『神様へ』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
【神様へ】
踏み出す勇気を与えてください。
私は生まれ変わりたいのです。
神様へ
私は神様という存在を信じている。けれど、神様に願い事をするのは、新しい一年が始まった、初詣の一回しかない。毎日、願い事は増えていくが、私は日々、自分で願い事を叶えている、、、のかもしれない。今年神様に手を合わせた内容は「今年も健康でありますように」だ。お金が欲しいとか、彼氏が欲しいとか、そういう願いは叶えていないが、解決はできている。神様に願い事をしなくても、自分でなんとかする力を持っているのだろう。それって、自分が神様ってこと?
神様へ、自分でなんとかできそうです。ただ見守っていてください。
神様へ
私の幸せは、他の人に行き届いていますか
私が苦しんだ分だけ 他の人は笑って暮らせていますか
私ばかり不幸で
その分周りは幸せで
私の苦しみは
なんのためにあるのですか
神さまはいません。正確にいうと私たちの感覚では把握できないです。。私は神仏を尊びます。何かあっても周りのせいにはしません。
神様へ
有りもしない存在に縋り続ける母を救ってください、そう祈り続ける私はどうかしているのでしょうか。
お題『神様へ』
僕が住んでいる村の山奥には、神様ポストと呼ばれる古ぼけたポストがある。そこに神様宛の郵便を投函すると、差出人の願いが叶うという。
今、僕はルーズリーフに書いた手紙を持って急な山道を一人で歩いている。学校から逃げるようにダッシュで帰った後、僕はルーズリーフに神様宛の手紙を書いた。
神様へ
僕は今、学校でいじめを受けています。
いじめの主犯である●● ●●にいじめのターゲットをうつしてください。
お願いします。もういじめられたくないんです。
▲▲ ▲▲
こう書いた手紙を手に握りしめる。やっとポストにたどりつく。まわりの草木は手入れがされてなくて、虫がうごめいている。僕は急いでポストに手紙を投函すると、山から滑り降りるように家路を急いだ。
そうしたら次の日から僕の状況は、一変した。教室に入ってもモノを投げつけられることもなく、えずく真似もされない。僕をいじめていた主犯を避けるようにクラスの皆が教室の端に寄ってる。主犯の机の上にブラジャーとショーツが置かれていて、主犯はうつむいたまま黙っている。
「こいつ、先生の下着盗んだんだって」
「うわ、キモ」
「変態じゃん」
そんな言葉が次々と繰り出される。ふと、主犯と目が合う。主犯は、恐ろしい形相で僕を睨みつけていた。だが、立場が変わったんだ。臆することはない。
僕は満面の笑みを奴に向けて、自分の席についた。すごく気分がよかった。
『神様へ』
毎月一度は近所の神社の神様へ会いに行く。このあたりではわりと大きい神社には初詣や季節ごとの祭りにも観光客が観光バスに乗ってやってきたりするのだけれど、平日の朝はあまりひと気もなく神主さんたちもまだ出揃っていない。
「よう」
「どうも」
神様は意外と気さくに声をかけてくれる。
「きょうは何持ってきた」
「今年のたけのこですけど、まだ手洗ってないんで定位置で神様らしくしててくださいよ」
「はいはい」
気さく過ぎるのも考えものだなぁと思いながら手水舎で手を洗い口をゆすぐ。拝殿の賽銭箱の前にたけのこを供え小銭を入れ、二礼二拍手一礼。その間にたけのこから何かしらが持っていかれる。
「なかなかいいたけのこだ。いつもありがとよ」
「お世話になっておりますので」
お供えのお下がりであるたけのこは行きよりも帰りのほうが少しだけ軽い気がする。
神様へ
星々の輝きに隠れ、私の小さな願いを届けますように。
光を探し続ける旅人に、勇気と希望を与えてくださいませんか。
“神様へ”
ああ、神様。
どうか赦してください。
今日見た夢の話です。
人の髪を掴んで、洗面台に叩きつけて、気持ちよくなってしまったのです。
ああ、神様。
私は異常者でしょうか。
どうか、どうか。
赦してください。
ハロー、神様
お元気ですか?私は相変わらずクソッタレな世界にいます。
今日も父親は酒臭かったし、母親は化粧臭かった。臭い毎日の中でヘラヘラと媚び笑い浮かべながら、うんざりな世の中に中指立ててます。
ねえ、神様。
敬虔な信者は救われるって本当ですか?
別に毎日辛いわけじゃないけどさ、なんで生きてるのか分からなくなる。
敬虔な信者は救われたら、幸せになれるんですか?幸せになるってなんだろう。
今だって不幸なわけじゃ無い。美味しいもんは食べてるし、友達とテキトーにバカやって、笑って泣いて。
でも「幸せ」がずっと分からない。生きる理由も分からない。
ただ酸素を消費する人生になんの意味があるんだろう?
