『旅路の果てに』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
旅路の果てに
「着いた〜」 「長かったなー」
「いろいろあったけど、楽しかったね」
僕たちの旅は終わった。
ここという目的地は決まってなかったけど、なんとなく旅は終わりになった。
旅の途中、仲間と助け合い、人に出会い、世界を見た。
ーこの仲間だからこそ、できた旅だ。
そう思えた。
「ねぇ、また旅に出たらついてきてくれる?」
「当たり前でしょ」 「仲間だろ?置いてくなよ!」
僕たちの旅はいったん休憩。
またいつか、冒険の旅路へ・・・
前回の仲間の続編です。(みけねこ)
旅路の果てに
何があるのだろう
出会いと別れを繰り返し
今一人
多くのものを見てきた
多くのものを軽々してきた
多くの感情を感じてきた
その最後の、その果て人愛があるのだろう
何を持って了りたというのだろう
わからないけれど
この旅の中に答えはあるのだろう
もしないのであれば
誰にも最後がどこかわからないのだろう
そんな気がしてきたこの頃です。
『旅路の果てに』
…どのくらい遠くに来ただろう。
いくつもの月が頭上を通って過ぎていった。
何もかもから逃げ出したくて、
無我夢中で歩き続けた。
お気に入りの鞄に
ポチ袋に入ったままの貰ったばかりのお年玉と、
ため続けていた貯金を財布に入れて、
スマホと充電器も入れて、
折り畳み傘と、
唯一好きになれた数学の教科書をいれて。
長袖と長ズボンとアウターを着て
親も親友も友人も先生も近所の人も誰にも見つからずに
18年間住み続けた街を抜け出した。
……筈だったのに。
「あ、見つけた。ここに来ると思ったよ。」
アイツはいつも、私の行く先にいる。
親でも親友でも友人でも先生でも近所の人でも
なんでもないのに。
アイツはいつも、私の心を見透かしてくる。
「ねぇ、何処に行こうか。
誰にも見つからない場所を探そうよ」
そう言って、私の心に上がり込んでくるのに
いつもいつも、コイツだけは許してしまうんだ。
旅路の果てに
そこに何があるのだろうか?
何を目指して歩んでいるのだろうか?
見つけられるのは 希望?絶望?
絶望の中 歩みをとめてしまえば
そこが旅路の果てになるだろう
それでも歩み続ければ
そこはまだ旅の途中
寄り道 まわり道 休憩したってかまわない
振り向いて『いい旅だった』と思えるときが
旅の終りになりますように
旅路の果てに
君と出会う
そして
大事な人を亡くした日
あの日を忘れない
だけど
諦めない
目指す未来があるはずだから
お題『旅路の果てに』
この少女には生まれてからこの方一度も捨てたことのない使命があった。
それは『箱』である。
鍵付きの一辺六平方センチほどの白い箱は、彼女が物心ついたときには持っていた物だ。
そして彼女にはこの箱ともう一つのものが天啓のように与えられていた。
手紙だ。
孤児であった少女の名前と、出生日。そしてどこかの住所。
施設の職員が、少女の家族がいることを期待してそこを訪ねた。しかし期待は大いに裏切られ、そこはとある日本の港町、その踏切。
しかし、路傍には枯れた献花のカモフラージュと共にラミネートされた封筒があった。
「国立国会図書館290」
それが少女の使命の始まりだった。
国立国会図書館の請求記号ラベル290番、一つではなかったその本のある一冊にまた紙が挟まっていた。
イギリスのロンドンから、太平洋の真ん中、名前のついてない島から閉鎖された炭鉱――。
辿り着けば紙は必ず見つかって、次の目的地も自ずと決まる。
放浪の旅は15年続き、成人を迎えて数カ月後、少女は日本の寂れた公園、その鉄柵が口を開ける獣道を歩いていた。
「某県の秘密基地」そう書かれた封筒は去年中国の農村で見つけたものだった。
そこで見つけたのだ。
それは簡単な花の装飾が施された、シンプルな鍵だった。
幾度となく偽物の鍵を掴まされたが、少女はそれに直感的に感じるものがあった。
これが少女の果てだと誰かが教えてくれているような不思議な感覚があったのだ。
チャック付きのプラスチック袋に入ったそれを開けて、鍵穴に差し込む。
ハマった。
