『友だちの思い出』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「 友達の思い出」
友達の思い出。
唯一無二の友達。もう過去にしかいない友達。
いい思い出も嫌な思い出もある。
でももう未来は一緒に歩けない。
でも大切な友達と思い出。
それらは私の心の中にある、あったかいものになって今も私と一緒に歩き続けている。
うーん、あんまりないなぁ。
友だちがいなかったわけじゃないけど、なんとなく本当に辛い時とか苦しい時に、そばにいてくれたのは友だじゃなくてお母さんだった気がする。
少なくとも中学まではそうだった。
高校で、中学までの交友関係がふっつり切れて、新しい友だちが出来た。
そこからは結構色々憶えている。
いいことも、悪いことも。
楽しかったのは文化祭の時に図書館の奥で隠れてケーキを食べたこと。キツかったのは·····、こっちはまぁいいや。
でも、高校の時の友だちとの思い出が、今の私を形作っていると思う。
何でって?
その子は今も私の大切な人だから。
END
「友だちの思い出」
友達の思い出
遅い時間に外でほっつき歩いたり
些細なことで笑いあったり
笑いのツボが浅いのも同じだったり
好きなものが一緒だったり
一緒にスタバの新作飲んだり
よくハモったり
そんな事が
私の大切な思い出
友達の家で水遊びをして
びしゃびしゃになりながら家に帰った
友達と外で遊んだ。
カラオケとごはんとゲームセンターに行った
友達の誕生日、
僕は何をしてあげられるだろう?
『思い出』
中学2年の夏休み前、終業式の日。
担任が宿題にとだした作文のテーマである。
当時の私は作文が大の苦手だった。
そのため友人に手伝ってもらっていた。
思い出というテーマに頭を悩ませていた私は友人に向かって「何書いた??」と質問した。
私的には、運動会とか遠足、家族と出かけた思い出とかそう言うのを書いたと思って聞いていた。
だが帰ってきた返答は予想の斜め上なもの。
しかも、まぁまぁ返答に困るものだった。
「うーん?内容?あ〜。私はね〜母親が出て行った日のこと書いたよ!」
と元気にケタケタ笑いながら言ってのけたのだ。
当時それを聞いた私の頭の上はハテナマークでいっぱいだった。
「え?それ。え?作文に?」
困惑もいいところだ。
だが友人は気にしていないのか、「だって1番記憶にある思い出だもん!」とケラケラと笑う。
うん。いいんだよ?いいんだけどね?後ろにいる君のお父さん、めっちゃ気まずそうにしてるよ?なんなら私も若干気まずいよ?
友達の思い出
何人かいた友達。
その中にも特別仲良い子とかあんまり得意じゃない子。
いっぱい話して、遊んで。
嫌だなって思うことはあったけど、今では全部いい思い出
みんながいたから今の私がいて、
みんながいたから今、ここで過ごせてる
そう思うと得意じゃない子でも出会えてよかったって思う
でも、やっぱりもう、会いたくない。
友達との思い出は?
その言葉に、思わず腕に埋めていた顔を上げる。
思い出、思い出……自分には思い出と言えるほどの思い出はあっただろうか、と唯一の友の顔を思い浮かべながら思案する。
するとどうだろう、案外沢山出てくるものだ。それこそ自分でも驚くくらいに。
強く記憶に残るような出来事や、すぐ忘れてしまいそうななんてことの無い思い出まで、容易に思い出せてしまう。
それはただ自分の記憶力がいいからなのか、相手が彼だからなのかは分からない。
だが、一つだけはっきりと言えることは彼は自分にとって何より大切な友だとはっきり分かったと言うことだ。
その事実にほんの少し頬を緩ませながら、またも腕に顔を埋める。
あぁ、そうだ。この昼寝が終わったら、彼に会いに行ってみようか──。そんな事を考えつつ、さんさんと暖かな日差しを受けながら、重い瞼はゆったりと閉じてゆくのだった。
友だちの思い出
よりも、
父側の、
曾祖父(ひいおじいちゃん)の成仏の手伝いをしたい。
違う人からの霊視で、父側の誰かが成仏できていない。と、聞き
確かに、私の幼少期から、父側の親戚たちが崩れることが多かった。
父側の、ひいおじいちゃんの名前が分かると良いんだ
けれど…
何があったんだろうか?
