『優越感、劣等感』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
優越感 あの子が私より劣っていると思った時。
劣等感 あの子が私より優れていると思った時。
常に鼻先に在る劣等感を追いかけて、追いかけて、
でも結局掴めないままで。
劣等感は嫉妬心に変わって、私は誰より醜くなった。
醜く成り下がっていく私を、私は受け入れるしかなかった。
『あの子になりたい。』
そう願っている訳じゃない。
あの子になるなんて、真っ平ごめんだ。
『あの子みたいになりたい。』
あの子の真似なんてしたくない。
そもそも私はあの子が嫌いだ。
『あんな子になりたかった。』
今更遅い。
私はいつだって、あの子の性格に虐げられて、
惨めな思いをして、劣等感を抱えに抱えてる。
あの子は無意識の優越感で私を見下ろすんだ。
ほらね、これを書いている時もそう。
隣で呟き指を押さえつける。
『 』と。
クソ喰らえ。アタシはアタシで生きていく。
他の誰でもない。アタシでこの悪夢に蹴りをつけるんだ。
優越感、劣等感
わたしはドロドロした人間だと思う。そして乱高下が激しい。
文章を書いていると特にそう感じる。文章を書くことは大好きだ、そして人に読んでもらうことも。ありがたいことに感想を頂いたり、いいねをもらうこともある。飛び上がりそうなほど嬉しい気持ちになる。
だけど、いいことばかりじゃない。文章を載せる媒体によっては読者の数やいいねの数が数字として現れる。むしろそっちの方が多い。同じテーマで書いても、他の人の方が高く評価をされているとすごく悔しい。絶対私の方が面白いのになにが足りないのだろう、書く価値がないのだろうか、と思ってしまう。
もちろん逆のことも起こる。自分が一番良い評価をもらえた。普通に評価をもらうより嬉しいし、沢山の人に評価されることは自信につながる。勝った気分になる。
文章は、もともと数値で評価されないものだと思っている。確かに読者やいいねといったものはあるけれど、全ての読者が良い作品だと感じたわけではないし、いいねも後から読み返すためかもしれない。
初めて文章を書いたとき、記念のつもりでSNSに載せた。何件かのRTやいいね、それに感想をもらえた。そんなことは初めてだったから嬉しかった。そこからのめり込むように文章を書いた。評価をされたら嬉しいし、いまいちなときは落ち込んだ。優越感と劣等感の間で反復横跳びをしている感覚だった、しかも超高速の。そしていつのまにかつかれていた。
少し前まで文章を書くことから離れていて、最近また書き始めた。私と文章を取り巻く数字の環境はとくに変わっていない。だけど距離感は掴めた。評価にのめり込まず、好きなものを書く。自戒としてここに残そうと思う。
西向きの ひまわり見つめ ただ一人 余ったペレット 空虚のケージ
優越感
「最近、運動ができるあの子に勝った」
なにで?
「体育で」
ほんとうに〜?
「本当だよ、あの運動神経良すぎマンに勝ったの、めちゃくちゃ嬉しかったんだから」
劣等感
「最近、勉強が同じくらいできるあの子に負けた」
なにでだ?
「テストで」
それは本当か?
