『君と最後に会った日』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
君と最後に会った日。友達も恋人もいないからこの手のお題は書くことないねぇ。そもそも俺は孤独であることを辛いと思ったことがないからな。
だから誰かと会いたいだとか誰かと最後に会ったのはみたいなことは心底どうでもいい。他人なんてのはリアルでは不要だろう。
人と人は支えあって生きているなんていうけれど今の時代では人が多くなりすぎてその手の意識は薄いし必要もないだろう。
しかし考えてみれば今の家を借りるのに親を保証人にしてたようなしてないような、どうだったかな。なんにせよ親が死ぬと色々めんどくさいな。
親そのものはさっさと死んで欲しいくらい憎んでいるけど諸々のことを考えると死なれるとめんどくせぇな。
あぁ嫌になる。親のことは考えるだけで嫌気がさす。あのくそはさっさと死んで欲しい。でも死なれると色々めんどくさいんだろうな。
やめやめ。もうやめだ。もっと楽しいことを考えよう。先週のジャンプの感想を書いてなかったし今日書くか。
先週のジャンプはワンピ呪術が休みというお通夜みたいな週だった。まぁ実際には今のジャンプはそこそこ層が厚いと思うけど俺が基本読んでるのは鵺とアンデラくらいだからこの二つがないと割りと読むものがない。
最近はもう鵺が俺の中でジャンプを読む原動力になっている気がする。妖怪ものの異能力バトルの皮を被ったラブコメみたいな謎の作品が俺の心を掴んでやまない。
女の子がかわいいしギャグも面白いで隙がない作品だ。間違いなくアニメ化いくであろう作品だ。でもそこまで人気がでないタイプにも思えるから打ちきりにはならないでほしい。
アンデラは正直面白さが停滞してるというか微妙やね。今後に期待。一個前の格闘技系の新連載読むと面白いわ。相撲の作者のやつ。これは読む枠入ったわ。
んで先週はなんとなくロボ子読んだんだけど正直先週で一番面白かったのはロボ子だな。悔しいが鵺より良かった。ロボ子は当たり外れが激しい漫画だけど先週はまじ面白かった。
パロ回だから元ネタ知らない人は面白いと思えないかもだけど俺は大体のネタがわかったからめっちゃ面白かったわ。地味に絵も漫画も上手いよなこの作者。
いつも図書室の窓辺に寄りかかって、一心に手元の本を捲っていたあなた。
なぜか本を借りていくことは一度もなく、その場所で読むだけだったので、彼女の名前はついぞ知らないままだった。
ただ上履きの色から、最高学年だと分かっただけ。それだけ。
卒業式を翌日に控えた夕方、暮れゆく窓辺に寄りかかり、ふと私の方を向いた彼女の囁き声が、夢の残骸のように忘れられない。
──先生、命が燃える色って、きっとこういう色をしているんでしょうね。
その胸元に抱きしめられた、銀河鉄道の夜。
もしかして、あなたは、本当の幸いとやらを知って絶望していたの? それを確かめるすべは、もうどこにもない。
私にとって、カンパネルラよりも別れが惜しかった、名も知らぬ彼女は、今は、何色の空の下に佇んでいるのだろう。
(君と最後に会った日)
「君と最後にあった日」
これが最後と思わなかったから
最高の笑顔でいられた
あの日あなたが初めて可愛いと言ってくれたから
多分最高のサヨナラでした
もう会えないとわかって
むちゃくちゃ泣いたけど
あの日のままで
あなたも私も
笑った顔で終われて
いや待て
ねえ?
あなたはそれでよかったってことだよね?
私はまだ
終われないままだよ
ふざけんな
変わることはなかった
おはようって言うたびにつくため息
たわいのない話に大袈裟な反応は似合わない
胸元に花開く桜は君とは対称的だね。
ねぇ、当たり前に隣にいたのっておかしいかな?
