『子供の頃は』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
子供の頃は
やんちゃな反面
親が厳しく
大人の顔色をうかがう
そんな子どもだった
良い子でいないといけない
その反動で
外で発散していた
子供の頃に
子供らしく過ごすことは
きっと大事なんだと思う
子どもの頃、自宅裏の裏山に1本の斜めに生えた登りやすい木があった。
他の木の枝と重なり合う部分に折った枝を何本も重ね屋根を作る。
父親の工具置き場から程よいロープを取ってきて、一番太い枝に括りつけ、瞬時に降りられるようにした。
ソファ件ベッドは、中腹の二股の部分にばぁちゃん家から、毛布をくすねて来て敷いた。
酒を飲んで暴れる父親から逃げる為の俺の安全地帯。ここにいる時は自由を感じられた。
我が子の学校から、一斉メールで連絡が入る。
子ども達だけで海や山に行ってはいけません。
公園でボールを蹴ってはいけません。
下校後、学校に入ってはいけません。
勉強の時以外は、スマートフォンを触っている。
我が子の秘密基地は、スマートフォンの中にあるようだ。
昔も今も、大人が作り出す環境に左右される。
題:子どもの頃は
子供の頃は良かった。
うちの祖母はそう言った。
世間のしがらみに囚われず、素直に人の言うことを認められる子供は良い。そして、それは大人になると途端に難しくなることなのだと教えてくれた。
大人の付き合い、とはよく言ったもので、祖母はたまに、友人と会話する時とは違う声音で電話口に向かっている時がある。
後で聞くと、会社のきらいなひと、と言っていた。
それから僕の頭を撫でて、子供はいいわね、と溢した。
みんなに対して元気が良くて、素直で、従順で、可愛くて。
私もそうなりたい、祖母は、少し悲しそうな顔で呟いた。
子供の頃は
おとなしめの子供で
体育会系ではなかったです。
国語が好きな少年でした。
社会も好きな少年でした。
ただ体育は嫌いな少年でした。
国語が好きな事もあり
小説家になりたいと夢がありましたので今も書いています。
『子供の頃は』
「オズ、何してますの?」
芝生の上に寝転がって分厚い本を読んでいると、
頭の後ろに大きなリボンをつけた
セーラーワンピース姿の美少女が
声をかけてきました。
彼女は幼なじみのメアです。
「魔導書を読んでいるのですよ」
「ふうん……ねえオズ、あなたに見せたいものが
ございますの。ついてきてくださいまし!」
彼女に連れてこられた場所は、
ふわふわのクッションやぬいぐるみ、
アンティークの小物入れやオルゴールなど
ファンシーな家具がたくさん並べられた
パステルピンクを基調とした部屋。
メアがお披露目したのは、
赤い屋根の立派なドールハウス。
「これが見せたかったものですか?」
「ですわ!」
~.・*✿ シルパニアファミリー
あかりの灯る大きなお家 ✿ *・.~
巷で女の子たちに大人気のおもちゃです。
お家の中では小さなうさぎの人形たちが、
テーブルを囲んだりお風呂に入ったりしています。
「こちらはうさちゃんファミリーですわ。
お父さん、お母さん、おじいちゃん、
おばあちゃん、おねえちゃん、子ども7匹
計12匹の大家族ですの」
「へえ、よくできてますね」
職人の手によって精巧に作られた
小さな家具や人形を観察するオズ。
ふとあるものが彼の目に留まりました。
「おや、この子だけみんなと毛色が違いますね」
オズが指さしたのは灰色の子うさぎ人形。
他の人形がオレンジ色の毛並みに対して、
この人形だけは灰色です。
「この子はグレイ。お父さんうさぎが外で女を
作って、そのメスとの間にできた子どもですわ」
「うわあ、複雑~」
かわいらしい見た目にそぐわぬ
ドロドロな世界観です。
すると突然メアが慌て始めました。
「ない、ゴンザレスがいない!?」
「ゴンザレス?」
「赤ちゃんうさぎ人形の名前ですわ。
どこへ行ったのゴンザレス!」
二人はドールハウスの周辺を
くまなく探しますがどこにも見当たりません。
「わたくしのゴンザレス……」
目に涙を溜めながらスカートを握りしめるメア。
「子どもなんてまた作ればいいじゃないですか」
オズがメアを慰めていると、
小窓のフリルカーテンがガサゴソと
動いているのを発見しました。
カーテンをめくると、
そこにいたのは神出鬼没の魔猫、
生後15ヶ月のチェシャーキャット。
何かをガシガシ齧っています。
よく見るとそれはメアが必死に探していた
赤ちゃんうさぎの人形ではありませんか。
「なんてこと!わたくしのゴンザレスが!
