『夫婦』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
【夫婦】
『あぁ、"良い夫婦の日"か。』
「ん?…あぁ、そうだな。どうした、急に。」
『ラインきてた。』
「…アイツか?」
『多分当たり。』
「ったく、余計なお世話だっつの。」
『…。はい、送った!』
「ん?何をだ?」
『今の。』
「はぁ?」
『"余計なお世話だ"って言ってたよって。』
「バカタレ!余計なことをするんじゃねぇ!」
『はははっ。』
「笑うな!」
『まあまあ、そう怒んなって。』
「お前なぁ…。」
『私の方にラインしてきたのってさ、
こういう展開が起こるのを望んでたんだろうね。』
「だろうな。良いように遊ばれやがって。」
『それはお互い様でしょ。』
夫婦
帰ってくる場所
圧倒的味方
パートナー
二人三脚
頑張るちからの源
未来が決まる瞬間というものがある。
短い未来の時もあるし、遠い未来の時もある。
新学期のクラス替え。これからの一年が決まる。
受験の合格発表。これからの数年が決まる。
自分の意思や努力だけではどうにもならないもの。
仕事を選ぶ瞬間。パートナーを選ぶ瞬間。
自分の長い未来を決める瞬間もある。
やはり、自分の意思や努力だけではどうにもならない。
そこにあるのは、言い古された言葉ではあるが、やはり『縁』なのだと思う。
自分の意思や努力だけではどうにもならない。
その『縁』を『良縁』にするのか『悪縁』にするのか。
それは自分の意思や努力が重要になる。
全ての人間関係に共通することなのだろうけど。
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お題:夫婦
ほんの一滴の幸せを分け合って、
僅かばかりの甘さを舐め合って、
いつかくるお別れを恐れながら、
ぬるま湯のような日々に身を預けている。
国は考えた(このままではお金が足りない、国民からの税金の多くがジジイババアどもの手に渡っている。幾度となく繰り返した増税で国民は不満を持っている。)
少子高齢化が進んだ世の中で、何を手放し何を残すか
それは国の命運を決めるものであった。しかし、だからといって年寄りを手放すと、国民は、怒り、反乱が起きるであろう。そこで、国は大きな施設を建てた、お金のない老人たちを募り、そこで住まわせることを、ニュースで大々的に報じた。そこの中でなら何が起きたって、それが外に漏れることはない。これ以上国を傾かせることがないよう、仕方なくとった苦肉の策なのだ。国は、国民が大事でないわけではない、国を支えているのは国民、国民を支えているのは国、ウィンウィンな関係なのだ。国民たちの大黒柱である以上、ある程度の犠牲には、目を瞑らなければならない。国と国民は言うなれば夫婦なのだ。大切な相手を守るために犠牲はつきものだろう?そういうものなのだ。
あ おめでとう
い ありがとう
あ 1年ぶりだね
い そりゃ誕生日だし
あ だね
い なんかごめんね
あ いや大丈夫
い 誰だろう
あ え?
い 語呂合わせ考えたの
あ ああ…
夫婦
いつからかな。
夫婦って感覚がなくなっていった。
子供が生まれて、育てるのに一生懸命で。
2人だけの時間なんてなくなって。
子供のことを愛してるし、今が幸せじゃないなんてこと絶対ない。
なのに、
あなたと出会った時のこととか、
あなたと初めてデートした時のこととか、
たまに思い出して、心がキュッとなるのはなんでだろう。
夫婦にはもちろん挑戦もあるが、
互いに尊重し
支え合い
強い絆を築くことができたら
素敵な夫婦になると思う。
まだ高校生やからわからへんけどねー
夫婦
夫婦って、何だろう?
いろいろな夫婦がある。
私は昭和生まれだから、昭和の頃に一般的だった夫婦のありようはたくさん見た。家の継続と繁栄が、実情はともあれ重要視されるベーステンプレートだった時代だった。戦前までの「家制度」の感覚が色濃く残っていた空気もあって、現在からすれば「面倒くさいあれこれ」は何処でも見聞きした(しかし日本のフォーマルはそこに根拠があった)。
今という時代の夫婦は何で結びつくのだろう。江戸時代から「子は鎹(かすがい)」という言葉があるらしいが、いまやその限りではないのだなと思うものをよく見聞きし、私自身もバツイチになっている。
私の周りの同級生のうち、今もって夫や妻があるのは一人だけだ(…!)。未婚の同世代も多い。「結婚に踏み切れない」と言う若い世代も多い。聞いてみると、金銭的な問題ではないらしい。どうやら「結婚という状態」に信頼が置けないらしいのだ。これは特に男子諸君に顕著であるように見受けられる。補足しておくが、最近よく喧伝されている“多様性云々”という状況に無い人達である。
では、「結婚という状態への信頼」とは何だろう…?
