『夢と現実』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
後ろから気配を感じる。
後ろを確認してみたいが怖くて後ろを向くことが出来ない。
今までは気のせいかもと思い無視していたがだんだん足音が聞こえるくらい近づいてきた。流石に近すぎる。
今では微かに呼吸の音も聞こえる。気持ち悪い。
そう思った瞬間私は走り出していた。
ひたすら家に向かって走った。
だが家に着く直前、私が後ろを振り返った瞬間に後ろから追いかけてきていた何者かにナイフのようなもので刺された。
そこで私の目は覚めた。
なんだ夢だったのか。生々しかったから勝手に現実かと思っていた。気分が悪いから水でも飲みに行こう。
そう思いベッドから降りようとした。
しかし、床に足がついた時に違和感を感じた。
何だか床が妙に柔らかい。そう思い床を見ると
おじさんの血だらけの死体が転がっていた。
そのおじさんの顔には傷が付いていた。
私はその死体の頬の傷に見覚えがあった。
その傷は私が目が覚める直前に見た傷だった。
私が死ぬ前に見た傷は文字のようだった。
’’ひとゴロし’’
この言葉がナイフで引っ掻いたような傷跡として
おじさんの顔に残っていた。
不自然にもおじさんの顔だけには血が一切
付いていなかった。
その姿はまるで
右頬に刻まれたその言葉を見せつけるかのようだった。
子供の頃は叶えられると思ってた全部の夢
花屋さん、お嫁さん、お母さん、漫画家、たくさんの夢
自分よりずっと大きな大人があたりまえに叶えてる
自分も大人になったら叶えられると信じてた
大人になっていくと
ブレーカーが落ちたように1つずつ消えて暗くなる
現実
一緒に1つずつの夢も消えていく
気がつけば何一つ残らなかった夢
あの頃あこがれていた大人のように
子供達から私はどんな大人にみえているのだろうか
【夢】
「ごめん、もう、無理かも」
そう言った背中が消えていく。手をどれだけ伸ばしても届かない場所へ。
ああ、どこで間違ったんだろう。
意識が柔らかに浮上する。
嫌な夢だった。
冷たい汗を拭って体を起こすと、隣にはさっきの背中がたしかにそこにある。
顔を覗きこんで頬をつつくと長いまつ毛が揺れて栗色の瞳が覗いた。
「なに、」
「かわいかったから」
「何時?」
「もう10時だよ」
猫のように体を伸ばすと、お腹空いちゃった、と笑う。
目尻に寄ったしわが愛おしい。
この幸せを失いたくない。失えない。繋いだこの手を離さないように、ふたりで歩いていこう。
ミームとは。
模倣によって人から人へ伝達されていく文化情報であり、例えば葬式の作法、例えば比喩表現、例えば民話や昔話の教訓など。
昨今よく使われる、SNSやインターネット上で爆発的かつ半永久的に感染したかのように広がっていく、“お約束”を意味するミームとは、結果、本来の「ミーム」という言葉に内包される「インターネットミーム」のことなのである。
インターネットは混沌だ。
規則正しく朝に起き、退屈だけど安定した会社へと向かうサラリーマンと、昼夜逆転、不安定に苛まれながらまだ布団に潜っているYouTuberが、まるで竹馬の友であるという風に、談笑する。
考えなしなために社会の最底辺を這いずって、同じ程度の人間をざらざらと引き連れたバカと、上澄みの上澄みまでを蹴散らして寂しさに負けかけている孤高の天才が、互いに傷を舐め合っている。
電気で冷たい金属を稼働して考える脳が、人の肉声を真似て喋り、糖を消費して温かな蛋白質を回す脳が、抑揚のない機械の声を採用する。
耳心地の良い夢に溢れた上品な言葉には、下劣な動機と思惑の腐臭が漂い、悪辣で粗雑な言葉には、誠実で優しい親切の欠片が透けて見える。
創作物と噂話と民間伝承と現実の出来事が混じり合って、形を持つ。
