『日常』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
日常
朝起きて、洗濯物畳んで、食事して、洗面して、出勤して、夕方帰宅して…
そんな決まった事の繰り返しの毎日…何の変化もなくて、飽き飽きしてしまう…けれど、こんな平凡な日常も、何処か愛おしい…
片田舎での暮らしは、刺激も無いし、不便なことだらけ…だけれど、極度のストレスはなくて、ダラダラしてしまう…
そんな日々の移ろいに、何となく過ぎて行く時間…
ののは 「私もそろそろ毛が治らないかな……」
ののはの母 「(あんたがそんなのだから!)」
ののはの姉 「(ばっかみたい)」
看護師 「大丈夫よ。お母さんにも姉のりんちゃんにも伝えてあるから」
看護師2 「日常を大切にしてね」
かんな 「日常ってなに?」
看護師 「こら!かんなちゃん…起きちゃあかん」
看護師2 「日常はね、、いつもの日みたいな」
かんな 「ふーん」
ののは 「私の日常ってなんだろ。」
日常
爆弾が飛来し
街は 壊れた
戦火の中 生き延びることだけが
今の 日常
戦争前
何事もない 平和な 時が
あんなにも 退屈でつまらない
あの日常が
今は恋しくて たまらない
寝て起きて、ゆっくりご飯を食べてのんびりする
毎日そんな何事もない日常を歩みたいなと思います
まぁ、毎日はさすがに出来ないのですけれどもね
明日念願の白川郷に行く予定だったのに。。。天気予報は雨なの。。。。
日常
1940年昭和の15年 家庭には冷蔵庫も電子レンジもなく、勿論テレビもない時代。家事は時間と手間がかかり、なのに子供は三人四人兄弟姉妹が普通、女性は家庭に入り家事子育てに明け暮れる日常。
戦時下の暮らしでは、生活のあらゆる面が規制され制限されました。ラジオや新聞などのメディアも映画などの娯楽も戦争戦況軍事高揚目的の内容が多く報道されました。街には戦地での兵隊さんの苦労を思い、街頭には「贅沢は敵だ!」の看板が立てられ貧しさを我慢する清貧こそ尊ばれる日常になり、それが正しさであり正論であり正義でした。
明日を担う子どもたちも戦争という国をあげての殺し合い合法の時代に否応なく巻き込まれます。1938年昭和の13年に始まった学徒動員12歳以上は学校へ通いながら軍事用品に関する作業に従事しました。今ならとんだ児童虐待と言われる行動ですがそれが当時の日常でした。やがて、招集され少年兵は強制的志願の熱望するに丸印をし、特攻兵として突撃するという日常が男の子には待っていました、それが正しさであり正論であり正義でした。
終戦は1945年8月15日今から79年前です。
それから、20年1964年昭和の39年東京でオリンピックがあり、カラーテレビが普及し白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫の三種の神器は、カラーテレビ、クーラー、自家用車の「3C」に変わりました。父親は24時間働き終身雇用は日本の高度成長を支え、ほとんど仕事で家に居なくても地震、雷、火事、オヤジ 親父の存在が大きいことが家庭の日常でした、それが正しさであり正論であり正義でした。
さらに、それから20年1984年昭和の59年バブル夜明け前1985年から空前のバブル全盛期到来「贅沢は敵だ!」から「贅沢は素敵だ!」に日常のスローガンは変わりました。1万円札を振りながらタクシーを止める時代でした。質素倹約清貧は美しいそれが正義の時代から44年間くらいの間の出来事でした。
それから、バブルは弾け不景気は訪れて輝くものは輝きのままにとどまらず3Cも携帯も人工知能も持ったけど何故だか不景気不安な日常がやって来ました。
親や大人は子供を躾たくないから少ない子供に嫌われたくないから、子供を高い高いし過ぎて
社会は子供を下げられなくなりました。そんな子供が大人になった結果ハラスメント社会は到来しました。そしてそんな大人が親になった時
日常は正しさは正論正義はどう変わるのでしょう。
良いことは良いなんてものの100年も経たないうちに変わってしまいます。
最後のギロチン処刑は1977年でした、罪人の首を切り落とすという残酷な処刑方法はそれでも最初は罪人に苦痛が無い処刑方法として考案されたものでした。
罪人が処刑される姿を見物させ民衆は見世物でも観るように歓声をあげ見物した時代からまだ50年経っていませんし、この一見野蛮な行為は、現代のネット晒し私刑と何処か似ていますね、正義ってなんでしょう?
