海月 時

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「貴方には普通の日常を生きて欲しいの。」
母の口癖だ。普通の日常ってなんだろう。  

「ごめんね。普通の子に育てられなくてごめんね。」
昔、母が机に伏せながら俺に言ってきた。その側には、〈性同一性障害〉と書かれた紙があった。俺は戸惑った。俺は普通じゃないのか?分からない。しかし、一つだけ分かった。俺は母が望む子にはなれなかったのだ。その事がただ申し訳なかった。
「母さんは悪くない。私、普通の子になるよ。」
あの時決めた。私は普通の子になって、普通の日常を、人生を歩むのだと。

あの日から私は、普通の娘を演じた。学校では友達と恋バナをしたり、休日はカフェ巡りやショッピング。メイクやネイルは可愛い系。これが私の、普通の女子高生の日常。
「貴方が普通になって良かったわ。」
母はそう言って、嬉しそうに笑う。これがきっと正しい道なんだ。私は女の子。可愛いものが大好きな女の子。毎日そう言い聞かせて眠る日々。なんだか、疲れたよ。

「これでよしっと。」
部屋の天井にロープを吊るし終え、私は一息着く。やっと終われる。そう思うといつもより心が軽かった。俺は、鏡に向かった。今までは鏡を見るのが辛かった。見る度に、自分の性別を言い聞かせられるようで。でも、今の私は、ベリーショートの髪にメンズの服を身に纏っている理想の姿。
「最後ぐらい、俺の好きにさせてね。」
俺は空中に言葉を放った。返事がなくとも、心地よい。俺は、自分の首にロープを掛けた。静かな部屋で、俺の体が浮いたままだった。

6/22/2024, 2:09:04 PM