『過ぎ去った日々』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
【過ぎ去った日々】
いくら君に触れても君はオレの物にはなれない。
いくらオレが君に気持ちを伝えても振り向かない。
君はそれを理想としてる。
オレもそれを理想としてる。
ずっと心は交わらない。
わかるのは触れている時の心の体温だけ。
「好き」
「欲しい」
「もっと」
「ダメ」
…あとは?
何が欲しい?
過ぎ去った日々
奇跡は、救われた人間が語る
歴史は、救われなかった人間が作る
こんな夢を見た。郵便受けにガコンと何かが投函された音で目が覚めた。寝ぼけ眼を擦り、郵便受けを見に行く。郵便受けを開けると、分厚い茶封筒が入っていた。表を見ると、見慣れた筆跡で『大人になった私へ』とある。これは学生時代に私が未来の私へ宛てて書いたものだ。何を書いたんだっけ。ペリペリとペーパーナイフで開け、中身を見る。三枚ほどの手紙と写真が複数枚入っていた。手紙を読むと、学生時代の私の悩み、今やってること、未来への期待が書かれていた。我ながら微笑ましいと思いつつ、写真を見る。写真は卒業アルバムに入らなかった私の写真らしい。過ぎ去った日々に思いを馳せ、感傷に浸る。こういうのも良いものだ。そして、最後の一枚になったところで違和感を覚えた。私は手紙を書いただけで写真は入れなかったはずだ。手紙を入れた後、私が封をしたのだから写真は入れていない。後から先生が入れたかと思ったが、封は私が開けるまでそのままだった。じゃあどうやって?勝手に写真が封筒の中に瞬間移動でもしたというのか。それにこの写真も変だ。校内の写真ならまだ分かるが、私の登下校時の写真だ。いつ撮ったのだろう。それ以外にも校外に私と友人が遊びに行く写真がある。気味が悪い。もっと嫌なことに気づいてしまった。この封筒、消印がない。私は今一人暮らしで、卒業後誰とも連絡を取り合っていない。だから、私の現在の住所をクラスメイトや先生が知るはずがないのだ。じゃあ、今郵便受けに直接投函してきたのは一体…?先ほどよりも温度が下がった部屋の中で私は身震いした。
ふと思い出すのは
感情が激しく揺れていたあの頃
あんなにも手に負えなかった激情を
そんなこともあったなあなんて
乗り越えたという誇らしさと
激情を失った物悲しさと
渦中の生々しさが欲しくなる
平和な今日
#過ぎ去った日々
「過ぎ去った日々」
貝殻に波の音が残るように
ぼくの抜け殻にも過ぎ去りし日々が鳴るのだろうか
《過ぎ去った日々》
過ぎ去った 日々を思って君が泣く ボクは未来で 君を想うよ
本当は後半は「それならボクは君を想って未来で泣くよ」にしたかったけどどうしても字数的に収まらなかった……😭
2026.3.9《過ぎ去った日々》
過ぎ去った日々
十代に辛い時期が続いてストレスかかりすぎ、本来は脳に腫瘍が出来ていないと起きない症状が身体に出てしまった。
その頃から酒に逃げてきたし顎も外してた。
アル中にならなかったこと、クスリとは縁がなかったことはラッキーだった。
自分で自分を守れたとは全く思っていない。
頭数としての大人は周りにゴロゴロいたのに、どうもしなかった。
何度も話を聞いてもらったと思ってたけど、途中から「これ何の意味もないやつ?」と思ってた。
このままでは私は壊れますと毎回伝えていたのに何も起こらなかったから、1+1=2であるように、壊れた。
話せば話すほど絶望が深まり、自分だけが宇宙人なんかなっていう孤独の中にいた。
大学も辞めちゃったし。
あ、でもこれは体のせい関係なかった、うっかり便乗しちゃった。
辛かった日々もその後の日々もなるべく自分を治したいって本をたくさん読んだり人とたくさん話した。
表向きは明るいし酒席は声かかるしあちこちで働いたり好き放題生きてきた。
私という1人の人間を、「明るくて自由で悩みなさそうでいいね」って見てくれる人もいるし、「お前周りと話し合わないだろ、もっと大人になればわかってくれるやついるよ」って見てくれる人もいた。
あまり何も語らなくても人の深いとこまで見てる人と見てない人がいるんだって若い頃から知ることができた。
それは相手の人の自己紹介のようでもあって、もしかしたらその人たちも深い傷と向き合った経験があったのかもしれない。
でもそのものさしを持っていることと相手の人間の好き嫌いは別だった。
何十年も経って今、過ぎ去った日々の上に私は立っている。
概ね良好、でも今の環境で気楽に飲みに行ける人いまだ出会えていないことが由々しき問題。
ほんとトンネル、これ出口あるのかな。
もうそんなにHP残ってないよー!
