『過ぎ去った日々』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
プール一杯のプリンを泳ぎながら食べたい、とか。
ずっと寝ていたい、ずっと遊んでいたい、とか。
億万長者に世界征服、君はムツゴロウ?
それともヒーロー?
「……なんの話?」
毎度のことながら趣旨の分からない話を突発的に喋ってくる君に、読んでいた雑誌から思わず目を離して聞き返した。
「子供の頃の夢だよ、有ったでしょ? 大きくなったら〜ってヤツ」
そう言って、へらりと君が笑う。
「……そんな昔のことなんて、覚えてませんよ」
好奇心の塊みたいなキラキラの君の瞳の圧に屈しないように、プイと顔を逸して手にした雑誌で完全に顔を覆った。
「嘘だあ」と床に寝転んでいた君が「よいしょっ」とダイナミックな匍匐前進でソファに這い上がると、膝の上に頭を乗っけてゴロりと転がる。
教えてよ、と上目遣いの君。
「だから、忘れましたって」
嘘、本当は覚えているけど、君には教えたくない。
だって絶対、君は笑うだろうから。
私も恥ずかしいし。
テーマ「過ぎ去った日々」
大きなお腹を抱えて、歩いた日々。
常にスイカを抱えているようだった。
毎晩の前駆陣痛に、布団の中で丸まり耐えた。
いつ抱けるのかと、心待ちにしていた。
片腕に点滴を付けられ、陣痛に声を出す。
「これで産む」と、案外冷静だった。
産まれたのに、聞こえない泣き声。
「泣いて!泣いて!」と分娩台の上で叫んだ。
小さな手、足。
薄い髪の毛。
柔い身体。
元気に育った。
ひと晩泣き続けた長女とは違い、夜はよく寝てくれる子。私も3時間を超えて寝てしまい、慌てて起きると次女の呼吸を確かめる毎日。
寝返り、ハイハイ、おすわり、ひとり立ち。
ママ追いも長女大好きなおかけで、負担が分散された。
姉追いされて困る長女が、なんとも優しく、3歳離れた次女の面倒を見てくれる。
長女はママ追いが酷くって、トイレの前でドンドンガチャガチャ。どこまででも付いてきて、ノイローゼになりかけたのに…妹の面倒を見れるまでに成長したんだね。
歩いて、走って、保育園入園。
保育園ってすごくて、驚くほど成長して帰ってくる。
いつの間にか、出来ることが増えていて、
ママがいなくても平気になっていた。
それは少し悲しいことのようで、でも仕事を終えて迎えに行った時の、満面の笑みはとても強くて安心出来るものだった。
たくさん風邪をひいて、仕事を休んだ。
たくさん、頭を下げた。
ヒールや派手で引っかかるアクセサリーは避けるようになった。自分の服にお金をかけず、子どものことをお金を使うようになった。
ある時、次女が風邪でけいれんを起こし、意識を失った。抱っこしていた手の中で、全身の力が抜け、3分程のけいれん。
すぐに救急車を呼んだ。
次女は病院へ着いてようやく意識を取り戻した。
朦朧としている中、焦点の合わない目線。
手の震えが止まらなかった。
産まれた日のことを思い出す。
「泣いて、泣いて」
寝不足と疲れで「いい加減にして!泣かないで」と何度も思ったけど…真っ先にそのことが思い浮かんだ。
入院3日目で、ようやくご飯も食べられるようになり
座れるようになった。まだぐったりはしていたけど、座っている時間が少しづつ増えた。
生きていて、良かったと泣いた。
悪いことは続くもので、その数ヶ月後。
今度は長女がけいれんを起こした。
熱のないけいれん。
意識を失い呼吸が止まり、次女の時を思い出した。
数分で治まったその後は、普段と変わらない長女に会えた。
2度目のけいれんを起こし、
小児てんかんと診断された。
何度経験しても、なれることはなく、長女のけいれんが起こるたびに手が震える。
子どもが産まれて、生きている。
それが本当に奇跡なのだと思えた。
お風呂やプールで倒れて、溺死するかもしれない
