『枯葉』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
枯葉
家の前に山のようにある枯葉は隣からの嫌がらせだった。
秋になると毎日のように枯れ葉の山がある。
時には人くらいのサイズもあった。
けど、たまに文字のようなものが彫られてる葉があった。
一つ目は『ろ』二つ目は『げ』三つ目は『に』だった。
こんなことする暇あったら自分で片付けろや。
その話を弟にすると弟の顔は次第に青白くなっていった。
厚塗りした絵の具のようなくもり空に僕は歩を進めている。右に視線を向ける。風に枯れ葉が舞い散る中、大きな木の先端つまりは木々の先にに帽子が止まっていた。声がして視線を向ける。木の根元、少女が泣いていた。彼女の帽子が強風にあおられて、あそこの木々まで飛んだのだろう。近づいて彼女に言う。「ちょっと待ってて、お兄さんが取ってあげる」「ホントッ!!」少女が笑む、晴れやかな表情。
風を待つ、帽子を飛ばし自分の手もとへ来るのを。風が飛んだ。今だッ、一瞬の隙を見つけ右手を伸ばす、右手には風で飛んだ帽子。「ありがとう」少女の笑みが満面に浮かぶ。僕はそれに手を振って道を進んだ。
胸元の大きく開いたすべらかなセミロングワンピース姿でウキウキと路地を歩いて行く遊女と、それを値踏みしに近寄る男たちの遣り取りを身を低くして通り過ぎ、途中のホテル街は急足で。
華やいだ街の末、錆びこんだトタンのほったて小屋にその店はある。
ちょっとサボれば常連はおろか誰も来てくれそうにないものだから、この店では酒もそこらの半分の価格で貧乏客を繋ぎ止めている。
先客はひとり。
何年もクリーニングに出していないと思しき埃と脂のきつい臭いがするジャケットの島田さん。
居場所の無さそうな醜女のほうが雑にできて嬉しいとのことで、島田さんは昔話を据えて飲みに来る。
店を切り盛りする堕ろしすぎてイカれた房子ばあさんの話はそこそこ評判で、客は時たま精子に遡って膣の中で旅をする。
自称チィママで居着いたノリちゃんは去年より倍ほど借金がふくれてるけれどバカ明るい。
高い値のつく遊女たちを華とすれば、この店は他にやりようのないカラッカラの枯葉だが、泣き顔をそっと覆い隠すくらいはしてやれるから、銀杏臭さがとれないけどね。
ついに房子ばあさんの持病がだいぶ深刻と聞いてやってきたのに。
ノリちゃんに店を任せるのも酷だからと月末でラスト営業になるのを誰もが惜しむわけでもなく。
先客はひとり。菓子折りひとつ持ってこない。
お題:枯葉
私の命も彼への気持ちも、いつかは木枯らしのように消え去ってしまうのかな?
