『放課後』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
放課後
さようならの挨拶が終わると、俺たちの時間だ。
学校が終わって、もうなんのしがらみもなくなる。
あとは家に帰ろうが、残って遊ぼうが、勉強しようが、各々の自由だからだ。
やるべき決まった時間から解放される放課後、一目散に教室を飛び出していく男子を見送る。本当に、ねずみみたいに早いやつらだな。
俺も早く遊びに行きたいけど、宿題を終わらせてからだ。
家に帰ってまで勉強したくない。さっさと終わらせるに限る。
授業中にやる問題とかは終わらないと宿題に回されるから、いかに授業内に終わらせるか、俺は時間に追われている。
これはすへて遊びのため!
宿題を終わらせておけば親にも何も言わなくて済むし。
出されたプリントを手早く済ませると、ランドセルを掴んで教室を出た。
昇降口に散乱するランドセル地帯を越えて校庭へ駆け出した。
今日はドッジボールか。もう何人かで始まっていた。
『よっ!俺も混ぜてくれ』
同じクラスのやつに声をかけて適当にコートに入る。違うクラスの子もいるけど、みんなでやった方が楽しいし、いろんな子と話せるきっかけにもなるから俺得だった。
『ほいきたー!』
ボールが俺に回ったきた。相手コートにいる同クラのやつ目掛けて投げるふり。全く違う方向へボールを飛ばした。
『おっしゃ!』
油断していた隣のやつに当たる。
『ずるいぞー!不意撃ち狙いやがって』
『油断してる方が悪いんだよっ』
俺たちのやりとりに周りの子たちもつられて笑った。
へへっドッジボールは頭脳戦だぜ。
そのあと、俺に当たるまで外野のやつとの攻防が続き、今度は俺が外野に回る。
明後日の方に飛んで行ったボールの行方を追うと、ジャングルジムが目に入った。
校庭遊具の中で飛び抜けてデカいジャングルジムは滑り台付きで、学校ではジャンボ滑り台と呼ばれていた。
そのジャンボのてっぺんには、放課後、いつも女の子がいる。
同じクラスの子で、頭が良く、休み時間によく本を読んでるのを見かける。キャーキャー騒ぐ女子と違って、おとなしめな印象だったのに、あんな高いところまで登っていくんだなと、初め見かけたとき意外に思った。
俺が気づくと、大体あの子はいた。どこか寂しそうな顔をして、下校時間まで座っている。
今日も、ひとり頂上に座って黄昏れてる。
一体あの子は何をしてるんだろう。友達を待ってるのか、何か考えことか。
俺みたいなやつでは想像がつかないことだけど、少し気になっていた。
『ねぇ、一緒遊ばない?』
ジャンボのてっぺんまで行って声をかけると、その子は驚いて手すりからずり落ちそうになって、それがちょっとおかしくて笑った。
『でも、他のクラスの子もいるし…』
『大丈夫だよ!みんな良いやつしかいないしさ、いつもひとりでいるのもつまんないだろ?』
俺の言葉に女の子は顔を赤くした。
え、なんか悪いこと言ったか俺。
『とりあえず行こう!俺も行くし!』
二人で滑り台を降りると、コートに戻った。
その子が混ざったからって誰も何も言わずに遊んだ。
下校のチャイムが鳴ると、一斉に昇降口へ駆け出す。時間を過ぎると次の日のボール遊びが禁止になるルールだからだ。
帰り際、あの子を探す。
ドッジボールの最中、寂しげな顔はしてなかったから、楽しく過ごせていたと思う。
『帰り気をつけろよ!』
水色のランドセルを背負った背中に声をかける。