階段や遊具で倒れて、転落するかもしれない
気の休まらない不安な日が続く。
けいれん発作が長く続き、止まらないかもしれない。
すぐに止まっても繰り返し、障害が残るかもしれない。
今日と同じ日々は、2度とこない。
だから、後悔しないようにしたいと、長年勤めた会社の正社員を辞めた。
少しでも子どもと居られるように、パートで転職した。
今まで見たことのない子どもたちを見れたのだから、
後悔はしていない。
どれもこれも、もうすでに、過ぎ去った日々…
明日はどんな日になるのだろう。
こうしている今も、もう一瞬で過ぎ去っていく。
過ぎ去った日々、過ぎ去った年月が
もはや予測できる自分の人生の残り時間を上回った時
寂しい
もう手持ちの人生のカードはほとんど捲られてしまった
残りのカードから推測するに
これまで以上の運を予期することはできない
過去に執着するのが嫌で、昔から日記を書くのは苦手だった。読み返すと、そのときの感情や情景が思い浮かべることができるのが嫌だった。過ぎ去った日々に思いを馳せる時間ほど、無駄でいらない時間だと感じていた。
だから私は未来日記をつけることにした。
この日までにこれを叶えたい。こうなりたい。こうしたい。自分への期待と未来への希望が詰まったその日記は生きる糧になった。
私はそこに書いた未来が叶うように常に考えながら行動した。それは難しいことではあったが、同時に楽しくもあった。ひとつ、またひとつと未来が叶うたびに私はずっとその先にある幸せに辿り着けるのだと信じてやまなかった。
だが、ある日突然それは終わった。
痛みから目を覚まして、真っ白な空間の中で私は現状を理解しようとした。身体を起こしてみると、腕にはたくさんの管が繋がれていて、口元には酸素マスクのようなものがはめられていた。なにを思ったのか、私は酸素マスクを外してその場から逃げようとした。
だけど、どれだけ頑張っても足が動かない。動かせない。どれだけ力を入れても感覚がなかった。不安になり、かけられた布団を捲るとちゃんと、両足は存在していた。だが、足首はだらんとしており、麻酔でもかかっているようだった。
状況を理解できずに固まっていると、看護師が部屋を覗きにきた。そこで意識が覚醒したことに感動して、すぐに担当医が呼ばれた。そこでされた説明は、交通事故により骨折をして、それが原因で下半身不随になったということだった。
絶望感しかなかった。ずっと先にあるはずの幸せな未来を見失って、今すぐにでも死にたかった。リハビリもサボってばかりで、私は自分の人生を諦めていた。
そんなとき、見舞いに来た母が二冊のノートを持ってきた。一冊は新品のノートで、もう一冊は私が書いていた未来日記だった。泣きながら、まだ未来はあるよ。新しい未来をここに書こうと手渡された。
叶えたい未来はもうなかった。それでも、これから生きていかなければならない。
新しいノートの一ページ目に私は「生きる」とだけ書いた。その先はこれから考えていこうと思う。
あぁ…。もう、二度と戻れないんだな…。
最近、俺はつくづく痛感する。
もう、あの頃のような関係ではないのだと。
それほどまでに深い亀裂が入ったと。過ぎ去っ
た日々は長いのだと。
* #過ぎ去った日々 No.24
今まで色んなことがあって、それを乗り越えて、今は沢山頑張ることが出来てる。苦しいこと、辛いこといっぱいあるし、今までの自分なら頑張れていなかったことにも、目を向けることができてる。凄くいいことのようにも感じるけど捉え方によっては、すごく無理してしまってる自分がいて、自分のキャパがわかってないように思える。とりあえず完璧を目指して熱中して。でもそれで体力切れしちゃったら元も子もないないよ。胃腸を壊してしまったり、肌荒れの原因にも繋がるし。もっともっと自分を大切にした上で頑張っていくことがこれからの目標だね。無理するなよ!!
