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日常

1940年昭和の15年 家庭には冷蔵庫も電子レンジもなく、勿論テレビもない時代。家事は時間と手間がかかり、なのに子供は三人四人兄弟姉妹が普通、女性は家庭に入り家事子育てに明け暮れる日常。

戦時下の暮らしでは、生活のあらゆる面が規制され制限されました。ラジオや新聞などのメディアも映画などの娯楽も戦争戦況軍事高揚目的の内容が多く報道されました。街には戦地での兵隊さんの苦労を思い、街頭には「贅沢は敵だ!」の看板が立てられ貧しさを我慢する清貧こそ尊ばれる日常になり、それが正しさであり正論であり正義でした。

明日を担う子どもたちも戦争という国をあげての殺し合い合法の時代に否応なく巻き込まれます。1938年昭和の13年に始まった学徒動員12歳以上は学校へ通いながら軍事用品に関する作業に従事しました。今ならとんだ児童虐待と言われる行動ですがそれが当時の日常でした。やがて、招集され少年兵は強制的志願の熱望するに丸印をし、特攻兵として突撃するという日常が男の子には待っていました、それが正しさであり正論であり正義でした。

終戦は1945年8月15日今から79年前です。

それから、20年1964年昭和の39年東京でオリンピックがあり、カラーテレビが普及し白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫の三種の神器は、カラーテレビ、クーラー、自家用車の「3C」に変わりました。父親は24時間働き終身雇用は日本の高度成長を支え、ほとんど仕事で家に居なくても地震、雷、火事、オヤジ 親父の存在が大きいことが家庭の日常でした、それが正しさであり正論であり正義でした。

さらに、それから20年1984年昭和の59年バブル夜明け前1985年から空前のバブル全盛期到来「贅沢は敵だ!」から「贅沢は素敵だ!」に日常のスローガンは変わりました。1万円札を振りながらタクシーを止める時代でした。質素倹約清貧は美しいそれが正義の時代から44年間くらいの間の出来事でした。

それから、バブルは弾け不景気は訪れて輝くものは輝きのままにとどまらず3Cも携帯も人工知能も持ったけど何故だか不景気不安な日常がやって来ました。

親や大人は子供を躾たくないから少ない子供に嫌われたくないから、子供を高い高いし過ぎて
社会は子供を下げられなくなりました。そんな子供が大人になった結果ハラスメント社会は到来しました。そしてそんな大人が親になった時
日常は正しさは正論正義はどう変わるのでしょう。

良いことは良いなんてものの100年も経たないうちに変わってしまいます。

最後のギロチン処刑は1977年でした、罪人の首を切り落とすという残酷な処刑方法はそれでも最初は罪人に苦痛が無い処刑方法として考案されたものでした。

罪人が処刑される姿を見物させ民衆は見世物でも観るように歓声をあげ見物した時代からまだ50年経っていませんし、この一見野蛮な行為は、現代のネット晒し私刑と何処か似ていますね、正義ってなんでしょう?

正しさ正論正義なんてものは日常生活と同じに時代立場で変わり続けるものなのです。

それならば、何を信じて生きてればと思うとやはり自分なのではないのかという思いに行き着きます。

移ろい行く正しさや正論や正義に流されない自分という自我と意志なのではないだろうかと思います。

どんな細やかな市井の人の日常であっても 世間に流されないオリジナリティーを持つ人でありたい。

人間我が強いくらいで丁度だ。

移ろい行く日常と言う大河の一滴のような細やかな歴史の中で。


6/22/2024, 2:17:10 PM