『キャンドル』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
ねぇ、まだ消えないで
ねぇ、まだ居なくならないで
星が眠る夜に月夜が揺れる
星が寂しく笑うようにあなたの影が揺れる
杯になった?廃になった?
くだらないねと裏を欠いては
なんとなくでいいよと
寿命の限り歌うんだ
2キャンドル
灯が点いた蝋燭を見つめていたら、ふとした拍子に吸い込まれた
ただ火が点っているいるだけなのに、それに釘付けになった
そんな小さな灯にさえも、魅入られたら戻れない
だけど、小さな蝋燭には時間がない
魅入った者にはそれ以外のことは関係ない
火に魅入られた者にはもっと大きな炎が必要だ
もっとよく燃える"モノ"と大きな、とても大きな" "が
重力がない世界でキャンドルはどう燃えるのかな
縦に揺れる?横に揺れる?そもそも紐に火がつかないかも
君がいない世界で僕はどう生きるのかな
ちゃんと火がつくといいな
#キャンドル
お誕生日おめでとう
生まれてきてくれてありがとう
出会えて本当によかった
ワンホールのケーキじゃ足りないくらいの
ありあまる祝福を贈ります
今日を生きるあなたの明日が
キャンドルの灯りのように温かでありますように
キャンドル
あなたの笑顔はすごく輝いて
その場が明るくなる。
その光はみんなを照らして
必死に隠そうとしても触れようとしても
消えちゃいそうで何も出来ない私に
またあなたはゆらゆらゆれる。
欲を出したらきっと消えちゃうんだろうね
それでも私はあなたの周りを暗くする
誰にも消されないように、私だけを照らすように
キャンドル
キャンドルといえば、おばけキャンドルかキャンドル・ジュンか。
レヌール城の攻防と、奥さんとの不倫離婚騒動。
どちらも厳しい戦いだったことでしょう。
キャンドル・ジュンといえば、出てくるのがタブレット純。
最近政治家さんの口からタブレット純の名前が出てきて驚いたことがありましたが、私は残念ながらネタとか見たことはありません。
それにしても、なぜキャンドルというお題なのか?
ぼっちの私だから浮かばなかったわけですね。
きっと来月がクリスマスだからですよね。
ローソクだったら先週に攻防戦をしたと書きました。
読んでくれた人いらっしゃいます?
誕生日に行ったアイスの神様のくだりです。
詳しくは10個くらい前の投稿をご覧下さい。
そうそう、あれから別の用で洋菓子店に行くことがあったので、この細いローソクってどこで買えるか聞いたりしたところ、なんなら差し上げますよということで、ひと袋(10本入)いただきました。
もちろんお土産用に焼き菓子を買っていたので、サービスということだそうです。
冗談でローソクよりそっちのケーキの方が……一瞬でしたがものすごい目つきになったので欲しいとは言えず、ありがたくローソクを持ち帰った次第です。
帰り際に店員さんが、来年は一緒に祝ってくれる人いるといいですね♪と、さっきの冗談に皮肉で返してきやがったと鋭利なものを投擲してきまして。
深く刺さったのが抜けないまま店を後にしました。
交流すればするほど、私のぼっちを弄りたくなるのは仕方ないようです。
まあそれでひと笑いに貢献できるのなら、ナチュラルキラー細胞を提供できて本望かなと。
キャンドルの柔らかい明かりに照らされる室内。
そこに自分以外のいるはずのない目に見えない存在が見えて……はホラーになるのでやり直し。
キャンドルの柔らかい明かりに照らされる室内。
そこに自分以外にいる誰かの姿。
一緒にこの柔らかい明かりを堪能するのんびりとした時間。
忙しない日常の中で、ホッと一息つける癒しの時間なことでしょう。
試してみたいけど相手がいないぞ!