『今日はありがとう、すっごく楽しかった!』
振り返った女の子は笑っていた。
ふわっとしたお花みたいな笑顔に、俺は不意に心が揺れた。
『…やっぱり、そっちの顔の方がいい』
『え?』
『なんでもない!楽しかったならよかった。じゃ、また明日!』
背を向けて走り出す。
変に心がくすぐったくて、もどかしい。
沈んでゆく夕日が二つの頬を赤く照らしていた。
追伸。
以前のお題『ジャングルジム』のアナザーストーリーで書いてみました。
『ジャングルジム』では思いを寄せる子をただ遠くから見ていたい女の子目線。
今回『放課後』では、そんな女の子のことを実はずっと気にしていた男の子目線のお話です。
作者の好みを詰めた物語で、考えながら書いたもなので設定とかガバガバですが雰囲気でお楽しみいただけたら幸いです。
短い小説 『放課後』
「今日の授業はここまでだ」
今日の時間割が終わり、皆は一斉に帰る支度をした。
次々と帰っていく中、私は帰る準備もせず窓を見ていた。
全員が帰ったあと、私はようやく動いた。
「ケッ」机の足を勢いよく蹴った。その反動で椅子も動いた。
今日はめちゃくちゃな日だ。ふざけんな。
誰でもこういうことは一度はあるのだろうが、私はここ何日かイケてない。失敗だらけの恥だらけ。もう自分が嫌になった。
「あーふざけんなー!」私は次々に溜まってた本音を吐き出した。
すると不思議と、気持ちが少し楽になってきた。
今はもう放課後だ。過ぎた時をイライラし続けてももはや無駄。
「おし、メシ喰おう」
またイライラはぶり返すかもしれないが、食べて寝て誰かに相談すりゃ勝手に落ち着くだろう。私をイライラさせたヤツらに自分の時間すり減らされてたまるか。
解放された私は無敵であった。
放課後と聞いて思い出すのは中学生の頃。
仲の良い友だちと今の気持ちを黒板にたくさん書いたり、
ちょっと気になっていた人に話しかけられたり、
部活に行こうか迷ったり、悪い1日だったと落ち込んだり。
今はたんたんと毎日が過ぎてしまってるけど、あのときは放課後が1日の終わりの区切りになっていた。
「 ──ちゃんなんて最低!!もう知らない!! 」
あの言葉が、ふとした時に頭を過る。
あの言葉が、私を縛り付けている。
どうしたものかしら。
この時間になると、いつもそうだ。
彼女の言葉が、胸を抉るように思い出される。
あの放課後の教室。
窓の外の夕焼け空。
あれ以来、夕焼けは嫌いになッた。
解放される日は、来るのかしら。
そんなことを考えていた矢先、
電車の発車するチャイムの音が聞こえた。
こんなところで油を売ッている暇はないわ。
あの子達の元に、駆けつけてあげなくちゃ。
私はすッと立ち上がると、部屋の扉に手をかける。
もう後戻りはできないものね。
【放課後】
早く帰りたいけれど
もう少しだけ話していたくて
何も告げずに通り過ぎた
家の近く
ちょっとだけ寄り道をしてしまった
はじめての放課後。
放課後っていつからだよ
社会人になってから
放課後がいつかわからない
時間過ぎてるのに
どうしてみんな帰らないの?
責任、責任、責任...って
後回しにできないからって
大切なものが、
優先すべきものが、
これっぽっちになって
したいことが溢れていく
時間に追われて、
自分の能力と、タスクの量
どちらが悪いのか天秤にかける日々
今頑張ればっていつまで言ってるんだろう
明日は金曜日。
やっと私の放課後がくるのかな。
#放課後
あなたは放課後に、誰といることを望みますか?
