葉月

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9/19/2023, 8:31:38 AM

「夜景」 小説

 菜々子はゴッホの『夜のカフェテラス』のことを思い出していた。あの絵には暖かさを求める何かがあって、孤独で寂しいと言うよりは、星の瞬きの下で大いなるものと交信しているゴッホの魂があるのだと感じた。それは以前から、そう感じていた訳ではなく、いまこの瞬間に降りてきたものであった。目の前にいる夫が
「どうしたの?」
と訊ねたので、菜々子はワインを一口飲んだ。
「とても美味しいわ。またここに来たいと思って」
 夫は微笑むだけだった。心の中で、次にここに来るのは、いつの記念日が良いかと考えているのかも知れなかったし、帰りの電車の時間を心配しているのかも知れなかった。
 レストランの外に出ると、店の中の暖かな光が街路に広がっていて、美しいものに包まれた心地がした。夫の手を握りしめ
「今日は、ありがとう」と言うと、
「気に入ってもらえて良かったよ」
と、手を優しく握り返してきた。昼間、美術館で見たゴッホの絵には、夫婦らしき二人の人物が描かれていて、ちょうど絵の中の登場人物になったようだった。夜風が気持ち良かった。夏の気配を残しながらも、ゆるやかに季節が変わろうとしていた。

9/13/2023, 6:38:35 AM

「本気の恋」

 実は私は、高校時代と大学時代、六年間の片思いを経験しました。この間、告白すること三回、もちろん振られました。そして、その方に彼女ができて、ライバルを褒めるのは苦しいことですが、まさに可憐な女性でした。性格的には私自身とは反対で、私自身の良いところを全否定された気分になり、ようやくあきらめがつきました。この片思いの間の時間は、もったいなかったと思います。何故なら、いまの夫とは深い心の絆を感じ合えるパートナーで、結局のところ、片思いの相手に告白して、振られた場合、相手が自分とは相性が合わない、もしくは自分の好みではないと判断されたと言えるかもしれません。
 ですから、自分と相性の合う運命の人を探す方が良いです。ずるずると気持ちを引きづったまま、無意味な時間を過ごすことになりかねません。まさに私自身がその体験をしました。
 片思いを成就するために、お相手を殺したいとまで願う人もおられるようですが、これは気持ちを切り替えて、自分の苦しさを手放す方が良いです。最悪の結果を招いて、自分自身を含めて、周囲の人々まで不幸にしかねません。
 私の失恋は、とても幸せそうな様子を見ているしかなかったので、正直あの時の気持ちはまるで人生が終わったかのようでした。さらに苦しい経験を繰り返すことになりましたが、最後は神さまのお声を聞いて、いまの夫と結ばれました。皆様にも運命のお相手が現れるので、気持ちを切り替えて新しい人生を歩み始めることが大切です。本気の恋は良いですが、本気の片思いには執着せずに、はやく諦めることが一番です。

9/7/2023, 1:07:09 PM

「踊るように」

 踊るという事の意味を考えると、そこに音楽もあり、さまざまな目的もあって、深いものがあるなぁと感じている。原始人類には必要不可欠なものであったし、そして現代では、踊る目的は多岐にわたっていて、考えると際限がない。
 『踊るように人生を。』という歌を聴いた。最近の流行り(?)の音楽を耳にしたのは、本当に久しぶりだった。踊りも良かったし、歌詞も若い人の心に響くものだった。中学時代、流行りの歌を歌いながら、踊るのが好きなクラスメートがいた。いまもそういう若い人はたくさんいると思う。
 原始人類にも必要不可欠なものであったのだから、踊りというものが消えてなくなることはない。ただ、踊りには気をつけなければいけない事もある。呪術的な目的で安易なことをしてはいけない。必ず責任がとれる大人がいなければいけない。安易な知識で遊びで行うと、取り返しのつかない事もある。絶対に子ども同士でやってはいけない。
 踊ることそのものは、精神の解放であったり、精霊と心を通わせたり、本来の目的は、幸せになるためにある。どうか、その事は忘れないでいてほしい。

9/6/2023, 2:09:37 PM

「時を告げる」

 いつの頃だったかよく覚えていない。時間についての物理番組をみた時に「時間は存在しない」という内容だったのを思い出した。今回のテーマは「時を告げる」なので、ふと、時間そのものが存在しないのであれば、そもそも時を告げる事ができるのだろうか?と考えた。
 もちろん、世の中には時計があるのだから、現実として時を告げる事は可能である。記憶がはっきりしないのでwikipediaなどで調べてみたけれど、時間の矢についても未解決なので、時間は存在しないというのは、さらにその先の謎となる。
 物理学的時間と仏教に関する論文もあった。仏教では空間も時間も物質の概念も般若心経をはじめとする経典で考察されているが、物理学と同様にそこに答えはなく、さらに深い思索に誘われるばかりである。
 もし時間が存在しないのであれば、この世界も存在しない事にはならないだろうか?もしかしたら、この自分自身もこの世界も、全て幻なのかもしれない。そう考えて、ふとある俳句を思い出した。

 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺      正岡子規

 時間は存在しない事をここまで書いてきたけれど、法隆寺の鐘が鳴った時に柿を食べていた正岡子規は、確かにその瞬間に存在していた、と思う。何とも矛盾したオチである。

9/5/2023, 12:06:19 PM

「貝殻」

 また、後日書き直します。

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