「ほんとだよ、あの頭良すぎマンに負けて、めちゃくちゃ悔しかったんだから」
_2023.7.13「優越感、劣等感」
「優越感 劣等感」
人間の社会に限らず、集団を形成する野生動物にもヒエラルキーはある。そこから逃れる事は難しい。
優越感と劣等感、この二つの感情を抱きながら生きるのは人間としての宿命なのかもしれない。
けれど、それを克服する方法はあると思う。この二つの感情が消えないのであれば、まず上を目指してもきりがない、また下を眺めてもきりがない。その事を考えてみたい。ほとんどの人は、最上層でもなく、最下層でもなくグラデーションのあるヒエラルキーのどこかに位置しているはずだ。
優越感の強い人ほど、また逆に潜在心理のなかで強い劣等感を抱えた人ほど、いろいろな場面でマウンティングをすると感じている。
優越感や劣等感を克服できる人は、感情的に他者との比較をしない。(スポーツの世界でのデータ比較などとは、別である。)感情的な比較をするとすれば過去の自分においてのみである。集団の中では、当然、ヒエラルキーは存在し、リーダーの命令には従わなければいけない。けれどそれは、この二つの感情とは切り離して考える事ができる。
この感情について深く考えるのは、意識の進化への道の一つかもしれない。それほど深く深淵なテーマだ。
克服できた人の例として、いま脳裏に浮かぶのは、ガンジーやマザー・テレサの両名だ。物の所有の欲望がほとんどない。
ここで注意したいのは、自身がミニマリストである事を優越感にしては意味がない。あくまで人間社会の中の自分がどうあるべきかであって、そこに優越感、劣等感を克服したいという気持ちが、あるかないかで変わる。
もちろん、克服できた偉人には、克服したいという願望すら、ないだろう。あくまで、自分は自分。他者と比べる必要はない。唯一無二の存在だとの自覚が生まれれば迷いは消える。私自身はと言えば、書物や知的刺激への欲望は、とどまる所を知らず、偉人とはほど遠い。私に迷いはないか?いや、ある。辛いテーマだ。自己が曝け出る。このテーマで本来、語る資格はない。
夫婦や親子関係に当てはめると、家族の良いところは尊敬し合い、悪い所はフォローし合う、互いに支え合うのが家族、そうした思い(愛)があれば大丈夫だ。少なくとも家族間に優越感、劣等感があるのは幸せではない。
優越感、劣等感
テストの順位
あの子に勝てた 優越感
あいつに負けた 劣等感
そればっか気にする自分に自己嫌悪
優越感も劣等感の現れだ。
劣等感がなければ、優越感に浸る必要もない。
誰かと比べる必要なんてないんだって事がわかれば、他人と比べて劣っているとか、優っているとかどうでもいい事。
比べるから苦しくなるし、更に自分を奮い立たせてもっともっと頑張るか、悔し紛れに強がりを言って紛らわすしか無くなる。
そもそも他人と自分の何を比べているの?
それは比べるべきものなの?
しっかりと自問自答してみよう。
優越感、劣等感
テストの素点表が配られている。悲喜交々の喧騒の中、赤毛のボブヘアを揺らして、少女はガッツポーズをした。
やった。やってやった。ついにあいつに勝った。入学してから今までの一年半の間変わらなかった総合首位を奪ってやった!
少女はその優越感でいっぱいだった。少し気持ちを落ち着けて、そっと彼女の方に目を向けた。いつも通り涼しげな顔をして表を見ている。癖のあるポニーテールは微動だにしていないように見えた。
ホームルームが終わり、少女は彼女に近づき、勝ち誇ったようにこういった。
「いつもの調子はどうしたの?今までこんなことなかったじゃない。」
彼女は少し考えるそぶりを見せてこう答えた。
「ミチルにつられて漫画読んでたからかも。」
はあ!?と少女の声が教室に響き渡る。
「で、でも、課題は?提出分はやったんでしょうね?」
低い背を精一杯に伸ばして少女は問う。
「ううん。昨日遅れて出した。」
テストは二週間も前だ。なのに昨日提出とは遅れたなんてものじゃない。それどころか寮の同室二人してテスト勉強をサボるとはいい度胸である。
「なんなのよ!私はナナと二人して無言でずっと勉強してたのに!」
納得いかなーい!とまた教室中に声が響く。総合こそ首位を取ったが、科目ごとでは二位のものもあるのだ。それに彼女は一切の復習をしていない。これでは二位も同然だ。少女はドカドカと足音を鳴らして教室を出て行った。
どうしたって天才には届かないのだと、突き放された気分である。少女は泣き出しそうになるのを堪えながら、自室に向かった。
優越感、劣等感。
人より優れている、劣っている
いわゆる長所、短所
ではなくて、
優れている、劣っていると感ずる「感」。
周りの人から見れば、「そうか?」と
思われるかもしれない、
あくまで自分目線、客観視ではない「感」。
そこにはある種の「恥ずかしさ」
「思い込み」も、あるかもしれない。
独りよがりの思い上がり
青春。
アオイハル。
まるでアイドルがコンサートで
「自分のこと見てくれた!