そも「不信感」は何処から生まれているのか?
不和多き両親と暮らしたのだろうか
どちらかの親が非常に不幸だったのだろうか
周りの人が皆、自分より充ちて見えるのだろうか
ネットに垣間見る残念さの印象が強いのだろうか
単に巡りあわせがまだなのだろうか
出会うものごとへの熱量の問題なのだろうか
傷つけられると恐れているのだろうか
私にも子どもがあるから、このへんは気になる。
人間という生きものへの信頼に関わるところだからだ。
自分らしく自分のまま気分良くあり、心のままの表情を表しあい受け取りあい、一緒にいるための条件を付けず、自分のエゴのために相手を利用することもなく、相手のなか深くにある光を見ている心を愛と呼ぶ。
愛を実践する約束が夫婦であるならば、「何も持たぬ者とはいえ命は持つ」ものに不足するところなど無い。寧ろ互いの命へまっすぐ向かうによろし。豊かは後からついてくる。
幸せをみていたい。
どんな姿でも大丈夫だよって、
教えてほしい。
-夫婦-
今から夜までバイトなので、
お題保存用の投稿、失礼いたします💦
2024/11/22【夫婦】
『魂の在処』
貴士はキュウリとナス、割りばしの入ったスーパーの袋を手に持ち、裏山の社に向かっていた。
本来の季節を無視した『お迎え』をするためだ。
キュウリとナスは、それぞれ馬と牛に見立てた精霊馬と精霊牛と呼ばれるものにするためだ。
魂の存在が科学的にも証明されたのは、去年のことだった。
光の屈折により見えてきた層を重ねていった結果、層がヒトガタになったのが切っ掛けだったとか。
詳しくはわからない。
貴士にとって重要なのは、仕組みではない。
それが真実であるかどうかだけだった。
魂が層を跨いだ、あちら側にあるのだ。
だとしたら、どうしても会いたい人がいる。妻だ。
最期の会話はケンカで終わってしまった。
悪いのは自分だ、謝ることはできたはずだ、なのに、何故あんなに頑なにーーー。
子どもが二人とも成人し、夫婦二人になってから頑固さに磨きがかかっていった。
だとしても、思い出に残るのが悲しげな妻の姿だというのは寂しいものがある。
後悔はあとから、あとから次々と溢れてくる。
貴士は、自分がこんなにも弱いことを知らなかった。
こんなにも情けなく、引きずる人間だとも知りたくなかった。
「かえってこい」
貴士は、社に着くとぽつりと呟やいた。
賽銭箱もない簡素な場所だ。
鳥居の手前の小さな石階段に腰をかけると、キュウリとナスを取り出した。
割りばしで脚を作ると、不恰好な精霊馬と精霊牛が出来上がった。
並べて置くと、まぶたを閉じた。
「……ふ」
待つこと数分。
やはり、まただめだった。
『お迎え』をするのは、これが初めてではなかった。
もう何年も続けているが、成果は出ていない。
魂の存在が証明された世界ならば、或いはと期待をこめての今夜だった。
でも、本当は知っていた。
魂の存在が証明された世界だからこそ、明るみになった真実。
それは、魂との意志疎通は不可能だということだ。
確かに『ある』のだが、『ある』だけなのだ。
こちら側から語りかけても、魂はなんの反応も示さない。
魂同士がコミュニケーションをとっている姿も確認されていない。
これが科学側からのアンサーだ。
『ある』だけの存在ゆえに、誰もお盆でさえかえってこないのだ。
貴士は、ため息をついた。
「馬鹿みたいだ、俺」
魂があるならば、たとえ何年経とうとも『かえってくる』のではないかと期待したのだ。
科学がそれを否定しても、心のどこかで叫んでいたのだ。
自分の行いを嘲笑うかのように、冷たい風が貴士の頬を撫ぜる。
貴士は立ち上がると、野菜を片付け始めた。
ふと、顔を上げ夜空を見る。
雲の切れ間から星が瞬いていた。
昔、死んだものは星になるのだと聞かされたことを思い出す。
「おかえり」
自然に言葉が出た。
それは無意識に出た言葉だったが、貴士の胸にすとんと落ちた。
ああ、そうか。そういうことでいいのだ。