過ぎ去った日々
過ぎ去りし日々は日を増すごとに輝き、同時に輪郭を失っていく。
ちょうど、今日訪ねた印象派展みたいに。
ぼんやりとした淡い作品たちは、誰かの遠い記憶を辿っているようで心地よかった。
この先、同じように過去になるであろう時間が、どうしようもなく恐ろしいのはなぜだろうか。
長く生きるほど、捨てなければいけない思い出がある。間違って捨ててしまった綺麗な思い出を、まだ探している。
過ぎ去った日々に残るのは、いつも未練ばかり。
やり直したい過去だけが増えていって、
幸せな思い出はなかなかできない。
そんな生活に疲れてしまって、
全てを投げ出してしまいたくなる。
そんな瞬間がある。
でも、それはきっと悪いことじゃない。
醜い過去も、美しい日々たちも。
きっと、私の大切なたからもの。
美しいと思うには、
醜いと思うことも必ず必要だから。
#過ぎ去った日々
思い出も何もかも
随分と昔になってしまった
あの時に帰れたら何ができるだろう
少しはマシな人生を歩めただろうか
でも今もそれなりに充実している
それもあの苦しかった時期があるからなのだろう
苦しくても周りに頼る人もいなく
カウセリング通いたい親に話しても
「周りの目があるから」と
通院も断られ
乗り越えたとは思わないが時が過ぎ今になって
母も兄も病院にかかり
恨み言を今更言ってみても
「だって辛かったから」と返され
悩んだ日々も無駄に感じた
親の許可なんて大人なんだから要らないのに
母に縛られていた
今でも思い出すと苦しくなるけど
親元から離れた今は少し楽だ
私の好きなその寄席(よせ)は、客が入らない事で有名だった。
ビートたけしの『浅草キッド』の歌詞に、
♫客が、2人の演芸場で~
とあるが、平日でトリがセコイとそのくらいの客の入りの時がソコソコあった。
なにしろ、古くて薄暗いビルの3階にあって、エレベーターもなかったから、知らない人は途中で怖くなって帰ってしまう程だった。
そこに一流の芸人が10と2、3人出るのである。大赤字なのは間違いなかった。
落語界ぜんたいも低迷していた時代で、ビルも老朽化し、限界で、とうとうその寄席は閉める事になってしまった。
最後の2週間、落語協会の大看板が勢揃いした番組が作られ、
東京中の落語ファンがその寄席に集まった。立ち見が出る、押すな押すなの超満員だった。
特別あつらえのパンフレットには「光陰矢の如し」と書かれていた。
大盛況で幕は降ろされ、
ビルも壊された。
1951年に建てられたビルは、1990年に生命を終えた。
しかし、
1993年、その寄席は復活したのである。
奇跡の落語ブームも起こった。
光陰矢の如し、
だが、時代は巡るのである。
幼き日
過ぎ去る日々は
死を前に
振り返る際
輝ける日々
お前、声小さいよ。聞こえない。
え?おまえあの大学目指す?辞めとけって。
気が利かない子だねーほんとに。
あの時投げ込まれたナイフが、槍が、刺さってくる。過ぎ去ったはずの日々なのに。今だに。
過ぎ去った日々ってなんだよ。
今、わたしが己と信じて対面しているこの時間が、
過ぎ去った日々によって羽交締めにされている。
過ぎ去った日々たちの鎖。ずっとずっと付き纏ってくる。
誰か、持っていませんかね、いとも簡単に引きちぎれる秘密道具。
ハサミじゃ痛いよね。切り刻んでしまいたいんだけどね。
鎖がわたしに巻きつき過ぎて、
粉々にしたらさ、私も、消えてなくなってしまうと思うんだ。
もういっそのこと、包帯男の鎖バージョンでハロウィンショーにお忍びで出ようかしら。
ハロウィンショーに出るか、鎖に窒息させられるか、
それとも、粉々にしてしまうか。
結局、わたしは消えてしまった?笑
過ぎ去った日々と歩いているのがわたしなの?
過ぎ去った日々がわたしなの?
過ぎ去った日々と関係なくなったらわたしじゃないの?
過ぎ去った日々
過去を振り返って仕方ないのは分かって居
るけどどうしても忘れられない人が居ます。
もう終わった事なのに振り返っても元には戻
れないのは分かって居ます。
何が悪いのか、どうしてわたしは離れてしま
ったのか自分でも分からない?
結局、貴女を傷付けてしまったのかな?
そればかりが、心残りで今も涙してます。
楽しかった日々は二人の想い出になったのか
な?
貴女の事を全て分かって居たつもりでも、本
当は
全然、分かって居なかったと自分を責めて居
ます。
出会いがあれば、別れは必ず訪れるものだけ
ど一年と言う短い間は人生に置いてとても短
い日々でした。
何故?わたしの前に現れたの?
どうして、好きになってくれたの?
わたしは貴女にとって必要ではなかったの?
どうして
どうしてなの?
過ぎ去った日々は戻れなのは分かってます。
もし戻れるのなら、あの時にあんな言い方を
しないで、もっと優しく言って上げたのにと
今は後悔してます。
でも仕方なかったの
わたしも不安でいっぱいだったので、あん
な言い方をしちゃったけど、貴女は何も
答えてくれなかったよね?
嫌いになった訳じゃ~ない
わたしの不安を取り除いて欲しかった
だけなの?
もしこれを読んだら、どう思うの?