過ぎ去った日々
今の僕は過去に自分で選択して進んだ結果である
違うのを選んでいたら
今の僕はここにはいないだろう
過去は良かったことも悪かったことも
全てに意味がある
自分を作り上げていく
寿命はあとどれくらいなのか分からないけど
なりたい自分になるために
どうにかするね
『過ぎ去った日々』
12時19分の電車に乗って、のんびり気分
本を読みながら たまに景色を眺め
移りゆく家や空に 過ぎ去った日々を投影するのだ
流れてゆく過去を見つめながら
惜しむでもなくよろこぶでもなく
これが大人になるということなのか
過ぎ去った日々/中2の自分
背の高い木に登り
世界を見ていた時
中2の私は家から
ナタを持ち出して
小屋みたいな物を
作って秘密基地に
したり英雄ごっこ
に夢中だった
女子の友達はできなかった
何故かは知らないけど
仲間外れではなかった
女子はキティちゃんの
人形を鞄に付けたり
グッズのキラキラした
「女の子」を満喫してる
私は殆ど買ってもらえないし
お小遣いも足りない
ハンカチはスヌーピーだ
人と違う事を気にしなかった
思春期の始まる前
今と随分違うなあ
いつから
人と比べるようになったんだろう
良い事が無いのに
比べて良いことなんてない
過ぎ去った
素直をまだ持っていた日に
おーいと呼んでみても
私は振り向かない
【過ぎ去った日々】
本当にあっという間だった、この3年間は。
全てを終えた今はのんびりと過ごして、4月が来るのを
待っている。
ずっと待ち望んでいた安らぎなのに、何か物足りない。
学校生活はとても充実してた。私の心も成長した。
けれど、もう「過去」として過ぎ去っていった。
自分の思い出としてここに残っているだけ。
学校や仕事で慌ただしい日々を私たちは過ごしている。
そのなかで手に入れた休日が、いちばん安らげると
思う。
【あとがき】
あなたは舞姫の生存を確認しました。
やっとひと段落ついたところです。
これからもよろしくお願いします。
半世紀もの時間を生きてきた
過ぎ去った日々とは
自分を形成してきた時間
前世があったとするならば
今世はこんな自分が出来上がった
としか言いようがない
振り返って後悔することも
ないわけではない
これでいいんだ
変わりようがない
【過ぎ去った日々】
窓を開け放つとまだ寒い風がひゅうっと吹き込んできた。はたはたとカレンダーがはためき、ダンボールのフタが浮いてパタンと落ちる。少し前までならポスターやかけていたハンガーの服もはためいていただろうが、それらは全て箱の中だ。
故郷を飛び出して一人で生きていこうと思ったのが随分前のことのように感じる。あの時もこんな風が吹き込んでくる日だった。一人きりの部屋に、不安と期待を目一杯に持ち込んで、初めて自分だけの暮らしを始めた。思えば若かったなと思うし、その初志をまだ持っていられているかと、自省するところもある。その暮らしを始めて数年後、流行病で街が静まり返った。外出もままならず、あの時ばかりは家族の元に帰れないことの苦しさに嘆きもした。
リモートワークの間にできることが増えて、そちらで道が拓けてきた。自分で決めて、職を離れた。フリーランスは大変だったし、途中で色々な仕組みが変わってしまって、混乱することもあった。協力してくれる他のフリーランス仲間と必死に切り抜けていって、やっていって、ひたすらがむしゃらに働く日々だった。
昨夏の頃に、その中の一人が起業する、と言い出したのが、ターニングポイントだった。お前に一番に声をかけた、ウチでやらないか、と。必要とされることと、一人でやっていくことと、オフィスに入ることと、リモートワークと。いろんなことを天秤にかけて悩んで悩んで、ついていくことに決めた。
前々から考えていたシェアハウスの件もあり、物件が決まって、この家を離れることになった。
ダンボール箱の中に詰めたパソコンやタブレットの中に、ぬいぐるみが一つ混じっている。
家を出る時に、まだ高校生だった妹がくれたものだ。有名ゲームのキャラクター。もはや国民的アニメにまでなったジャンル。その登場キャラの一人のぬいぐるみは、今でも変わらずに好きなものだ。リバイバルがあれば仕事の間にやるくらいは入れ込んでいる。結局そういうものからは縁がないままだが、自分の仕事に誇りはある。もし誰か自分の、後続となる人間が現れた時に、その誰かにバトンを渡せるくらいの技量はあるはずだ。そう信じるしかない。
少なくとも、ここまでの十年と少しの生活は、無駄ではなかった。そう自分に言い聞かせて、ダンボールをガムテープで閉じた。
♫ピロピロピロォ〜
いらっしゃいませぇー
いつでもニコニコンビニ【ひなたねマート】へ、ヨウコソぉー
お客様ぁー
ただいま当コンビニ開店9周年を迎えておりぃー
コチラの《濃いフローラルな天然(フウ)の香り♡流せるポケットティッシュ》を無料で配布しておりますぅー
えぇー?