チェシャ猫、その子を早く返しなさい!」
「いやにゃ!こいつはチェシャの獲物だにゃ!」
「ムキーッ!なんて躾のなってない子!
親の顔が見てみたい!」
チェシャ猫とメアがト〇ムとジェ〇リーを
彷彿とさせる壮絶な追いかけっこをしている傍で、
オズはおやつのカンノーリを
のんびり食べていました。
犬の知能は人間の3~4才と同程度だという。
我々は、どうしてこんなに短い時間で犬から人間へと成長するのだろうか。
「子供の頃は」…の後に
昔はよかった的肯定系も
すごく辛くて悲しかった的絶望系も初対面の人に語り出したり、知り合いに何度も同じ話をする人は
だいたい今の暮らしが寂しくてその人自体、本当に何にもない人なんだろうなと最近気付いた。
年取ってこうなっていくの嫌だな…と思うモデルケースみたいな人と接するようなってから、何かしら微力でも続けている。
何にもない人も嫌な奴もそれらを栄養分にして
反面教師にして生きている。
ああはなりたくないと心に決めながら。
テーマ:子供の頃は
子供の頃はよかった、とはあまり思わない。
子供の頃私は自分の意見の言語化が非常に苦手だった。
一言も言葉にならず、出るのは涙ばかり。
一方的に責められ弁明の余地もなく、泣き寝入りするのがほとんどだった。
今なら少しは言い返せるだろうか。
シミュレーションしてみるが、何も言えなかった経験がフラッシュバックする。今でも無理かもしれない。
子供の頃は
子供の頃は、
貴方が好きだよ、と、
あんなに素直に言えたのに。
内気で弱虫な私を手を、
何時でも引いてくれていた貴方は、
ずっと私の憧れでした。
でも、大人になると、
本当の気持ちを、
はっきりと言えなくて。
貴方は変わらず私に、
笑顔を向けてくれたのに、
私は頬を染めて俯くばかり。
子供の頃は言えた言葉を、
大人になってから、
改めて貴方に伝えたくて。
でも、言えなくて。
もしも。貴方が昔と変わらず、
私に微笑みかけてくれるなら、
私は、貴方に伝えましょう。
今でも変わらず、貴方が好きですよ、と。
私はずっとなんとなく生きていた。
初めて告白された中学の3年、私は家庭が崩壊しつつある不登校の学生だった。
そんな時期に久々に見るクラスメイトがいた。
小学校の頃は特に考えたことはなかったが、久々に見た彼はやつれて少し刺々しかった。
「おっ久しぶりじゃん」
私がそう言うと、少し棘ありつつも
「まあ」
淡白な返事が返ってくる。
「保健室登校でも頑張ってこいよ〜私も保健室で待ってるからさ」
我ながらよくこんな言葉が出てきたもんだ。
彼はそれがきっかけか不登校なりに、保険室にはしっかりくるようになりよく私に着いてくるようになった。
私は彼の好意は薄々気づいてはいたが他に気になる奴がいて知らないふりを続けていた。
保健室に集まる奴らでメールのグループを作った。
そこから知った個人チャットで個人的にやり取りするようになった。
楽しかったし同じ趣味の絵を描くことがとても嬉しくて少し自分も気になりかけていた。
しかしいざ告白された。
メールで、
なぜ??