魂は『いる』のだ。
例えば、空に重なるように。
例えば、六畳間で横たわるように。
例えば、自分に寄り添うように。
確かに『いる』のだな。
貴士は空を見上げながら、誰に言うでもなく呟やいた。
「かえるか、七絵」
そう呟やいた貴士の顔は、穏やかだった。
完
2024.11.23
人生を過ごすのに、隣にいる人。
家庭という一つの箱に収まる。
箱というよりは船かもしれない。
よい事も、わるい事も、他人事ではなくいっしょにくらう。いっしょに乗り越える。
長い時間を隣で過ごし、同じ箱の中、近い目線で景色を見る。
できたらお互いをいたわり、思いやり、温かい感情を持てているのがいい。
その方が箱の中が心地のいいものになるだろうから。
「夫婦」
夫婦…姉貴と兄貴は夫婦みたいやな、
「何ゆってんの、私達は夫婦じゃない!」
血は繋がっていないが、いや、血が繋がってないなら
夫婦でもいいのでは、
と、まぁ色々考え
『うちは兄貴と姉貴の子供です!』
[なんやそれ、にゃんこみは俺らのこどもなん?]
『うい、』
❦
11月22日は「いい夫婦」の日となったのはいつからなのだろう。日本人は殊の外、日付に理由をつけるのが好きなんだと思う。理由やイベントを引っ付けて行き過ぎる日に対して、個々の生きていく達成感を感じ取らざるを得ないように習慣付けることが好きなのか、あるいはそういった理由やイベントで個々に圧力を与えるのが好きなのか、いや、与えられる事喜びを感じるのか。
或種、マゾヒスティックな感覚を持ち得る人達が多いのか…
夫婦とは成り立ての人達が思うものと数十年一緒に暮らした人達とは感じ方が違うものである。
結婚した時ういういしさは次第と霞んでいき、空気のような存在であるとお互い感じるものである。
小生は後者である。
居ても、居なくても同じかもしれない。でも居ないことが続くと、その空気に枯渇感が溢れて、
その枯渇感から無に移行する前に水分を欲する様に
涙腺が緩むのではないだろうか。
決して寂しいと言うことでなくただ、泪が出るんだと思う。
ういういしかった頃の事が脳裏をよぎり、気づけば泪が流れる。
枯渇していたのは空気だけでなく、
その時に心も乾いていたと気づくのだ。
夫婦を片方が居なくなるまで続くとき
夫婦だからわかる感触である。
違うかな。
題 夫婦
「ねえ、今日いい夫婦の日だよ」
私が朝の支度に慌ただしくしている時に夫が私に期待を込めたうるうるした瞳で訴えかけるように話した。
私より年下の夫。
仕事先ではしっかり者のようだが、私の前では精神年齢が下がりがちだ。
「うん、そうだね」
私は朝の慌ただしい時間に言われて、半ばおざなりに答える。
「いい夫婦の日なんだから何かしようよ〜」
「え〜いいよ、だって結構最近できたよね?その制度、制度に負けたみたいでやだっ」
私も夫と話す時は精神年齢幼くなりがちだ。
「制度に負けるって・・・なにそれ、いいじゃん負けたって。今日はいい夫婦なんだから君に何か買ってきてあげるよ」
夫が私の言葉に面白そうに笑いながら提案する。
「だいじょ〜ぶ。気持ちだけで嬉しいよ、今月はあなたの誕生日でまだお祝いもあるんだし、お祝いばっかしてたら我が家はお祝い破産しちゃうよ」
「お祝い破産、んー、確かにね、じゃあ今日は特別優しくするねっ」
夫が、私の言葉に、またしても笑ってからニコッと私を笑顔で見る。
何か愛しいものを見るようにいつも見られるから私は落ち着かなくなる。
「うん、ありがと・・・まー言わせてもらうといつも優しくしてほしいけどねっ」
照れ隠しにちょっと可愛くない事言うと、心外そうな夫が、軽く抗議する。
「えー、僕、いつも君には優しくしてるよ」
「う、うん、確かにね。じゃあ、いつもどおりでいいから。いい夫婦の日なんて、きっとどこかの企業が利益目的に制定したんだからさっ、私たちはいつもどおりでいようよ」
「君って本当に面白いこと言うよね」
あなたもね、と私は心の中で夫を見ながらつぶやく。
