『過ぎ去った日々』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
『過ぎ去った日々』
過ぎ去った日々に手を振ってお別れしよう。
集めた思い出の紙束に、火を付けて燃やした。
これは荼毘だ。
「大学受験のための勉強用紙、さようなら」
「そして大学のレポート、こんにちは」
未来の事は今は考えず、とりあえず過去の研鑽を燃やして美味しい焼き芋を食べる事にした。
…………おいしい。
よし、明日の大学デビューも頑張ろう!!
焚き火からチラリと見えた、初期の頃の赤点の紙が見え、私はクスリと笑った。
きっとどんな困難があっても、やっていける。
おわり
もう取り戻すことはできない日々を、これからどうやって消化していくか。それは未来の自分がゆっくり噛み砕くだろう。
「過ぎ去った日々」
日記を見てみると
さまざまなことが呼び起こされる。
嬉しかったこと
悲しかったこと
頭に来たこと
過ぎ去ってしまった日々
今の自分の土台になっているから
大切にしよう
どうやって歩んできたか 振り返る
ことなく未来語る愚かさ
#過ぎ去った日々
ふと思い出すことができる恋は宝物
過ぎ去った日々が琥珀色のシロップみたいに
染み出して思い出して味わって
また丁寧に包んで大切にしまい込んでおく
そんな昔の恋
──────
……まぁ、たまにビチャビチャになってピャーってなりますけどね(´・ω・`)
棚の隅に置かれていた高校の卒業アルバム。
数年ぶりに取り出すと、埃が被っていた。
適当なページを開く。
開いたページに載っていたのは、文化祭の時の写真。
皆、楽しそうな顔をしている。
……学生時代の頃は楽しかったなぁ。
大人になった今、毎日仕事の激務に追われ、あっという間に一年が過ぎていく。
時間の経過が、あまりにも早すぎる。
歳をとったなぁ……俺。
気がつくと、卒業アルバムを全ページ見てしまっていた。
部屋の片付けをしていて、卒業アルバムを捨てようかと思っていたけど……。
思い出として、青春の1ページとして、卒業アルバムを捨てずに置いておくことにした。
過ぎ去る
過ぎ去る
1日が長く
1週間も長く
早く土日来ないかな
と思ってた日々も
過ぎ去り
桜の蕾が膨らむのを見て
もう春が来た
1年もあっという間で
季節に追いつけない
いったい何してた
忙しいはずなのに
過ぎ去った日々に
慌ててる
『過ぎ去った日々』
ある時、私は立ち止まった
それまでずっと、外側に自分を探し続けていた
自分が何者かであると信じ、それを証明するべく、その方法を探していた
ある出会いでその流れを止めた
それまでの流れは、流れているようで、少しも進んでおらず、実は同じ場所をぐるぐる迷い、すっかりよどんでいた
そのタイミングから5年、外から見れば同じに見える自分だけれど、中身は全く違う
以前の自分の必死さは、愛らしく、でもちょっとハズい
どうやって生きようと、私たちは自分の感覚で、自分の世界を生きている
どれだけ外の世界で認められようと、自分の世界で自分から認められなければ意味がない
外を探し続ける旅は終わった
ほっとした
そして今、ネットの世界の整理を余儀なくされている
どうやら新しいフェーズに入ったらしい
え!もう2025年過ぎたの?
あれ?