夢の出来事としか思えないような如何わしい不気味な事に、身元の確かな権威的論文が正確な書誌情報と共に引用され、明々白々な現実の出来事に、怪しからん支離滅裂な理屈がくっつく。
インターネットでは、夢と現実が入り混じり、溶け合っている。
混沌だ。
その混沌の電子の海の中で、私は途方に暮れ、立ち尽くしていた。
「海の中で立ち尽くす」というのは、些か地球の法則によっても、比喩表現によっても、妙な表現であるし、そもそも物理的に私は理性も目的も確かで座っているのだから、「途方に暮れ、立ち尽くす」というのも間違いである。
だが、そんな論理的な思考はここでは力を持たなかった。
ここはインターネットの世界。
夢と現実が複雑怪奇に絡まり合って、一つになった荒涼なミームの中。
混沌の中にいれば、私も混沌なのだ。
夢と現実の境の見えない、曖昧な混沌の相の子でしかないのだ。
私は、「人類のミームの進歩と進化過程についての孝論」と書かれた紙を握りしめて、深い海の中を立ち尽くしている。
「卒論 人類学」と書かれたファイルを開いて、途方に暮れて座り込んでいる。
虹彩は、夢と現実の入り乱れた情報を節操なく吸い上げ、脳は、その相対する何者かの広大さに、糖の分解を止め、脳細胞の仕事を取り上げる。
インターネットをよく見てみるがいい。
ここは混沌だ。
人の死も、人の生も、醜い喜劇も、美しい悲劇も、碌でない何千億の人生と一緒に氾濫している。
ネクロノミコンや呪いの書をわざわざ探して読まなくたって、インターネットを覗いて、これを全てまともに考えて仕舞えば私たちは発狂できるだろう。
事実、私はもう分からない。
夢と現実と、が。
だから私は立ち尽くしている。
電子の海の底で、ゲーミングチェアに座り込んで、ぶつ切りのコードに繋がれたパソコンの前で、夢と現実の途方もない情報が混じり合った深水の中で、立ち尽くしている。
どこかで、パソコンか端末か、何やらが
…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。と鳴った。
夢と現実とが、確かにそこにあり、しかしどこにあったか分からなかった。
私は混沌に埋もれた。
混沌が私をすっかり飲み込み、消化してしまった。
溶け合った、夢と現実が、私をヒシと抱きしめていた。
夢と現実の世界で
一緒の世界を行き来しよう
夢の世界なら
幸せになれる保証があって
それに
わたしの夢だって
ちゃんと叶えてくれる夢の場所
だけど
その夢はずっと続く訳ではなく
いつか消えて無くなってしまう
また新しい夢が
自然にできあがってゆく
わたしがいる
この現実世界は
もう毎日が
嫌なことばかりで
お仕事もしないといけない
疲れすぎて
自由も全然なく
時間という概念に縛られ
何もしなくても
時は過ぎ去ってしまう
そして
ひとはいつか
寿命には勝てずに死んでしまう
小さな頃に
わたしは夢の中に住んでみたいと
ずっと思っていたの
絵本を読んだときね
誰もが今わたしが読んでいる
絵本のような世界
わたしは
こんな素敵な世界ならば
いつか住んでみたいと感動したの
お母さんに聞いたらね
そんな世界なんてあるわけないよ
わたしの夢を壊さないでよと
わたしは泣きながら言っていた
わたしは
今大人になっても
夢の中に住んでみたい夢は
まだ抱いている
笑われるかもしれないけど
わたしは信じているから
夢と現実
夜空に星が満ちている。
昔に比べると少なくなってしまったが、周辺に建物の少ない僕の家からはまだたくさん見ることができる。
部屋の窓からは冷たい風が入ってくる。
冬の風は心にしみる。泣きたくなる。
虚無感を感じてしまう。
そしてさみしい心を紛らわせるために叶わない夢を頭の中で描いてしまう。
お母さんとご飯を食べる僕
お母さんが僕に向かって「美味しいね」と言ってくれ、「うん!」と答えている僕
お母さんに頭を撫でられている僕