ねえ、神様。
敬虔な信者しか救わないなら、なんで私たちはここにいるの?なんのために生きてるの?
ねえ、神様。
あんたがこんなクソッタレな世界を作ったんなら教えてよ。私にはその権利があるはずだ。
もし、なんの意味もないとしたら。
あんたはサイテーなクソ野郎ってことで唾を吐きかけてやる。届かない天の上まで絶対に吐きかけてやる。
なんてね。
神様というのは、曖昧な存在だ。
それはそんなに偉いのか?そんなに強いのか??
私は仏教系の幼稚園に、通ったため、そこで教えられた影響は大きい。
1番偉いのは釈迦如来である。
幼稚園の頃から『西遊記』は知っていたが、その世界ではスーパーモンキー孫悟空が滅法強い。
あの物語のクライマックスは、実は前半部分の「大鬧天宮(だいどうてんぐう)」なのである。
斉天大聖が、天界にて神々の軍勢を蹴散らすのだ、
後に三蔵と辺鄙な田舎街や山奥で、何匹もならず者の妖怪を倒すが、そんなのに悟空が負ける筈がないのだ。
天の兵を相手に大暴れする方が楽しいに違いあるまい。
最後は二郎真君と名勝負を繰り広げ、遂に捕まるのだが、この時点で悟空はそこら辺の神以上の力を備えているのである。
『西遊記』を知った後に、『古事記』や『ギリシャ神話』、或いはそれ以外の神話で、さまざまな神々のあらゆる行状を知っても、
つい、「けれど、釈迦の方が上だ」という考えに至ってしまう。
中野美代子の考察によると、二郎真君は李冰(りひょう)という人であり、治水の功労者で、後に神となった。それが紆余曲折の末に悟空となるのだ。
つまり斉天大聖vs二郎真君は自分と自分が戦っているようなもので、力が拮抗するのは当然なのだ。
中国の神様では三国志の関羽が、金銭関係の神様になっているのは面白い。
日本も、神々は沢山いるけれど、人間が神様になった例も多く、菅原道真は有名だ。
学問の神様として人気があるが、都を恨んいて災いすると恐れられていたのは、『陰陽師』など読むとよく分かる。
個々の神様の話は、調べてみると面白い。
でも、それらの神々にお願い事を祈っても、叶う道理はないと思う。
神社では拝んでいるのだけれど。漠然と、平穏無事を願うばかりである。
小さな子ども達が神様に宛てて書く手紙は純心で、時々心が痛い。もっともで素直な祈りや「どうして?」が、たくさん見受けられる。
神、という概念には、人それぞれの考え方があるものだろう。それはそれで良いと思う。私などは仏教と神道がわかりやすく感じる。生活の中にいつもあるからだ。仏教は「神」という概念は無い。「仏性」を顕すため「解け」て迷いから「脱する」ための叡智が説かれる。神道は端から「青人草」も「ミコト(命)」と観じ、存在の本質に翳を見ない。
父はキリスト者だった。が、教えと当時の教会組織のありようの乖離に納得できず、離れた。今でも聖書は読んでいるようだ。環境のせいもあって、私も小学生のときから聖書を読むことがちょいちょいとあった。関心引かれてやまないのは創世記だ。
聖書の中に「原罪」という文言は無い。
あくまでも個人的見解だが、私は、アダムとイブはエデンを追い出されたのではなく、自分たちで出たのだと思う。創世記は「世界と個人の意識展開」が、一点を基に始まる幾何学レベルから述べられているように見えるからだ。世界じゅうで、神話に類するものの多くは例えで語られている。
さて、「神」の概念に纏わる、人間の矛盾した思考・行動はたくさんあるように思える。神が全知全能なら、“失敗作”など創らない。世界を歪に創ったりしないし、人間を愚かに創らない。創世記の神は、創造を確認して「すべてよし」と言ったのだ。神が創った完全ならば、絶対。…なんでしょ? なのにどうして…と、神様に手紙を書く子ども達と同じ疑問が出る。
創世記によれば、神はアダムに自分自身と同じ能力を与えた。アダムの肋骨から分けられたイブもしかり。それは「自分の世界を展開する能力」だ。創世記で神もやっている。どんな世界を自分の周りに展開するも自由、ジャッジなし。神は「アダムの世界」を裁かないから。ただ、問題がある。すでに完全である「エデン」には、アダムの「独自性」を展開する余地がない。さあ、イブと一緒にエデンを出よう…親たる神に与えられた「自己」を展開するために。親からは「完全」を持たされているから、旅の備えは万全だ。それはエデンへ帰還するための導にもなる。アダムがどんな「夢見」を展開しようと、あるいは「夢見の展開」以外を見失おうと、“親の持たせた完全”が損なわれることは無いのだから。恐れず、旅路をゆけ。
