桔花

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10/18/2023, 2:32:39 PM

・忘れたくても忘れられない
遠くに、車のライトの灯りが見えた。みるみるうちに、それは真っ暗なトンネルを煌々と照らし出す。
乗っているのは若いカップル。その顔には、好奇心がありありと浮かんでいた。
女の方が、スマホを構える。長い髪を綺麗にセットして、メイクもばっちり。
それに比べて私はどうだろう。長さこそ彼女と同じくらいとはいえ、ろくに手入れもされていない髪はボサボサ。
ところどころ血がついて、カピカピに固まっていたりする。サイドミラーに、一瞬、自分の姿が映った。
落ち窪んだ眼窩。変な方向に曲がった腕。全身にまとわりつく、赤黒い血。
悲鳴が上がる。

本当に、私は、バカな女だ。
大好きだった彼氏に騙されて。
悲観して、自殺した、救いようのない女だ。
ああ、全部、忘れてしまいたい。
関係のない人々を、これ以上巻き込みたくない。
なのにどうして。
こんなに、憎いんだろう。羨ましいと、ずるいと、思ってしまうんだろう。
暗く、狭い車内で、カップルは恐怖に目を見開いて動かない。コントロールを失った車は、そのままふらふら、崖の方へ吸い込まれていく。
ドォン
背後でそんな音を聞きながら、私は思う。
好きだったんだ。騙されてもなお、大好きだったんだ。
例え偽物だったとしても、彼の笑顔を、思い出を、忘れることなんて、私にはできないのだ、と。
それは死刑宣告にも等しくて。赤々と燃える火炎を背に、私は自重気味に笑った。

10/17/2023, 9:14:44 AM

・やわらかな光
とても、とても、寒かった。氷の粒を纏った風が、うなりをあげて渦巻いていた。あたりは灰色で、何も、見えなかった。

「早く、ここを出ていってよ。寒くて仕方ないわ」

暖を求めて縮こまっていたとき、不意に誰かの声がした。

「ぼくに言ってるの?」
「そうよ。あなた以外にいないでしょ。…ちょっと!急に動かないでよね。凍死しちゃう」

なるほど。この寒さは、ぼくのせいなのか。
それは、なぜかどうしようもなく悲しくて、ぼくは少し泣いた。

「泣かないでよ。寒いじゃない。聞いてるの?ねえ、いい加減…」

それは突然だった。足場がなくなって、目の前がパッと明るくなる。
奇妙なほどに、青。
風の唸りが聞こえなくなって、誰かが息を呑む音がした。
ぼくは落ちていた。何度か、あの寒い灰色にぶつかったけれど、止まることはなかった。

「やあ。君も今日なんだね。一緒に行こうよ」

気がつけばぼくの周りは、奇妙な仲間でいっぱいだった。
真っ直ぐに落下していたはずのぼくは、白いもふもふを纏って、いつしかゆっくり、舞い降りていく。
白い、白い、地面が見えた。先に行った仲間たちだと、すぐにわかった。
きらり。きらり。
ぼくらは氷の粒に過ぎない。
どこまでも冷たく、硬い。
なのに、どうしてだろう。
白い地面に反射した光は、どこまでもあたたかく、やわらかかった。

10/16/2023, 10:32:43 AM

・鋭い眼差し
冷たい、それでいて貧弱そうな檻。ふとそちらを見てしまったばっかりに、鋭い眼差しが、僕を捉えた。
ぞくり、と背筋が寒くなる。よく手入れされた、ふわふわの毛並みと、丸みを帯びた愛らしいフォルムには、あまりにも不似合いな視線だった。

「わー、かわいいー!」
「この子はおとなしいのでおすすめですよー!」

店員に抱き上げられている子犬もまた、同じ鋭い目をしている。
選んでいるのは、僕らじゃなくて、きっと彼らのほうなんだろう。
急にドクドク脈打ち始めた心臓を抑えて、僕はもう一度、檻を覗き込む。
わんっ!
バカな小僧っ子だな。さあ、好きに連れて行け。

そう聞こえた気がしたのは、たぶん気のせいなのだろう。

10/15/2023, 5:48:20 AM

・高く高く
♪どんどん伸びて 天まで届け♪

その合図で、「たかいたかい」をされる。先生に抱えられると、輪になった友達の顔がよく見えた。大人になったら、どんな景色が見えるんだろうって、わくわくした。
あの頃、誕生日が楽しみでしかたなかった。
誕生日だけは、自分を中心に世界が回っている気がしていた。
バカみたい、と吐き捨てながら、大きく伸びをする。23歳の誕生日の朝は、笑えるほどいつも通りだ。
大学に行って、午後からバイトに行って、くたくたになって眠る。
洗面所の鏡には、朝っぱらから疲れた顔をした私がいた。

「いってきまあす」

誰もいない部屋にそう言い残して、私はボロアパートを後にする。

「あ、おはようございます。LINEプロフィール見ましたよ。誕生日おめでとうございます」

振り返ると、見上げるほど背の高い、細身の男性がいた。同じ学部の同級生で、隣人。
ありがとうございます、と答えながら思う。
本当に天まで伸びたようなこの人には、どんな景色が見えるんだろうか、と。

10/10/2023, 5:09:22 AM

・ココロオドル
腕が鳴る、首が回らない、頭が固い…
さっぱり意味がわからない。
腕が鳴るって何だ?
ヤンキー映画で両手をポキポキ鳴らしてるやつか?いやでもそれじゃあ、「手が鳴る」だよな…
テスト前日…いやもう一時間前に当日に変わったけど…の危機的状況、机にかじりついてみてもいい案は浮かばない。
窓の外が明るくなってきた。もうなりふり構っていられない。
腕は鳴るもの、首は回らないもの、頭は固いもの。それ本気で人間か⁉︎なんてツッコミを無理やり封じ込めて、おれは古びたアパートを後にした。

試験終了の合図と同時に、教室に喧騒が戻ってくる。手応えは聞かないでほしい。
机に突っ伏して動けないおれに、ただよってきた食べ物の匂いが追い打ちをかける。
こっちは一人暮らしだよ。いまからコンビニに走る予定だよ。
「Let's have lunch together?(一緒に昼食を食べませんか?)」
突き出されたのは、レタスがみずみずしいサンドイッチ。ゆるゆる、視線を上にスライドする。
ふわふわと揺れる金髪。吸い込まれそうに青い目。白いほおには、ほんのり赤みがさしていた。
ああ、なるほど。これが。
「ココロオドル」

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