色々と頭の中で描いているとそれが現実になったのではないかと錯覚し一瞬だけ嬉しい気持ちになる。
でも現実は現実のままだ。
絶望しか待ち受けていない。
今日は帰ってくるかな。
新しい男の人を連れてくるのかな。
ベッドのシーツにいつの間にかしがみつき、目が熱くなってきた。
「1日だけでもお母さんを独り占めできますように」
そう願いながら目を瞑った。
夢と現実の違いとは何だろうか。夢は追うもの、現実は歩むもの?いや、現実の先に夢がある。つまり、現実≠夢ではなく、現実→夢なのである。だから私は夢を諦めないし、必ず叶うと思っている。何故なら、私は現実を歩んでいるのだから。
夢と現実
その区別ができないほど
私の朝は意識がグダグダ…
夢でアラームを消しちゃうから
朝起きると時々ピンチな時がある
かけ忘れたかと思えばちゃんと止められてる
消えかけてる夢での記憶を辿ると
確かに愉快な音が鳴ってうるさくて止めに行ってたり
オルゴールを止める的な感じでやったな〜とか思う
でも、そういう日はたいてい良い気分だ
だって起きてからも夢と現実が混ざった気持ちだから
夢の不思議なところは、夢の中にいると、どんなにちぐはぐなことが起こってても、それが現実だと疑わないところなんだけど、さらに不思議なのは、そんなに違和感がない状況でも、ああ実はこれは夢だなと見抜いていることもよくあって、そのメタい判断をしている自分の立ち位置がよく分からない。
【夢と現実】
あるところにどれだけ寝ても寝足りない
いつまででも寝れる子供がおりました
その子供は現実では大人たちが言う
”みんなが幸せ”という世界は
あり得ないのだと知っていました
ですから自分の好きに振る舞える夢の中で
それを実現しようとしたのです
夢の中である怪物が言いました
幸せに笑っている奴が憎いのだと
だけどその子供はどうして憎く思ってしまうのか
理解できません
「自分も笑ったら楽しい気持ちになれるのかも」
そう答えた子供が笑って見せると
その怪物は怒り出しました
手が付けられなくなった怪物に背を向けて逃げながら
『僕だって楽しくて笑っているわけじゃないのに』
そう思ったところで既視感を覚えます
現実でも身に覚えがありました
誰だって楽しくて笑ってるわけじゃなくて
幸せになろうとして笑おうとしてるのだと分かりました
でも遠くで喚く怪物に近寄る勇気はありません
本当に苦しんでる人にかけられるような
魔法は無いんだと自分の作り出した世界で
理解した子供は目を覚ましました
あの怪物のように喚くアレに触れないように
今日も大人のふりをするのです
2024-12-04
俺は、地に足をつけて生きている。
毎日の一歩をありがたく、踏みしめ、
歩いている。いつも、満たされ
ている。緑が鮮明に有る日々に
そよ風が、吹き。グレーの地面に
足をつけ、自分の革靴を思い
浮かべる。幸福。これ以外に無い!
昼食はカレーが食べたい。俺は
カレーが、大好き。ふふふ。
信号待ちで自分の革靴を見る。
ピカピカだ、今日もかっこいいよ。
これが幸せ。俺はなんて頑張ったんだろう。
青信号。カレーのことで頭がいっ
ぱいだ。ふふ、嬉しい。
嬉しいんだあ、毎日が。いつも、俺は。
楽しい明るい日々。穏やかな部屋。
いつ終わっても幸福な
毎日を、俺はいつま
でも
続けていたい。 微笑む、
カレーの匂い。
・夢と現実
教室に入ると沢山の友達が集まってきた
誰の話から聞こうか
俺はいわゆる陽キャ 一軍ってやつ
いつもクラスの中心にいてみんなを引っ張るリーダー
そんな感じだ
初対面でもすぐに仲良くなれる
可愛い彼女もいる
先輩や先生からも気に入られる
最高の生徒であり後輩
明日もこんなふうな生活だろうな
教室に入る
いつも通りみんなから注目されるんだろうな
そんなふうに呑気に考えていた
でも違った
入ってみるとみんなから拒絶された様な目を向けられた
なんだ? なんかのドッキリとか?
