『狭い部屋』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
狭い部屋にはいい思い出がない、あるいはいい印象がないって人の方が多いと思う。私もそうだ。
狭いからと言って暗いとは限らない。
僕はいつも狭いこの部屋に閉じこもる。
「僕」はこの体の主人格だったが、学校での日々に疲れて今は違う人格に預け閉じこもり続けている。
だってこの部屋は僕から辛い事、苦しい事を忘れさせてくれる。殻に閉じこもったまま。何もかも観ないふりをしていく。もう幾日過ぎたか分からない。
「早く死なないかな。この体。」
毎日毎日狭く暗い部屋から祈っている。
「ボク」はこの体の主人格が作り出した別の人格だ。
「僕」は学校での辛い日々に疲れたのか今は暗い部屋に
閉じこもっている。誰も僕を救えない、ボクでさえも。
だから、こうして僕の振りをし続けながら願う。
「僕」があの暗い部屋から出てきて生きられるように
なることを。それまでは「ボク」が君の辛さを背負って
生きていくから。
「誰も君を待っていなくてもボクは待ってるから。」
『狭い部屋』
居心地がいい 私の世界
想像で広がる庭
物理的な大きさなど
私には関係ないのだ
狭い部屋。
私の部屋は、狭い。
ベッドとタンスを置くだけで
スペースは取られ、パンパンに
なった。
でも これくらいの狭さが
私には 丁度いいのかも
しれなくて。
もう一つ
できることならもう一つ。
あなたを隠しておけるくらいの
地下室も欲しかったなぁ…なんちゃって★。
狭い部屋に押し込められた三角と丸と四角
ぎゅうぎゅう
形はゆがんで
くるしくて
押しつぶされて
真っ黒になる
あんなにつやつやで
ぷるぷるだったのに
床にへばりついて溶けて
もう剥がれない
上を向けばほら
あんなところに窓があるのに
上を向くこともない
窓の外にはあんなに星がきらきら
またたいているのに
見えるのは真っ黒だけ
狭い部屋に帰りたい。
会社の飲み会の中、彼はそう考えていた。
友達とはいえない同僚、説教くさい上司。
(はぁ、つまんない。)
けど彼は二次会まで行く予定になっている。
狭い部屋でしたい事も無いから。
彼には新しいことが減ってきた。
もうこのまま不安と共に年を食っていく。
これでいいのか迷いながら。
――狭い部屋――
明るいとも暗いとも考えなかったものだ
勢いだけは天才らしく
傍から見れば壁や床に転がる凡才
息の根を止めたことで得たもの
1粒も気付かず埋もれ死ぬだけ
本物は狭い部屋にいたはず。?。?。
カーテンの隙間から夕日のオレンジ色が差し込んでいる。その光から隠れるように部屋の隅でうずくまっていた。少し冷えた空気を肺いっぱいに吸い込む。遠くに聞こえる、子どもたちの楽しげな声が耳につく。自分の部屋にいるのにどこかへ逃げたいと思いながら、結局動きもしないで夜を待つ。
ため息を、吐いた。訳もなく泣きたくなった。一人でいることがひどく寂しいのに、誰かと会うことの方がとても怖い。有り余る時間の中で焦燥感に追われている。だから夕方は嫌いだった。外から聞こえる喧騒に取り残されたわたしだけが、悪い子であることを自覚してしまうから。
日の傾きと共に細くなっていく光と、ゆるやかに暗くなる室内をじっと睨む。まぶたは重いのに目は冴えていく。この狭い部屋にだけ満ちた重苦しい空気の中で、無駄に繰り返すばかりの呼吸がいつか止まりますようにと。生ぬるい吐息を溢すことも止められないまま、独り善がりに祈った。
狭い部屋
苦しいことがあるとき、狭い部屋には居たくないなって思う
自分の気持ちを閉じ込められてしまいそうでしょ?
しんどい時には
大きな窓が開いて風通しが良くて、明るい日差しが入ってる様な
広ーーいトコで寝っ転がりたい!!
気持ちの良い場所で、そうしていると
なんだか、全てが何でも良くなってくるのよ
そんな事気にしなくていい!って
【Close yet far】
あなたの吐いた息が 私の髪を揺らす
あなたの目の中の 私と目が合う
そうしていつも側にいるのに
どうしてわからなくなっていくの?
