『ハッピーエンド』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
ハッピーエンド
物語の中でぐらい、いいじゃん!!!!!!
今朝は、どしゃ降りの雨
おまけに風もものすごい
傘ごと吹き飛ばされてしまいそう
家から出てまだ5分なのに、パンツもびしょびしょだ
こんな日に仕事だなんて、ツイテナイ
しかも、バスはお決まりのように遅れて来るときた
今日はツイテナイ日確定
ところが
職場に着いたら
限定でしか買えないパンを頂いた
いつも自分の機嫌で当たり散らしてくる上司が、私の仕事を誉めてくれた
こちらの勘違いでミスしそうになった仕事も、別の先輩がフォローしてくれて、ミスしなくて済んだ
家に帰って、ネットで買い物をしようとサイトを見たら、なんと2000円オフのクーポンが届いていた
とってもお得に買い物が出来て、ほくほく
振り返って見れば、ツイテナイ日もハッピーエンドだ
ハッピーエンド。
幸せな終わり、
幸せが終わる。
ハッピーエンド
とても欲しいときがある
どこにあるんだろう
どうしたら こっちだよ!って気づいてもらえるのかな
ずっと努力してきたのを見てきた
いろんな思い のみこんで 過ごしてきたよね
あなたに
ハッピーエンドを届けたい
どうか
どうか・・・
【ハッピーエンド】
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勇者 タチ ガ 魔王 ヲ 倒シ テ
世界 ハ 実ニ 平和 ニ ナッタ トサ!
魔王 ハ 悲シク 可哀想 ダ ケド
燃エ サカ ル 地獄 ニ 落チ チ マッタ ッテ ヨ!!
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▶ めでたし!めでたし!
▶ ……。
▶ バンザーイ!バンザーイ!
ハッピーエンドを見届けて、それぞれがそれぞれの道を歩む。
長く。とても長く、この幸運が続きますように。
そしれだれもいなくなってから私はきた道を戻る。
誰かにとってのハッピーエンドはまた誰かにとってのバッドエンド。
その物語の回収に向かうのだ。
全く納得のいく落とし所などない。
でも。一時。ほんのわずかでも拳の落とし所を見つけなくては。
「ハッピーエンド」
終わりよければすべてよしって言葉があるけど、その終わりに至るまでに(なんやかんや)あって、「(なんやかんやあったけど)終わりよければすべてよし」って言葉が思わず出るんだと思う。
いま(なんやかんや)問題がある人、(なんやかんや)闇の中にいる人、(なんやかんや)モヤモヤしてる人は、その終わりがあることをまず信じて、終わろうとすること、どうやったら終われるかを考えること、はたまた遠くから俯瞰してみた時に、あれ?もう実はゴール見えてる?と気がつくこと、意外と他人からしたら大した問題ではないこと、など、終わり地点から(なんやかんや)を観察してみよう。
ハッピーエンド、その終わりだけに褒めがあるようだけど、その言葉がぽろっと出てきたこれまでをも愛でてあげよう。ぜ。
他の誰かからバッドエンドに見えても私からすれば何一つ文句のないハッピーエンドだった。
外野が勝手に同情するな。
ねぇねぇ 、知ってる? あそこで丸くなって座ってる青年 。
皆から「 人殺し 」って呼ばれて嫌われてるの 。
あの青年 、なんと "44人" も殺してるのよ 。
今も 誰を殺そうか考えてるみたい 。
そこに1人の男がやって来て 、青年を殺した 。
…… これで 村は平和になると村人は喜んだ 。
みーんな幸せのハッピーエンドね 。
…あの青年 ね 、"死にたいと自ら望んでる" 村人を殺してたんですって 。
助けを求められてやっていただけなのに 、可哀想な青年ね 。
でも 、これも一種の 『 ハッピーエンド 』なのかもしれないわね 。
主人公に生まれてしまったからには、
ハッピーエンドをむかえたい