指さしてくれた!」
と思う時にいだく。
そのアイドルが
出来ちゃっ…「授かり婚」で
芸能界引退する時にいだく。
それが
優越感、劣等感
かな?
彼女と僕を引き逢わせたのは、劣等感だと確かに思う。わいわい、がやがや賑わうファミリーレストラン。味のしないフォカッチャを、作業のように口に押し込む。彼女は温かい料理を、丁寧に丁寧に口に運ぶ。食べ終わるまで一時間近くも掛かることだってざらな僕と違って、彼女は一切の無駄なく食事を終わらせる。今の時点で、僕は半分も食べ終わっていない。それなのに、彼女はもう十分もあれば無くなるような量しか皿に残っていなかった。
「それで、最近は何しているの」
彼女は僕にそう言った。僕は手を止めて、ゆっくり口の中の食べ物を飲み込んだ。
「なんてこと、ないよ」
そう答えた僕を、彼女は怪訝そうな目で見た。この目を見るのは、大晦日にダウトをやって以来だ。
「弱ってるみたいね」
学生のくせに、彼女の言葉の端々にはその言葉が透けて見えた。何も悩むことなんてないだろう、働かなくても奨学金があれば死なないんだから。君は昔から、人並みに生きることのできる才があったでしょ。
それとも何、君は〈人並みに生きる〉つもりじゃないの。彼女のしなやかで無駄な肉のない手指が、そう言っている気がした。
「最近は太ってきちゃって、調子出ないや」
僕は馬鹿みたいにへらりと笑う。どこかで、不眠のストレスを紛らわすために吸っているシーシャの匂いが。不満も、不平も、個性ですら洗い流すためのコーヒーの匂いが。食欲なんてないのに、生きるために買った安い牛丼の香りがした。或いは鼻の奥に焼き付いた万年筆のインクの香りが、流れる水のように形を変えたものだったのかもしれない。
彼女はもう、何も言わなかった。
僕ももう、これ以上軽口は叩けない。
彼女は僕よりずっと優れていて、僕は劣ってる。幾ら言葉を重ねても、彼女に触れようと手を伸ばしても。僕が彼女みたいになれる、その時はきっと何光年も先だと知ってたから。
「……暗くなる前に帰ろうか」
「そうしたほうがいいよ」
夜の帳に包まれて、ガムシロップみたいに甘い夢を視よう。愛する君の手指を口に含んで、君の匂いがしないベッドに寝転ぼう。そうして朝になったら、君に怒られる恐怖を鞭に起き上がる。そんな作業を、しよう。君の存在を胸に押し込んで。
#優越感、劣等感
みんなの人気者、でも友達を作らない君と友達になれた事で僕を見下してた人間たちへの優越感に浸ってた。
だけど、君は勉強も運動もできて、性格まで良くて、友達が少ない理由も、大切な友人1人1人を大切にしたいから、だなんて照れ臭そうに笑った君を見て僕はなんて浅ましいのかと、劣等感を感じるようになったんだ。
優越感、劣等感
優越感に浸って、劣等感に溺れて。
あの子よりは、と思うのに、私なんて、が邪魔をして。
比べる必要なんて、どこにもないのに。それをして傷つくのは、自分だということに気づいているのに。
粗探しみたいに比べられるところを探して、比較して、優越感に浸るか、劣等感に溺れるだけ。
みんな違うのだから、比べなくていい、なんて言うけれど、仕方ないじゃないか。自分以外の誰かがいる限り、比べられる対象がある限り、比べてしまうのだから。
【優越感、劣等感】
目の前で煙草を加える貴方。仕事ができて、上司からも部下からも、みんなに頼られる完璧な人。仕事中は厳しくて、ちゃんと叱ってくれる。