近づけば近づくほど
心だけが遠く離れていく
あなたの右手が 私の左手を包む
あなたの肩に 私の涙が滲む
狭い部屋で寄り添っていても
広い砂漠で何かを探しているみたい
あなたの全てに触れていても
心だけが見つからない
#狭い部屋
狭い部屋
狭い部屋の中で
私は1人ぼっち
だって私は
友達もいないから
狭い部屋で
ポツンと
居てる
狭い部屋
僕はずっとずっとここに閉じ込められている。
外の景色を見たのは何年前の話だろうか。
『狭い部屋』
それは人間1人が、腰を下ろすスペースがあるだけの、正しく小部屋だった。
私はソソクサとその部屋に入り、鍵を閉める。
こういう部屋に長居する人もいるけど、私はサッサとおいとまするタイプだ。
用は足した。さて、行くか。
私は手近のペーパーホルダーに手を伸ばす。
でも、私の手は空を切った。
ホルダーに取り残された芯が、カラカラと虚しく回転している。
しまった。
でも諦めるのはまだ早い。
買い置きのペーパーは?
私は体を捻り、後ろのタンクの上を確認する。
でも、タンクの上は、薄く埃が積もっているだけだった。
バカな。詰みだと。
私は歯を食いしばって羞恥心を堪える。
そして、天を仰いで声を絞り出した。
「誰か、紙持ってきてくださいっっ!」
#狭い部屋
仕事がら、お宅に訪問することが多いのであるが、
大邸宅だから、広い部屋
小さなアパートだから、狭い部屋
とは、ならない場合がある。
そう、要らない物で溢れていれば
大邸宅であっても、
ゴミ屋敷
広いからと、買い込んで、整理できずに、毎回どこに置いたかわからなくなり、
更に買う。
〜悪循環〜
居住スペースが、小さくとも、整理されているかで大きな違いだ
広い部屋や部屋数が、多いと
家族で話す機会も少なくなる
狭いとプライベートが守れ無いが
和気あいあいと話ができる
何を望むか
あなた次第
「どんな言葉を足したり挟んだりするかで、なんか色々書けそうよな」
たとえば「狭い『とは決して言えない』部屋」なら、少々強引だがデカい部屋の話もできるし。なんなら「絶対『狭い』と発言できない部屋」の話も組める。
某所在住物書きは今日も今日とて、スマホを見ながらうんうん悩み、天井を見上げている。
問題は頭の固さである。「書けそう」から「書ける」にさっぱり移行せぬ。
「……一般に『狭い部屋』と言われているアパートも、実際住んでみるとむしろ狭い方が住みやすいとか、落ち着くとかってハナシ、あるよな」
しまいには共感者の多そうな一般論をポツリ呟き、強引な題目回収に逃げた。
――――――
都内某所、某アパートの一室。ぼっちで住んでいる、人間嫌いと寂しがり屋を併発した捻くれ者は、自分の悲鳴の小さな声で目を覚ました。
約8年前の大失恋、捻くれ者の心をズッタズタのボロッボロに砕き割った「初恋のあのひと」が、
夢に出て、「何故逃げたの」と追求し、追いかけて追いついて肩を掴み、
そこで目を覚まし、文字通り飛び起きた。
(ゆめ、)
寝起きのとっ散らかった精神は不安に弱い。コルチゾールが悪さでもしたのか、手を当てれば、心臓が明らかにはやく胸を叩いている。
(夢だ)
そうだ夢だ。小さく頷く捻くれ者は、それでも動悸がおさまらず、心的トラブルの解決を嗅覚野に求めた。
(週始めから酷いものを見たな……)
小さなティーキャンドルに火を灯し、日本版アロマポットとも言うべき茶香炉へ。
しばらくして香炉上部の皿まで熱が通り、茶葉が焙じられて香りを吐く。
煎茶や抹茶のそれとは違った穏やかさが、「お前が今住んでいるのは8年前の『あの狭い部屋』ではない」と、捻くれ者を優しく諭した。
職も、居住区も、スマホのキャリアもOSもすべて変えた。自分に繋がるものはすべて新しくした。