治らない鼓動。浅い呼吸。薄暗い部屋で包まる毛布。
押せない送信ボタン。掛けられない電話。頼りたい、頼れない。
もっと楽に生きられれば良かった。
『枯葉』
今はもう無いが、母の実家は山あいの
自然豊かな所だったらしい。
何度も聞く思い出話に庭の焼き芋がある。
時期になると皆で集めた枯葉を焚いて
濡れ新聞紙とホイルに包んださつまいもを置く。
時間をかけてゆっくり燻すと甘くねっとりとした
焼き芋が出来るのだと言う。
なんて贅沢な話しだろう。
時間をかけて美味しい物を作るなんて。
今の私は日々の生活に忙しく
まるで違う環境の中にいる。
けれど一度は食べてみたい庭の焼き芋。
いつか私にも食べる機会が訪れるだろうか。
枯葉みたいに落ちていった
わたしの想いも貴方の心も
もう交わすことのない恋心
ここで切って終わらせましょう
ミレーの落穂拾いを
結構長いこと落ち葉拾いだと思ってた。
みんなでたき火でもするのかなって。
(枯葉)
道端でぼろぼろになったそれみたいだった私は、あなたと別れてから綺麗な花のようになれたよ。ありがとう。
「もうすぐ1年が過ぎちゃうね」
彼女はそう言った。
僕は、「そうだね」としか返せなかった。
「どうしたの?」
「何か嫌なことでもあったの?」
「――いいや、花粉が舞っただけだよ」
僕は涙を流し、しゃっくりをあげながら言った。
そう、この涙も、花粉のせいに違いない。
―――君と見たこの木の葉、見る度に思い出すよ。
12月30日、あの綺麗な緑色の葉が、しわくちゃな枯葉色になった。
「なんで、置いてったんだろ」
季節と一緒に彼女を連れ去った夏の日。
未だに、君と違って後ろを向きっぱなしだな、僕は。
-枯葉-
私はもう太陽に向かってひたすらに伸び続けることはできない。
下に見える若い芽がふと羨ましく思ったり、自分の今までが何もなかったように感じるときもある。
私自身があの若い芽のように大きく育つことはできないけれど…せめて若い芽が大きくなるよう、私の最後を未来に託そう。
ひらひらと落ちた枯葉が、まるでそう言ってるように感じられた。
「枯葉」
夕陽が沈み、辺りは既に真っ暗で、大学からの友達よっことまりまりと何気なく歩いていた。
いつも歩いてる大学近くの道路は車通りが多く、信号の移り変わりが早くて他愛もない会話をしてるとすぐに青信号が点滅する。
私達は駆け足で道路を渡った。
オレンジ色の暖色ライトで照らされた一面には落ち葉がびっしりと張っていた。
3人分の影がくっきりはっきりと見える。身長差も分かる。背の高い私がずば抜けている。
私は思い切り落ち葉一面を踏み抜いた。くしゃくしゃ。
まりまりが興奮した様子でスマートフォンをポケットから出し、写真を撮る。私もそれを見て、スマートフォンを出しカメラアプリを開く。
毎回やっすいスマートフォンで根気強く撮影する私を褒めて欲しいと明かり調整ボタンと格闘しながらやっとの思いで写真を数枚撮る。パシャパシャ。
取れた写真を確認する。コントラストがハッキリしていて少しピンボケしているけど逆に味が出てる気がして満足した。
ふと気づく。このワンシーンは次いつ訪れるのか。
大学に入ってから純粋に楽しいと思えてる。だがそれはいつまでなのか、いつから変化しなければいけないのか。私はきっとその恐怖にいつも怯えていなければならない。
変化は常にあるべきものだ。私に変化が訪れない生活があるとしたらその時はきっと腐り落ち全てに絶望し、最期を迎えるときだろうと思う。
足下を見る。
この葉たちは次の変化のために落ちたのだ。元気に生えていた深緑から今は地に落ち枯葉となって次を生やすために。
私は次の深緑を生やせるだろうか。枯葉のままではないだろうか。
ぐるぐると胃から嫌な感じが込み上げてくる。毎回不安になる度に起こる現象。
私はこいつにじわじわくんと命名した。付き合っていかなければならないのだ。
未来の事は分からないそんなの当たり前だ。でもきっと戦っていくしかないのだ。
スマートフォンを再度取りだしさっき撮影した写真をInstagramに投稿する。すぐに友達からいいねがくる。それを見て私達は歩き出した。