正しさ正論正義なんてものは日常生活と同じに時代立場で変わり続けるものなのです。
それならば、何を信じて生きてればと思うとやはり自分なのではないのかという思いに行き着きます。
移ろい行く正しさや正論や正義に流されない自分という自我と意志なのではないだろうかと思います。
どんな細やかな市井の人の日常であっても 世間に流されないオリジナリティーを持つ人でありたい。
人間我が強いくらいで丁度だ。
移ろい行く日常と言う大河の一滴のような細やかな歴史の中で。
今日もハードな仕事が終わり、ひとときの自分の時間が、始まる。大切に大切にと、、やりたい事すべて野放図にさせておく。ゲームに読書に。
そして、深い後悔。
これが日常。トホホ。
当たり前にあるけどいつかは消えて無くなってしまうもの。その時までは確かにあったのに、あることがきっかけでそれまであった日常は日常では無くなってしまったから、あって当たり前とは思えなくなった。
日常
4人でお昼を食べるのが日常になった高校生活
最近4人でいるのが気まずいんだよね
私だけ上手く話せない、
どうしたら話せるようになれるかな
どうしたらいいんだろう
みんな仲良くなってるのに
幸せというのは、とても幸福で満たされている状態で、
私たちは、というか、多分、多くの人はそれを望んでいるのだと思う。
幸せになりたい、って。
私みたいな根っからネガティブ人間からすると、
『幸せ』というものすら、暴力的で攻撃的、綺麗すぎて刃物のような鋭さを感じてしまう。
偏屈すぎるだろうか?
でも、私は基本的に生きたくない。出来れば、生きたくない。
だからといって、死にたいわけでもないような、曖昧な状態。
幸せになりたいって、望むのは、とても前向きな心の欲求だから、それは生きたい人のためのものだと思ってる。
生きたくない、死にたい。
なんて、のらりくらり死んだみたいに生きてる人は、
幸せなんて望んじゃいけない。
幸せになりたいなんて、生きたがってるみたいで、自分が惨めな気持ちになる。
一生懸命頑張っている人を見ると、笑ってしまう。
馬鹿にしているわけではなくて、どうしてそんなに頑張るんだろうって、自分との温度差に冷めてしまう。
一生懸命頑張っている人は、とても素敵だと思う。
ただ、自分に対しては、何生きがってるの?――って、そう思うってだけ。
基本的に生きたくないです。
だから、幸せが眩しい。
ちょっと不幸なくらいが、ちょうどいいなんて、変ですか?
変ですよね。
自ら不幸になりたい人なんていないでしょうに。
幸せにならなければいけない。
本来素晴らしいものである幸せが、苦しい。
だから、ちょっと不幸なくらいがちょうどいい。
生きたくないな……と思いながら、何となく生きてて、
嫌になって、辛くなって、絶望してる日々。
その中だから、ほんの些細なことが、輝いてみえる。
雲の隙間から差し込む光みたいに、溢れ出た光を眺めるだけで、
生きたくない心に少しだけ明かりを灯してくれる。
そうやって、今まで心臓を動かし続けたきた。
これも、幸せだと言っていいでしょう?