8年ずっと逃げおおせてきて、何故今頃居場所がバレようか。
そもそも表で笑顔を咲かせながら、呟きアプリの別アカウントで散々、ダメ出しとこき下ろしを吐き続けたひとが、わざわざそのダメ出し対象を8年追いかける筈があろうか。
(そうだよな。追いかける筈が、あるものか)
ようやく精神の落ち着いてきた、雪国の田舎出身であるところの捻くれ者は、深く長いため息を吐き、
「ところで今日最高30℃じゃなかったか?」
飛び起きたときと同じ慌てっぷりで振り返り、冷蔵庫を見た。
「いけない。昨日水出し仕込み忘れた。今日職場でどうやって暑さをしのぐ……?」
アイスティーを作るにも、起きた時刻が悪すぎる。
コンビニで氷と飲み物を必要量調達するしかないが、それにしたって通勤ラッシュ中の来店と購入と保冷ボトルへの詰め替えで時間がかかる。
捻くれ者は急いで支度と朝食を済ませ、折角夢に出てくるならもう少し早く起こしてくれれば良いものをと、昔己の心を壊し尽くした相手に胸中で愚痴った。
今日のテーマ
《狭い部屋》
実家を出て一人暮らしを始めた俺が住むことになったのは大学から程近いワンルームマンション。
必要最低限の家具も設置されてるから持ち込んだ荷物はそう多くない。
服に小物に食器類、あとは授業で使うノートパソコンと本が数冊。
大して荷物もないせいか、実家の部屋と同じ6畳とは思えないくらい広く感じた。
月日が流れ、物も増え、気づけばだいぶ手狭になった我が家。
それを更に手狭にしているのが、半年前にできた彼女の存在。
同棲しているわけではないが、いつの頃からか週の半分ほどは入り浸るようになっていて、そろそろ半同棲と言っても過言じゃない。
今もレポートに明け暮れる俺をよそに、我が物顔で俺のベッドを占拠して、俺が買ってきた漫画を読んでる。
視界の端でゆらゆら揺れる色白の素足。
気が散らないと言えば嘘になる。
レポートなんか放り出して、俺もゴロゴロしながら漫画を読んだりダラダラしたい。
「ねえ」
「んー?」
「お昼、何食べたい?」
「うどん」
「暑くない?」
「じゃあ冷やしぶっかけうどん」
「りょーかーい」
煮詰まってイライラし始めたのを察したのか、彼女が間延びした声で聞いてきた。
どうやら昼飯は作ってもらえるらしい。
読んでた漫画をぱたりと閉じて、彼女はベッドから降りるとキッチンに向かう。
冷蔵庫を開ける音、レンジの稼働音、シンクを水が叩く音。
人の気配と生活音が途切れていた集中力を引き戻す。
昼飯ができあがるまでにあともう少し進めてしまおう。
レポートの傍ら、いつか広い部屋に引っ越して、彼女と暮らす未来を夢想する。
できることなら家族として、共に暮らしていけたらと。
遠い未来を夢に見ながら、今はこの狭い部屋のそこここに感じる彼女の存在を味わおう。
手を伸ばせばすぐ届く距離に愛しい人がいる幸せを噛み締めて。
44狭い部屋
一年一組 佐藤るきな
道の上に、たまに透明な箱があります。
長くて四角くて、不思議な箱です。
あれは何?と聞いたら、おとうさんは「電話ボックスというんだよ」と教えてくれました。もう電話はなくなってしまっているけど、箱だけ残っているそうです。お父さんがわたしくらいの頃は、外で電話をするときにあれを探したんだそうです。
かくれんぼに使う箱ではないの?と聞いたら「そんなことをしてはいけないよ。入り口も塞がれているだろう」と言われました。
変なの。と思いました。
だってあの箱には、いつも誰か隠れているのに。
私と目が合うと「隠れてるの、内緒にしてね」とそっと指を立てたり、手招きをしたりするのに。
みんなどうして気づかないのかな?