そんなあなたはぜひご一報ください。
ご一緒にキャンドルの明かりを堪能しつつ、お茶でも飲みながらお話しましょう。
キャンドル
柔らかな灯火で
暗闇を照らせば
微かに見える中に
君の笑顔があればいい
気がついたら私はどこかの知らない部屋に
閉じ込められていた。
周りには机やテーブルなどの家具が一切なく、
あるのは一つのキャンドルとライターだけ。
部屋はとても狭くて圧迫感がある。
一刻も早くこの部屋を出たい。
だが扉には鍵がかかっているしこの部屋には窓が一切ない。脱出はできなさそうだ。
扉を蹴破るという手段もあるが鉄製の扉だから
成功する確率はゼロに等しいだろう。
そうなると消去法で私が出来ることは待つことか
キャンドルに火をつけることだ。
ただ正直こんな部屋でいつ助けが来るかもわからないのに
待っていたら私の頭はおかしくなるだろう。
そうなるくらいなら私はキャンドルに火をつける。
だがキャンドルに火をつけたら部屋に二酸化炭素が
充満して私は死ぬだろう。
そうやって私が死ぬことを誰かが望んでいるのだろうか。
正直まだ死にたくない。
だがキャンドルをつける方が絶対に楽だ。
助けを待つなんてしたくない。
どうせこないのだから。
私には親も友達もいない。
警察もこんな少女1人のために捜索はしないだろう。
となるとやはりキャンドルを灯すしかない。
気が狂う前にキャンドルを灯して楽になろう。
そして私はライターでキャンドルに火をつけた。
キャンドルの火が消えるときが
私の命の灯火の消えるときだろう。
それまでキャンドルでも見て癒されよう。
すれ違ったおばあさんの持っている、鮮やかなで綺麗な生地で紡がれたキルティングのバッグ。
それは僕に都会の大きな公園で開かれたフリーマーケットで見たキャンドルの色を、なんとなく思い出させた。
虹色ではなく、鮮やかな単色の雨粒が重なって出来たような色味だった。ベースは生成り色だったので、見たことがないグラデーションが綺麗だったのだ。
今日は母の帰りが遅くなるらしいので食べたいものを考えるために街へ出たが、いざ食べたいものを探してみると難しい。自分が食べたいものを探すことはとても難しい。
キャンドルとろうそく
お題を見て気になり調べてみると、
キャンドルとろうそくでは、素材が違うらしい。
キャンドルは石油由来のパラフィン、
ろうそくは木蝋からできているものを指すという。
であれば、ろうそくを英訳すると、正確にはキャンドルではないということになる。
日本人だけが両者を区別しているということであり、
海外の人にとってはどちらも同じものなのだ。
似たような話で、フランス語では蝶も蛾もどちらもパピヨンと訳すそうだ。両者に境目は無いらしい。
つまり言語によって、物体の捉え方が異なるということだ。
ふと世界の広さに思いを馳せる、良い機会になった。
キャンドル
世の中には様々なキャンドルがある、
アロマキャンドルひとつとっても色んな種類の香りのものが販売されている。
一生で嗅ぎきれないほどだ
ただのろうそくで済まさず、ゆらゆらと煌めく焔に、「良い香り」という付加価値を付け、見事に需要を産んだ
私も産まれた瞬間にラベンダーの香りでも付けて欲しかったものだ。私なんて、あと何十年も下火の人生だろうし、今だって周囲から煙たがられている
私が死んだ暁には線香ではなく、アロマキャンドルで喪に服してほしい。
Skyのキャンドル。毎日キャンマラしないと損だな......
2024/11/19『キャンドル』
キャンドルの火が消えた。
冬の夜。月灯りのない午前3時のことだった。
なかなか寝付くことができずに、ぼーっと天蓋越しの揺れるオレンジを見つめていた時、ふっと暗闇が訪れた。
普段なら使用人を呼んでキャンドルを変えるのだが、今日はなんだかそんな気分にもなれず、かと言って灯りのない部屋でぼーっとする気分でもなく、そっとベッドから身を起こした。
天蓋を開けて窓の方へと歩を進める。
当然、月なんて見当たる訳もなく、けれども漆黒の夜空には満天の星空が広がっていた。
それはまるで、星々が一つ一つ、空に吊り下げられた小さなキャンドルのようで、吸い込まれてしまいそうなほど綺麗な夜空だった。
「まぁ、こういう日も悪くないんじゃないかしら」
ぽつりとこぼした一言は拾われることなく溶けていく。
その言葉に肯定するかの如く、1番光り輝いていた星がきらりと瞬いた。
No.7【キャンドル】
わが家にある
キャンドルはひとつだけ
姉の旅行土産
もう10年も棚にある
白いキャンドルには
繊細な藍色で
細かく建物と
その説明があった
今日調べたら
バースはイングランドで
最もエレガントな街
と 英語で書いてある
イギリス土産であった
イギリス生まれならば
クリスマスに相応しい
今年はこのキャンドルで
イブを祝おう
闇夜にひとつ、あかりが灯りました。
