『Sweet Memory/きみのいる春』
雨の日だけ現れる店がある、と聞いたのは大学時代の友人からだった。
「思い出を残してくれる店なんだって」
冗談みたいに笑いながら、友人は続ける。
「でも、見つけられる人と見つけられない人がいるらしいよ」
その頃の私は、恋人と別れたばかりだった。
大きな喧嘩をしたわけじゃない。
嫌いになったわけでもない。
ただ、少しずつ生活が噛み合わなくなって、静かに終わった。
だから余計につらかった。
忘れたいほど苦くもないのに、思い出すたび胸が痛む。
雨の夜、会社帰り私は気づけばその路地を歩いていた。
古びた自販機。
閉まったシャッター。
濡れたアスファルト。
細い道を何度か行き来して、やっぱりただの噂だったのかもしれないと思い始めた頃。
曲がり角の先に、ぼんやりと橙色の光が見えた。
そこだけ、雨の夜から切り離されたみたいに明るかった。
近づくと、小さな店が建っていた。
古書店みたいな店だった。
看板はない。
ショーウィンドウには、アルバムだけが並んでいる。
さっきまで、こんな店はなかった気がした。
立ち止まると、扉が静かに開く。
「いらっしゃいませ」
白髪の店主が現れた。
その声に引かれるように、私は店の中へ足を踏み入れる。
中は、古い紙の匂いがする。
店主は棚から一冊のアルバムを取り出した。
淡いグリーン色の表紙。
金色の文字。
【Sweet Memory】
「ページに触れながら、残したい記憶を思い浮かべてください」
最初のページを開き、言われた通りにする。
瞬間、春の風が吹いた。
川沿いの遊歩道。
隣には彼がいる。
コンビニ袋を揺らしながら、くだらない話をして笑っている。
声も、匂いも、温度も、全部そこにあった。
気づけば、私は泣いていた。
ページを閉じると、景色は静かに消える。
「そのアルバムは、差し上げます」
そして静かに続ける。
「ただし、記憶に溺れませんように」
家に帰ってからも、私は何度もアルバムを開いた。
夏祭り。
冬の帰り道。
二人で雨宿りした駅構内。
ページに触れるたび、彼は笑っていた。
現実より優しく、温かった。
最初は一日に一回だけと決めていた。
けれど少しずつ回数は増えていく。
朝、目覚めてすぐ。
帰宅後。
眠る前。
気づけば、アルバムを開いていない時間が苦になっていた。
友人からの連絡を返すことよりも。
外へ出ることよりも。
アルバムを開くことの優先度があがっていく。
彼は、現実みたいに離れていかない。
ある夜、ふと思い出す。
【記憶に溺れませんように】
店主の言葉。
少しだけ怖くなる。
私はアルバムを閉じかける。
けれど次の瞬間、ページの向こうで彼がこちらへ手を伸ばした。
【おいで】
春の風が吹く。
懐かしい匂い。
優しい声。
温かい体温。
私は迷わなかった。
帰りたかったのだ。
彼がいた、あの思い出の中へ。
気づけば私は、春の遊歩道に立っていた。
隣では彼が笑っている。
見上げた空の端で、アルバムのページがゆっくり揺れていた。
【完】
2026.5.18
『兄は一年後、柴犬になるらしい』
「一年後には、俺は柴犬になってる予定だから」
兄は味噌汁をすすりながら言った。
「えっ」
思わず箸が止まった。
兄は半年前に会社を辞めてから、ずっと家にいる。
最初のうちは転職サイトを見ていたはずなのに、最近では近所の犬ばかりを見ていた。
「田中さんちの小太郎、最近ちょっと丸くなったな」
とか言う。
「なんで柴犬なの」
「距離感がいいだろ」
兄は真顔だった。
「ベタベタしない。でも嫌われてもない。理想的だろ」
分かるような、分からないような。
その日から兄は、本格的に柴犬になろうとし始めた。
赤い首輪を買い、散歩を始め、電柱の匂いを嗅いだ。
「何してるの」
「情報収集」
完全に不審者だった。
最初は母も怒った。
「やめなさい!恥ずかしいでしょ!」
でも兄は平然としている。
「柴犬はちゃんと匂い確認するし」
「あなたは人間なの!」
すると兄は少し考えて、