何も変わらないのは分かって居ます。
どうしても伝えて置きたかったの
わたしはあの日、出会ったまま
変わって居ない。
少し変わったのは、ほんの少しだけ
夢に向かって一歩づつ進んで居る事
その内、わたしの事は過去の|遠近法《えんきんほう》で
消え去ってしまう。
めぐみより
過ぎ去った日々
あぁもう君との日々は戻らない。
どうしてだろう。
なんで君はいなくなってしまった。
あんなに楽しく、あんなににぎやかな日々。
もう周りにいた人達は、いなくなってしまったよ。
君との日々はあの一瞬で崩れてしまった。
神様もしもいるのならあの日々を返してください。
いやいるのならこんな事にはならないか。
ははは。
未来に進む事も
過ぎ去った日々を思いながら戻りたいと願う事も
どっちも怖くて出来ない
過ぎ去った日々
良いことも悪いこともあり、どれもが決して変えることのできないもの。過ぎ去った日々は自分の経験であり、性格を作り上げている。後悔ではなく反省をし、次に繋げる。後悔しすぎることもそれはそれで貴重な経験であるが、思考がネガティブに傾くのは良くない。つまり、自分の良くない行動に反省するのはいいが、思い出してもしょうがない日々は、思い出さないことが大切。過ぎ去った日々によっても構成されている自分は、過ぎ去った日々を無意味に振り返ることなく生きていく。
「あなたに言われる『大丈夫』なら信じられる」
と言われる人間になりたい
そんな人間になれたら自分の大丈夫を信用できるようになれると思うんだ
「過ぎ去った日々」
たまに以前住んでいた街に行く機会がある。
街並みを間近で目にすると当時の自分を思い出す。
その頃は亡き祖父母や親戚も元気で
たまに会う機会があった。
今程便利ではなかったアナログ時代だが
レンタルショップでCDを借りたり、
友達と試験明けにカラオケに行く事が楽しみだった
青春時代
学校の授業と定期試験勉強など
毎日が途方も無く長く感じたあの頃
今も瞼の裏に残像が残る
ショコラ
気がつけばいつの日からか、なんだか毎日が曖昧になっていた。
過ごす日々と比例するように記憶はぼやけていき、思い出すことが難しくなった。
自分が何者でどんな人生を歩んできたのかもわからなくて、大事なものがずっと思い出せないままで、ハッキリとした明確な自分は小さな箱の中に閉じ込められるような感覚だった。それでも、いつも閉じ込められた私は頭の奥底で叫んでいるのに全てがぼやけて曖昧になっていくばかりで私は時期に正気までをも失くしていった。
家の中には常に知らぬ女性がいた。
何故か、私の身の回りの世話をし、何故か私によく話しかけてきた。
時折、女性の知り合いが家に訪ねてきて、何故か私を"お父さん"と呼びながら小さな子供を私に紹介しては、"お父さんの孫だよ"と言ってきた。
私に家族などいないはずなのに。
いや、でも昔は居たような気がしなくもなかった。
でも、思い出そうしてもモヤがかかった輪郭のはっきりとしないものが頭に浮かぶばかりで、最近は考えるのもめんどくさくなって思い返すことはやめた。
思い出せないから私は全てを否定することしか出来なかった。
訪ねてくる人々は私が何者かと聞くと口々に言った。
"あなたの息子だ。"
"あなたの娘だ。"
"あなたの孫だ。"
私は毎日何故か私の身の回りを世話してくれる女性にも毎日あなたは誰かと尋ねた。彼女が答える言葉も訪ねてくる人々が言う言葉と似たものだった。
"あなたの妻だ。"
でも、そんなこと言われても私は思い出せなかった。
そもそも、私は自分が何者かすらもわからなかった。
毎度名乗られても、なんだか馴染みのある名前のような気がしても、はっきりと記憶が蘇ることは無かった。
だから、
"そんな人は知りません。"
そう言うことが精一杯だった。
そんな毎日がはっきりとしないモヤにかかったような日々を過ごしていた私だったが、ある日大勢の人がうちを訪ねてきた。
知らぬ人間達は、集まると次第に何故かみんな宴会を準備するようなことを始めた。
食卓のテーブルに多くの料理が並べられ、顔も知らぬ人達は当たり前のようにそれを囲んで座った。
混乱している私を他所にいつも何故か私の世話をしてくれる女性は私に笑いかけた。
「今日は、あなたの誕生日なんです。だから、みんな集まってくれました。」
誕生日。あぁ、そうなのか今日は私の誕生日なのか。
なんとなく、腑に落ちないところもあるけれど、誕生日だと言われて悪い気はしなかったから私はそうなんですか。と返事をした。