救いのない話はマジで勘弁
「めでたし、めでたし」
そんな言葉の括りで締められている話を読むと、否が応でも一つの喪失感に襲われる。
紙の上に紡がれていた物語を見届け、文字の中に生きる人物と迎える終幕。
晴れやかな結末か、後味の悪い離別か。
こればかりは個人的な趣向ともなるが、もし後者ならば、出来うる限り避けて通れたら良いなと読み進める心としては願っている。
何より、またひと味違うカタチで綴られる“自由さ”も描かれるとくれば、意外と気が抜けないのだが。
──ただ、等しく言えることも、ある。
誰かしらが苦しみに眠る様を見るのだけは、どうにも悲しくなるというもの。
彼らの「終わり」がそこに残るのだから、尚更だ。
【ハッピーエンド】
「せめて物語の世界だけでも」
「……てわけでさぁ、最近は最終回のネタバレチェックして内容と結末確認してから読んでるんだよね〜」
「ふぅん。今話題の『ネタバレ消費』みたいな感じ?」
「あー、せっかく見るなら最後まで安心して見たいから、とか、そういうタイパ的なやつでしょ?」
「そうそれ」
「ちょっと違うんだよね〜」
そう言って彼女は、いちご牛乳のパックのストローをくわえた。
考えながら、ちゅうちゅう飲む。
「だって、現実って結構キツイじゃん。せめて物語の中だけでも、平和なもの見たいっていうか。辛い幼少期とか、虐げられる展開、読むのキツくなってきてさ。妬みや争いは現実だけで充分だよ」
窓の外を見ながら言う彼女。
その視線の先にいる人は、彼女の想い人だ。
「なるほどねぇ」
「昔は、鬱展開とか、ざまぁとか好んで読んでたけど、最近はダメでさー、悪役も改心して最後はそれなりに幸せを掴むとか、そういう話に惹かれる今日この頃なわけよ」
「へぇ……」
「年かなぁ……」
彼女はそう言って、制服のリボンを直している。
「まぁ、来年成人だからね」
────ハッピーエンド
ハッピーエンド
今日車でお買い物
あれこれカゴに入れお会計
ふぅ…やっと終わった!
さて帰ろう♪( ◜ω◝و(و "
路面電車に揺られる事7分
自宅マンションに到着(* 'ᵕ' )☆
んっ?しまったぁぁぁ!
食材をなおし
車を取りにスーパーまでダッシュ
スーパーに着くと買い忘れた物を思い出し
ついでにお買い物🛍
これハッピーエンドなのか?
知らんけど
多分
ハッピーエンドで良くない?
知らんけどw
ハッピーエンド。
別名、終わり良ければ全て良し。
物語途中の中弛みや過酷さすらも
この一言で済ませてしまう力がある。
限りなく力業でありながらも、
万人受けしやすい。
稀有な結末。
勧善懲悪の物語というものは世の人の好むところであり、人の世の望むところである。
しかし、実際の人生において、人間は自ら悲劇の主人公となることを選ぶ。人生はその人生を生きる人の選択の結果であり、数ある選択肢から一つを選ぶこと、選び続けることこそ生きるということである。その選択の中で直面する問題を悲観し、時には絶望するのが人間であるが、得てして人間は悲劇の主人公を演じるものである。困難な状況を柔軟な思考で笑い飛ばし、嬉々として臨む心持ちを持てたならば、自ずと幸せは訪れる。
「ハッピーエンド」
ハッピーエンド。そんなことみんな望んでいることだろう。いや、「望むべきことだ。」…
はは少しカッコつけてみた…つもり。
本当に君はこの先を見たいの?
ははっすごいね。まぁ人によるだろう。
ハッピーエンドなんで夢見ないでよね…?
わかば「あぁー…眠いよー…」
私はわかば。普通の女子中学生だ。
わかば「え?!もう8時?!やばい朝ごはん食べる暇ない!!」ダッダッダッそんな音が階段に響く。
わかば「はーあ。」私の家には私以外住んでいない。
お母さんもお父さんも〇〇○も。
行ってきまーす。なんて言う必要ないんだけどさ、
誰かが聞いてくれてる気がしてさ。
…眩しくもない雨が降りそうな天気って一番やだよね
なんか気分悪くなる。なんかモヤモヤする。
え、嘘なんでどうして…?