しかも流れで好きだから付き合って欲しいと言うのは違う気がする、そしてなぜか気になっていたはずが気持ち悪く感じた。
なぜ気持ち悪くなったかと思い返す。
あの時は友達とその返事の仕方を考えていた。
友達が気持ち悪いと言ったから気持ち悪いと思ったし、間違い無いと思った。
何人かと付き合ったが1番好きになってくれる人だったのではないか今でも勝手ながら後悔する。
なんで気持ち悪い人間だろうか。
「まだ可愛げがあったのにな」
不満気な顔でベリーを突いて口に放る彼女。
ああまた面倒な事を言い始めた、と頭の片隅で思いながらも、逃げようとか離れようとか少しだって思わないのだから、我ながらどうかしている。
付き合いが長いせいか、どうにも感覚が麻痺している。
「君は今も昔も可愛げはないな」
「"は"ってなんだ。引っかかる言い回しだな」
「一般常識だと可愛い部分は少しもない」
好き勝手人を振り回して。
言うことを何一つ聞きやしない。
見た目に反して腹も性格も真っ黒。
傲慢で自信家でプライドが高く。
何処までも穢れなく気高く、その思想があまりにも眩いが故に毅くて弱さを少しも感じられず、女性特有の儚い可愛げを損なっていて。
(それが良い、とか。悪食にも程があるだろ)
食らいついて離さなかった結果が今なのだが。
時を重ねれば重ねるほど、これの何が良かったのか心底分からなくなる。
「そんな女と未だに一緒にいるくせに」
「しょうがないだろ。焼き付いているんだ」
訝しむ彼女の瞳を捉える。
翠の星は今なお色褪せない。
「子どもっていうのは、大人にとって何処が良いのかてんで分からないモノを好きになるものだろ? 蓼食う虫も好き好き、とはよく言ったものだよ。……………………いや違うか。この場合は趣味が最悪なだけか………………。全く不思議な事もある。何でよりにもよって君だったんだろうな。記憶に、過去に、思い出に、焼き付いて離れそうにないんだよ」
綺麗な髪を指で掬う。
口付ける仕草だけで、ポイと手放してしまう。
「人をゲテモノみたいに言うな」
「事実ゲテモノだ。君の何が良いんだろうな?」
「お前は今、三人敵に回したぞ? 死ぬなよ?」
「本気の心配じゃないか」
何時も通りすぎる軽口に、やっぱり全然伝わらなければ受け止めもしない、と呆れたような落胆するような。中途半端が一番良くない。
が、それでこそ彼女だろう。
(幼い頃の憧憬。焦がれた星は妖星、全く趣味が悪い)
彼女の言う"可愛げ"のある憧憬も。
今や可愛くもない執着に堕ちてしまったが。
「これで釣り合いもとれてトントンだろうさ」
【題:子供の頃は】
『子供の頃は、』
人は過去の事を笑って話せるようになる時がくるらしい
だけど、暗い過去を笑って話す大人は嫌いだ。
これは単なる妬みかもしれない。
暗い過去を背負っているのに笑えているその人の強さに
嫉妬しているだけかもしれないが。
とにかく、成功した人の昔の不幸話が嫌いだ。
「あの頃は、学校や家が全てでしたけど大人になれば
世界は広がりますからね。」
「今思えば、あの頃傷ついた経験があるから
今、こうして笑えているのかもしれません。」
とか、うんざりだ。
失敗を経験した者は強くなる、とか
傷ついた事がある人は愛情深い、とか
やめろ、うるさい、黙れ。
親がアルコール依存症だったからなんだ、
虐められて不登校だったからなんだ、
片親で贅沢できなかったからなんだ、
兄弟の中で1人愛されてなかったからなんだ、
ヤングケアラーだったからなんだよ。
それを笑顔で話すな。
ここまで這い上がってきたんだぞアピールするな。
今思えばそれも経験でした、とか言うな。
お願いだからやめてくれよ。
過去に縛られたまま前に進めないで
ずっと底でギリギリで生きてる人間の傷をえぐるなよ。
頑張んないといけないことなんて分かってんだよ。
「頑張りたいって自分でも思ってるんだよ。」
って言うくせに本当は過去を盾にして殻に閉じこもって
いたい自分にとっくに気づいてるよ。
それでも頑張れないんだよ。殻から出たくないの。
陽を浴びたくないの。ずっと病気でいたいの。
心配されたいの。仕方ないね、って言われたいの。
辛い思いをしたんだからちょっとぐらい、あわよくば
一生休ませてよって弱い心が言うんだよ。
自分より辛い過去があるのに頑張ってるやつ見ると
もう本当にだめなんだよ。