すると、目の前の彼女は笑いながら少し悲しいような顔をした。
知らない人なのに、彼女の悲しい顔を見るとなんだか私は自分まで傷ついたような気持ちになった。
不思議だった。
食事を食べ終わると、食後のデザートとしてケーキを出された。
歌を歌われながら、蝋燭を消すよう催促されて、消すと周りは口々に私の名前を呼びながら誕生日を祝ってくれた。ネームプレートには"85歳のお誕生日おめでとう"の文字があった。
みんな知らない人だったが、不思議とやっぱり悪い気はしなかった。
ケーキを食べていると、先程誕生日だと教えてくれた女性が何かを首に巻いてくれた。
見てみると、それは手編みのマフラーだった。
渡してくれた彼女を見やると、彼女はなんだか、恥ずかしそうな顔をしていた。
「いい出来じゃなくてすみませんね。年取ると編み物も長く出来なくって。不格好だけど受け取ってくださいな。」
なんだか、心が暖かくなる心地がした。
それに、照れ臭くするその顔には見覚えがあった。
遠い昔に、同じように手編みのマフラーを貰ったことがある。
同じように彼女から。
私は久しぶりに自分の記憶に確信を持った。
気づくと口から名前を知らないはずの彼女の名前が何故か出ていた。
「ありがとうございます。洋子さん。」
そう言うと、私にマフラーをくれた彼女は大きく目を見開いて、暫くすると俯いて泣き始めてしまった。
「やっと。名前を呼んでくれた。思い出してくれた。」
彼女は泣いて震える声でそう言っていた。
その時、私はまだハッキリとはよくわからなかったが、なんだか過ぎ去った日々の記憶を取り戻し、大切なものを思い出せてくるような気がしていた。
―――忘却の病
お題【過ぎ去った日々】
お題更新時間に間に合わなかったという不覚。法事の準備……自分が主立ってやっていること自体にトシを感じるここ数日。と、いうわけで長文だ。
「お金より大事なもの」なんてたくさんあるにきまっている。けど、現実問題として人間社会システムのなかに生活するのであれば、お金というものは重要だ。だからこそ勘違いも横行する。紙幣自体を食べることはできないし、小銭自体だって食べられない。紙も金属も、それ自体が命の糧にはならない。紙幣や貨幣は「価値を所有する権利の印」以上でも以下でもない、「お約束の証」でしかないのだ。いわんや、「自分自身の力」などでもない。
さて、「お金って何よ?」から考えないと、いまいちぼやけた話になってしまいそうだ。なので、遠く過ぎ去りし日々に始まって現在では「便宜のシステム」として確立している、カネの話をしてみよう。
私が学校で習った「銀行と貨幣のはじまり」とは、ざっくり言ってこんな話だ………
昔々、いちばん価値ある「もの」と考えられていたのは、金(きん)という鉱物でした。王様はそれをたくさん持っていました。でも、自分のお城に金を置いておくのは、いろいろとたいへんでした。金はとってもきれいに魅力的にかがやくのですが、とっても重たくて、運ぶのも大仕事です。買い物をして金で支払うにしても、どれくらい使って、どれくらい残っているのか、ちゃんとわかっておくのもたいへんでした。
そこで、王様の知る中でも計算が得意な者に、金を使ったり保管して管理する仕事を任せました。王様は、このやり方をすれば、金のいろいろと面倒な取り扱いを自分でやらなくてもいいと考えたのです。重たい金を自分で運ばなくていいし、自分でいちいち金の数量を数えなくても、管理をする者に「今どれだけある?」と尋ねればいいのです。このやり方は、瞬く間に貴族たちにも広がりました。金の管理をする者は、王様をはじめ幾つもの貴族家の金をひとりで管理するようになりました。
王様や貴族たちが喜ぶいっぽうで、金の管理を任された者は、悩みをかかえていました。自分の持っている金の量よりも多く金を取り引きしてしまう人が出てきたからです。「お預かりしている金はこれだけです」と言っても、貴族は「なんとかならないのか、お前の手元にはたくさん金があるだろう」などと無理を言います。管理者は平民でしたから、貴族はワガママ放題な態度です。管理者は仕方なく、他の貴族家の所有する金から少し金を取り出し、ワガママ貴族に言いました。「これはよその貴族家の金です。お困りのようですから特別に今はお出ししましょう。しかし、必ず早くお返し下さいね。あなたも他の貴族家の皆さまと険悪になるのは不都合でしょう…」