小さな小さな蝋燭の火です。
暗い世界にひとり取り残されていた少女は、突然照らされた世界に困惑し、その明るさに怯えました。
蝋燭の火といえど暗闇に慣れていた少女にとっては、眩しすぎるものだったのです。
しかし、そのあかりのおかげで今まで見えなかったものが見えてくるようになりました。
黒一色だと思っていた世界は、実は色鮮やかで楽しいものだと気づきました。
その蝋燭の火が少女にとっての幸せだったのです。
そして少女は蝋燭の火の暖かさと明るさに慣れていくのでした。今までずっとひとりぼっちの寒さと暗さが当たり前だと思い生きていたことなんて、忘れていました。
蝋燭の光がふっと消えたのは、それが当たり前になってしばらくした頃です。蝋が切れたのでした。
闇夜の世界にひとり。
火が灯ったときと同じように困惑し、その暗さに怯えました。
それが以前には当たり前だったのに、です。
幸せを知ってしまったからには、闇夜の世界が当たり前だと思っていたときのように生きていくのは無理でしょう。
少女は今日も、暗闇のなか寂しさと哀しみと絶望を抱えながら心で泣いています。
当たり前がこんなにも辛く感じるようになるなら、最初から幸せなんて知らなくてよかったのに────、
─キャンドル─ #118
キャンドルで思い出すのが、誕生日ケーキのロウソク。予約したケーキを受け取る時、それに着いてくる長くてカラフルなロウソクが、箱に入ったものが誕生日ケーキを示す唯一のものだった。いよいよ食べる時になり、ロウソクを歳の数だけ刺して火をつける。ライターがガス切れで上手く着火出来ないのも一興。バースデーソングを聴きながら火を消す。そこでロウソクの仕事は終わるが、誕生日に無くてはならない、もう1人の主役と言っても過言では無いだろう。
大好き。愛してる。結婚しよう。会いたい。隣にいたい。いっしょに本を読んで、ごはんを食べて、今日一日のささやかなニュースをお互いに報告しあって、顔を見合わせて笑って、とりとめのない話をしながら眠りに落ちたい。
頬の線や手の形や鼻筋や喉仏が描く曲線を指でなぞりたい。寝息で上下する胸をずっと眺めていたい。耳を当てて心音を聞きたい。毎日あなたのいる明日を楽しみに眠れるように。あなたと話すために起きようと思えるように。大好き。愛してる。
キャンドルに火をつけると
周りが見えるようになった。
行動を起こしてみると
周りが分かるようになった。
僕は今まで
感じたことでしか行動が出来ていなかった。
見たこと、それで判断なんか出来ていなかった。
暗闇を思い込みで歩いて、
明かりを持ってこなかった。
近くに居たはずなのに、
裏を知らなくて、知ろうとしなくて、
嫌いを嫌いなままで、
好きを疑いもしなかった。
失敗して、
もしまた見えなくなったら
また明かりをつければいい。
それを応援してくれる人はいるはずだから。
勇気を分けてくれる人がいるはずだから。
キャンドル
そっと火を灯してお風呂に入る
ゆらゆら揺れてとても綺麗
周りのロウが溶けてきて
丸く穴が開く
芯がジリジリ短くなって
青く弱くなっていく
ロウと芯が交わって
ふっと火が消えてしまう
キリスト系の幼稚園に通っていた頃、久しぶりの遠出ということで、皆で教会に行ったことがある。
(もちろん、幼児なのでバス移動)
荘厳な扉を抜けて教会へ入ると、中は暗い。
当時の年齢からしてみると、西洋風の聖像は、独特とした気味の悪さを感じさせる佇まいであった。
やがて、一人ひとりがオルガンの前へと誘導される。何やら、白い固まりを渡されて、進んでいくと、それに牧師?が火を灯していくらしい。
この塊は後になって、キャンドル(洋ロウソク)というのだと知った。
それぞれに、火の灯ったキャンドルを中央の燭台に並べ、左右の席に座っていく。
ぼうっ。ゆらゆらと灯明が揺れる。
今までに体験したことの無い不思議な空間であった。普段は騒がしい幼児たちも、幻想的な場の空気に当てられて黙りこくっていた。
蝋が織り成す灯には、不思議な力がある。
そういえば、葬儀においても、和ロウソクを用いることが殆どであるし、神社でも、棚段に和ロウソクを並べて飾ることがままある。
なぜ、これほどまでにロウソクは、スピリチュアルな意味合いとともに、宗教的儀式に使われるのだろうか。
一重に、火への信仰があるだろう。
古来から、火は邪を払い、迷うものの道標となると言われてきた。
未だに、ロウソクが、その効力を発揮しているというのも頷ける。
でも、それならば、ロウソクである必要は無い。火を起こしたいならライターでも、バーナーでも良い。
だからこそロウソクの真骨頂は、「身を削り、人を照らす」というその献身性にあるのではないだろうか。
……と思ったけれど、献身性がスピリチュアル性を産むのなら。
備えられた大勢の蚊取り線香に、感謝のお祈りを
捧げて、小躍りしたっていいのかもしれないー