その時少女を襲ったのは感動なんていうものではなかった。
手が震え、喉から引きつった声が出る。
少女は確実にこの状況に
――絶望していた。
旅路の果てに待っていたのは、究極の自由だった。
どこに行ってもいい。何をしてもいい。
5歳の頃から何もかもに指を差され、示されて15年生きてきた大きな少女にとっては、耐えきれない自由の空白がそこには広がっていた。
彼女は鍵を開けることはなかった。
そして、その後自由を享受することも――なかった。
【旅路の果てに】2024/01/31
旅路の果て
まだ想像は霞の向こう。実感はない。
江戸時代以前に生まれていたなら、きっともう身近に感じていたはず。
元気で体が動く期間は変わらないけれど、不自由を抱えるようになってからの人生のほうが長い。そんな時代に、どんなふうに私は生ききるのだろうか。
願わくば、夢に溢れていた少女の頃の私に、誇れるような人であれますように。
旅が終わったら何をしよう。
やることないなぁ〜。
ほんとに何もやることがない。
気持ちが全て置いてきたかのように。
複雑すぎて何も感じない。
だから、何も考えることができない。
無能な奴になってしまった。
元々無能だからいっか。
そう諦めてしまう。
何も決めずに進んでいく、
旅路が終わってしまったら何をしよう。
本当に何をしよう。
#『旅路の果てに』
No.31
旅路の果てに
私はロボット。あの人の安全を守るのが仕事
私はロボット。あの人の遊び相手をするのが仕事
私はロボット。あの人の介護をするのが仕事
私はロボット。あの人を最期まで見守るのが仕事
あの人の長い旅は終わった。
私の半永久的な命の中で、あの人との思い出はメモリの1部でしかないけれど
もし私の旅が終わる時がくるならば、あの人ともう一度会える事を願う。
長い長い旅路の果てに
やっと辿りついた先は
やっぱりあなたの下でした
あなたのゴールも
私だったらいいのですが…
#旅路の果てに
旅時の果てに
何もなかった。
何かあると期待してちゃダメだ。
何もないことだってあるよ。
【旅路の果てに】 ※微ホラー(?)注意
家出した。もう、あそこにはいたくない。靴も履かずにケータイとキーホルダーだけ持って出た。
目的地なんてない。ただ走る。雨の中。気がつけば
俺「ここ…どこだ?」
全く知らない町。いったいどれだけ走っただろう。
?「グイッ」
ッ!!…は?見知らぬ少女。俺よりは年下だ。
俺「お前、ここの町の人間か?」
少「えぇ、そうよ。ここは大きな町。さぁ、」
『おいで』
まずい…!直感でそう思った。理由なんてない。ただ、まずい。それしか頭になかった。
俺「う、うわぁぁぁぁ!!」タッタッタッ
気がつけば全速力で走っていた。さっきまで走っていたのに。まだ、体力があったのか。
タッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッタッ
少「あ~あ。」
『あと少しだったのに…!』
その声を最後に、俺の意識は途絶えた。
END
旅路の果てにつくまでに何があるだろう。人生の旅で他人と関われるほど真っ当とも言えず正直自業自得で孤独になるので人間関係以外の楽しみを重ねて生きることにしているが何かにつけ人間との関わりが得意でないので社会的なところを避けるとどうしても限定的になる。自分を早々変えられないのはわかっているのでいらないトラブルを避けるために誰かと自分の関係はとことん希薄に薄くする。それで満足できるタイプなのはありがたいのか悲しいことなのか。人生は人間関係を除くと随分とぺらぺらのシンプルすぎるものになってきているがそれもまた一興と開き直れるからこそ、そうゆうところだぞ自分と呆れる。
【旅路の果てに】※ヘタ二次
旅路の果てとは、彼らにとって滅亡である。
彼らが絶えることを許されるのは、おそらく土地が荒れ果て、人民が希望を失ったことを見届けたときのみであろう。人が在る限り、彼らもまた在り続けるのである。
【未完】
問 旅路の果てには何があるか。
これは人生で誰もが一度は見たことのある質問だと俺は勝手に思っている。
人は何故、このような正解のない問いが好きなのか。俺はよくわからない。このような事を考えている俺も同じだと思うが。
