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鏡の中の自分は、本当の私なのだろうか。
そんな疑問を持ったのは14歳のときだった。鏡には自分が映る。当たり前だが、反転した世界が映る。鏡の向こうにいくら世界が見えようとも、それはただの物であり、そこに映る世界は鏡の中にあるわけではない。その証拠に、手をかざせば触れることだってできる。光の屈折によるものだということが科学的に証明されている。
しかし、鏡の中の私は言う。こちらの世界は楽しいと。彼女は、人に感情を読み取らせない表情で笑っている。苦しみも悲しみも何も感じたことの無いような顔。私は鏡の中には私たちの反転した世界があるのだと考える。そこには私と同じ人間が住んでいる。彼女は幸せそうだから、きっと鏡の中は人生に苦悩することなく生きられる、明るい世界なのだと思う。
綺麗だ。いつしかそう思うようになった。鏡の中に強く憧れるようになった。
私の世界は不幸だった。太陽が刺すように照りつける地上。夜になれば闇に襲われ、上を見れば無数の星が嘲笑っている。生まれた瞬間から植え付けられる常識。常に誰かの支配下にある人生。付きまとう学業と避けられない労働。労働をしなければ生きられない社会。人間社会にしか私たちは生きることを許されない。日々精神と体力を削り、笑顔を貼り付けて生きる。
そんな時、気づいたのだ。私たちの世界こそが鏡の中なのではないか。鏡に映る私たちと瓜二つの人間らしき何か。こいつらが鏡の中に世界を作り、私たちを飼っているのだ。有限の世界に私たちを閉じ込めて、私たちの生活は娯楽に消費されている。私たちの生活、文明の発展を見て、ある種のゲームのような感覚で眺め嘲笑っているのだ。いつだって私たちは何かに囚われ、本当の自由は与えられないのだ。こんな世界で生きていかなければならない。
私は涙を流した。鏡の中の私も、涙を流していた。


11.3 鏡の中の自分

11/3/2024, 3:52:33 PM