私は、大好きな君と一緒にいたい。
だけど、帰り道も部活も違う君と、どうしたら一緒にいられるのか、私はずっと分からないままでいる。
もしも、君と家が近かったら。
もしも、君と同じ部活だったら。
…なんて、そんなことを考えながら、私は今日も君の背中を探した。
「放課後」
子どもの頃、学校が苦手だったけれど、親になった今でもやっぱり苦手だ。
放課後、子どもたちが帰った教室の保護者会
「お一人ずつご意見をお願いします」ってやつが苦手だ。
何も考えてなかったのに、最初に当てられて、あわわ、となる。
「宿題の量はどうですか」と話を振られる。
「宿題出さない日があってもいいんじゃないですかね」
なんて、おずおず言ってみる。
ほかの保護者も次々当てられる。出てくる意見は
「もっと宿題出してください。やったかどうか、ちゃんとチェックして」「市内の陸上大会の練習、増やして」「漢字の小テストもっとやって」「クラス対抗のドッヂボール大会、今年はぜひ優勝して」
私はだんだん居心地悪くなって、小さい椅子の上でもじもじする。
丸く並べた椅子に窮屈そうに腰かけた保護者たち。
どうしてここに座ると、真面目で熱心な親の役を演じなきゃならなくなるんだろう。
一人一人の顔から小学生だった頃の面影を探してみる。
知ってるよ。みんな、放課後はのんびりやってたじゃない。
道草して近所の犬をからかったり、ランドセルを地面に投げ出して公園で真っ暗になるまで遊んだり、本屋でマンガの立ち読みしたり。
早く帰りたいなあ、帰り道、何か買い食いしようかな。たい焼きとか。
暗くなっていく校庭を眺めながら、そんなことをぼんやり考える。
僕と君は歳が離れている
僕は、君に溺れていて
君は、僕に溺れている
歳が離れているから会えるのは放課後のみ
放課後会えるのをお互い楽しみにしていた
でもある日
君が死んだ
『放課後』
放課後は自由な時間だった
好きなことを好きなだけ
でも、ひとつだけ、嫌なことがあった。学校終わりの宿題。放課後という天国を阻む敵だった
#放課後
放課後。
にぎやかだった教室が
少しづつ静かになっていく。
慌てて帰って行く人や。
部活動に憂鬱そうだったり。
お喋りしながら、寄り道の相談をしていたり。
席に座ったまま、ノートを広げたり。
ひとり、またひとりと。
ゆっくり人が減っていって。
だんだんと、静かになってゆく。
かわりに。
窓から聞こえてくる、声が。
だんだん、にぎやかになっていく。
今日も、1日が終わってく。
テーマ:放課後
ただでさえ冷たい風が私の耳を突き刺すかのごとく吹いていく。
手はかじかみ、白い肌が周りの雪に溶けて消えてしまいそうだ。
雪が深々と降るなかを傘を指しながら長靴のザクザクとした音を鳴らし、歩いていく。
少し感傷に浸っていたところでいきなり突風が吹き、思わず巻いていたマフラーをギュッと握る。痛い。
転校して初めてできた友人と放課後に遊ぶのだと張り切っていたが、あいにくの天気で延期にしようと言われてしまった。
東京とは違う北海道の凍てつく寒さに凍えながら、わたしのこころを模したかのように思えてしまう、酷く冷たい雪に、あるきながら寂しさを溢していく。
雪はいつか溶ける。私の心もいつか溶けるのだ。
そう思い、早くこの雪がなくなるようにと願って悔し涙を一つ流した。
放課後、先輩と帰るのが日課だった。
でも先輩が3年生になった今、当たり前のような日常も当たり前じゃないことに気づき始めた
秋風が真っ白なカーテンを巻き上げて
放課後の教室にうろこ雲が広がる
君が笑い
窓から差し込む夕日が
それに色をつけた
僕は眩しくて
しばらく世界を見失う
僕らはいつだって
出来ないことを出来るとムキになり
やらなきゃいけないことから目を背けた
いつまでも
仄かな気持ちをしまったままで
やっと開いた目に
いつまでも放課後
もう君は映ってはいなかった
程良い距離を保ちながら並ぶ机は、少しずつ好きな方を向く。線を引いたようにまっすぐ並ぶ様子は今まで見たことがない。
空をうつす大きな窓に吸い寄せられるように、ぺたぺたと廊下の果てまで歩き、左下に視線をやる。階段、しかも下り。向き直りながら小さくため息をつく。