「まだね」
と真顔で返した。
しかし人間、慣れるもんでさ。
一週間後には、母も、
「ポチ、ご飯よ」
「ワン」
という会話を普通にし始めた。
適応が早すぎる。
つい最近まで、キレていた人とは思えない。
兄は柴犬カフェにも通い始めた。
帰宅後はいつも、
「犬社会、厳しい……」
と呟いている。
今日もまた、兄は近所の柴犬を見に行っていた。
帰宅した兄は、なぜか少し傷ついた顔をしていた。
「どうしたの」
「……柴犬、思っていた以上に愛想ない」
「そっか」
「三十分見つめていたのに、完全に無視された」
兄は遠い目をした。
「犬社会、やっぱり厳しい…」
その時、窓の外で柴犬が「ワン」と鳴いた。
兄はしばらく黙り込んでいたが、やがて顔を上げた。
その表情は、どこか切ない。
「でもチワワならいける気がする」
全然懲りてなかった。
完
2026.5.14
『魂の在処』
貴士はキュウリとナス、割りばしの入ったスーパーの袋を手に持ち、裏山の社に向かっていた。
本来の季節を無視した『お迎え』をするためだ。
キュウリとナスは、それぞれ馬と牛に見立てた精霊馬と精霊牛と呼ばれるものにするためだ。
魂の存在が科学的にも証明されたのは、去年のことだった。
光の屈折により見えてきた層を重ねていった結果、層がヒトガタになったのが切っ掛けだったとか。
詳しくはわからない。
貴士にとって重要なのは、仕組みではない。
それが真実であるかどうかだけだった。
魂が層を跨いだ、あちら側にあるのだ。
だとしたら、どうしても会いたい人がいる。妻だ。
最期の会話はケンカで終わってしまった。
悪いのは自分だ、謝ることはできたはずだ、なのに、何故あんなに頑なにーーー。
子どもが二人とも成人し、夫婦二人になってから頑固さに磨きがかかっていった。
だとしても、思い出に残るのが悲しげな妻の姿だというのは寂しいものがある。
後悔はあとから、あとから次々と溢れてくる。
貴士は、自分がこんなにも弱いことを知らなかった。
こんなにも情けなく、引きずる人間だとも知りたくなかった。
「かえってこい」
貴士は、社に着くとぽつりと呟やいた。
賽銭箱もない簡素な場所だ。
鳥居の手前の小さな石階段に腰をかけると、キュウリとナスを取り出した。
割りばしで脚を作ると、不恰好な精霊馬と精霊牛が出来上がった。
並べて置くと、まぶたを閉じた。
「……ふ」
待つこと数分。
やはり、まただめだった。
『お迎え』をするのは、これが初めてではなかった。
もう何年も続けているが、成果は出ていない。
魂の存在が証明された世界ならば、或いはと期待をこめての今夜だった。
でも、本当は知っていた。
魂の存在が証明された世界だからこそ、明るみになった真実。
それは、魂との意志疎通は不可能だということだ。
確かに『ある』のだが、『ある』だけなのだ。
こちら側から語りかけても、魂はなんの反応も示さない。
魂同士がコミュニケーションをとっている姿も確認されていない。
これが科学側からのアンサーだ。
『ある』だけの存在ゆえに、誰もお盆でさえかえってこないのだ。
貴士は、ため息をついた。
「馬鹿みたいだ、俺」
魂があるならば、たとえ何年経とうとも『かえってくる』のではないかと期待したのだ。
科学がそれを否定しても、心のどこかで叫んでいたのだ。
自分の行いを嘲笑うかのように、冷たい風が貴士の頬を撫ぜる。
貴士は立ち上がると、野菜を片付け始めた。
ふと、顔を上げ夜空を見る。
雲の切れ間から星が瞬いていた。
昔、死んだものは星になるのだと聞かされたことを思い出す。
「おかえり」
自然に言葉が出た。
それは無意識に出た言葉だったが、貴士の胸にすとんと落ちた。
ああ、そうか。そういうことでいいのだ。
魂は『いる』のだ。
例えば、空に重なるように。
例えば、六畳間で横たわるように。
例えば、自分に寄り添うように。
確かに『いる』のだな。
貴士は空を見上げながら、誰に言うでもなく呟やいた。
「かえるか、七絵」