枯葉
晴れた日に近くの公園に行ってみる。
そこにはちょっとした林があって、
窪地になっているせいもあって、
すっかり葉が落ちた木々の下には、
たくさんの枯葉がこんもりと積もっている。
窪みにたっぷり蓄えられた枯葉に、
足を踏み入れてみると、
ふくらはぎまで埋もれてしまう。
子どもの頃に憧れたアルプスの少女ハイジの麦わらベッドを思い出すくらいにふかふかと重なっていて、暖かかった。
午後の金色の日差しの中、人気のない林を、
ひとしきり枯葉を踏んで歩き回ったのは、
とても楽しい思い出。
#176
枯葉
夏はあんなに鮮やかな緑色だったのに、今となってはもう、悲しい茶色だよ、穴なんか空いちゃったりして。ワタシ達の寿命は一年もないわね。木から落ちちゃったワタシはいつのまにかいなくなる。
次のコたちにあとは任せるわよ!また綺麗な緑色で癒しを作ってね。
「枯葉」
私自身、枯葉についてあまり深く意識したことは
ない。
ただ、私が枯葉について何か感じることとしては、
木の枝から力尽きて落ちたものが、大地の肥料というか
大地の微生物、昆虫、植物などのエネルギーとなり、
肥沃な土地としての役割は素晴らしいではないか。
枯葉も、自然界に大いに貢献していると思えば、
ゴミではなく、地球にエッセンシャルなものとして、
捉えたら、見方が大きく変わるのではないかと思う。
つまり、自然界は無駄なものがないのだ。
雑草と呼ばれているスギナもお茶にできたりと
使い道はある。他にも酸性土壌のために生えるとか
聞いたこともある。
改めて文章にしてみて、枯葉を見たらゴミではなく、土に返したいとより強く思うようになった。
最後に感謝します。
ありがたい枯葉さんへ。
『枯葉』
同じ年に生まれたやつらが大勢いて、片や光当たる道を歩いているが自分は暗がりばかりを歩いている。自分の何が悪かったのだろうか。普通がわからないから何もかもがわからない。声をかけてくれた人もいたはずだが、今はまわりに誰もいない。全部自分のせいなのだろうか。そうだとわかってはいるのだが、そうではないと言って欲しかった。
枯葉のような人生だった。北風が強く吹けばあとには何も残らない。最初から何もなかったみたいに。
昔の記憶、それも何かの朗報を待つときの、私の眼前に広がる景色に決まって枯葉はなかった。
たいていは昼間、しかも移動中の車や部屋の中。
親との会話、あるいはつけっぱなしのテレビの雑音のなかで、心臓がドコンドコンと私の身体を叩くのを聴きながら。その時の木々の葉は緑だったように思う。
新しい何かが始まる期待。
反対に、何かがスッパリと終わりを迎えるあっけなさ。
そこには生物のエネルギーがうごめいているように思う。
緑はその象徴の色、つまり生きている証。
枯葉には朗報の思い出がない。
そこに生命の存在が感じられないわけではない。
どちらかというと「静止」、すべての時間が止まっている状態を思わせる。
枯れ葉
落ち葉
彼
受験
別れ
焼きいも
身支度
飛行機
空白
休み
雨
なんでもない日
「枯葉」
ざくざく、さくさく。
枯葉を踏む自分の足音を聞きながら、静かな冬の自然を歩く。
歩きながら、いろんなことを考える。
最近人からもらった言葉の意味
社会問題の寄せ集めみたいな自分の人生
新しいものと古いもの
ぼんやりと考え事をしている僕の前に、
ひらりひらり、ゆっくりと一枚の枯葉が落ちてきた。
枯葉。寒い季節の訪れを知らせる、がさがさでくすんだ色の手紙。植物が最後に遺した落とし物。
多くの植物は春に芽吹き、夏に育ち、秋に染まり、冬に枯れる。
だからこそ枯れた葉は冬のもの悲しさや老いの象徴だったりする。
たしか10何年か前までは高齢者が運転する車に枯葉マークが貼られていたけど、枯葉へのネガティブなイメージが強いから今は四葉のクローバーに変わったんだったっけ。
寒い季節は太陽が顔を覗かす時間も少ないから、みんな憂鬱になりがちだ。それをわかりやすくあらわすものが、枯葉。
だけど、ほんとうにそうだろうか。
冷えて乾ききった、悲しいだけの存在?