昔からスリッパは苦手。歩いてるとすぐ脱げそうになる。これを履いてスタスタと進む人は、私とは何かが根本的に違うんだろうなってずっと思ってる。
随分と低い位置の手すり。小さく見える何もかもが、変わってしまったことに気付かせてくる。この場所がではなく、私が。あの頃とは全然違う何もかもに取り囲まれて、懐かしいはずの場所が全く知らない世界に見えた。
〉放課後
『何番目のボタン?』
「制服の袖のボタン1個、貸してくれない?」
卒業間近の先輩からのメール。
「ボタンが揃っていない」と注意を受けたらしい。
卒業式の前日の放課後。
理科室で学ランにボタンを縫う。
先輩は春から東京の大学に行くと話す。
卒業式が終わった放課後。
「ありがとう。助かった」
そう言って封筒をくれた。
開けるとボタンが2つ。
私の小さなボタンと先輩のボタン。
#放課後
小学生の頃。
放課後の挨拶は「今日あそべる?」だった。
時は昭和の終わりぎわ。
塾や習い事で忙しい子は、まだ少数派で。
多数派の私は、同じく多数派の子に声をかける。
あるいは声をかけられる。
「今日あそべる?」
公園で、友だちの家で、校庭開放で、児童館で。
何に打ち込むでもなく、ただ遊ぶ。
「じゃあ、また明日!」も、あくまで軽く。
あそべる?に始まり、また明日!に終わる。
放課後。
この軽やかな時間は、永遠に続く気がしてた。
放課後
私が高校生の頃の放課後の過ごし方
月曜日:コンビニに寄る
火曜日:マクドナルドに行く
水曜日:スタバに行く
木曜日:サイゼリアに行く
金曜日:そのまま家に帰る
これが、私のこだわりの放課後の過ごし方
夕焼けが目にしみる。
目を少しだけ細めるとまつ毛が濡れた。
どうか明日が来ませんように。
069【放課後】2022.10.13
今日のトークテーマは、放課後、ですかのう……どれどれ。え、なに、わしがだれかって? わしは電柱じゃ。「おまえはずっと通学路に立ってるから適任じゃろ」ちうことで、みなから推薦されましてのう。ほっほっほ。
さてさて。
朝の通学路もにぎやかじゃが、放課後の通学路のにぎやかさは、ひとしおでしてな。朝とちがって急ぐ必要がないものじゃから、子どもらは思い思いのペースでおしゃべりしたりふざけあったりして帰っておりますのじゃ。わしゃ、毎日それを楽しみに待っております。やはり、子どもというものは、じつに可愛らしいものですありますからな。
それでもって、どういうわけか、わしの根本は伝統的にランドセル置き場にされてましてなぁ、子どもらはぽんぽんぽんとランドセルをほおって、だるまさんが転んだやたか鬼や影ふみに興じますのじゃ。
いちどだけ、「ランドセルがゴミのようだ」とふざけてみたら、根本をごみ集積場にされておる仲間にこっぴどくおこられまして……いやたしかに、毎週2度ずつためられるごみ袋とくらべたら、ランドセルが山積みにされるなんて、幸せそのものでありますからなあ。なになに、電柱はどうやって会話するのかって? そりゃあ、あなた、電線を通じてテレパシーのようなものが伝わってくるのですよ。
それはさておいて。
こんなふうな子どもらのさわぎを、最近はやかましいだのうるさいだの文句をいう御仁も増えておるそうじゃと聞きますが。うーん、しかしですな。子どもらの声の絶えた地域社会というものを想像してみなされ。おおよそ未来が感じられませぬよ。たまーに、とんと山奥の電柱から、にぎやかでうらやましい、とそれはそれはさびしげなつぶやきが届くこともありましてねぇ……ことに古い電柱になると、むらに子どもがあふれておって、よじ登られたり、セミ取りをされたり、街灯に寄ってくるカブトムシを徹夜で待っておる子どもらを見守ったり、などということをおぼえておるものですから、さびしが倍増するらしいのですよ。
わしもねぇ、コロナ禍の感染防止のための休校のときに、地域そのものが急に、しーん、と静かになりましてな。はぁなるほど、このさしびしさはたまらんわい、つくづく骨身に堪えるものじゃ、と彼らにいたく同情したものですじゃ。
なに、もう時間? ですと?
ファミコン全盛期には、放課後になると一気に電気が吸い取られていた話とか、まだまだ話題を用意しておったのじゃが、残念な。うんうん、またゲストによんでくだされ。そのときはまた、存分にお話しさせていただきますからな。