話が逸れてしまった。旅の果てにあるものだな。
...俺は、旅と人生は同じだと思う。
旅も人生も、いつか終わりが来る。
終わりが来たとき見えるものは一体なんだろう。文字の中で生きているこの子達は一体何処へ行くんだろう。俺がいなくなってしまえば、この子達は旅を続けることができない。
凄く残念なことだけど、それはこの子達の運命であり旅の果てだと思っている。
だから、つまり......死の直前までは誰にもわからないって事だ。
自分がどんな人生を送って、どんな人に出会って、どんな感情も持つかは人各々で旅の果てもきっと人各々で。そんなこと当たり前なのだろうけど。
でも文字の中で生きているこの子達は、俺とはまた違って、各々が違う果てを迎える事を考えている。
一月が終わった。
二月は何を書こうか。
お題 「旅の果てに」
「ゴールってどこにあるのかな」
「いきなり何」
突然意味のわからないことを言い出した友人に突っ込む。慣れてきたとはいえ抽象的すぎる質問に答えるには説明が不足し過ぎである。
「人生?」
「重いな?」
素で突っ込んだ。いきなり壮大かつ堅苦しい話をされれば現実逃避も兼ねて突っ込みたくもなる。というか何故人生について語られているのか。同じ人生に語るについても夢とか将来とかそういう明るい話にしてくれ。高校生の世間話のテーマとは思えない。
目の前にいる友人は別に悲観主義なわけでも退廃主義な訳でもない。ただ少し現実主義が行き過ぎて考えすぎなだけで。で 今回は人生のゴールについて気にかかったと。
思うにこの場合のゴールは終着点とかそういったものであろう。何故自分に聞いた?人生相談なら教員にしてくれ。
「終の眠りとか?」
「やめろ,終えるな」
なんで強制的に終わらせた。確かにゴールはゴールに違いないが、それは強制終了だ。シャットアウトをゴールにするな。
「なら何?」
「……ないんじゃないか」
こいつは目標に向かって生きてるようなやつだ。目指す場所がなければ迷子になるような、そんな人間。願いや夢といったものに向き合って進むことは得意だけれど、道標がなければ途端に崩れる。
なんというか素直な子供みたいな。誰かや何かに行く先を決められなければ進めないタイプの生き物。世の中そんな簡単じゃないのにな。
「どういうこと」
「途中経過の中間ゴールはあっても、辿り着いたら終わりのゴールなんてない」
そうでなければ夢を失った抜け殻ができるだけだから。人生という旅路には幾つものポイントはあってもゴールなどは存在しない。旅路の果てなんて、本当の終焉に知ればそれでいい。
「お前はずっと何かを追いかけて目指してるぐらいがお似合いだ」
「……そっか。ありがと」
だから、そんな悲しそうな顔でゴール(終わり)について語ってくれるな。そんな言葉は飲み込んだ。
テーマ:旅路の果てに
旅路の果てに
いつかそこに辿り着いた時、私は何を思い考えるのだろう。
お題「旅路の果てに」
皆さんお久しぶり。僕は羅夢(らむ)1月10日に書いたから、これで二回目。今日のお題は「旅路の果てに」僕は、旅自体はとても好きだ。嫌なことがあったら遠くに逃げて現実逃避ができるから。そんな時は家になんて帰りたくない。お気に入りの場所に行って勉強したり時々迷子になって「ここどこだろう」ってなるまで歩いてたり…。ただ散歩してるだけでも何故か旅になっている。僕の散歩の距離はほぼ旅みたいな感じで、お気に入りの場所がいくつかあるけど、その中でも一番好きな場所が家からとても距離があって歩いていくには時間がかかりずぎる。そうなったらもうそれは一つの旅ではないかと思った。僕は旅(散歩)の途中で気になったお店に入って色々みたりするのが大好きだからお金を持っている時は大体そこに費やしてしまうことがある。だから人格の人たちからよく怒られる。旅にお金を持って行った次の日から金欠状態になりがちだから持っていくお金の量を決めるようにした。それにただでさえ片付けとか掃除が苦手だから身の回りがどんどん物ばかりになっていく。机の上はなんかいつもぐちゃぐちゃで周りには充電コードとか本とか旅の途中買った物とかそんなものがちらほらと転がってたりする。気合いを入れないと掃除できないし。旅の話してたのにいきなり自分が片付けできない話したりするから一瞬お題を忘れるところだった。ま、今日はもう遅いしお母さんにも怒られるからここまでにする。じゃ、皆さんも早く寝て早く起きて自分の好きなことしよ。そっちの方が得って最近気づいた。早起きは三文の徳って言葉の意味がようやく理解できた。goodnight(おやすみ)
