「時を告げる」
いつの頃だったかよく覚えていない。時間についての物理番組をみた時に「時間は存在しない」という内容だったのを思い出した。今回のテーマは「時を告げる」なので、ふと、時間そのものが存在しないのであれば、そもそも時を告げる事ができるのだろうか?と考えた。
もちろん、世の中には時計があるのだから、現実として時を告げる事は可能である。記憶がはっきりしないのでwikipediaなどで調べてみたけれど、時間の矢についても未解決なので、時間は存在しないというのは、さらにその先の謎となる。
物理学的時間と仏教に関する論文もあった。仏教では空間も時間も物質の概念も般若心経をはじめとする経典で考察されているが、物理学と同様にそこに答えはなく、さらに深い思索に誘われるばかりである。
もし時間が存在しないのであれば、この世界も存在しない事にはならないだろうか?もしかしたら、この自分自身もこの世界も、全て幻なのかもしれない。そう考えて、ふとある俳句を思い出した。
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規
時間は存在しない事をここまで書いてきたけれど、法隆寺の鐘が鳴った時に柿を食べていた正岡子規は、確かにその瞬間に存在していた、と思う。何とも矛盾したオチである。
9/6/2023, 2:09:37 PM