"極度の香りアレルギーなので絶対に要らない"ぃー
はぁーいぃー
かしこまりましたぁー
また機会があればお願いしますぅー
お客様ぁー
本日から始まったぁー
《ひなたねマート春のマニアック☆フェスティバル》ぅー
商品目白押しで取り揃えておりますぅー
まずはコチラぁー
商品ナンバーわんー
《やって来る未来》ぃー
お金あるかな、生活できるかな、寂しくなるかなぁー
その不安をこう変えてみようぅー
お金あるし、生活できるし、寂しくならないぃー
貴方の想いが未来を創るぅー
続いてぇー
商品ナンバーつぅー
《いまココの現在》ぃー
陽の光が暖かいな、陽が長くなったな、春が近づいて来ているなぁー
そんな周りの小さな変化に氣が付くことがぁー
後にやって来る大きな変化の波にぃー
スムーズに乗る事が出来ると思うぅー
最後にぃー
商品ナンバーすりぃー
《過ぎ去った日々》ぃー
何でそんな事を言われたんだろう、何であんな事を言ってしまったんだろう、何でこんな事が起きてしまったんだろうぅー
どんなに不快でも悔やんでも考えてもぉー
その瞬間は二度と戻らないぃー
だけどその事を無かった事にしたくてぇー
鍵付きの頑丈な箱に入れておくんだけどぉー
チョットした隙間にぃー
閉じ込めていた数々がぁー
マグマの如く溢れだしてくるぅー
あぁー
アタシったらぁー
店長に何度も注意されているのにぃー
お客様に対してタメグチしちゃうぅー
ごめんなさいぃー
反省していますぅー
それではぁー
お客様ぁー
どちらの商品に致しますかぁー?
えぇー?
"商品の内容が濃すぎるので家に帰って家族と相談する"ぅー
はぁーいぃー
かしこまりましたぁー
またの御来店お待ちしておりますぅー
ありがとうございましたぁー
♫ピロピロピロォ〜
—僕の今日をいつか君に—
僕には、弟がいる。年子のかわいい弟。
小さい頃は、毎日公園で遊んだね。
『3月10日 火曜日 (くもり)
今日は、友達と遊園地で遊んだ。』
でも三年前から、弟は家からいなくなってしまった。
学校からの帰り道に、交通事故に遭ったのだ。それから眠ったように、病院で横たわっている。
『ジェットコースターには乗れないって、何回も何回も言ったのに、友達に無理矢理乗らされた。』
僕は、今日が明日には過去になる。
でも弟は違う。三年前から時が止まっているんだ。
『怖かったけど、正直楽しかった。いつか、弟とも一緒に遊園地に行けますように。』
僕の過ぎ去った日々が、弟の空白の時間を埋められるように、今日も日記に記しておこうと思う。
『きっと、家族みんなで行けたら楽しいだろうな。』
最後に、僕と弟が一緒に遊んでいる姿を想像しながら、絵を描いてみた。
お題:過ぎ去った日々
30のときに失ったもの
体力
飛び込む勇気
好きという気持ちだけの恋愛
バカになれる心
男に好かれるためだけの可愛い衣装
オールでの飲み会
20のときに失ったもの
親の後ろ楯
制服を着る当たり前の日常
自然な人との出会い
でも、40を過ぎた今だから得たものもある
母子手帳
子どもたちの成長を記録したアルバム
子どもたちの笑顔
幼稚園や小学校で作ってきた作品たち
夫のだらしない寝姿
役職をもった夫の弱音
子どもたちと遊ぶ両親の姿
歳を取らなければ愛おしいなんて思わなかったものもある
もうひとつ、
歳を取ることの楽しみを知ったこと
「過ぎ去った日々」
むそオリ|現パロ高校生|紫劉(無劉)
机の上に広げたノートと教科書。
鉛筆を握りしめてはいるが、それを動かすことなく、隣の席で窓の外を眺める君の横顔を見つめていた。
ふわりとカーテンが舞うと、流れるリズムを奏でるように、君の髪の毛もふわふわと踊った。
視線を感じたのか、こちらに振り向くと綺麗な暁天の瞳がおれの心を捉える。
