幸せというのは、とても幸福で満たされている状態で、
私たちは、というか、多分、多くの人はそれを望んでいるのだと思う。
幸せになりたい、って。
私みたいな根っからネガティブ人間からすると、
『幸せ』というものすら、暴力的で攻撃的、綺麗すぎて刃物のような鋭さを感じてしまう。
偏屈すぎるだろうか?
でも、私は基本的に生きたくない。出来れば、生きたくない。
だからといって、死にたいわけでもないような、曖昧な状態。
幸せになりたいって、望むのは、とても前向きな心の欲求だから、それは生きたい人のためのものだと思ってる。
生きたくない、死にたい。
なんて、のらりくらり死んだみたいに生きてる人は、
幸せなんて望んじゃいけない。
幸せになりたいなんて、生きたがってるみたいで、自分が惨めな気持ちになる。
一生懸命頑張っている人を見ると、笑ってしまう。
馬鹿にしているわけではなくて、どうしてそんなに頑張るんだろうって、自分との温度差に冷めてしまう。
一生懸命頑張っている人は、とても素敵だと思う。
ただ、自分に対しては、何生きがってるの?――って、そう思うってだけ。
基本的に生きたくないです。
だから、幸せが眩しい。
ちょっと不幸なくらいが、ちょうどいいなんて、変ですか?
変ですよね。
自ら不幸になりたい人なんていないでしょうに。
幸せにならなければいけない。
本来素晴らしいものである幸せが、苦しい。
だから、ちょっと不幸なくらいがちょうどいい。
生きたくないな……と思いながら、何となく生きてて、
嫌になって、辛くなって、絶望してる日々。
その中だから、ほんの些細なことが、輝いてみえる。
雲の隙間から差し込む光みたいに、溢れ出た光を眺めるだけで、
生きたくない心に少しだけ明かりを灯してくれる。
そうやって、今まで心臓を動かし続けたきた。
これも、幸せだと言っていいでしょう?
でも、自信ないから、不幸でいることを望む自分をまた責める。
期待して、辛くなるなら、
最初から、絶望していればいい。
慢性的な生き苦しさを抱えているのと、失敗も挫折も味わっても立ち上がり続けるのとでは、どちらが辛くないんだろう。
停滞か、変化か。
今日は疲れた。
6/22/2024, 2:11:36 PM