聖書も、仏教も、日本神道も、「創造の根元」としてもっている根底理念は同じだと思う。個々の創造は自由だから、「夢見」に闇を顕したりもする。闇のなかでは痛かったり悲しかったりする…
うーん、文字をたくさん使っても、子ども達の「どうして?」にわかりやすく表現できない。
やきもきするぜっ。
神様は、自分より高次な存在に、すがりたくなった時、どうしてるんだろう。
と、ふと思ったことがある。
それからか、なんだか簡単に、神様に願えなくなった。
本当にどうしようもなくなった時、そのときだけは、手を合わせに行かせてもらいます。
「神様、来たな、かみさま……」
神様はこのアプリ、3部作になるのよ。今月の「神様へ」と7月あたりの「神様だけが知っている」、それから「神様が舞い降りてきて、こう言った」なんよ。
某所在住物書きは過去の投稿分を辿りながら、今回はどのネタで行くべきか途方に暮れていた。
前回はそのまま、丁度自分の持ちネタに「稲荷神社に住む子狐」というキャラが居たため、文字通り「神様」を登場させた。
「神様だけが」に関しては、同設定を利用して、「御神木だけが知っている」とした。
今回は、どうすべきか。
「いっそ二番煎じも可能なんよ」
物書きは言った。
「だって約360個前の、長文の投稿だぜ。スワイプなんか面倒で面倒で、できやしねぇ。
……ただ俺自身も過去記事参照クソ面倒だがな」
――――――
すごくリアルな夢を見た。
私は自分のアパートで寝てて、そこに、職場で長い付き合いの先輩がいつの間にかお邪魔してる。
その先輩は今どの部署で仕事してるか、どこに住んでるかも分からない、藤森っていう名前の先輩で、
今月の2月まで一緒に仕事してた筈の、雪国出身の花好きなひとだった。
『起きろ。寝坊助』
夢の中だから、先輩が自分の部屋に居るのも、全然変に思わない。
『私の故郷の、桜のイベントに行きたいと言っていたな。支度しろ。新幹線の始発に乗るぞ』
私がおととい、13日頃に先輩に、「先輩の故郷の桜を見たい」とか手紙を書いて、
その手紙を、先輩の居場所を知る稲荷神社の子狐ちゃん(子狐くんかも)に持たせたのを、
ひょっとしたら、神社の神様が見てて、「願いを叶えてやろう」って、そういうシチュエーションの夢を見せてくれてるのかも知れない、
と、「夢の中の私は」、考えた。
『昨今のインバウンドだの、5類移行だのの影響で、あそこに関しては観光客が激増してしまった』
夢の中の先輩は言った。
『平日、かつ桜のまだ満開でない今、行ったほうが人は少ないし、ゆっくりもできる。
有給休暇は既に申請済みだ。急げ』
実際に先輩の故郷の桜が、まだ満開じゃないか、そもそも咲いてないか、いっそ既に見頃のピークかは知らない。ニュースの桜前線見てない。
神様へ。そのへん、どんなモンですか。
先輩の口調も、仕草も、バチクソにリアルで、ほぼほぼ4K8Kの高解像度な夢だけど、
神様へ、その辺の設定は、反映されてるモンですか。
――『私の実家の一番近く、お前が先々月行った「あの公園」に関しては、最近の高温でようやく開花宣言、あるいは1〜2分咲きの頃だと思うが、』
夢の場面が変わる。
舞台は私のアパートから、新幹線の車内に移る。
『お前が行きたいと行った方に関しては、既にある程度、咲いて桜を楽しめる程度にはなっている』
新幹線の中で私は、冷たいお茶と駅弁を楽しんで、先輩からイベントの場所の予備知識をご教授頂いて、
なんでだろう、稲荷神社がご実家の、漢方医な旦那さんとお茶っ葉屋さんな奥さんが、
私達の座席の、通路越しの隣で、
膝に例の子狐が入ったキャリーケースを載せ抱えて、
すっごく穏やかな顔して稲荷弁当食べてる。
くぅくぅ、くっくぅくぅ。
子狐の幸せそうに歌う声が、先輩の解像度同様、バチクソリアルに聞こえた。
『早咲き、ソメイヨシノより先に咲く桜に関しては、だいぶ開いている筈だ。胴吹き桜も咲いている筈だから、桜の木の幹を、よく見てみるといい』
お隣さんのことなんて、夢の中の先輩は気にしない。
『どーぶき?どーぶきって、何?』
夢の中の私も、お隣さんのことを気にも止めない。
『年齢を重ねた桜は、枝ではなく、幹から花を咲かせることがある。私の故郷の桜では、よく見られる』
『キレイ?可愛い?』