踏ん張りが効かないよ、足に力が入らない。
やめてよ、これ以上輝くのは。
自由だと思った金魚鉢の中
与えられたまま
息をする生き物
僕が子供の頃色々な遊びをした。
近所の友達や学校の友達と鬼ごっこしたり、ゲームしたり、冒険もした。
不意にあの頃が懐かしく感じてその場所とかに行ってみたりするけどもうなかったりするとちょっと寂しくなる。
また集まって遊びたいな
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theme 子供の頃は 2024-6-24
子供の頃は
地元が大好きでおじいちゃん、おばあちゃん、
お父さん、お母さん、弟のみーんなで
ずーっと実家で住み続け生涯全うするんだろうな
なんて子供ながらにそんなことを思ってた。
素手でザリガニを捕まえた用水路、蛍が飛んでたあぜ道
大きく広がる青い空、稲作が始まる前のれんげ畑
しっかり快適なんだけど程よく不便な
そんな地元が大好きだった。
でも県外に出てしまうとその地域その地域で
色んな良さがあり別に地元が全てでは無いな
なんて子供の頃とは180°違う考えになったりすることがある。
たまに地元に帰ると
身体の五感で色々なものを吸収するのが凄くわかるのよね
自分自身が元気になって心身が回復するのをしっかり感じれる。
外に出てみてから気付ける地元の良さってあるよね
改めてここで生まれ育ってよかったなぁ
子供の頃よりもーっと地元が大好き
子供達
今が1番
楽しいよ
今のうちに
楽しでね
期待され
失望されて
思うんだ
「あの時はまだ
期待されてた」
死に急ぐ
中2の心
謎のまま
貴方りゃ到底
分かりゃしない
2階のベランダの作に登って飛び降りようとしました
やっぱり辞めました。
テスト期間で親と喧嘩して「死ね」と言われたので
ちゃん話し合って一緒に勉強しましたが
叩いたことは謝られてません。
勉強しなかった私が悪いけど。
子どもの頃は東大に、いき医学部に入り、医者になってやろうと意気込んだ。
そのあと東大の現実を知り諦めた、何年経っても悔いが残っている…
子供の頃は、僕はあまり人と積極的に関われるような子ではなく、むしろ人を避けていた。
おそらく、同年代の女の子が怖かったことが強く影響していたように思える。
「そんなことかよ」と皆さんは思うかもしれないけれど、高学年の女子小学生は直情的な子が多い。少なくとも僕にとってはそうだ。
なにかしら少しでも足を引っ張ると文句を
言われる。このことは僕の自信を失くさせた。辛かった、特に複数名の女子に囲まれて詰め寄られたのは。正直、このときの僕にはどうにもできなかった。こうなったのも自分が原因だと強く感じていたのだろうから、なおさらだ。
「それで、どうやってやり過ごしたんだよ」と思う方に言っておくと、非常に情けないと思うが、耐えきれずに泣いたのだ。
成熟しきっていない、貧弱なメンタルの男子小学生の僕にはそれしかなかった。
ママにはナイショだぞ。
そう言って、パパはよく僕にお菓子やおもちゃをくれた。
でも、パパのやることは全部、ママにはお見通しで。
僕が自分の部屋に寝に行った後、パパはママによく怒られていた。
階下からパパが謝る声がして、僕はベッドの中でクスクス笑いながら眠りにつく。
パパはママに怒られても、僕に何かしらの物をくれた。
ママにはナイショだぞ、と言って。
今日は、不思議な味のするお菓子をくれた。
遠い遠い海の向こうのお菓子らしい。
食べたことない、よくわからない味。
変な顔になっていたのか、僕の表情を見たパパはカラカラと笑う。
ムッとして、頬を膨らまして僕はパパを見上げた。
パパは悪戯っ子のような笑みを浮かべながら、僕の頭を大きな掌でワシャワシャっと撫でた。
テーマ「子供の頃は」
「お母さんが子供の頃は」
それが母の常套句だった。
私が何か母のしてほしくない事をすると必ず言ってくる。
だがそれは無いだろうと思う事がしばしばあった。
なぜならだれしも子供の頃に一度はやらかすのに
母は一度もやらかした事がないような口振りであの常套句を言う。
だが母になって分かった。
母は子供が同じ事でまた躓かないようにする為に言っていたのだ。
今気付いた所で母はもう居ないのだ。
反抗と共に家を出てから帰らずじまいで母が死んだと聞くまで実家には帰らなかった。
後悔したって遅かった。