周りのやっかみに「おかしい」って言われてもどこ吹く風で…
それがね?嬉しかったんだ。
でも、それをやぶいてしまったのは私だ
だから、今日が君と最後に会う日だ。
#君と最後に会った日
君とは一度も会ったことがない。会ったら気まずくなるだけ
君と最後に会ったのはもう10年近く前シンガポールだね。フィリピン駐在時に出会った時には君はまだ17歳。それから10年以上の間ずっと好意を示してくれてありがとう。今でも時々思い出すよ。幸せになってくれていること心から祈ります。
君と最後に会った日
小学校の卒業式の日
君は小さなオルゴールをくれた
「言ってなくてごめん、私 引っ越すんだ」
今にも泣きそうな顔で言う君から貰ったオルゴール
僕の好きな黄色の箱に君の好きな白色のデザイン
小さな白い花がたくさん描かれていて可愛らしい
「これがあれば私のこと忘れないよね」
忘れるはずない、確かこんなことを言った気がする
君の言葉は全部覚えているのにね
「ありがとう、私も絶対忘れないから」
泣き笑いのような顔が今でも脳裏に焼き付いてる
「大きくなったら絶対、絶対に会おうね」
手を振って去っていく君を前に
僕は涙を堪えることしか出来なかった
【君と最後に会った日】
記憶は嘘を吐くものだ。
最後に会った日のことを、今も鮮明に覚えているつもりだ。
互いに別れを惜しんで泣きじゃくる幼い子供だった。
簡単に会えなくなってしまうことを理解しながら、簡単に将来の再会を誓い合える無垢な子供だった。
実際は成長と共にどちらともなく手紙を出さなくなり、五年十年経っても再会することなど無かったというのに。
それでも、今も思い出は残っている。
ただ、朧げな記憶を映し出した蜃気楼の君は、決して老いること無く笑っているのだろう。
あの日の思い出を美化したまま、自分の中で生き続けるのだろう。
『君と最後に出会った日』
君と最後に会ったのはいつだっただろう。僕は君が大好きだった。でも、突然姿を消してしまうなんて…いつだって僕はひとりぼっち。でも君がそんな僕を変えてくれた。授業中に君を見つめるのが僕の日課。でも君は気づいてないよね?放課後君は必ず僕のところに来て優しく微笑みかけてくれる。その時間が僕は大好きだった。でもある時突然胸が苦しくなって僕は動けなくなってしまった。あれから3日もたって僕は意識を取り戻した。でもその世界は僕の知っている2年3組の教室ではない。真っ白のとても綺麗なところだった。すると、なんだか声が聞こえる。それは苦しそうに泣きじゃくる君の声だった。君の暖かな手の温もりが伝わってくる。土を掘るようなざくざくとした音。すると急に冷たくなり、パラパラと土が被せられる。そうか僕は死んだのだ。僕は教室の後ろで飼育されていたザリガニ。クラスのみんなは僕のことを怖がって近づいてはくれなかったけれど君だけは違った。毎日毎日僕のお世話をしてくれてた。僕はそんな君が大好きだった。今までありがとう。そして、さようなら。
【君と最後に会った日】
君と最後に会うべきの日を
僕は避けてしまって後悔している。
君とは一生戻れない関係になって
絶縁とはこういうものかとひしひしと伝わる。
君の成人式も、君の結婚式も
僕は一番近くで眺めていたかった。
眺めることさえ許されなくて
僕の生きていた過去は
灰色の塊へと変化していった。
君に会いたいと願う日々は
僕には苦しすぎていつの日かやめたんだ。
ただ、君の幸せを願わせてくれ。
君の涙も、悔しがってる所も
何度も近くで見てきたけれど
僕は君の笑ったときが一番好きなんだ。
だから、君は幸せになってね。
『君と最後に会った日』
綺麗だったよ、君は
回りは君を貶していたけれど
君は、ずっと綺麗だった
僕に勇気があれば、君を引き留められたのかも
でも、やっぱり君の意思を優先してよかった
君が何処にいようと、僕は君を想い続けるよ
3日後にも、珍しく会う約束を
していた。
だから、軽い感じで
「またな!」っと、互いに別れた。
約束の時間。約束の場所。
アイツは、来なかった。
同級生、腐れ縁、親友…
呼び名は幾つもあるかもしれないが
アイツは、アイツでしかなかった。
後に、少し痩せたアイツの母親から
「あの子から…」と、小さな包みを
受け取った。
2人が好きな、ミュージシャンの
アルバムに、夏はフェス参加!!
日付とハッピーバースデー!の
見慣れた文字だ。
約束をした日は、俺の誕生日だったから。
アイツは…
毎年、命日には
あのアルバムを流しながら
アイツに会いに行く。
今年は、結婚の報告もしなくちゃなと
ふと微笑む。
梅雨の晴れ間、真夏のような青空。
今でもアイツは、唯一無二の存在だ。
【お題:君と最後に会った日】
「君と最後にあった日」
君は笑っていた。満面の笑みで私を見ていた。
お別れだというのに、君は泣かなかった。だから私もお返しに、前もって書いていた手紙を読んだ。
「 原 拓也(はら たくや)へ
(私の彼氏だった人)
拓也!
君に会えてとても楽しい時間を過ごせたよ!
君とは早いお別れになっちゃうけど…それで
も君は楽しい時間をいっぱいくれたね。
私が泣いているとき、隣で一緒に泣いてくれた
ね。辛い時、支えてくれたね。楽しいときは、
一緒にいっぱい笑ったね。
私とはお別れだけど、他の人と幸せになってね。
最後に!私は、拓也のこと大好きだったよ!