確か、3月に息子の引っ越し
私の職場での移動
と慌ただしくしていた日々
そんな慌ただしい日々 色々な意味で私に力をくれた。可能性や希望が見えてきた。
そんな過ぎ去った日々 =私の宝
過ぎ去った日々
「過ぎ去った日々」
養花天 君との過日を懐かしみ君のしあわせ想い見上げる
彼は自分の人生を振り返っていた。子供の頃からの嬉しかったこと、悲しかったこと、さまざまな出来事が一度に蘇る。今再び過ぎ去った日々を生きている気がした。長かったような人生も思い返すとあっという間。ああ、これが死に際に見るという走馬灯か……。
全てが消え
あの日に戻れたらどうする?やり直したい過去はある?過ぎ去った日々は戻らない。もし戻れたとしてもまた同じ道を辿るだろう。だって分からないことは怖いもの。
過ぎ去った日々にはもう戻れない。
君を全て忘れるのがとてつもなく怖い。
あの日を忘れてしまいそうで。
君の声が聞きたい。
君の笑顔が見たい。
どうして僕を置いて逝ってしまったんだ。
残された方が一番辛いと知ってるのは君なのに。
母が死んでから、実家の時計はすべて止まっている。
誰が止めたのかは知らない。気づいたときにはもうそうなっていた。台所の丸時計も、居間の柱時計も、洗面所の小さな置き時計も、針を同じ場所で固定されたまま埃をかぶっている。時刻はどれも違う。それぞれが別々の瞬間を抱えて、黙っている。
私は盆に帰省するたびに、それを直そうとして、直せないまま東京に戻る。
今年の夏も、同じだった。
新幹線を降りると、むっとした熱気が体を包んだ。駅前のロータリーには変わらずタクシーが並んでいて、変わらずセミが鳴いていて、ただ薬局が一軒、コンビニに変わっていた。それだけが違った。
実家は駅から二十分ほど歩いたところにある。かつては自転車で走った道を、今は重いバッグを持って歩く。途中にある神社の石段は、子供のころよりずっと低く見えた。何かが縮んだのか、私が大きくなったのか、それとも単に記憶が盛っていただけなのか。
玄関を開けると、懐かしい匂いがした。
母の匂いではない。もっと古い、家そのものの匂いだ。木と畳と、少しの黴と、長い年月が積み重なった匂い。私はいつもそこで一瞬だけ立ち止まる。靴を脱ぎながら、何かを思い出しかけて、思い出せないまま上がる。
父はリビングでテレビを見ていた。音量が大きい。耳が遠くなったのだ。
「おう」と父は言った。それだけだった。私も「ただいま」とだけ言った。私たちはもう長いこと、必要なこと以外を話さない。それが冷たいのかどうか、私には判断がつかない。もともとそういう家族だったような気もするし、何かを失った結果そうなったような気もする。
台所に行って麦茶を作った。母がいつも作っていたのと同じやり方で、パックを三つ入れて、冷蔵庫で冷やす。誰かに習ったわけでもないのに、体が覚えている。
夕方、仏壇に線香を上げた。
母の写真は、笑っていない。笑っていないが、穏やかだ。葬式の前日に父が選んだ一枚で、私は最初それが母らしくないと思った。母はよく笑う人だった。でも今は、この写真が正しいような気がする。笑っていないほうが、長く見ていられる。笑顔は何かを要求してくる。穏やかな顔は、ただそこにいる。
線香の煙が細く立ち上がって、天井に向かって薄れていった。
夜、眠れなかった。
子供のころ使っていた部屋に布団を敷いて横になると、天井のシミがそのままあった。右上のあたりに、島みたいな形のシミ。小学生のころ、雨の日に眺めながらそれが何に見えるかを考えた。クジラに見えたり、靴に見えたり、何にも見えなかったりした。今夜も同じように眺めてみる。今日はただの染みに見えた。
どこかで風鈴が鳴った。細い音が一度だけ鳴って、それきり聞こえなくなった。私はその音が消えた後の静けさの中に、しばらくいた。
過ぎ去ったものは、なくなるのではない、と思った。ただ形を変えて、どこかにある。水に溶けた塩のように、見えなくなるだけで、確かにそこにある。それを信じるかどうかは別として、そう思うと少しだけ楽になれた。