そう呟やいた貴士の顔は、穏やかだった。
完
2024.11.23
『呪文名:ココロオドル』
「ココロオドル1:この呪文は、相手の『魂』の善悪を判定して裁くことができるんだミュ。
失敗すると、きみの約16日分の生命力を削るけど…。
まあ、魔法少女に多少の犠牲はつきものなんだミュ」
見たこともない生命体が、なんか好き勝手に言っている。
道端に落ちていた、ステッキを拾ったのがいけなかった。
小さな子どもが喜びそうな、きらびやかな装飾が施されているもんだから。
妹に見せたら喜ぶかな、なんて思ってしまったんだ。
「ココロオドル2:この呪文は、『時間』を2AWP/だけ進めてくれるんだミュ。
対価に、きみのこれからの行動すべてに不運が作用してくるけど…。
魔法少女に選ばれた時点で、世界の不幸を担うのだから、些末なものなんだミュ」
未確認畜生が、なんかわけのわからない単位みたいな言葉も交えてのたもう。
これ見よがしに落ちていたステッキだった。
それこそが、そもそもの罠だったのかもしれない。
「ココロオドル3:この呪文は、『愛』を05倍だけ強くーーー」
まだ続きそうな理解できない説明を、挙手で遮る。
「魔法少女自体を辞退する呪文はあるの?」と。
「あるミュ。その呪文のせいで僕らの世界では、深刻な魔法少女不足に陥っているんだミュ。
『リリカル』なんて簡単な呪文じゃなくて、もっと難解で言葉で表しくいものに変えるべきだミュ」
私は間髪いれずに唱える、「リリカル」と。
その瞬間、目の前から不条理を言い渡してくる物体Xは消え、ついでにステッキもなくなった。
やれやれ、ひどい目に合うところだった。
これで、魔法少女にならずにすんだのだ。
なんだかんだ言って、普通の人間が一番いいんだから。
完
2024.10.10
『ザムザ』
昼休みに一瞬だけ、うとうと寝てしまったのがいけなかったのだろうか。
目が覚めたら、友達が虫になっていた。
「む~、む~、むぅ?」
などと鳴きながら、教室をウニョウニョと動き回っている。
「……なにこれ?」
『何』ではなく『虫』だ。
はっきりと判る。
判ったとて、だ。
あたしは寝ぼけているのだろうか?
……目を擦り、瞬きをしてみるが結果は変わらない。
どう見ても虫である。
教室にある机ぐらいの……ダンゴムシ?
いや、小さなハサミがあるから、ゲジゲジかもしれない。
しかし、ハサミがあるということはゲジゲジではありえないわけで……うーん。
まあ、いいか、ゲジゲジで。
ちょうど、昼ご飯にと一個丸々もってきていたリンゴが視界に入る。
ぶつけてみる?虫嫌いだし。
「あ、いや、でも」
嫌いな虫とはいえ、あたしの友達なんだった。
いつも一緒にお弁当を食べている友達だ。
「で。なんで虫になっちゃったの?」
「む~?」
「わかんないか」
あたしはリンゴを机に置き、ウニョウニョと動き回る友達ことゲジゲジを観察する。
「人間が虫になるなんて、きみはザムザか何か?」
「む~」
「とりあえず、助けてあげたほうがいいよね?」
「むぅ?」
あたしは席を立つ。
すると、ゲジゲジは慌てたように逃げていってしまう。
「あ、待って!」
「む~……」
しかし、すぐに戻ってくる。
そして、近づこうとするとまた逃げていく。
それを繰り返すうちに教室を出ていってしまった。
そういえば、と思い出す。
友達はあらゆるものに、影響を受けやすい性格の持ち主だった。
つい最近、四時四十四分に合わせ鏡を実行して異世界に飛ばされたばかりだ。
連れ戻すのに苦労したんだよね。
今回のことだって、もしかして……。
なんか秋だからという理由だけで、読書に目覚めたんじゃ。
だとすると状況的に選んだのは、やっぱり『変身』だったり?
「ザムザって最後は死ぬんじゃ……」
廊下からたくさんの悲鳴が聞こえて、慌ててあたしも教室から飛び出した。
とりあえず、小難しいことは後回しにして、虫になってしまった友達を保護しなきゃ。
友達やめようかな、なんてちょっぴり考えながら……。
完
2024.9.26