昨日の女の人は、頭がへこんでいてかわいそうでした。私は声をかけてあげようと、思いました。外からのっくしたらまっかな、めでみられました。きがつくとわたしはでんわぼっくすのなかにいました。でられなくなってこわくてさけびました。だれかがきてくれて、そのひととめがあったのでたすけてといったらそとにでることができました。わたしはこわいのでそのままかえりました だれかはだしてこわいとさけんでいました。あのでんわぼっくすは、そういうかくれんぼのはこです
テーマ : 狭い部屋
部屋かどうかは置いといて
僕ね、狭いところ好き
落ち着くんだよね
小さい頃、ダンボールの中とか潜って怒られたっけ
母上に
「ネコか!」って突っ込まれたよねww
まぁ、実際 ネコ顔だねって言われるし、前世はネコかも
さてと、テーマは部屋なんすよね
…僕が中学生くらいの頃に思ってた事書こうかな
僕、中学の頃 引きこもりを極めていたんだけど
まぁ、反抗期も重なってしまったのか
大体、自分の部屋にこもってた
誰とも関わりたくなくて
誰かと言い争いになりたくなくて
誰かに構われたくなくてさ
1日 2日 何も食べない事だって当たり前だった
別に2日くらい食べなくても死なないからね
気持ち悪くて、目眩も酷くなるけどww
でも、そんなんになってまで誰とも会いたくなかった
大好きなゲームも
推しているアイドルも
何にも興味がなくなって
生きてる意味でさえ分からなくなって
むしろ、僕みたいな奴が子供で母上に申し訳ないなって
死んだ方が、僕がいない方が皆幸せだよなって
ずっと思ってた ずっと考えてたんだ
誰も救ってくれない
僕の味方なんて1人もいないって思い込んでさ
本当はいるのに いない訳がないのに
差し出された救いの手を見て見ぬふりして
奈落の底でいじけてたんだよな
悲劇のヒロインぶってたんだ
本当に消えようとして切った手首には
もう傷の跡さえ残ってないけど
病みかけると、撫でる癖がついた
そうだよ、結局怖くて実行もできない弱虫だったんだ
死にたい 消えたい
こんな事言いながらフリだけして
本当は誰かに心配してもらいたかった
ただの構ってちゃんだな
さてテーマに戻るとして
あの頃、僕の世界は自分の部屋の中で
誰も何も入って来れないように
全部遮断して
そのくせ、誰かに心配してもらいたがって
1人で勝手に絶望して
傍から見たら周りを見ろと言われるだろうな
だけど、そんな余裕なんてどこにもなくて
自分を守ることで精一杯だったんだよ
あの頃、僕は
この【狭い部屋】の中で消えてしまえたらって
何度思ったんだろう
何度願ったことだろう
結局、あの願いは今も神様には聞き入れて貰えてない
狭い部屋
壁も床も全部白い。
この間よりかは幾分と広いけど
まだ手足が十分に広げられない。
立ち上がって伸びをすることも叶わない。
ガチャッ
玄関の開いた音がした。
いい子にしてた?
柔らかな笑みでこちらを見据える。
僕、まだあのこと許してないからね。
だから、
くらくらする。
彼の匂いだろうか
彼の言葉が入ってこない。
…………いい子にしててね?