確かに、私の前に、たまに、赤い男性のような人の影を目撃したことがある。だけど、赤過ぎて瞳もなかなか
見えなかったし、当時、違う幽霊
[荒木さん。と、笹本くん]に取り憑かれていた
から、赤い人影を追えなかった。むしろ疲れていた
2020年、8月1日。
2020年、8月3日に、金縛りにあった。
自分の部屋で、生気がない青白くて若い男性幽霊
生没年未詳(1990〜2000年代?)
で年齢不詳だった[笹本くん]からの
金縛りに遭ったからだ。首絞められそうになったし、
当時、詳しくは聞かなかったけれど、幽霊の若い彼
年齢不詳の[笹本くん](たぶん30歳ぐらい?)は、
『首吊り自殺』と、聞いたことがある。
もう1人の、女性幽霊だった[荒木さん]は、
私と同じような身長で155cmぐらいだった。
彼女は、笹本くんよりも、もっと昔
平安時代?〜戦国時代?の人と思われた。
初対面で彼女は、青白い顔で、口元から血が大量に
流れて、白装束で、ボニーテイルのような
垂髪だったからだ。
本物の、幽霊と関わって、本当に怖くなくなった私。
話は戻り、
赤い人、その幽霊が、父側の、ひいおじいちゃん?
ひいおじいちゃんにとって、私の父は、孫。
なんで、ひいおじいちゃんは、孫である
私の父をイジメるんだろう?
ガンマナイフ手術もする予定の私の父。
ひいおじいちゃんにとって、私は、[ひ孫]に当たる。
2006年、当時、小学1年生だった私が
脳出血になったから?
私の左手に、濃くて、太い線の[仏眼]がある。
仏眼がある人は、霊感があり、守られている。と言う。
私は、10年前ぐらいから、本物の幽霊を視ても驚かないようになった。
前職も、今の職場でも病院。人からの情報や、
調べてみたら、幽霊目撃が絶えない病院だったから
前職の大学病院で飛び降り自殺した患者が複数人いた。と、聞いたことあるし
今働いている JA病院でも、病院ができる前、
神風特別攻撃隊(昭和初期、戦死を前提とする
必死の攻撃を行う戦術部隊)が飛び交った飛行場だったらしく………
私も、幽霊を何百回も見たことがあるし、家から徒歩2分程度で葬儀場に(前は、コメダ喫茶店だった)
行けれる距離。浮遊霊と思われる幽霊を目撃したり、
さまざまな老若男女の幽霊と話したことも
取り憑かれたりと、不思議な体験している。
父側の、ひいおじいちゃんは、
何かの未練を残しているのだろうか?
それとも、ひいおじいちゃんの供養もなく、
墓参りも忘れられているから?
父の、祖父の墓が
家から徒歩20分ぐらいで行けれる距離。
当時、中学校で登校時間は、徒歩30分ぐらい
掛かっていた。その母校も、昔、昭和初期には、
戦争で亡くなった人を焼く火葬場だった。と、
先生から聞いたことがある。
祖父の墓参りに行く方が中学校よりも距離が近い。
祖父の墓参りで、ひいおじいちゃんのことを
聞いてみよう…
幽霊で私の、ひいおじいちゃんが視えたら、、
明るく振る舞えば良い…
全巻持っている
[ヒカルの碁]漫画を読んで、どうやって幽霊との
関わり方をすれば良い?