翌朝、早く目が覚めた。
縁側に出ると、庭の朝顔がまだ咲いていた。母が毎年植えていたもので、父が今も続けているらしい。濃い青と、薄い紫と、白が混じって、露をつけたまま朝の光の中にあった。
見ていると、少しずつ閉じていった。
父が台所で動く音がした。ガスに火をつける音、やかんを置く音。私は縁側からそれを聞いていた。特別なことは何もない朝だった。でも私はなぜか、この朝のことは忘れないような気がした。
忘れない、と思った瞬間、もうそれは過去になりはじめている。
東京に戻る新幹線の中で、私はずっと窓の外を見ていた。
田んぼと、山の端と、川と、工場と、住宅地と、またトンネルと。速すぎてどれも名前をつける前に消えていく。
実家の時計は、今年も直せなかった。
来年も直せないだろう、と思う。そしてそれでいいような気も、少しだけする。止まった時間の中に、何かが保たれている。動き出したら、それは流れていってしまう。流れていくことは、消えることではないけれど、手の届かないところへ行ってしまうことではある。
水の底に沈んだものは、静かだ。揺れない。光だけが、上から差し込んでくる。
私はそういうものたちのことを、時々思う。
そりゃね、少年時代に親の暴言や暴力に晒されてきたら神経過敏にもなるよ。何を選ぶにもどっちなら怒られないかな?平手打ちされないかなって顔色を窺って生きてきたんだ。今更そんな性格は変わらないよ。だからどこにも居場所がなくてベッドから抜け出せなくて一人の時間が欲しいから夜中に目を覚ますしかない。他人の人生の隙間を縫うように過ごしてる。
鬱のセルフチェックはAP(All Perfect)なのに
「どこも異常はありません」
題『過ぎ去った日々』
追伸
同じ空間にいるのが苦しくて夕食は立ちながら冷たいタコ焼きをひとつ口に含んで逃げ出した。
温める時間すら危険だから。そして18:30に布団に潜る
過ぎ去った日々は変えられない。
諦めて前に進むのみ。
「…でいいかな。」
「今日は短いんだな。」
そう幽霊のヨシダは言う。
「まーそうね。今日は疲れちゃった。」
「そんなことないやろ。ずっと家にいたやないか。」
「……それでも疲れたの!」
ヨシダをぎっと睨む。
「…はいはいわーったよ。」
たまに
過ぎ去った日々を
振り返る
…
普段の日々は
あまり覚えていない
そこで
ここの「書いて」も
何作目かの
番号の振り間違いが
無いかを
掘って見る
すると…
え?こんな事
書いたっけ?
という時がある
足跡をまた
独りでにやけて
楽しむ🤭
あー…
目が痒くなって
きましたので
今日はこの辺で
✴️689✴️過ぎ去った日々
過ぎ去った日々
今振り返ってみても無益で無駄で無意味な
なんの生産性のないものだった
それでも今日まで続いてる
そして明日も続けていかなくちゃならない
生に意味を見出さなければならない
それが正しいことだから
それが人間だから
これまでの自分を形作るすべてに報いなければならない
前を向いて歩き出さなきゃいけないのに
2019年3月18日から2024年2月26日まで、けんたんと付き合ってま6年。早いようでゆっくりした時間をふたりで過ごせました。
喋ったり手を繋いだり、キスしたり手をつないだり、一緒に映画をみたり歌をうたったり。
ふたりが別々のこと(けんたんはギターの弾き語りで私は編み物)をしていても、一緒の空間にいられるだけてただそれだけでよかった。
ただそれだけで嬉しかったし幸せだった。
でも今はもう会いたいけれど会えない。
正直胸がくるしくなることもある。涙を流すときもある。
彼氏の影響ですきになった長渕剛さんの曲に幸せの涙という歌がある。是非みんなにも聞いてもらいたい。
大した起伏も無い自らの半生を振り返ろうとしたら、漫画「SLAM DUNK」の名シーン、名ゼリフを思い出してしまい、コミックを読み耽ってしまった。
「オヤジの栄光時代っていつだよ…全日本の時か?オレは…オレは、今なんだよ!」
#過ぎ去った日々