きっとそんなことはない。
世界は少しずつ、少しずつ生まれ変わる。
それが嬉しいことか、悲しいことかはひとそれぞれ。
だが、冬が訪れ枯葉が舞ったということは、いずれ春が、色とりどりの花や鳥が人の心を彩り暖める季節がやってくるということだ。
そういう星の理の中で僕らは生きている。
枯葉は最期にそう教えてくれた。
残業後対話篇 死さえも命の一部なのだから(テーマ 枯葉)
これは、西暦2020年を超えた日本の、ある会社での、一人の会社員の、残業が終わってから帰宅するまでの心の中の話。ひどく狭い範囲の話。
*
社屋が新しくなってから、通勤ルートは会社からの帰り道には枯葉一つ落ちていない「街の道」になった。
以前の社屋は山際にあったため、道を選べば完全に山道を通ることもあり、枯れ葉だらけ、土だらけの道を歩くこともあったのだから、大変な変化である。
この短い話の主人公の彼は、今日も残業をした後、暗い中を帰宅途中であった。
*
彼には、自問自答する際に自分の中に別の人格を作り、その人格と対話する奇妙な癖があった。学生の時に生まれたその人格を、彼はイマジナリーフレンドと心のなかで呼んでいた。
別に二重人格というわけではない。全部、彼が自分で想像して自問自答しているだけだ。
『 街の道だね。葉っぱ1つ落ちていない。アスファルトが古びたら張り直す、ゴミを掃除する、多くの手間をかけて維持されている金持ちの道だね。』
生意気な事を言っているように見えるが、彼が言わせている疑似人格だ。
(歩きやすくて良い。)
『山道、デコボコだし、坂道だらけだし、滑りやすいし、まあいいとこ無いからね。』
山道はそもそも車が走る公道と比較すべきものではない。
比較対象にするなら、途上国で使われる、土のうと土でできた道だろうか。
見栄えは良くないが、特殊な材料がほとんどいらないため、自分たちだけで維持できるメリットがある。
「あ。茸だ。」
道端の土の部分に、小さな茸が生えていた。
「先輩、拾って食べるとか、まさかしませんよね?」
珍しく、彼には今日の帰り道に同行者がいた。
職場の後輩だ。
イマジナリーフレンドに心の中でしか返答しないのは、人がそばにいるからだった。
( 人と一緒に歩いているのに、まともに会話しないのも、褒められたことじゃないか。)
「拾い食いなんてしない。ましてや茸。腹を壊す。」
「いやー、黙って歩いているかと思えば、道端を見て『 茸だ』ですもん。心配になりますって。」
「生えているのが仮にマツタケでも食べないぞ。」
「先輩、マツタケがそこら辺に生えてるわけないじゃないっすか。」
マツタケは、現代の日本では高級茸として取り扱われている。
『むかしは松茸、そこら辺の山で簡単に取れたって聞いたことあるけどね。』
そう。誰に聞いたのだったか。
松茸は日当たりがいい場所にでき、枯葉や枯れ枝がない方が発生しやすい。
電気・ガスなどが各家で利用されるようになる前、囲炉裏などで火を利用していた時代には、「燃料」として山の枯葉・枯れ木の枝は近くの人に回収されていた。
そのため、松茸は珍しいきのこではなかった。
しかし、電気が引かれ、ガスが入り、手軽に火を扱えるようになったら山に入って枝葉を拾ってくる人はいなくなり、山は枯葉・枯れ枝だらけになった。
当然の帰結として、松茸も激減した。というわけだ。
「マツタケも、昔はその辺に生えてるキノコだったの。」
「マジですか?」
「山が枯葉や枯れ枝だらけで放置されるようになってから激減したけどね。電気やガスがない時代の話だ。」
昔は椎茸のほうが高かったのだ。
「電気ガスなしはちょっと………。マツタケ食い放題でも、そんな不便と引き換えはできないッスね。」
「枯葉が増えて減るものもあるんスね。栄養があってマツタケも増えそうなものですけど。」