ヒカルの碁にも、幽霊キャラクター藤原佐為も
出てくる。藤原佐為。彼を見て、私も
本物の幽霊と関わって
ひいおじいちゃんの成仏に近づける手伝いしたい
成仏の手伝いするよ。
私の[ひいおじいちゃん]
ありがとう
ひいおじいちゃんがいたから、祖父祖母がいて
私の両親がいて、私がいる
ひいおじいちゃん
本当に、ありがとう
大好き
その言葉、ひいおじいちゃんに届け
[君に届け]
友だちの思い出
この間、久しぶりに中学のクラス会が開かれた…本当に、暫く振りで、会場ではお互いに、誰かと探り乍ら、それぞれ席に着いた…多分、30年振りで、男女会わせて、クラスの三分の一程度街灯集まった。最初のうちは、遠慮がちで、近況報告なんてしていたが、それでもすぐに、打ち解けた…
当時の恋バナや、クラスでの出来事、結婚や家庭での事…みんな男女関係無く、抱き合ったり、仲良く歌ったり…色々あったクラスだったけれど、今思えば、素敵な仲間だったんだな…
そして、何よりも、クラスで影の薄かった私を、暖かく逢えてくれた皆に、本当にありがとう、そう思えている…
友達の思い出……
小学生の時に友達が廊下に
もどした事があって
その時の内容物が綺麗な薄紫で
何を食べたらこんな色になるのか
未だに謎のままだ…
✴️80✴️友達の思い出
友達の思い出話を聞いた。
と、友達が言っていた。
らしいよ、と親戚が言っていて、
そのことを姉が話していて、
またそれを自分が話して…
結局、それは誰なんだっけ。
友だちの思い出
(本稿を下書きとして保管)
2024.7.6 藍
「友だちの思い出」
君は、ひとりの私に一番に話しかけてくれたよね。
君は、困っている人を必ず手伝っているよね。
君は、いつも笑顔でどんな人にも優しいよね。
君は…って。君は私を「友だち」だって言ってくれたけれど。君は私の隣にいるんじゃ、もったいないくらいの人。結局、私が一方的に君を見ているだけ。これじゃ「友だちとの思い出」じゃなくて、"私が見ていた"「友だちの思い出」になってしまう。
友だちの思い出
どうにもならない苛立ちを、深く吸い込む。
煙草の独特の匂いを感じなから、身体の中の空気を全部吐き出すみたいに口から煙が出ていく。
また、タバコくさいとか言われるかもしれない。
短くなった1本目を携帯灰皿に入れて、またもう1本取り出した。
我が家ほど家庭環境がよく分からない家はないと思う。
愛に飢えている母と、自由に生きる3人目の父親と、わたしを含めた5人の子供。
わたしが最初の子供で、1番目の父親との子供。
わたしかわ5歳の頃、離婚した。理由は知らない。
2番目の父も優しかった。2番目の父の連れ子1人と、2番目の父と母の間の子供が1人。
わたしが10歳の頃、運送業をしていた父は事故死した。
母の嘆きは凄かった。初めての葬儀だった。何も知らないまま、あっという間に通り過ぎた。
3番目の今の父はバイヤーと言うらしい。色んな商品を、あちこちに買いつけに行くのが仕事だという。
3番目の父と母の間に2人子供が出来た。わたしは16歳の時に末っ子が生まれた。
……末っ子は、わたしの事を母親だと思っている節がある。
母は最後の子供を産んだ時点で、わたしももう高校生だからと、この子は任せる、と言った。
他の子供たちもわたしは面倒を見てきたから、子育ては一通り知っているし、その頃には家事もほとんどで出来るようになっていた。
父が海外出張で家にあまり帰ってこないようになると、母は夜で歩くようになった。そしてわたしも高校生なのにバイトも出来なくて遊びにも行けない。
友達とは学校で会う以外に子供たちの面倒を見無くてはならなくなった。
どうしてわたしだけ、と思うと涙が出た。
学校で1人泣いてたら、見知らぬ先輩に無表情でタバコを渡された。
よく分からないまま吸って、思い切りむせ込んで更に泣けた。何してるのかよく分からなくて。
「これでお前も不良の仲間入りだな」
ニヤッと笑った初対面の先輩に、今のわたしのどうしようも無い現実を話していた。泣きながら。そして、何がどうなったか連絡先を交換していて、何故かその先輩が家にやってくるようになった。