『どちらかというと、ちょこんと咲いているから、可愛いに分類されるだろう』
夢の中の私と先輩は、ただふたりして、駅弁とお茶を楽しんで穏やかにおしゃべりをして、
『さぁ、そろそろ――』
そろそろ、降りるべき駅に着くぞ、
ってところで、
案の定、夢から覚めた。
――「……知ってた」
気がつくと、最高気温夏日の朝、ベッドの上。
「うん。夢だよね。知ってた」
丁度スマホのアラームが鳴って、それを解除して、
バッタン。再度ベッドに倒れ込む。
もう少しだった。たとえ夢の中だけど、もう少しで、桜のイベントに行った気分になれた。
「あのさぁ〜……」
神様へ。せっかくあそこまで、夢を見せてくれたなら、力尽きずに最後まで夢見させてください。
私は大きなため息ひとつ吐いて、
仕方無いから、その日の出勤の準備にとりかかった。
神様へ
神様といえば手塚治虫が漫画の神様なんて呼ばれてるね。それじゃジャンプの感想を書こう。
今週のジャンプはワンピースと呪術が揃って休載だからしょんぼりな紙面だったけど新連載が面白かったしほかにも面白いのがあったから満足感あったな。
まずは新連載の願いのアストロ。主人公の服ダサいし暴力団とかちょっとな、と思ったけど東リベの作者の作品なのでとりあえず読むことにした。
最初は打ち切り臭がする作品だな、と思ったけど読み終わってみると面白かった。これはジャンプの看板張れるかもしれないね。
主人公の格好がダサいのは作中で言われたから違和感がなくなったし暴力団ということも今のところ気にならない。二話目を読みたいと思わせる力のある作品だった。
しかし東リベの作者だけあって絵が上手い。漫画は画力が正義ってよくわかる。絵が上手くても打ち切りになるのもあるけどね。
ほかの作品だと超巡が面白い。これは特に言うことのないコメディ作品だけど安定して面白いからアニメ化も普通にあるだろうな。
それとここ最近アンデラが面白い。結構前から微妙で読み飛ばすことも多かったけど今週は特に面白かった。また見始めるか。
みんなは本当に神様を信じているのだろうか
学業成就、恋愛成就、無病息災、家内安全、商売繁盛
神様にお願い事をする人はたくさんいる
叶ったと言う話を聞くこともあるが身近から聞いたことはない
叶った人たちの陰には叶わなかった人たちがたくさんいる
そんな私も神様を信じていない、叶った人たちは努力した人たちだ
それでも神様にお願い事をする人たちがわからない
だから私はこんな事になったのかもしれない
私ではどうすることもできない頼れる知り合いもいない
私は神様を信じていなかった
それでも私は神様にお願いすることしかできない
神様どうか
神様へ
どうして私は生まれてきたのですか?
どうやって生きていけばいいですか?
何のために世の中はあるのですか?
私は神様に何もしていないのに願い事してもいいですか?
毎日元気に過ごせていることに感謝します。
家族と仲良く暮らせていることに感謝します。
争いごとがなく平和に過ごせていることに感謝します。
ただ、「幸せ」と感じる時と、「辛い」と感じる時が交互にくるのは何故でしょう?
「幸せ」とより感じるために「辛い」を経験させているのでしょうか。
文章を書いてみて思ったこと。
「幸」と「辛」は「一」が増えるか減るかで意味が変わる字。
では「一」をもたらす意味は何だろう?
自分が思うに、1つのことを大切にできているかで「幸せ」と感じるか、「辛い」と感じるかの違いなのかと。
これが正解だとは思わないが、そうであってほしい。
自分の中で辛かったことが、
『1つのことを大切にする』
というワードだけで気持ちがいい方向になったから。
神様に感謝する言葉、疑問に思ったことを言葉にしたことで知ることができた気がします。
そのことにも感謝します。
今後の未来に幸あれ。
神様へ
世の中が、不平等なのはどうしてでしょうか?
「明日は大事な用があるから」などと言って彼は大盛りのカツ丼をとても美味しそうに掻き込んでいる。験担ぎといえばそうなのだろうが、ただ単に食べたいだけにしか見えなかった。しかし、腹が減っては何とやら。図らずしも成就に最も近い道を採っている。勝利の神がもしいるとすれば、今頃きっと苦笑いだろう。その強さに少しだけあやかるような気持ちで、自分も運ばれてきた膳に手を合わせる。食べて生きていなければ、神にもできることがない。
(題:神様へ)