でも、自信ないから、不幸でいることを望む自分をまた責める。
期待して、辛くなるなら、
最初から、絶望していればいい。
慢性的な生き苦しさを抱えているのと、失敗も挫折も味わっても立ち上がり続けるのとでは、どちらが辛くないんだろう。
停滞か、変化か。
今日は疲れた。
代わり映えのしない毎日は
まるで、ただひたすらにレベルアップのためだけに弱いモンスターを倒しまくる、あの地味な作業に似ていた。
だから、つまらなくて、だるくて、刺激がほしくなる。
こんな時間を費やす自分が馬鹿みたいに思えて、私は数学の問題集を閉じた。
階下に降りて、スニーカーを出す。
「こんな時間にどこ行くの?」
フェイスパック姿の母親が耳敏く気づいて、玄関まで出てきた。
そんな姿でこそ、玄関まで来ないでほしい。
「そこのコンビニで、模試の解答用紙コピーしてくる」
喉元まで出かかった言葉は、優良少女が使いそうなものにすり変わって投げられた。
「あら、だったら、拓磨についていってもらったら?」
母親は、上階を振り返って、いまにも弟に声をかけそうだ。
拓磨だって、部屋で思い思いに過ごしたいだろうに。
ほらね、受験勉強が絡むと態度が変わるんだよね。
「いいよ。部活で疲れてるだろうし。なんかレギュラー候補なんでしょ?大事な時期なんだし、ゆっくりさせてあげなよ」
私はすげなく答えて、スニーカーの靴紐を結ぶとトートバックを持って立ち上がった。
「そう?でも…」
母親は、また上階をちらりと見てから、私に視線を移した。まだ決めかねているようだ。
「コピーしたら戻って来るから。何か買うものがあったら、連絡ちょうだい。じゃあね」
長居は無用だ。
私は、母親が何か言い出す前に玄関を出た。
夜の空気は独特な感じがする。
毎日往復している通学路でさえ、朝の爽快さやまどろみが混在したものと、まるで空気感が違う。
薄闇が生き物だとしたら、知らずにその呼気を吸い込んで、自分が内側から侵食されていくような妄想すら描いてしまう。
コンビニは周囲の薄闇を退けて発光する、古びた宝箱みたいだった。
塾帰りの中学生たちが購入したホットスナックを噛りながら、小テストのできばえを話題に自動ドア付近に屯していた。
ああいう自由は、私の頃は無かったな。
私はコンビニの自動ドアを潜ると、雑誌コーナーを一瞥し、複合機に向かった。
#日常
お気に入りのソファに腰を下ろして
引き立ての美味しいホットコーヒーを飲みつつ
いろんなジャンルの映画やドラマを観て夜を明かす
あなたの隣に座って過ごす休日の夜が
毎週当たり前になればいいのに
『日常』
「貴方には普通の日常を生きて欲しいの。」
母の口癖だ。普通の日常ってなんだろう。
「ごめんね。普通の子に育てられなくてごめんね。」
昔、母が机に伏せながら俺に言ってきた。その側には、〈性同一性障害〉と書かれた紙があった。俺は戸惑った。俺は普通じゃないのか?分からない。しかし、一つだけ分かった。俺は母が望む子にはなれなかったのだ。その事がただ申し訳なかった。
「母さんは悪くない。私、普通の子になるよ。」
あの時決めた。私は普通の子になって、普通の日常を、人生を歩むのだと。
あの日から私は、普通の娘を演じた。学校では友達と恋バナをしたり、休日はカフェ巡りやショッピング。メイクやネイルは可愛い系。これが私の、普通の女子高生の日常。
「貴方が普通になって良かったわ。」
母はそう言って、嬉しそうに笑う。これがきっと正しい道なんだ。私は女の子。可愛いものが大好きな女の子。毎日そう言い聞かせて眠る日々。なんだか、疲れたよ。
「これでよしっと。」
部屋の天井にロープを吊るし終え、私は一息着く。やっと終われる。そう思うといつもより心が軽かった。俺は、鏡に向かった。今までは鏡を見るのが辛かった。見る度に、自分の性別を言い聞かせられるようで。でも、今の私は、ベリーショートの髪にメンズの服を身に纏っている理想の姿。
「最後ぐらい、俺の好きにさせてね。」
俺は空中に言葉を放った。返事がなくとも、心地よい。俺は、自分の首にロープを掛けた。静かな部屋で、俺の体が浮いたままだった。
なんてことない日常、
つい退屈に感じたり、ずっと当然に続くものだと思ってしまうけれど、
本当はそれがとても尊いものだということ、
失って初めて気付く。
(でも、そのショックと悲しみにも少しずつ慣れて、また同じことを繰り返していく)
毎日が退屈なものになるか、特別な1日になるかは、
本当は自分の計画と工夫次第なのに、不可抗力のように、環境に責任転嫁してしまう。
充実した良い1日だった!と心から満たされた気持ちで毎日寝落ち出来たら、どんなに幸せだろうか…!