そんな貴方がそっと優しく微笑みながら頭を撫でてくれた。会社の人は誰も知らない、私だけに向けられた優しい笑顔。幸せな空気。
ピロンと彼のスマホが鳴る。頭を撫でてくれた手がスマホを手にする。
「ちょっと待ってて」
そういって部屋から出ていく彼。扉の向こうからは話し声が聞こえる。電話の相手はきっと、私よりも彼のことを知っている、彼の――。
#22【優越感、劣等感】
小さな優越感と
大きな劣等感。
その間を行ったり来たりしながら
なんとか生きている。
しょうもないことだ。
誰かと比べるなんて。
知っているけれど
わかってくれないから
今日もゆわゆわと
狭間を漂いつづける。
お題「優越感、劣等感」
どうでもいい、ちっさい事で
優越感に浸る事はあっても
限りなく溢れ出る劣等感は
いつだって大きな顔をしている
地区選抜優勝!次は東京でコンクール。
ここまで頑張ってきた。絶対取りたい金賞。
そのためだったら何時間でも練習する。
そう思って、実際、本当に学校が終わってから何時間も弾き続けるピアノ。
暗譜は苦手だけど、体に叩き込むように弾く。
今なら目を瞑っても弾ける曲。
東京について、すぐレンタルピアノに向かう。
1日だってピアノを触らない日は作れない。
絶対負けたくないライバルはたくさんいる。
プレッシャーに負けても体が負けないように、腱鞘炎なんて慣れっこ。本番前はいつもこうだから、仕上がった証拠。
結果は銀賞。まずまずだろう。
隣に立つ金賞のトロフィーをもつのは僕より一つ年上で、体も大きい分、手も大きい。指も長い。
金、銀、銅と並んだら、僕は背が低いし手も小さい。
なのに銀。
ここまで勝ち抜くのに何人、僕より大きな子供がいただろうか。
この、スポットライトを浴びながら撮られた写真はネットや冊子に載るはずだ。
眩しいほどの照明の前の観客席は真っ暗でお母さんの顔は見えないけれど、喜んでくれていると思う。
控室に戻ってお母さんに会うと、期待通りにお母さんは涙を流して喜んでくれた。
高いレッスン代。交通費。兄弟そっちのけで僕の練習に付き合ってくれるお母さん。
一緒に頑張ってきたね。ありがとうと、いただいた銀賞の賞状を渡す。
僕はスーツを脱いで、私服になる。
途端に普通の中学生。
ホテルに着くとお母さんは「次は合唱コンクールね」と言う。僕の通う中学には合唱コンクールがあって、クラス賞の他、指揮者賞、伴奏者賞がある。
去年、同じクラスだった彼女がコンクールさえ出た事ないのに僕ではなく彼女が伴奏者に選ばれた事をお母さんは根に持っているらしい。
僕は他のコンクールに力を入れていたから気にもしていないけれど、目の上のたんこぶではある。
合唱コンクールまでまだ何ヶ月もあるし、その間にコンクール入れなければ大丈夫。
僕はコンクールに出るつもりで、たかだか学校の合唱コンクールの伴奏曲の練習をしてレッスンも受けた。
もちろんちゃんと腱鞘炎になって、準備は万端。
今年一組の彼女が最初に出場した。
クラスはまとまりのある歌声。指揮者は退場の時慌てたのは減点かな。
彼女の演奏は指揮者の指示通り、楽譜通り。
減点も加点もない演奏。
僕は4組。4番目の演奏だった。
僕には必要ないくらい見飽きた楽譜と一緒にピアノの前でお辞儀をし、指揮に合わせて鍵盤を押した。
歌声が乗らない。指揮者が不安そうだ。
サビにかかる時、ここだ!のタイミングでアレンジを加える。バッチリ決まり、僕のアレンジからみんなの歌声はボリュームを上げた。