“使い過ぎた”貴族は帰って行きました。管理者がほっとしていると、先ほど少しだけ金を取り出した「よその貴族家」がやって来て言いました。「やあ、ちょっと大きな買い物をしたのでね、預けてある金を全部出しておくれ」
さあ大変です。この貴族家から預かっている金から、仕方なかったとは言え無断で少し取り出してしまったので、金の量が足りません。このままでは自分が処罰されてしまうでしょう。死にたくないな、と管理者は思いました。何とかバレない方法を必死に考えて、管理者は思いつきました。ダメもとですが、試してみる価値はあります。管理者は死にたくないのです。
「金を全部出すとたいへん重いですから、私の署名を付けて、あなたがお持ちの金が確かにあることを証明する文書を出す、というのはどうでしょう。その証明書を相手様にお渡しして、相手様がその金を所有する権利の証とするのです。この方法なら、重い金を苦労して運ぶことなく、金のやりとりができます」
その提案は気に入られました。管理者は事なきを得ました。でも、きっとこれからもこんな出来事は起こるでしょう。度重なってしまったら、やはり自分の命が危ない。それは嫌だな、と思った管理者は、金を預かっている貴族家すべてに、同じ提案をしました。そして、貴族達が自分の預けている金の量より多く金を使いたがる場合に備えて、きまりを定めることにしました。「自分の持っている金より多く金が必要になって、他の貴族家の金から“借りる”とき、“借りたぶんの金”を確かに返すことと、“借りたことへの礼金”を出すことを約束する文書に、借りる人が署名する」というものです。管理者はこの考えを王様に提案しました。
…と、いう話だった。昔、授業で実際に聞いたときの内容はもっとえぐみのある「詐欺じゃね?」という内容だった。銀行の始まりは詐欺だったのかと思ったくらいだ。管理者は積極的に「証書を使った金ころがし」を、金の所有者達にナイショでやっていた、と。預かっている間はどう扱おうと、最後に帳尻が合えば問題ないだろ?ってなことだ。他人の金(きん)を、あたかも自分が所有しているように振る舞い、「貸してやるから手数料付けて返せ」を繰り返して自分自身の財とする。その手法の骨子は現在も変わらない。これを現代経済は「信用創造」と呼んでいる。しかし現代は「ペイオフ制度」というものがあるから、信用創造もへったくれも無い気がするが。
つまるところ、通常「お金」と呼ばれてみんなの財布に入っているものは、「価値を保障する日本銀行発行の証書」なのだ。日本は「金本位制」をとっているから、まさに上記のお話にあるとおりに「証書」である「日本銀行券」、つまり見慣れた「紙幣・硬貨」が、扱い難い「金(きん)という鉱物」のかわりに世間を巡っているのである。今となっては、紙幣・硬貨の姿に合わせた対価交換システムが社会に浸透していて、金(きん)では買い物できないのが現実だから、「法的なお金のおおもと」や「お金の概念」が何なのか解り難い。
金本位制のもとで日本銀行券を正しく「価値」たらしめているのは、「連続性」であると言っても過言ではない。日銀は国内外に存在する「日本銀行券・硬貨の総量」をいつもほぼ一定に保つことも担っている。紙幣・硬貨は程度の差こそあれ、みな「消耗品」だ。擦り切れた紙幣一枚を回収したら新しく一枚を造幣して出すような「物理的連続性」を担保している。鉱物の金(きん)は勝手に増殖しないし、大抵の状況下では腐食もしないから、紙幣・硬貨も同様に「総量は増えず、減らず」でなければならないのだ。
お金の動きを記録する「帳簿」にもそれは反映されていて、“どこから出たのか判らないお金の数値・どこへ消えたか判らない金銭取引”の居場所など無い。…だから「明らかでない、明らかにしたくない」お金は、“記載しないで闇の中でやりとりする”のだ。国会のセンセー達はこれが大好きみたいだが、はっきり言って「おカネはまさに自分のチカラだって勘違いしてるバカで~す!」と自己紹介しているも同然だ。…バカ多いな。
私個人としては、お金より大事なものとは、命から発して命へ還るもの、だと考える。お金は「経済活動上の、人間社会の中でだけ交換可能な価値の証明・媒介」であって、命と天秤にかけても、お金に勝ち目はまったくない。命が「主」であり、お金は「従」だからだ。例えば、月面に自分ひとりしかいないとき、紙幣で百億円持っていても、金(きん)をたくさん持っていてもまったく無意味だ。
長すぎるな。ここまで。