『魂の在処』
貴士はキュウリとナス、割りばしの入ったスーパーの袋を手に持ち、裏山の社に向かっていた。
本来の季節を無視した『お迎え』をするためだ。
キュウリとナスは、それぞれ馬と牛に見立てた精霊馬と精霊牛と呼ばれるものにするためだ。
魂の存在が科学的にも証明されたのは、去年のことだった。
光の屈折により見えてきた層を重ねていった結果、層がヒトガタになったのが切っ掛けだったとか。
詳しくはわからない。
貴士にとって重要なのは、仕組みではない。
それが真実であるかどうかだけだった。
魂が層を跨いだ、あちら側にあるのだ。
だとしたら、どうしても会いたい人がいる。妻だ。
最期の会話はケンカで終わってしまった。
悪いのは自分だ、謝ることはできたはずだ、なのに、何故あんなに頑なにーーー。
子どもが二人とも成人し、夫婦二人になってから頑固さに磨きがかかっていった。
だとしても、思い出に残るのが悲しげな妻の姿だというのは寂しいものがある。
後悔はあとから、あとから次々と溢れてくる。
貴士は、自分がこんなにも弱いことを知らなかった。
こんなにも情けなく、引きずる人間だとも知りたくなかった。
「かえってこい」
貴士は、社に着くとぽつりと呟やいた。
賽銭箱もない簡素な場所だ。
鳥居の手前の小さな石階段に腰をかけると、キュウリとナスを取り出した。
割りばしで脚を作ると、不恰好な精霊馬と精霊牛が出来上がった。
並べて置くと、まぶたを閉じた。
「……ふ」
待つこと数分。
やはり、まただめだった。
『お迎え』をするのは、これが初めてではなかった。
もう何年も続けているが、成果は出ていない。
魂の存在が証明された世界ならば、或いはと期待をこめての今夜だった。
でも、本当は知っていた。
魂の存在が証明された世界だからこそ、明るみになった真実。
それは、魂との意志疎通は不可能だということだ。
確かに『ある』のだが、『ある』だけなのだ。
こちら側から語りかけても、魂はなんの反応も示さない。
魂同士がコミュニケーションをとっている姿も確認されていない。
これが科学側からのアンサーだ。
『ある』だけの存在ゆえに、誰もお盆でさえかえってこないのだ。
貴士は、ため息をついた。
「馬鹿みたいだ、俺」
魂があるならば、たとえ何年経とうとも『かえってくる』のではないかと期待したのだ。
科学がそれを否定しても、心のどこかで叫んでいたのだ。
自分の行いを嘲笑うかのように、冷たい風が貴士の頬を撫ぜる。
貴士は立ち上がると、野菜を片付け始めた。
ふと、顔を上げ夜空を見る。
雲の切れ間から星が瞬いていた。
昔、死んだものは星になるのだと聞かされたことを思い出す。
「おかえり」
自然に言葉が出た。
それは無意識に出た言葉だったが、貴士の胸にすとんと落ちた。
ああ、そうか。そういうことでいいのだ。
魂は『いる』のだ。
例えば、空に重なるように。
例えば、六畳間で横たわるように。
例えば、自分に寄り添うように。
確かに『いる』のだな。
貴士は空を見上げながら、誰に言うでもなく呟やいた。
「かえるか、七絵」
そう呟やいた貴士の顔は、穏やかだった。
完
2024.11.23
11/23/2024, 6:05:19 AM