『鏡の中の自分』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
私の双子の姉は、私とそっくりだ。大きい瞳に長いまつ毛、茶色の髪は伸ばして三つ編み。体型も同じ。唯一異なるのは利き手くらいだった。私は右利き、姉は左利き。
そんな姉は、もう既にこの世にはいない。1人での散歩中、飲酒運転のトラックに轢かれて、あっけなく死んでしまった。葬式には私のことを知らない姉の知り合いが数人いて、私を見て驚いていたのを、他人事のように覚えている。
それももう2ヶ月は前の話で、しかし私は未だに、実感が湧かないでいる。
私は、私の双子の姉とそっくりだ。唯一異なるのは利き手だけで、体型も、伸ばして三つ編みにした茶色の髪も、長いまつ毛に大きい瞳も、そっくりだ。
だから、利き手さえ反転させてしまえば、私は姉になる。例えば、洗面台に、風呂場に、ドレッサーに。私が覗き込んだその板の中には、姉がいる。
毎日、顔を合わせ、笑いあい、互いの話をした、姉がいる。
毎日、目の前で顔を洗い、歯を磨き、メイクをしている姉を、私は真正面から見ている。私の動きに合わせて、右へ左へ、手を動かしている。そんな姉を、私は黙って見ている。姉は喋らず、私を黙って見ている。
「……お姉ちゃん」
毎日顔を合わせているのに、いなくなったなんて思えない。ただそれだけの話だった。
鏡の中の私を、久しく見ていない。ただそれだけの話だった。
眠りにつく前に
あなたは眠りにつく前になにを思っているのだろうか。
外側の私が読み取るのはもうだいぶ難しい。そもそもわかっていたときなんてなかったのかもしれない。
危ないからやめてと言っても山を歩いていた足も、今は掛け布団の下から出てくることはない。
少し面倒だと思ってしまうほど回る口は、話が喉に詰まってしまって閉じられてしまう。私はあまり話すのが得意でないから、以前みたいにお喋りができない。
話しかければ反応してくれる。テレビをつければ内容を軽く理解しているようにも見える。軽く手を叩けば叩き返してくれる。
けれど数時間前のことを思い出すのは難しいらしい。頭の中に発生する靄が記憶に絡まって繋ぎ目がばらばらになってしまうだろうか。いつか私の顔もその靄に包まれてしまう日が来るのだろうか。
いつまでも、いつまでも元気なのだと思っていた。私が何歳になってもずっとそこに居てくれる人だと思っていた。
私は今でも細くなってしまったあなたを受け入れられていない。
数年後には山を歩いて畑を耕し、あのときは大変だったと私に話して聞かせるのだと、どこかで疑いもなく信じている。
振り返れば後悔ばかりが降り積もっている。私はずっと良い人間じゃなかった。
あなたが私を会うと喜んでくれているように見えることだけが救いです。
どうか、どうかあなたが眠りにつく日がずっとずっと遠くの先でありますように。
あなたの夢が目覚めている間に叶いますように。
幸せな夢が見られますように。
「鏡の中の自分」
もっと自分を愛してあげたい。
鏡をのぞけばいつも、涙を流したわたしがうつる。
なにもかも醜いその顔から、たくさん涙があふれている。
それがあまりにも不愉快で、何回も地面に叩き割る。
その顔がうつらないように、粉々になるまで壊し尽くす。
鏡なんて無くなっちゃえばいいのに。
この世界から消えれば、人にどう言われようとも自分のことを騙せる。
この目に映らないかぎり、きっとどんなことを言われても平気。だって確証がないから。
そうすればもっと、自分のことを愛せるのにな。
他人から見た僕は 自分で思ったより元気そう
生きる為にはどうしても 命を削る必要があって
20年くらい遊んだら その倍以上は働いて
みんな同じ それが普通 言い聞かせてみる
閉じた眼に 残り続ける 光みたいな
僕の意思
【鏡の中の自分】
鏡にうつったそれは、ひどく疲れた顔をしていた。
ひどい顔だなと呆れて出た表情も、どこか引きつっていた。
こんな面を人様にむけてどうしたいんだ、と問いかけてみる。
だが、帰ってくるのは己から出た嘲笑だけだ。
だって、そうだろう?