言葉を旅する。
こう書くとワールドワイドな世界観を思い浮かべる人が多いだろうが、何ということはない。
自分の中で生まれる言葉を今一度見つめ直す事を指している。
毎夜毎夜、言葉と向き合う習慣は
初めは一人で行っていた。
一人真面目にお題に向き合い言葉を選び、文章を作る。
一見シンプルで簡単に見えることだが、
これがなかなか難しい。
言葉が出てこないということがしばしばあった。
言葉が出てきてもしっくりとこない。
言葉のボキャブラリーが昔より明らかに足りないのだ。
一体、どこに落としてきてしまったのだろうか。
それすらもわからない。
忘却の彼方に葬り去られてしまったのかもしれない。
かつては選び放題だった言葉が選べないというのはもどかしく苦しい。昔のようにはいかないのだと悄気げる日々が続いた。
それでも、昔は昔、今は今でしかない。
取り敢えず言葉と向き合う。
それだけを考えて、毎夜毎夜書いていた。
習慣化すれば言葉が出てくる。なーんて、うまい話はなく、言葉が出てこないのは相変わらずだ。
それでも、お題に向き合うことが習慣化してくると、不思議なキャラクター達が頭の中で見え隠れし始めた。
気になりつつも言葉と向き合っていると、
彼らは私の手助けをしてくれているようだった。
大抵はヒントのような単語をフラッシュ暗算のようにパッと見せるだけだが、四角いカードのように見えるその光景に書かれた文字は、お題と良くリンクしている。
ヒントを元にお題に取り組む事が増えると、手助けしてくれているのは一人ではなく複数人であることがわかった。
私は、ヒントをくれる事のお返しとして、彼らの物語を紡ぐようになった。
彼らと、頭の中で又は文字を通して、語り合うことが多くなると、彼らの姿も見えてきた。
個性的な彼らを言葉で捉えていくのは、楽しい。
いつからか私は一人ではなく、彼らと共に言葉と向き合うようになっていた。
初めは一人ではじめた言葉の旅だったが
彼らという仲間を得て、賑やかな旅路へと変化した。
彼らとの旅路の果てに
何も得られなくても、
言葉の旅が無意味だったとしても
彼らと共に賑やかに、時に真面目に
言葉を旅したことはきっと忘れない。
振り返れば、傷つけたり傷ついたり時には人を信じられなくなることだってあった。あの時はきっと幼なすぎたんだ。今ならそんなふうに回顧できるけど、きっと当時の僕は必死だったに違いない。
“仲間”とか“信頼”とか、そういうのは僕には本当どうでもよくて。何より1人が楽だったから他の奴らと馴れ合うなんて馬鹿馬鹿しいと思ってた。正直、鼻で笑うレベルだったよ。くだらないなあって、ただ他人事のように感じていたんだ。
でも旅の途中で君と出逢って。僕とまるで正反対の思考回路を持つ君は当初、邪魔でしかなかった。この先のパーティ編成に君は必要ないと本気で思っていたんだ。それが、ひょんなことで僕は君に助けられ、君の手の温かさを知り、君の涙を初めて見た。あの時は心臓に衝撃が走った。僕の中の、決して揺るがない概念みたいなものが覆った瞬間だった。人ってこんなに優しくて温かい生き物なんだな。それを教えてくれたのは、君だった。
もうすぐこの旅も終焉だ。君はこれまでの道のりをどう感じてる?楽しかった?辛かった?プラスなものもマイナスなものも、両者ともに色々思うものもあるだろう。それもまた、人だから持てる感情なのだろう。
僕はこの旅で数えきれない沢山のものを得たよ。それは形にできなくて、目には見えないものだけど。いつまでもこの心の中に息づいている。旅路の果てにそれを証明できることがこの上なく嬉しいよ。
さあ、あと少しだから今日も進もう。
まだ旅は終わったわけじゃないよ。最後の最後まで、僕は君と共に歩いてゆくことを誓う。だからあと少し、よろしくね。