なあ そうだろ?
そうなんだろ⁉︎
"お前イキリすぎだろ"
は?
"キモい"
なんで
"別れよ"
なんで
"クラスの全員がお前を嫌ってんだよ!"
なんで
なんで
なんで
なんで
なんで
なんでだ!
なんでなんだ、、、!
こんなはずじゃない!
俺は人気者だ!
一軍だ!
陽キャだ!
誰からも気に入られてるんだ!
なあ
夢だろ
夢なんだろ!
夢って言ってくれよ!
──あいまいな場所に揺蕩う。
(夢と現実)
後日書きます!
「夢と現実」
その二つの間が
いかに離れているかはよく分かる
しかし夢にだけ逃げたりしないし
現実ばかり背負うこともしない
現実に足を付けて
初めて人は夢想家になれるのだ
夢と現実
暗闇の中、貴方が自殺する夢を見た。
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、
腹にナイフを刺しては抜いてを繰り返す貴方。
夢の中の俺はその行為を止めることが出来なくて、
ただ、見ているだけ。
貴方の温かい体は信じられないくらい冷えきって、
貴方の腹部からドクドクと流れ出す鮮血は赤黒く、ルビーのように輝く貴方のそれを、不覚にも綺麗と思ってしまいました。
鮮やかな赤に包まれた貴方を抱え、
俺は宛もなくさまよい続ける。
歩き続けていると、僅かな光が見えてきて
俺は急いでそこまで走りました。
すると、直視できないほどの光に包まれ、
先程まであなたを抱えていた重みは消え去りました。
そしてゆっくり瞼を開くと───
俺は血濡れたナイフを持っていて、
目の前には夢で見た状態の貴方が床に横たわっていた。
「べる………………なん、で……………………」
手をぴくぴくと震えさせながらこちらに向ける貴方。
やめてくれ、そんな目で見ないでくれよ。
俺に現実を向けないで。
ああ、これもきっと夢なのだな。
俺は瞼を閉じた。
#夢と現実
最近、手帳術を勉強しています。
夢って子供のころはあるけど、大人になってからは現実しかなくて、夢を見るには遅いなと感じていました。でも、夢ってそんな大それたものじゃなくて、叶えられる範囲だって夢は夢なんだと教えてくれるのが手帳術です。
手帳術とは、年始に立てた目標や、ウィッシュリストに書いたたくさんの叶えたい事柄を実現するために、具体的な手段を考えて計画し、その通りに実行していくことです。
週末野心手帳とか、願いが現実になる未来手帳、願いを叶える手帳、夢を叶える人の手帳など、最近の手帳には小さな夢を叶えるためのワークが詰まったものもたくさん売っています。
少しずつ学んだ手帳術を始めてみましたが、私が単純なこともあって、最近毎日前向きに動けていると感じます。先日、目標にしていたものが1つ達成出来たのですが、そのときの満足感がたまらなくて、また次の目標にチャレンジしてみようかな?と思えました。
もともとADHDで後回しをしたくなる性格で、願ったことを現実にできず、計画性もなく、目標もなくただ生きている気がしていました。でも、手帳術をはじめて、日々の中の幸せを書き留めたり、自分と向き合ったりと、立ち止まって振り返り考える時間が出来たように思います。
流されるままだったのに、自分の足で立ち止まって現在位置を確認しながら歩いていくのは、今までより人生を味わってるなと感じます。
来年用に買った手帳は4冊。
その他にノートやらスマホのメモ機能やらを使って、2025年はいろいろな手帳術で夢を1個1個現実にして行きたいです。
夢と現実
無機質な電子音によって、意識は現実へと引き上げられる。
どうやら夢を見ていたようだ。
──どんな夢を?