「子供、好きなんだよね」
と綺麗に笑って子供たちの面倒を一緒に見てくれた。
どうして、とか聞いたら複雑そうな顔で先輩は答えた。
「あー……。その、引かないで欲しいんだけど、わたしは女が好きなんだよ。いわゆる、レズってやつ」
レズ。レズビアン。知っていたが、本当にいるとは知らなかった。
「泣いてるあんたがどーしても気になったから、さあんたの話聞いて、わたし、子供も好きだし、思いっきりつけ込んだんだよ」
「先輩が、わたしのこと、好き?」
「うん。あんたとヤリたいくらいには、好き」
ヤリたい。
……脳裏にどうやって、と浮かんだのは無視した。
「わたしも先輩好きですよ。その、普通の好き、ですけど」
まぁそうだよね、と先輩も納得した。
あれよあれよと言うままに、何故か特別な関係になってしまった。
それでもこの先輩がわたしのどうしようもない人生の中で唯一友達でもあり、わたしの唯一特別な人。
先輩が傍にいない時はタバコに火をつける。
大好きな先輩の持つにおいだから。
アルバムを開いた。
昔、仲がよかった友達が写っていた。
懐かしいなあ。また会いたい。
『友達の思い出』
彼とは長い付き合いなので多くは悪友も兼ねている。
馬鹿げた遊びも記憶に多い。
私が手を貸すことは少ないが、
取り立てて口出すこともあまりないな。
往々にして彼の方が人目を惹くようで、
私は遅れて目に付く後星のようだ。
後始末の外れくじが多くもあるが、
頭のめでたい天才児に振り回されて
二人で駆けて奔走した日々は忘れ難い。
苛烈といえる程度に私たちは傷つけた。
その最中の、優しい言葉を忘れない。
助けた亀は恩を忘れないものだ。
だから私は亀になろう。
まだ、私たちを許せるのなら、亀になろう。
作品No.97【2024/07/06 テーマ:友だちの思い出】
これは、私が小学校の中学年——多分四年生の頃の話。
私の通っていた小学校の運動場の隅には、走り幅跳び用の砂場があった。私は、クラスメイトのRという女子と、何を思ったのか、そして、誰が先に言い出したのか、よく憶えていないが、そこに落とし穴を掘り、別のクラスメイト女子を落とす作戦を立てた。
五時間目が始まる前の四十五分の休み時間に外に出て穴を掘り、バレないよう落ちていた大きな葉で蓋をして、さらにそこに砂をかけて——そうして彼女を落としたのだ。
しかしそれが、ほんの序章であることに、私もRも気が付かなかった。
落とし穴に人を落とすことに楽しみを見出してしまったのだろう私とRは、その後もクラスメイト達を次々とターゲットにした。すると、「自分もやりたい!」と言う者が現れ始めたのだ。二人だけで始めたそれは、三人、四人と増えていった。男子も女子も関係なく、落とし穴掘りに夢中になった。そしてそれと共に、落とし穴も大きくなり、やがて砂場の底に到達するほどの深さにまで成長した。砂場に底があることを、私はそのとき初めて知って、妙に感動したのを今も憶えている。
そんなふうにして、私達はその一年度を過ごしたのだが、その年度の終わり、Rは転校してしまった。そうして、クラスメイトのほとんどを巻き込んだ落とし穴掘りも、その年度で自然と終わりを迎えた。確か、穴もそのとき埋め戻した記憶がある。
今思えば、よく先生や他の児童にバレなかった——というよりは、問題視されなかったといった方がよいだろうか——ものである。ガラの悪い人間の多い地域であるから、そんなことが見つかれば、呼び出しは免れなかったろう。そうならなかったのが、不思議である。
Rとはその後、中学に上がってから再会——といっても、クラスは別だったが——するのだが、向こうは私を憶えていないようだったし、なにより私とは趣味の異なる人物となっていた。スポーツが得意でバスケ部に入っていた活発なRと、スポーツが苦手で読書にのめり込んでいた消極的な私とでは、最早話が合う関係ではなかったのだ。それでも、合同だった体育の授業なんかで彼女と顔を合わせると、あの頃、落とし穴を掘るのに夢中になった、私達を思い出した。