短いまつ毛に寝癖がついてる
髪のはね方は相変わらず どれが寝癖でどれが元からだったか
味噌汁の味噌、ちょっと入れすぎたって笑う
そんなことよりこの芸術的なネギがいいねって笑い返す
トーストの上のバターが溶けきる前に 慌てて塗りきって 端っこの方が少し 素朴なパンそのものの味
朝顔が毎日少しずつ伸びる
と思っているうちに、生い茂っている
今年も立派なグリーンカーテンができた
赤ピンクやまだら模様の大きな水玉と蔦巻く緑葉からなる日陰は秘密の楽園みたい ここで朝飲む珈琲が好きだ。
とは言わない。ポエティックが過ぎて恥ずかしいので
おかえりと言う時とただいまと言う時がある けどいつも何かしらは言う
夕餉支度の湿度が窓を曇らせる
雨が降っていたことに気づかなかった 部屋の中の音が鳴り止まないから
電気を消して気づく 人の呼吸音の大きさ
何かを忘れている気がするけど、身体が寝たがっているので従順に横になる
知らない匂いはいつの間にか無臭になった
鼻が馴染んだらしい もうきっと これからは 自分独りの部屋の方が、知らない匂いになる
何を忘れていたか思い出した
おやすみと言うのを忘れていた
暗闇の中で「おやすみ」と言うと、小さなモニョモニョとした聞き取れない返答と、あったかい手のひらがお腹の上に落ちてきた
(日常)
日常
私は今が続けばいい。
今が1番。
波のない今が。
時々は刺激がある方がいいけど、
極力なくていい。
今の日常がずっと続けばいい。
日常生活の中で ふと亡くなった祖母の事を思い出す
胸がギュッと締め付けられる
寂しさと 永遠てものが無い事の無情さに
僕は時々押し潰されそうになる
そうやってみんな、辛い事とも 何食わぬ顔で向き合って
乗り越えていく
ほらまた、祖母の笑う声、僕を呼ぶ声が聞こえる
僕はなんとか 元気でやっています(^-^)
朝、いつもと同じ時間に目が覚めた。目覚ましは掛けてないのに身体に染み付いているのだろうか、2人が寝てる布団を後にしてキッチンに向かう。スリッパがフローリングに擦れる音しか響かない廊下は昼間の騒がしさを忘れさせる程にモノ寂しさを帯びている。キッチンに立ち朝ごはんの支度をする。
少し前までは一人暮らしだったから適当なゼリー飲料で済ませていたが流石に人にゼリー飲料を進めるのはどうかと思い料理を作ることにした。幸い2人は俺の作る料理を気に入ってくれたらしく、それから沢山リクエストをしてくるようになった。無理難題を言われる事もあるけど、幸せそうに頬張る2人を見てると不思議と要望を叶えたくなる。まだ一緒に少しの時間しか過ごしていないのに自身の日常に組み込まれつつある事に我ながら驚く。
そう思考回路を回していると朝ごはんが出来上がり始め、アルベルトが起きてくる。髪はまだ結っておらず無造作に飛び跳ねた白髪を引き摺りながら眠そうに起きてきた。
「起きたか。おはよう」
そう声をかけても頷くだけで返事がない、まだ夢の中なのだろう。寝ぼけているアルベルトを椅子に座らせホットミルクを渡すと少しづつ飲み始める。寝起きの年老いた猫を見ている既視感で自身の広角が上がる、笑ってると思われると怒られるので急いで戻すが気付かれていない。安堵のため息を吐いているとしっかり目が覚めたのかアルベルトが腹が減ったと嘆き始めた。イオを起こすのを頼んで朝食をテーブルに並べる。自身の母も、こんな日常に幸せを抱いていたのだろうか。
創作 【日常】
今日は旦那の34歳の誕生日
付き合ってから6回目の誕生日
結婚してから4回目の誕生日
ぺたりと机に頬をつけた。
窓から降り注ぐ日差しと賑やかなグラウンド。
目を閉じていれば今にも、
君がペン先で突付き起こしてくれそうな。
そんな柔らかな昼下がり、
だったら。
がらんとした教室で
荒れ放題の教室で
取り止めなく独り夜を待つ
太陽光に燃え尽きる人たちを
その悲鳴に耳を塞いで
‹日常›
「夜みたいな色が良いの」
「暗いけど澄んでいる、重たくて華やかな色」
「それを」
「何という名で呼ばれ括られているのか」
「私にはどうも分からないけれど」
‹好きな色›
「愛ってなんだろう」
「守り支えるってなんだろう」
「君の為に何が出来るだろうって」
「この間まで何にも悩まなかったのにさ」
「一人なら何でもなかったのにさ」
「笑ったり泣いたり、楽しそうだったり」
「……あと、たまにはね、怒ってたりとか」
「そういう全部、君との全部」
「最後まで全部、傍で見ていたいって」
「……何だか照れくさいけどね」
‹あなたがいたから›