グシャグッグジャッ
平和なんて脆くて突いただけで壊れるのさ。
私が殺人鬼になる日が来るなんて思ってもいなかった。あぁう、ううやめてください謝りますからあ〝っ
え…?私の手は真っ赤で、傷だらけで血がとんでもなくついていた。
目の前にいるのは黒いTシャツを着た30くらいの男性だった。でも冷たくて動かない。
あぁ私が殺したんだぁ
お母さんとお父さんと〇〇○を殺したんだよ
お前は。
ははっどう?つまんないよね。普通の女子中学生が30くらいの男性を殺すだぁ?どこがハッピーエンドなんだろうねぇ
あーそっか。あの子からしたら
ハッピーエンドなんだろう
ハッピーエンド
黒い幕が襲ってくる。
既にわたしの身体はボロボロだった。生き物や武器に姿を変えて絶え間なく襲い掛かってくる黒や真紅や白の幕を避け続け引き裂き続けて、どれほどの時間がたったのか、もう分からない。
狂犬を模した黒い幕を素手で掴んで左右に引っ張るが、力は込めたそばから抜けて行く。
「粘るねえ」
肩から声が聞こえてきて、わたしは無理矢理手に力を入れ直し、幕を破いた。
わたしは白雪姫の継母だ。ヘンゼルとグレーテルの魔女だ。赤ずきんちゃんのオオカミだ。だから、わたしは罰を受けている。悪役は制裁を受けなくてはいけないから。
「悪役が悪役であるのに理由なんていらない。主人公の幸せを邪魔するっていうだけで充分なんだよ。なのに君はそれを絶対に受け入れなかったね。君は主人公と悪役に差異を見出すことがとうとうできなかった。『善』と『悪』に違いがあるということを、君は信じなかった」
声は話し続ける。ある時は白雪姫、ある時はシンデレラ、ある時は誰かも分からない純粋な目の女の子。主人公の善人。今は妖精だった。
「自分の望む道を進むことが幸福で、選んだ人生を駆けることがハッピーエンド。それが、たとえ日の当たる世界でも、日陰の世界でも」
「ボクは君のその主張が嫌いじゃない。けれど、自分を曲げないと、君が辛いだけだよ」
わたしも彼女は嫌いじゃない。けれど、曲げられない自分が、わたしにはある。
わたしはずっと悪役だったのだ。たくさんの人を手にかけて、たくさんの人を裏切って、たくさんの嘘をついて、その全てをたったひとりに捧げてきた。だから、わたしは悪役でなくなるわけにはいかないのだ。わたしは善人として自分の人生を選んだのでも、悪人として罪を重ねてきたのでもない。
さあ、行こう。エンドロールはすぐそこだ。
「ハッピーエンド」
私がいずれしわしわのおばあちゃんになるその時まで、あなたがそばにいてくれたら。
私は幸せだった、と心から言えると思うの。
何だそれ
片方にとってはハッピーかもだが、
もう片方にとっちゃバッドエンドだ
勝者と敗者がいるように、
弱肉強食のように
不平等であり、
それがこの世にはムラなく、
綺麗に、
平等に、
当たり前にある。
ハッピーエンドって
ハッピーエンド
「ハッピーエンド」の物語りより、
「アンハッピーエンド」寄りの物語りに私は惹かれる。
「ハッピーエンド」の枠から少し外れた人物の方が謎めいていて印象に残りやすく、私には魅力的だったりする。
「ハッピーエンド」
私にとっては、高嶺の花だ。
ゲームでいうと、「ハッピーエンド」を迎えるためには、分岐点が何よりも大事だ。
レベルが足りていなかったり、選択肢をひとつでも間違えると辿り着けない。
でも、ゲームだから、やり直しがきく。
セーブデータがあれば、そこからやり直せる。
しかし現実世界の人生で、過去に戻ってのやり直しは一切出来ない。
その時々のルート変更は可能だが、まさに一瞬一瞬は一発勝負だ。
どういった人生を歩めば、「ハッピーエンド」と言えるかは誰にも分からない。
個人個人で何が幸福だと思えるのか、基準が違うからだ。
私は「ハッピーエンド」の方より「アンハッピーエンド」に少し傾いたくらいの人生が似合うと思っている。
幸福の頂点のあとが何かいつも怖いから。
目の前が緩やかな登りかも?くらいが私には丁度いい。