#胸の鼓動
電気を消して、布団に入って、目を閉じる。
視覚をシャットダウンすると、部屋の空気とか、外で走り回るバイクの音とか、新調したフレグランスの匂いとか、他の感覚器官が鋭くなった。
眠る直前までスマホを見ていたからか、脳の思考も活発化してしまった。その証拠にいろんなことが頭の中をぐるぐると渦巻いている。一日の行動をなぞるように、一人反省会。
苦しくなる気持ちを、深呼吸して落ち着かせた。
意識的に、呼吸を繰り返す。
吸って、吐いて、吸って、吐いて。
胸の鼓動を感じていると、独りなのに、心が少し大丈夫になる。
不安な夜もいつの間にか終わってて、朝日が昇る。
それの繰り返し。
#貝殻
砂浜で見つけた綺麗な貝殻。
あの人にあげたいな、って
思う気持ちは
きっと愛だ
いいな、って思ったもの
あの人に見せてあげたい。
こんなにも、素敵なものがあったこと
あの人にも教えてあげたい。
毒にも薬にもならないような、やさしい愛が好き。
#きらめき
日常のあちらこちらに潜むきらめき。
強くはない。存在感があるわけでもない。
キラキラしてるわけではなくて。
そっと、そこにあるような感じ。
何も言わないで、誰にも気付かれないのに、
素知らぬ顔で、ただ静かにそこにあるきらめき。
気付ついた瞬間、きらめきの欠片が輝き出す。
どんな小さな欠片だろうとも。
見つけてって叫ばなくても
色とりどりの宝石で飾らなくても
気付いている。
私のなかに、もうきらめきがあるって、
私は知っている。
書きたいのに、書けない。
上手く文章を書かなければ。読み返すたびになんだか気持ちが悪くて、結局全部消した。あーあ、また書けなかった。
せっかく書いたのに。
また、消しちゃった。
#香水
匂いって、強烈だ。
どんなに忘れていても、その香りを鼻に感じれば、一瞬にして脳裏にその存在を思い出してしまう。
私の日常生活から香りを消して数年、今も近い存在なのに、遠くにいるような。確かに存在はあるのだけれど、意識して考えないといけないくらい、私の中で彼の存在が薄れてゆく。
自分の一部だったものが欠けるような感覚。記憶の中での彼が、だんだんと不透明な色になって、どんな風に笑っていたのか、どんな声だったのか、どんな音で名前を呼んでくれたのか、はっきりと思い出すことができない。
いろんな音と匂いの混じる町で、覚えのある香りに、私は思わず立ち止まった。間違えるはずがない。私の隣で香水を撒き散らしていた彼の、あの匂いだ。
だけど、周りを見回しても、彼の姿は見つけることができなかった。世界にひとつしかないわけじゃないし、きっとありふれてる香りだ。たまたま同じものを使っていた別の人かもしれない。
仮に、もし彼だったとしても、私はこの人の往来の中から彼を見つけるのは難しいだろう。
顔も、声も、存在すらも薄れていくのに、匂いだけは、ハッキリと覚えていた。
香水は、香水にしかすぎないのに、彼が使っていたというだけで、あの香りは彼だということが、脳に刻み付けられている。
次第にぼやけてゆく視界に、ふわりと柔らかい香りが舞う。
「はっ。なんだ、変な顔だな。」
顔上げると、こちらを見下ろすニヤケずらと目が合った。途端に、香りが強くなる。
引き金みたいに、埋もれていた記憶が一斉に弾け出した。
私は知ってる。覚えている。ただ、考えていなかっただけで。
ちゃんと、この人のことを、知っている。
「うっさい。」
瞳に宿る熱を誤魔化すように、私は乱暴に口を開いた。