私の分も倖せになってね!
一ノ瀬 葉(いちのせ よう)
原 拓也の元カノ
より
大好きだよ。忘れない。 」
読み終わった瞬間拓也が目の前に居た私を抱きしめた。その瞬間拓也は泣きながら、喋った。
「葉!俺も大好きだ!いままでありがとう!
俺、倖せになるよ!」
私は頷くとだんだん意識が遠くなって………
私は充分幸せだった。彼が、隣に居たから。
こんにちは~
あるいは、おはよう、こんばんは😊
今回の、幸せをイメージしてみたんですけど、今日のお題が会わなかった…。幸せじゃない!って思われた方すみません……………!今度からもっと頑張ります!ですから、私の作品見てください!
~終わり~
雨が降ってて
窓際で雨宿りしてたね。
今はどこにいるの?
また遊びに来てほしい。
わたしの小さなお友達。
『きみと最後に出会った日』
君と最後に会った日は、去年の夏祭りの時。
一緒にかき氷食べたり、ラムネ飲んだりして楽しく過ごしてたね。だから、だからね。
今年の夏も君がいないと涼しくないよ。
君と最後に出会った時は月が雲で隠れていて
それの真似をしたかのようにすっといきなりいなくなったよね
大好きな弟
空から見ててね
君と最後に会った日。
私は泣いていた。
彼の腕の中で声を殺して。
私だけが知っていたから。
今日が彼と会える最後の日だってことを。
戦争と平和 君と最後に会った日
「君と最後に会った日」この言葉から、私は、戦争や紛争によって大切な人、友人、恋人、家族を奪われる悲しみ…というものをイメージし、平和について考えてみた。
人類は常に戦争を繰り返してきた。それは人々を恐怖で縛り付け、容赦なく尊い命を奪うものだと思う。
我が国日本であっても、そういった侵略、戦争を繰り返してきた時代があり、第二次世界戦争中には自国・相手国共に沢山の命や物が焼き払われていった。
近年のロシアによるウクライナ侵攻については毎日世界各国のニュースで取り上げられ、世界中から注目を浴びている。時折ニュースを見ると、ビルや建物が倒壊した街に自家用車と何台もの戦車が走っており、この現代においてもなお、リアルに戦争が起きていることを実感する。
世界の人口80億人の内、戦争を身近に感じた人の割合は多いものではないかもしれない。だが、身近な出来事に置き換えることで少しだけ気付くことがあるかもしれない。例えば、家族で囲む食卓。もし戦争中の国であれば、家族が揃うことも十分な食事を摂ることもできなかったかもしれない。そうやって仮定して想像してみることで、自分とは無関係の話とは思わなくなるかもしれない。
大切な人を奪われることは耐え難い悲しみだ。それが戦争という不条理なものによって奪われるなら尚更だ。
今起こっている戦争に対して、一個人が出来ることはあまりないかもしれない。だが、多くの人が「平和」について考えることで未来の何かが変わるのではないか、とも思う。そうであってほしいと願わずにはいられない。
君と最後に会った日
僕はなぜ気付かなかったんだろう
なぜちゃんと話を聞いてあげなかったんだろう
もっと彼女の声に耳を傾けていたら、、、
もっと彼女の目を見て話をしていたら、、、
これが君との最期にならずに済んだかも知れないのに。
彼女は春の木漏れ日のような人で
笑った顔がとても可愛らしい
いつもメソメソ泣いてる僕の横で
そっと優しく寄り添ってくれた
学生時代はお互い友達や好きな人が出来て
昔みたいに一緒にいる時間は少なくなったけど
家が近いのもあって
時々二人で話しながら帰ったりもした
その時間が僕は好きだった
あの日も帰るタイミングが同じで
二人で自宅まで肩を並べて歩いてた
僕のしょうもない話に横でクスクス笑う彼女
いつもの帰り道、いつもの日常
これは明日も明後日も当たり前にあるものだと
そう思い込んでいた
彼女の家は僕の家から200m程先にある
2人で歩いていると帰り道もあっという間だ
僕の自宅に着く頃、彼女が何か言いかけた
「...ぇり...くない」
「ん?ごめんもう1回言って?」
「いや、ううん!なんでもない!」
「なんだよそれ笑まぁまた明日!」
「うん、また明日、、ね!またね!」
これが君との最期の会話だった。
君と最後に会った日は一ヶ月くらい前。出不精な私に約束を取り付けた君の所業は忘れちゃいないよ。だからこそ、それにいつか心から感謝できるといいな、なんて思うんだ。