鏡の中にうっているそれは、自分自身なのだから。
ガラス張りの向こうに見るもおぞましい化け物が佇んでいた。
深呼吸して薬を飲むと、それが自分の姿だった。
鏡の中の自分
ひどい顔だと思った
年のせいかまた面長になった気がする
不細工だな
思わず口にしていた
鏡の中の顔がさらにゆがむ
ごめん
ほほえんでみるがぎこちない
それで
お前はどうしたいんだ
(生き辛い)
作業着を洗濯機に投げ入れながら思った。
「俺こういうの苦手なんで、やってもらえますか?…うわ、さすが!ありがとう!」
先週の金曜日の同僚の言葉を反芻する。
月曜日、残業をしていた自分には聞こえないように小さな声で、金曜日の夜の居酒屋話を同僚達がしているのが聞こえた。
(せんないこと。どうでもいい)
けれど、素直に笑顔にはなれそうもない心持ちになるのは、あいつなら何も言わずにやるだろう、と見下げられている感じがするからだ。
(今日という日が早く終われ)
風呂上がりに買ってきた惣菜を並べて、YouTubeを観ながら、缶のハイボールを流し込む。
休憩時間に喫煙所で電子煙草を吸い、持ち場へ戻る時に、別部署の同期の子と目があったことを思い出す。
(どんな風に見えているのか)
彼女とは久しく喋っていない。
(勘違いなんかしたら痛い目みるぞ)
もう1人の自分が教えてくれる。
カーテンの隙間から、遠く高い、そして明るい月が見えた。
(…別の生き方もあるだろうか…)
月の下には、窓に映る自分の顔があった。
題:鏡の中の自分
鏡の中の自分はもう1人の自分
同じ人生を歩んでいる
左右反対の人生を
自分を見つめる
君は誰?
鏡の中の自分
鏡の中の自分
見てはいるが自分の顔を描ける程自分を知らない
自分についてもっと知りたいと思うのだが
分からない事だらけ
大好きだと思う自分も
嫌いだなと思う自分も
いるのは知ってる
全部まとめて私はわたしを受け止めたいのだ
自分を迷惑だなんて思いたくない
自分は生きることがしたい
人生を楽しみたい
もっともっと自分が自分らしく楽しく幸せを感じる
フィールドはいったいどこなのだろうか?
そのフィールドに着きたいから私はきっと
毎日を淡々と生きているのだろう
左右反転するけど真実を映す鏡
でも無意識のうちに
目には力が入っているし
うっすら口角は上がるし
フェイスラインがスッキリする角度に顔を傾ける
いや貴方
映え写真撮りたいわけじゃないのよ
コンタクトレンズ入れたいのよ
分かってるんだけど毎回同じことしてる
『鏡の中の自分』
鏡に映る自分と、他の人から見た自分は違うって言うけど、だから真実が知りたいとは余り思っていない。
朝、メイクをしている時に鏡に
「はいはい、今日も可愛い可愛い」
と暗示をかけられて外に送り出してもらいたい。
別に真実じゃなくてもいい。
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(例え本当の姿がカニだとしても)
10年ぐらい前は
死ぬほど暗い顔をしてたのに
今はつやつやいい顔をしている、鏡の中の私。
たまに疲れた顔はしてるけど
なんだかんだで悩みのなさそうな
のほほんとした顔。
この顔を
彼は世界一可愛いと思っているらしい。
実に変わった趣向だと思う。
でもそう言われ続けた影響か
『ほんとにまんざらでもない顔なのかも…』
と最近は思い始めているんだから
言葉の力はすごいと思う。
このまま年を取り続けて
しわくちゃのおばあちゃんになっても
幸せそうな顔を
鏡の中に見つけられたら
私の人生は
すごくいいものになってるんだろう。
『その時は
同じように幸せそうな顔した彼も
隣にいてもらわなきゃなぁ』
なんて考えている私の顔は
鏡の中で
もうすでに幸せそうに笑ってた。
#鏡の中の自分
「鏡の中の自分」
ねぇ、笑えてる?
その笑顔は本物?
無理してない?