声が、こえが
「うん。」
私は生まれながらにして、決して裕福とは言えない生活を送ってきた。母子家庭で父がおらず、親戚もほとんど疎遠していたことから、母は女手一つで頑張って私たち兄弟を育ててくれた。五人兄弟の私たちの育児は毎日が戦争のようだっただろう、長子の長女と次子の長男には5歳ほど歳の差がある。長男と次男の間にも三歳ほどの歳の差があり、次男と三男でいる私、そして次女で末っ子の妹は二歳の歳の差がある。これは、純粋に兄弟全員の生活スタイルや行動がバラバラであるから、母は小学生の長女や長男を送り出したあとは、残る兄弟を保育所へ連れていく。末っ子の妹がまだまだ幼いうちは、保育所へ預ける時間が違うため、一度帰宅してからまた保育所へ向かう。そんな目まぐるしい朝を過ごして
、母は仕事へ向かっていた。
実家は鉄筋コンクリート四階建ての市営住宅で、その二号館の四階角部屋に住んでいた。間取りは2Kだったと記憶しているが、6人で住んでいれば広いとは言えないような部屋だった。玄関から見て右手にトイレ、正面にアコーディオンカーテンで仕切っている六畳の和室。玄関左手に向くとほんの気持ち程度の廊下、そして廊下の先左手にキッチン。そして、キッチンの奥にお風呂場があり、廊下右手にもう一部屋の六畳の和室がある。このふたつの六畳の和室は真ん中の襖で仕切られているが普段は半分ほど開け放っていた。どちらの和室にも、なぜだか大量の衣類がハンガーに吊るされていたが最後まで誰も着用しなかった。家の中は日差しが余り入らないため、いつも暗くジメッとしていた。家族が大所帯ということもあり、基本的にものが溢れていることもそう感じさせる原因だったのだろう。
私が高学年に上がった頃、芸予地震に見舞われた。あれば私が交通事故に遭った翌日か翌々日だった。足をトラックに轢かれて怪我をおっていた私は学校を休んでいた。朝一番で病院に行き、医師に状態を確認してもらってから帰宅してすぐのこと。母がインスタントラーメンを作ってくれたので食べようと思った正にその瞬間。ズドンと響くような揺れがあり、そのあとは激しく左右に揺れ、食器棚は倒れ!タンスやその上に置いていた仏壇も床に転がっていた。揺れが納まった時にはあまりの恐怖と突然の事で鼓動が跳ねていたが、ふと足元を見るとラーメンどんぶりが転がっており、熱いスープや麺が包帯を巻いた右足を染めていた。アドレナリンが出ていなのか熱さや痛みを感じることは無かった。ただただ冷静に状況把握に務めていたように思う。玄関に行き、靴を履いて私の靴を手に持った母が私に靴を履かせるとおんぶをして外に出た。外に出て階段を降りると、住民のみんなも集まって恐怖の瞬間について話をしていた。私は住宅の外観を眺めながら、もう住めなくなるのかもしれないと考えていた。住宅の外観は酷く損壊していた。コンクリートが剥離し、所々に亀裂が生じていた。
私の交通事故、そして地震と不幸が相次いだが、その後は平穏が戻っていた。半年ほど経過した頃、市役所から立ち退きとそれに伴う新築の市営住宅への入居の優先権が与えられた。入居自体は決定していたが、部屋割りはくじ引きであったと母が話していたのを覚えている。私たち家族皆で、先の芸予地震などの経験もあり入居するなら一階になればいいなと話し合っていた。抽選の結果一階の角部屋に決まり、みんなで喜んだ。その後、小学生の長男以下の私たちが学校にいる間、母と中学生の姉の二人で転居先の下見に行っていたらしく、私たちが帰宅すると誰もおらず鍵も閉まっていた。帰ってきた母たちに不満を口にしながら、私たちも行きたいと駄々を捏ねた。どうせ引っ越すんだからと怒られたが諦めきれなく、次に家財道具などのレイアウトの確認に行く機会があると言うので連れて行って貰うことになった。
家族みんなで日産のバネットに乗り込んで転居式の市営住宅に向かった。これまで住んできたところから徒歩30分ほど、山手へ登ることになったが周りは山や田畑に囲まれておりとても静かで長閑な環境だった。小学校へは一時間ほど歩くことになるが、それでも新築の市営住宅にワクワクしていた。3LDKで、六畳の和室がふたつ。五帖の洋間がひとつ。リビングとダイニングは併せて十二帖。脱衣所には洗濯機と洗面台があり、その奥には広いお風呂場がある。私たち男兄弟が過ごすことになる和室は日差しがあまり入らないため暗かったが広い押し入れがあったり、これまでの部屋のように余計なものがないこともあり快適さを感じていた。廊下には狭いが収納がひとつあり、その横にトイレ。脱衣所にも床下収納が少しあった。