曲終わりがけに僕の写真を撮ろうと近づいたカメラマンが楽譜を鍵盤の上に落とした。
僕の指はもうそんな事すら気にならず、ブレずに鍵盤を押し続けた。
弾き終わり、僕は優勝を確信した。
他の組の演出中、ブルッと震えた携帯を確認するとお母さんから「やっぱりあのアレンジ良かったよ」と。
アレンジはお母さんの演出で、確かにピアノが活きる演出。「ありがとう」と素早く返事を返して、他のクラスの演出を見る。
どのクラスも僕よりいい演出をする伴奏者はいなかった。
表彰の時、僕のクラスは呼ばれる事はなかった。
彼女のクラスは、クラス賞と伴奏者賞を勝ち取った。
納得がいかなくて審査員の先生達に理由を聞きに行った。
先生達は口々に言った。
「君1人の演奏ならピカイチだったよ。」
「君のアレンジを楽しく聞かせて貰ったよ」
音楽の教師だけが採点の内容を教えてくれた。
「技術は一位と差はないほど、君は上手だよ。だけど、コレは合唱コンクールであって、彼女は目立たず指揮者に合わせて自分の技術の見せ場すら抑えた演奏をしたんだよ。伴奏は、歌がなければ成り立たないと理解した弾き方だった。君は指揮者も押さえ込んで自分のコンクールにした。それは伴奏者の仕事じゃないんだよ。君はクラスの練習に参加していましたか?」
何も言えなかった。
あの華々しい脚光を浴びた僕はただの学校の合唱コンクールでは、なんの役にもたたなかった。
クラスに戻るとみんなから「伴奏者賞くらいは貰えると思ったのになぁ」と聞こえよがしに言われる。
僕だって、一生懸命がんばったのに。
優越感と劣等感
優越感、劣等感
呼吸してるだけでも劣等感に苛まされる。
ゲームで時間を潰してしまっても劣等感が襲ってくる。
インスタなんか誰得なのか。
キラキラした他人の生活なんか羨ましさより、自分へのヘイトと情けなさで泣きたくなる。
そんな私が優越感に浸る瞬間は、ソシャゲガチャでSSRを天井到達前に揃えられたときくらいだろうか。
今日は3凸で天井だった。無念。
だがしかし完凸まであと2枚。フフ。
過疎化が進むゲーム内の狭い世界でしか優越感に浸れない。
この何も残らない人生はいつまで続くのだろう。
あの子よりも出来るんだって
ちっちゃなことで優越感
あの子の方が出来るんだって
恨み嫉妬の劣等感
自分は何も出来ないんだと
あの子よりも出来ないんだと
そう言って毎日劣等感に駆られる
少し出来ると自慢して
ちやほやされて優越感に浸る
そんな馬鹿なことばかり
それでもこれが人生だから
今日も優越感と劣等感のガチャを引く
みんなは出来ているのに
自分だけが出来ない
みんなは自分の前に歩いていて
それを追い越すこと、肩を並べることすらできない
ずっと下ばかり向いていた
もう見たくないと
こんな世界なら
自分なんていなくても同じではないのか
出来る人は羽ばたき
出来ない人は地に落ちる
そう決まっているのなら
喜んで地に落ちよう
そうすればきっと
心も体も少しは休めるだろうか
「劣等感」
子供の頃
意識していたのは
妹だった。
成績が
とても
良かったから。
妹が
超有名大学に合格した時
あぁ、
比べるも何も
そもそもの
レベルが違ったんじゃん。
と気付いた。
一生懸命
追い付こうと
努力しても
姉妹でも
わたしはわたし
妹は妹
違う人間なんだ。
わたしは
わたしの道を
生きていれば良かったんだ。
#優越感、劣等感