良いんだよ、そっちの世界では無理して笑わなくても。
良いんだよ、自分を1番大事にしてあげて。
鏡の中の世界では、自由でいてあげて。。
それが私の1番の願い。
痛くて、辛くて、怖くて、惨めで、酷くて、卑しくて、厭らしくて、浅ましくて、愚かしくて、壊したくて、壊れてしまいたくて、それでも壊れられなくて。
だけども鏡の中の自分は笑っているのだから、私は今日も、上手に仮面をつけて生きているのだろう。
鏡の中の自分は、本当の私なのだろうか。
そんな疑問を持ったのは14歳のときだった。鏡には自分が映る。当たり前だが、反転した世界が映る。鏡の向こうにいくら世界が見えようとも、それはただの物であり、そこに映る世界は鏡の中にあるわけではない。その証拠に、手をかざせば触れることだってできる。光の屈折によるものだということが科学的に証明されている。
しかし、鏡の中の私は言う。こちらの世界は楽しいと。彼女は、人に感情を読み取らせない表情で笑っている。苦しみも悲しみも何も感じたことの無いような顔。私は鏡の中には私たちの反転した世界があるのだと考える。そこには私と同じ人間が住んでいる。彼女は幸せそうだから、きっと鏡の中は人生に苦悩することなく生きられる、明るい世界なのだと思う。
綺麗だ。いつしかそう思うようになった。鏡の中に強く憧れるようになった。
私の世界は不幸だった。太陽が刺すように照りつける地上。夜になれば闇に襲われ、上を見れば無数の星が嘲笑っている。生まれた瞬間から植え付けられる常識。常に誰かの支配下にある人生。付きまとう学業と避けられない労働。労働をしなければ生きられない社会。人間社会にしか私たちは生きることを許されない。日々精神と体力を削り、笑顔を貼り付けて生きる。
そんな時、気づいたのだ。私たちの世界こそが鏡の中なのではないか。鏡に映る私たちと瓜二つの人間らしき何か。こいつらが鏡の中に世界を作り、私たちを飼っているのだ。有限の世界に私たちを閉じ込めて、私たちの生活は娯楽に消費されている。私たちの生活、文明の発展を見て、ある種のゲームのような感覚で眺め嘲笑っているのだ。いつだって私たちは何かに囚われ、本当の自由は与えられないのだ。こんな世界で生きていかなければならない。
私は涙を流した。鏡の中の私も、涙を流していた。
11.3 鏡の中の自分
鏡の中の彼が僕だとしたら
僕は永遠に僕に合わせて生きるのだろう
左手は右手に、右脚は左脚に
右側にある心臓は
左側にある心臓に
ぴったりと合わせて生きるのだ
嘘は真実に、真実は嘘に
ふたりは僕であり
僕は2人であり
裏があり
表があり
嘘つきで
ばか正直で
つまりは
極ありふれた人間ってことで
一致したのでした
題 鏡の中の自分
鏡の中の自分の方が本当だったらどうしよう。
私はたまにそんな事を思う。
今いる自分はまやかしで、本当は鏡の中の自分の考えが少ししてからこちらに届いていて、動作も感情も全てがこちらの自分は操られているだけならどうしようって。
だって、全てが左右逆さまで、そんな世界があったらどうする?
そこに世界があったなら、そこにもう一人自分がいて、その自分が本物だとしたら、ここにいるこの私にどんな存在意義があるの?
ただのコピーなの?
原本でない私に価値があるの?
そんな考えに囚われるんだ。
そして囚われると全てが疑わしい。
鏡のある場所が入り口とか、向こうの世界を見える道具で、私達の世界はニセモノなんじゃないかって。
友達にそう言ったら、
「それは怖い考えだよね」
と言われた。夏子はその後少し考えてから、
「でも、鏡を割ったらこっちの世界は壊れないけど、鏡の世界は壊れるじゃん?それって、あっちの世界が、ないって証明なんじゃないの?」
そう言われて確かに、と思う。
でもさ、と反論の声が心の底から湧いてくる。
「それは、向こうの世界も同じことが起こってるんじゃない?世界は存在してるけど、鏡はただの2つの世界を繋ぐ道具で、割れたらお互い相手の世界が壊れたように見えるんじゃない?」
「そうかな〜?さすがに鏡の世界はないと思うけどな」
私の言葉を受けて疑問を呈する夏子。
そうだよね、私もないといいなとは思ってる。
だって、向こうの世界のコピーなんていやだから。
私は唯一無二の存在で、自分で自分の意思を決めたいと思うから。
・・・・なんてさ、向こうの鏡の世界の私も思ってたりして。
そう考えると、やっぱりちょっと怖いな。
「鏡の中の自分」
私は鏡の中に自分が好きではない。
いつか自分を好きになる日が来るんだろうかと思っている。
いつか自分を好きになれたらいいと思う。
「おはよう、私」
今日もいい笑顔ね、可愛いよ。
なんて今日も鏡の自分に言うの。
いつからだろうか、
鏡を覗いて
"まだ鏡の中の私が
笑ってるから大丈夫"
って思い始めたのは。
泣き方なんて分からない。
人の頼り方も分からない。
私には笑う事しか残ってないの。
可哀想だよね。
2024.11.4.鏡の中の自分 07