母と妹が共に過ごすことになるもうひとつの和室は、一間の窓があり日差しが降り注いでいた。姉は五帖の洋室をひとりで使うことになったようだが、ここも薄暗かった。しかし、家全体は明るく広々としており期待に胸が高鳴ったのを今でもよく覚えている。
引越してからは、学校への道のりが長かったが帰宅後は遊ぶ場所に困らなかった。山や川、小さな池やダムのようなところもあり、釣りや虫捕りで駆け回っていた。しかし、この時からだろうか少しづつ精神的な変化が始まっていた。理由は無いのにやる気や元気が落ち込んでしまう事が増えたのだ。そのタイミングで中学へ上がったが、イジメを苦に親友が転校してしまった。何度も何度も親友を庇った。同級生に理解を求め、担任に救いを求めたが無駄だった。親友を失った私は人間不信に陥り、投稿することが嫌になった。イジメを黙認し、助けを求める声を無視するような下衆な大人が教鞭をとるという違和感に我慢がならなくなった。
家族ぐるみで付き合いのある生徒指導の先生に事の経緯を話し、教室に上がらなくてもいいように、担任に会わなくてもいいようにと都合をつけてもらった。それからは相談室や保健室へ行き、みなが授業をしている間は私も同じ教科を勉強していた。しかし、そこへ担任がやってきて無理やり教室へ行かされたり、意味不明な叱責を受けるなどしたため午後から帰宅。夕方に生徒指導の先生が訪ねてきて、担任教師が余計なことをしたと聞いたと言うので私からも事情を説明した。翌日からは私は私のタイムテーブルで動いて良いということになり、登校時間をずらし、得意な科目に専念して勉強することになった。周囲が何を思い、何を考えているのか目線で察することがあったが無視をした。そんな私を心配して、仲の良かったクラスメートが毎日のように少しでも隙があれば顔を出しに来るようになった。男子女子に限らず、クラスの半分程の同級生がいつも話し相手になってくれた。家庭科でご飯を作った時は持ってきてくれたし、お菓子を作った時は女子が差し入れをしに来てくれた。
そんな生活をしていると自分を卑下し始めてしまうのか、活力がなくなり下を向くことが増えていた。そんな時、カウンセラーの先生が絵を描いてみるといい。ものを作ってみるといいというので取り組んでみた。私が書いた市営住宅の風景図やジェンガで作った神社のような建物を見たカウンセラーの先生は、これを写真撮影して興奮気味にどこかへ出かけてしまった。翌日、コンクルールへ出してみないかと美術部の顧問と私が席を置いている研究部の顧問とカウンセラーの先生が尋ねてきた。結果を言えば断った。気まぐれで書いた画法もめちゃくちゃな絵を評価されることに、恥ずかしさを感じたからだ。しかし、先生たちは諦めなかったのでコンクルールには出さないけど、どこかに飾るのは構わないと伝えるとその日の内に、美術部と研究部に貼りだされた。私の絵を見た部員やクラスメートが絵を描いて欲しいと尋ねてきたが、知識も技術もない私には出来ないと断ったが、気まぐれで描いた時でいいからその絵を提供して欲しいと言われたので以降は満足いくものだけをカウンセラーの先生を通じて提出していた。
私が過ごした生家はものに溢れ狭ぜまとしており、転居した新築の市営住宅も住み始めて2年ほどで狭く感じるようになった。これは単純な話だが、母は片付けや断捨離が出来ない人だからだ。明らかに不要な物も処分をしないし、とりあえずテーブルや床に物を置く。こういう性格の母と、私と姉以外の、そういったことを全く気にしない兄弟たちによって家中にものが溢れるようになったのだ。中学校では、私の所属していた研究部は他のどの部よりも狭かった。私が通っていた相談室はそこそこ広かったが、私が勉強のために借りていた相談室奥の部屋は激狭だった。私の人生、どこにいても環境をどれだけ変えても「狭い部屋 」という空間はついてまわった。だからだろうか、ものすごく広い部屋や空間に対するこだわりが強い。その癖して、広い部屋を借りてもロフトなどの狭い空間が備わった間取りを選んでしまう。そして、寝るのもそういう狭いところだ。相反する行動と気持ちは、きっと私が私自身を守るための潜在的なものなのかもしれない。広い空間で活動していたいのだけど、寝る時などパーソナルな空間は周囲を直ぐに把握出来る状況に置いておきたいのかもしれない。
私にとって「狭い空間」や「狭い部屋」といったものは、私の人格や人間性を形成、維持する上でとても重要なものなのかもしれない。そして、恐らくそれはこれまでの生活や経験から得てきた生き方なのだろう。