数秒前まで確かに像を結んでいた筈の景色は、思考を巡らせたそばからはらはらと崩れていく。
確かなことは、ただ漠然と「夢でよかった」と安堵している自分がいるということだけだ。
眠っている間に見る夢は、心が映し出す現実へのメッセージなのだという。
病気によって見やすい夢があるだとか、夢がきっかけで症状が出る以前に病気が見つかったとかいう話を耳にしたこともある。
記憶の彼方に追いやられてしまった夢もまた、自分に重大な何かを知らせようとしていたのかもしれない。
そう思い至ると、もう少ししぶとく記憶に残っていて欲しいものだ、とつい理不尽な文句をつけたくなってしまう。
ガバッと布団をめくり起き上がる。
嫌な寝汗をかいていた。
井戸に落とされて溺れる夢を見たのだ。
身体を確かめる。
お腹にゴロゴロとした異物が入っている事に気付く。
石だ。
ガバッと布団をめくり起き上がる。
嫌な寝汗をかいていた。
お腹をさすって異物が無いことを確かめる。
ベッドの横に猟銃を構えた猟師が立っている事に気付く。
ドンッと猟銃が火を吹いた。
ガバッと布団をめくり起き上がる。
嫌な寝汗をかいていた。
周りを見回し猟師が居ないことを確かめる。
代わりにオオカミが立っている事に気付く。
大きな口に飲み込まれる。
外から声が聞こえる。
おばあちゃ〜ん!赤ずきんがパンを持ってきたよー!入るねー!
(夢と現実)
赤ずきんちゃんのオマージュ、夢の中の夢?それとも現実?
「将来の夢」
小学生の頃の夢は
絵本作家だった
理由は単純
母の読み聞かせが好きだったからだ
夢を叶えるために
本を読み漁っているうちに
図書委員長になった
中学生になると
将来の夢は
キャリアウーマンになった
理由は単純
図書委員長での活動が
楽しかったからだ
積極的に班長、委員長、部長になり
最終的に生徒会に入った
高校生になると
将来の夢は
グランドスタッフになった
理由は単純
空港で働く姿が
とてもかっこよく見えたからだ
少しでも憧れに近づくために
部活に勉学に
全力を尽くし
英語力を高めることのできる
志望校の大学に受かった
大学生になると
急に将来の夢は消えた
理由は明確
航空会社に内定をもらっていた
憧れの先輩が
コロナで内定取消になったからだ
衝撃だった
先の見えない不安から
自信を失った
そんな簡単に諦めるのかと言われたら
返す言葉はないが
当時の私にとっては
全てを失ったような
感覚だった
勉学にバイトに遊びに恋愛に
全力で駆け抜けた4年間
コロナの影響を受けつつも
充実した日々を過ごしたと
今でも思う
それでも
ただ1つ
後悔していることといえば
将来の夢を
見つけられないまま
流れるように
社会人になったことだ
気づけば
心を何度も壊し
会社を辞めていた
絵本作家にも
キャリアウーマンにも
グランドスタッフにも
なれていない
私は
また新しい夢を
見つけることが
できるだろうか
2024/12/4 夢と現実
やりたい事リストを作ると良い、とどこかで読んだ。
手帳などでやりたい事リストが書けるリフィルがあるのも知っている。
やりたい事。
バンジージャンプをしてみたい。
灯台に行きたい。
五稜郭に行きたい。
海外旅行をしたい。
ハタハタ食べたい。
本屋で大人買いをしたい。
etc
やりたい事は沢山ある。
リストも書こうと思えば書ける。
でも、リストを書いてる途中で現実がやって来る。
どうやって休みを取るの?
どこにそんなお金があるの?
襲い来る現実に、リストを書く手が止まってしまう。
そうして夢は夢のまま、現実に飲まれていく。
END
「夢と現実」