「山に住んでいるのはマツタケだけじゃないから。マツタケは陽の光もいるし、枯葉で増えた生き物に生存競争で負けた感じだ。」
「食物連鎖ッスね。」
枯葉は地面に落ち、微生物によって分解され、植物の栄養になる。
その栄養で育った植物を動物が食べる。
もう何の役にも立たないと思われるものも、この世を構成している立派な一部なのだ。
『まあ、そもそもマツタケはありがたがらない国も多いし。アレを連想させるとかで。』
イマジナリーフレンドが下品なことを言い出した。
「 下品だ」
「 え!?食物連鎖が!?」
彼はしまったと口をつぐんだ。人と喋るときに変なことはすべきではない。
*
後輩と別れた帰路、イマジナリーフレンドは話を続けた。
『キノコはともかく、そもそも人間は死骸をよく使うよね。肉を食べるだけでなく、皮を使って服や靴を作るし、そもそも木も植物の死骸だ。』
「 だから?」
『 その割に、自分の周辺に『それ』と分かるものを置くのを嫌う。枯れ葉も虫や動物の死骸も。』
「 そりゃ、そうだろ。虫が湧くし、病気になるかもしれない。清潔さを求めた結果だろ。」
彼は、周囲に人が居なくなったので喋りたい放題だ。
怪しい人に見える。まあ、最近はイヤホンで電話する人もいるし、言い訳はかろうじてできる。
『でも、死んだ後も終わりではない。山道なんて、虫の死骸はいくらでも転がっている。それが死骸のままなら、山は死骸だらけになってしまう。』
そう。街の道で猫が死んでいたら、市民の通報によって役所の道路管理の人が回収していく。これが街の動きだ。
それが家の庭なら持ち主が処理する。
しかし、自然はそんなことはしない。
山で死んだ動物や虫はそのままだ。
小動物や虫や微生物が死骸を食べる、発酵する。分解される。
そして土に還る。
生き物は本来、皆そうだ。
「街はアスファルトで固めちゃったからね。そして、死骸が分解されて土になるまで待てないのが人間だ。」
*
樹上の若葉はやがて枯れ、枯れ葉となって枝を離れ、地面に落ちる。
落ちた枯れ葉は葉としては用をなさない。しかし、微生物に分解された葉は、地面に肥料として利用され、次の植物の命を育む土壌となる。
この世界は、死すら次の命のための土台になる。
人も同じ。
死んでしまって、考えることができなくなっても、火葬されて骨だけになったとしても、その体を構成していた原子は、消えて無くなるわけではない。
姿を変えて、水と空気と灰と、骨になり、我々が住んでいる世界を構成する一部となって循環する。
循環するが、同じように構成されて同じ人が再現されることはない。もうバラバラにされて世の中に放たれてしまったのだから。
灰になった木の枝を、煙と水分と熱を加えても元の枝に戻らないのと同じだ。それが死なのだ。
我々は多くの死の上で生活しており、今度は自分の番になるだけなのだ。
「薤上の露、何ぞ晞き易き。露、晞けれども晞くも明朝、更に復た落つ。人、死して一たび去らば何れの時にか帰らん。」
昔、一時詩吟を習っていた時期があったので、口ずさむ。
薤の葉の上の露は乾いて消えやすい。露は乾いても、翌朝またある。だが、当然、その露は昨日の露ではない。
昨日の露は乾いてしまったのだ。もう二度と同じ露ではないのだ。
人の死も同じ。一度去ってしまえば、同じ生き物としては二度と還ることはない。
『それは枯れ葉じゃなくて葉の上の露だけどね。』
イマジナリーフレンドは突っ込んで締めた。
( 先輩……。独り言に歌まで。やっぱり働き過ぎでアタマイカれちゃった?)
そして、影で後輩が戦慄していた。
一度でいいから沢山の枯葉を集めて、シーツで包んでベッドみたいにして、そこに飛び込んでみたいものだ。心地よければ昼寝もしてみたい。