夫みたいな変わった人、、、もといユニークな人、なかなか人生で巡り会えない。
「ねえねえ、そんな悠長にしてるけど、時間大丈夫?遅刻じゃない?」
私がさりげなく時計をみて言うと夫は焦ったように動きを早める。
「あっ、まずいっ!!遅刻っ」
慌ててカバンを持って玄関で靴を履きかける夫に、私は玄関までついて行ってクイズを出す。
「さて、質問です、私の右手に持っているものは何でしょ〜か?」
私のにやにや笑いを見て、私の右手に目を移した夫は焦った顔をする。
「あっ、スマホ忘れてたっ!!」
「正解、はい、もう忘れ物ない?」
私が、クスクス笑いながらスマホを渡して聞くと、夫は少し拗ねたような顔をする。
「もうないよ・・・・多分ね。じゃあ行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
私は笑顔で手を振って送り出す。
夫って本当に観察していて飽きない。
多分相手からもそう思われていそうだ、と感じる。
いい夫婦の日じゃなくても、私たちきっといい夫婦・・・だよね?
テーマ 夫婦
寒くないですか?
お腹すいてないですか?
君と夫婦になれないけど
君のそばにいられるだけで
幸せです
君の毛並みにほおずりを
良い夫婦というものは、互いを愛し合い敬い合っているもの。
互いに愛や敬意を払うことを怠ることは無い。
愛の炎は静かに、確かに抱き合っている。釜戸の火のように。
夫も妻も愛や敬意を互いに受け取り合っている。日々、欠かすこと無く。
二色の色で編まれたタペストリーのように途絶えることは無い。
糸が途切れ一色になるとしても、そのタペストリーは人生をかけて編み作られる。
壮年のタペストリーは、どんなに美しいものなのか。それは作り出さなければ分からない。
老齢になったとしても、そのタペストリーの美しさは損なわれること無く、美しいまま。
若い時から編まれ行く二色の糸で編むタペストリーはそれぞれの違いや好みを反映している。
けれども、どのタペストリーも美しさは変わることは無い。愛の炎、敬意の絆で結ばれ編まれたタペストリーは不変の美しさを持っている。
タペストリーを飾るどんな宝石があったとしても、夫婦が編み行くタペストリーに勝ることは決して無い。
二人の人生が編み行くタペストリーは不変の美しさを持ったまま、これからも編まれ行く。
絶えることの無い愛の炎と敬意の絆によってーー。
夫婦になったからと言って、なにかが大きく変わるわけではなかった。わたしの隣にはいつも彼がいて、彼の隣にはわたしがいた。それは今までの当たり前で、これからも当たり前であるはずだった。
「ごめんな」
わたしの頬を撫でる手がかすかに震えている。
なにか言いたかったはずなのに、ただ心臓がわたしの中で暴れるだけで、口を動かすことができなかった。
「本当にごめん」
そんなに謝られても、と言いたかった。
もうどうにもならないのよ。
「俺は君が好きだよ」
彼の目が、わたしに縋って突き放そうとする。
そんな言葉に胸を高鳴らせるべきではないのに。
「わたしは」
その次になにを紡げばいいのか分からなかった。
わたしはどんな顔をしているのだろう。彼の目を覗き込むことはできなかった。
「わたしは、約束を守ってほしかった」
病めるときも健やかなるときもわたし達は愛し合うと誓ったはずなのに。
彼はそれを破ろうとしている。けれど、わたしも破ろうとしている。それでも、すべての責は彼にあると言いたげなことしか言えない。
「ごめん」
彼の手がわたしの頬から離れていった。すぐにわずかな温もりが恋しくなる。
「いなくならないで」
わたしの言葉に彼は目を逸らした。もう、ごめんとすら言ってくれなかった。
夫婦。
夫婦とは何だろう。
夫婦とは鎖だ。
愛でデコレーションされた呪いだ。
幸せとは一瞬だ。
幸せは不幸に転ずる。
喜びは悲しみに転ずる。
愛情は愛憎に転ずる。
要するに何が言いたいのか。
焼き芋食べたい。