「.........今、劉備のこと考えてた」
ほんの少しだけ笑みを見せる。
「...おれ...も.........」
反射的に返答したが、恥ずかしくなり口をつむいだ。
一秒毎に、また君に落ちていく。
おれには君の記憶が無いのにな。
過ぎ去った日々。
ふとした瞬間に店内で流れた音楽。
「あ」と呟けば蘇る日々。
日数にしてみればそんなに長くはないだろう。
けれど私にとっては毎日キラキラしていたよ。
きっかけが大人数と一緒でミーハーだったとしても、あなたたちを知れば知るほど笑顔が増えていったよ。
心が踊る日々をありがとう。
これからも大好きだよ。
貴方がいた生活が
過去だったとしても
私は未だに
あの日々を
思い出してしまいます
by『過ぎ去った日々』
書く習慣:本日のお題「過ぎ去った日々」
「過ぎ去った日々」、卒業シーズンらしいキーワードであると同時に、楽曲の歌詞にありそうでもある。
カレンダーに目をやる。
今日は3月上旬の最終日。今月の3分の1が過ぎようとしている。
大人になると、やたらと時間が経つのが速く感じられる。
世間ではジャネーの法則と呼ばれているらしい。
「5歳の子どもにとっての1年間は人生の20%(5分の1)を占めるから長く感じるが、50歳の人の1年間は2%(50分の1)だから、あっという間に感じられる」というものだ。
過ぎ去った日々を振り返ってみる。
子ども時代はずっと学校行事とその練習、そして試験に追われていたように思う。
3月は卒業式の練習や「三年生(六年生)を送る会」の準備があったし、それが終われば新生活や入学式の準備が待っている。在校生なら「一年生を迎える会」や「部活動の勧誘」に追われ、部活見学に来た新入生に感じよく頼れる先輩っぽさを見せるなどしていた。
大人になり、人間関係の入れ替わりが少ない職場に身を置く生活になった。
学校行事から解放されても、今度は仕事がある。しかし、業務に追われている日々だというのに、子ども時代ほど体感時間が長くない。むしろ、週末前と週明けに「もう3月の1週目が終わっちゃう」とか「もう2週目になっちゃった」などと同僚と挨拶するのがお決まりになっている。
もちろんジャネーの言うとおり、人生に占める1年の割合が歳をとるごとに減っていくからだろう。
そして個人的な感覚としては、業務と学校行事の捉え方の違いがあると思う。
私にとっての学校行事は、「早く終わって解放されたいな」と思いながら、だるい練習を繰り返すものだった。
たった1日のイベントのために、合唱曲やら劇のセリフやらを覚えなくてはいけない。真面目にやれない人が出るのもしょうがないと思う。当時の私は「練習態度も評価されるなら真面目な顔でおとなしくしていよう」と考えていた、小賢しいクソガキだった。
そして大人になった今、ありがたいことに職にありつけている。そして仕事は締切が肝心だ。
子ども時代のイベントに変換すると、「夏休みの宿題を2学期までに終わらせなきゃいけない」あの感覚がいちばん近い。
夏休みは40日くらいあったけれど、仕事は当日中や1週間以内の期限が設定されているものもある。
中には1ヶ月以上の期限の業務もあるが、夏休みと違うのは、1ヶ月期限の仕事と並行して当日期限、1週間期限の仕事も抱えていることだ。
単にやることが多すぎて、ハッと気づけば1日が、1週間が、1ヶ月が終わっている。
スパンの長い業務に対しては、子ども時代同様に「早く解放されたいな」と感じているが、当日が来るのを待つしかなかった子ども時代とは違う。
カレンダーを眺めて物思いに耽っている場合ではない。
「もうお昼!?」「もう3時!?」と1日単位どころか時間単位で過ぎ去った日々に驚きながら、毎日を生きている。