葉月

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「優越感 劣等感」

 人間の社会に限らず、集団を形成する野生動物にもヒエラルキーはある。そこから逃れる事は難しい。
 優越感と劣等感、この二つの感情を抱きながら生きるのは人間としての宿命なのかもしれない。 
 けれど、それを克服する方法はあると思う。この二つの感情が消えないのであれば、まず上を目指してもきりがない、また下を眺めてもきりがない。その事を考えてみたい。ほとんどの人は、最上層でもなく、最下層でもなくグラデーションのあるヒエラルキーのどこかに位置しているはずだ。
 優越感の強い人ほど、また逆に潜在心理のなかで強い劣等感を抱えた人ほど、いろいろな場面でマウンティングをすると感じている。
 優越感や劣等感を克服できる人は、感情的に他者との比較をしない。(スポーツの世界でのデータ比較などとは、別である。)感情的な比較をするとすれば過去の自分においてのみである。集団の中では、当然、ヒエラルキーは存在し、リーダーの命令には従わなければいけない。けれどそれは、この二つの感情とは切り離して考える事ができる。
 この感情について深く考えるのは、意識の進化への道の一つかもしれない。それほど深く深淵なテーマだ。
 克服できた人の例として、いま脳裏に浮かぶのは、ガンジーやマザー・テレサの両名だ。物の所有の欲望がほとんどない。
 ここで注意したいのは、自身がミニマリストである事を優越感にしては意味がない。あくまで人間社会の中の自分がどうあるべきかであって、そこに優越感、劣等感を克服したいという気持ちが、あるかないかで変わる。
 もちろん、克服できた偉人には、克服したいという願望すら、ないだろう。あくまで、自分は自分。他者と比べる必要はない。唯一無二の存在だとの自覚が生まれれば迷いは消える。私自身はと言えば、書物や知的刺激への欲望は、とどまる所を知らず、偉人とはほど遠い。私に迷いはないか?いや、ある。辛いテーマだ。自己が曝け出る。このテーマで本来、語る資格はない。
 夫婦や親子関係に当てはめると、家族の良いところは尊敬し合い、悪い所はフォローし合う、互いに支え合うのが家族、そうした思い(愛)があれば大丈夫だ。少なくとも家族間に優越感、劣等感があるのは幸せではない。


7/13/2023, 1:59:36 PM