の隣りに僕がいるように。」
「うん…」
わたしの手から、ハラリと紙が落ちる。
わたしの隣りのあの子、0からの置き手紙が。
〈0からの〉
ぱち、ぱち、ぱち、
爪を切りながら、ぼうっと物思いにふける
ぱち、ぱち。……。
汚い。何だこの色は。良かれと思って塗ったが、
やっぱり、気に食わない。
ぱち、ぱち、ぱちん。
やはり、あの人の言う通りに、なんて、
そんなの、性にあわない。
前に屈んで、小指から。
パチ、パチ、パチ、……
誰もがみんな0から生きる。
便宜上この世に産み落とされたその時を「0」として数え始めるけど、じゃあ、母親の胎内にいたときの命のカウントは0未満?
時代劇でこんな台詞があった。「数え年は腹にいるときから数えるんだ。」なるほど、これはこれで腑に落ちる考え方だ。
誰もがみんな0から生きる。全ての生命が0からはじまる。
他者が出会って、異なる遺伝子を持つ細胞が出会ったそのときから、0は0でなくなる。
(追記)
紀元前と紀元後があるように、0は「ない」を表すだけじゃなくて、境界線の側面もある。便宜上のスタート地点を0としているだけで、それ以前に積み重なったものを「なかったこと」にする訳じゃない。掛け算しちゃうと全部0になるけど、足し算ならば今まであったものは何も変わらずに「ある」ままだ。
数学は苦手だったけど、0の持つ強制力と無影響という相反する性質は面白いなと思う。
そういえば学生時代に夏休みの宿題で0のはじまりに関するレポートを書いた。詳しいことは忘れちゃったけど、「0という存在」に気づいた古代の人、すごいな。
0からの
と言えばスタートだろ
何をするんでもスタートする時は何もなくて
作り上げて行く
日本人は1を、2. 3 とする事は得意だが、0を1にするのが苦手
昔そんな話を聞いた事がある
今はどうだろう、日本人とか、アメリカ人とか違いがなくなってきてるのかな?
年齢を重ねると、新規スタートは億劫で、ゆるくいきたくなる
若いうちにやれる事はやっておけ!
そこのお前ら!
どこからやり直したい?
そうだね。あんまり前だと
子供たちが居なくなるから
困ったな。
家族がいる今のオレには答えが出せない。
ただ、今の自分には満足していないから
分岐点までは帰ってみたい。。。
0からのスタートだ。
そう、1からではない。
私は、0を1に変えるところから始める。
つまり、何かを生み出す必要があるのだ。
しかし、本当の0からでは何も生まれない。
0を1にする過程にも、
0.1やそれ以下、それ以上があるものだ。
私はその為に、外に出る。
やらねばならぬことは沢山あるが、
急いては事を仕損ずる。
私はドアを開け、朝の光を浴びる。
私に影響を与えてくれる、
0を1に変え得る何かに出会う為に…。
「人間関係って、距離が近すぎるとうまくいかないって言うだろ?」
いきなりなにを言い出すのかこの人は。
「見たいものが近くにありすぎると一部しか見えないだろ? 拡大しすぎたみたいにさ」
「ま、まあ」
最前列の映画館みたいなものだろうか? 一部しか見えないわけではないが、近すぎるのに変わりはない。目も痛くなるし。
「適切な距離感を学んで、初めてその全貌が見える。ここが好き、ここは嫌い。そんなふうにね」
「つまり、なにが言いたいんです?」
よくぞ聞いてくれたと言いたげな、眩しい笑顔が向けられた。……確かさっき告白してきて、私に振られた人ですよね?
「今の僕と君は、ある意味距離が近すぎると思うんだよ」
そう繋がるとは思わなかった。
「だから僕の悪いところしか見えていないんじゃないかな。僕の人となりをもう少し観察していればまた見方が変わるんじゃないかと、そう思うんだよ」
……つまり、このまま振られて終わるわけにはいかないと言いたいのだろうか。普通、もう脈はないと渋々でも受け入れるものだが、よほど諦めが悪いらしい。
「確かに、私はあなたのことよく知らないですね。仕事で絡んだことないし、正直初めて知ったくらいだし」
「だ、だろう?」
胸を押さえているが事実なのだから仕方ない。
「今も無茶苦茶言ってるなーって呆れてもいますし、あなたが言うような奇跡は全く起こりそうにないって思ってもいますけど」
「あ、あくまで予定だろ? 予定は未定と言うじゃないか」
「全く、って言いましたよ」
……なんだか少し楽しくなってきてしまった。この人、変だけど面白い。
「わかりました。ここはベタに『お友達から始めましょう』?」
呆気に取られたように、目を丸くしている。うまくいくとは思わなかった、とでも言いたげだ。
「やっぱりやめようかな……」
「ま、待ってくれ。すまない、君の懐の深さと思いきりのよさを改めて噛み締めていたところだったんだ」
「改めて、って、私たち初対面なのに」
「僕は君のことを好き、だからね」
ずっと物陰から見ていました。つまりそういうことなのに、こうも堂々と言い切られると変な説得力を感じてしまう。
「わかりました。そういうことにしときます」
「本当だぞ? 僕は嘘は嫌いなんだ」
「だからわかりましたって」
少なくともさっきの無関心さはなくなっていた。
どうやら「適切な距離感」に少し近づいたらしい。
お題:0からの
私宛に0からの手紙が届いた
「大丈夫、勇気を出して」の言葉と
「1」への切符が入っていた
なんだか分からないけど
前に進める気がした
#0から
白湯は健康にいい。以前から飲んでいたのだが、最近のど飴ドリンクなるものにはまった。
作り方は白湯にのど飴を入れるだけで簡単。だからはまったのだが。どれだけ美味くても作るのがめんどくさいと作らないからな。
ほんのり甘くてハーブの爽やかも少しあるのがいい。はまったのが最近だから試したのはカリンのど飴と龍角散ののど飴、それとのど飴じゃないけど小豆の飴くらいだ。
小豆の飴はお湯に溶かすと薄くて不味かった。溶かすのはのど飴がいいと思う。龍角散よりもカリンのど飴のほうが好みかな。普通に食べるなら龍角散のほうが好きだけど。
のど飴のカロリーは10~20くらいだから満足感の割にはカロリーは低い。とはいえやはりダイエット中の身としては1日1.2杯くらいにしたほうがいいのだろうな。
そういえば今日のお題は0からだとか。