思えばこれが、数少ない友人とのキラキラ輝く楽しい思い出、なのかもしれない。
友だちの思い出
最近かつての友だちの訃報が届いた
忙しさを理由に不参加にさせてもらった
かつての級友たちと会わせる顔がなかったのが本音である
皆家族もいて、子供もいて、その中で自分はまだ子供のままでいるのだ
昔から一番元気であった彼が一番先に逝くとは思っていなかったので、未だに実感しづらい
父親を早く亡くした彼が父親として早く逝くとは、きっと無念であったろう
中学一のワルと言われてた彼だったが、彼ほど心配りができる人を私は他に知らない
サッカーをすること以外、常に学校や世の中に生きづらさを感じていた私にとって、彼の逞しくもユーモアのある弱きを助く姿はなぜかとても愛おしく思えた
先輩後輩、他の中学にも分け隔てなく沢山仲間がいた彼は物凄くケンカが強かったわけではないはずなのだが、いつも中心にいた
もちろんしっかりと悪さをしていたのは否定できないが、彼の為なら何かをしてあげたい、そう思わせる唯一の人だった
中学を卒業すると、私が引っ越したので、会えない距離でもなかったのだが、彼の周りでのよくない噂も聞いていたので、疎遠になっていった
そんな彼が大人になって、立派な顔つきで営業の仕事をして、家族をもったことを知った時は、私はとても嬉しかった
いつもどこか寂しげだった心優しい彼に神様は幸せな家庭を与えて下さったんだと心から思った
コロナもあり、いやそれ以前もその後の彼を聞いてはいなかったが、突然の知らせであった
彼の奥さんを知らなければ、彼の子供も知らない
彼のほんの一部分しか知らないのであろうことを思うと、とても彼を語る資格などないのかもしれない
だが、私は彼に沢山のものをもらっている
分け隔てなく、心に寄り添える気持ちがいかに大切なことかを彼に教えられなかったら、きっと今の自分はもっと孤独な人生であったろう
かつて世間の体裁にとらわれてる大人が大嫌いであった自分が、情けなくも同じ大人、いやそれ以下の大人に成り果てたかと思うと言葉もないが、彼を偲ぶ気持ちは誰よりもあるという小さな信念が私を僅かに支えている
もらった愛はいづれ与えられるようになるという
あの頃私が自由になりたかったのは、彼のように分け隔てなく心に寄り添える気持ちを遮るもの全てからだったのだと今思う
彼の心意気がいつも好きだった
もう一度追いかけてみようと思う
私の代わりに泣いてくれたあなたの事
一生忘れないからね
#友だちの思い出
生きていた時の俺に、友人と呼べるような存在はついぞ現れませんでした。
一時期行動を共にして、一緒に略奪したり、戦に加わったり、そういうことをした者たちはありましたが、彼らは友人などではありませんでした。それは、互いに信頼も信用もせず、利害が一致しなければすぐに別れ、あるいは殺し合うような、非人間的な関係でした。
友人と呼べる者が現れなかった、というのは、間違った表現ですね。
俺が、誰かとそのような関係になれるように人と関わることができなかった、が正確です。
そう、他人に問題があったわけではない。俺自身が、誰かの友人になれるような人間ではなかったのです。あまりに単純で容赦のない、笑ってしまうような結論です。
だから、貴女が俺と人間としての関係を結ぼうとしてくださった時、俺はそれに気づくこともできませんでした。そのことを理解した時、貴女と出会ってからの時間をどれだけ無駄に、いえ、どれだけ冒涜したのか気づいて、俺は恐れ慄き、心から後悔しました。
俺は人間ではなかった。
貴女は俺を、人間にしてくれた。
ああ。貴女は、人間として生まれ直した俺に、世界を見て回ってほしかったのか。今、気づきました。
俺をお傍に置いてくださらなかったこと、俺を待たずに亡くなってしまったことを恨む気持ちがなかったというと、それは嘘になります。
けれど、違ったのですね。貴女は俺のことを真摯に思い、愛してくださっていたんだ。
涙が止まりません。
愛しています。愛しています、XX様。愛しています。