友達に彼氏ができるの本当に嫌
彼氏ばっか優先して私のこと蔑ろにされてる感じする
別に良いけどさ、そのポジション
前は私だったじゃん
綺麗なカフェ見つけて一緒に行くのも
ディズニー行くのもプリ撮るのも
前まで全部私だったじゃん
それは私といるのが楽だったからでしょ
楽しかったからでしょ
彼氏ってだけで何でそいつと行くのよ
大体その男がアンタの何を知ってるの?
アンタが鬱になった時に電話かけて朝まで話してたのは私
好み合わん〜笑とか言いながらコスメ買いに行ったのも私
アンタと私は幼稚園の頃から親友で家だって近くてずっと仲良かったのに
何でぽっと出の男にその立場譲らないといけないわけ?
アンタもさ、そんな簡単に変えないでよ
私がバカみたいじゃん
付き合いたいってわけじゃないけどさ、付き合えるくらいには好きだったよ
バイバイ、親友
お題『子供のままで』
愛されたい。
いや、違う。求めているのは愛じゃない。
誰かに必要とされたい
生きていい理由が欲しい
それを愛だと勘違いしているだけだ
もちろん愛も欲しがっているのだろうが
本当に欲しいのは愛じゃなくそれを与えられている意味だ。
生きる意味なんか無くて良いと言う奴は幸福だ。
きっと、今まで一度も死にたくなったことなんか無いんだろう
湯船に浸かって、一息吐いた時。
シーツに包まって、瞼を閉じた時。
意味もなく生きていることに疑問を持ったことなんか無いんだろう
愛はそんな思考をいっぺんに無しにしてくれる
誰かに愛されているから
自分が死んだら誰かが悲しむから
そういう事実が、生かしてくれる
誰かを愛しているという事実が、自分の生きる意味になる
依存だ。
依存だけれども、そうして生きるほかに
私は生きる術を知らない。
私の生き方は肯定されるものではない。
ただ、それは表立ってのことだ。本当は、みんな依存して生きているのに、それを知られるのが怖いから隠して生きているのだ。
母性本能だって、依存の一種だと考えている。そうでなければ、あんなものは狂気に違いない。
死にたいのに死ねない、深層心理で生きたいと思っていることすら認められない自己嫌悪に苛まれたこともない、
そんな人間の言うことは往々にして薄っぺらい
ただ、言葉に騙されるようならまだマシな人生だ。中途半端にひねくれて、物事を斜めに見るせいで、嘘に気付いてしまう。
しかも頭も悪く技術も持たないそのせいで、それを打開することも叶わない。
だから愛されない
だから愛せない
何の意味も無い人生
むなしい、というよりも、
愛されたいなあ。
お題『愛を叫ぶ』
ぼくの大好きな、可愛いあの子。
お母さんのまねっこで、つばの広い帽子を被ってる。
白いワンピースを着て、あの子より大きいひまわりに守られて、ぼくを待っている。
ひまわりの中でかくれんぼしたり、水やりをして自分も水をかぶったり、ぼく達の夏の記憶は、大半がお互いで埋まっていた。
その日、ぼくは走っていた。おばあちゃんが倒れて、お母さんと病院へ一緒に行っていたからだ。
約束の時間はとっくに過ぎているのに、約束の場所へはまだまだ遠かった。あんまり暑いから、足を止めて水筒のお茶を飲んだ。体の上半分がいっきに冷えていく感覚が気持ち悪い。
呼吸を整えていると、モンシロチョウがぼくの目の前を横切った。
真っ白に黒いぶち模様がおもしろくって、何だかあの子に似てる気がして、手の中にそうっと入れる。
あの子にも見せてあげようと思って、さらに急いで走った。あの子を見付けてから、しまった、と思った。あの子は虫がきらいだったのだ。
このまま逃がしてしまおうかとも考えたけど、せっかく捕まえたのを今さらナシにするのは気が引ける。それに、今までの道のり、ずっと潰さぬように苦労して運んできたのだ。
モンシロチョウは可愛いし、ちょうなら綺麗だから大丈夫かもしれない。
気を取り直して、あの子に話しかけようとした。
でも、あの子はぼく以外の子と遊んでた。
茶色い髪の毛のその子は初めて見る子で、たぶんぼくと同じくらいの歳だ。
楽しそうに笑うあの子を見て、何だか嫌な気分になった。
あの子を幸せにできるのはぼくだけなのに。
お前なんかに、できっこないのに。
何で嬉しそうに笑うの。君はぼくのものなのに。ぼくだけの可愛い君なのに。その場所は、ぼくと君だけの秘密なのに。
そんなやつに。そんなやつに。
くしゃり、
と、てのひらの中で音がした。
お題『モンシロチョウ』
子供の頃は、一年がもっと長かった気がする。
僕のそんな呟きに、「相対性理論だよ」なんて返すようになった君がつまらない。前までは何でだろうと膝を交えて議論していたのに。
人は少しずつ変わっていくものだし、僕だって変化しているけれど、やっぱり寂しい。
君から見れば、僕も昔の僕とは違っているのだろうか。
爪や髪が伸びるのも変化だけど、それは切りそろえてしまえば元通りになる。考え方はどうしても、前と同じにはならない。
変化を喜べないのは子供だから、とか、何も変化がないのは生物として退化だ、とか。
自分が塗り替えられていく感覚を喜べだなんて、無茶振りだ。
一年前の僕と今の僕と比べて、何か変わっていないか探してしまう。そうして、前の僕の未熟さに気付いて頭を抱える。
無駄なことだ。嫌な気分になるのなら尚更、やめておけばいい。
けれど、どんどん短くなる一年を、自分の変化に気付く為と銘打って振り返らなければ、忘れてしまいそうなのだ。
薄れる記憶を呼び起こして、変化に気付かなければ、また自分が変わっていく気がする。今この瞬間にも、手指の先からじわじわと変わっている錯覚に陥る。
生まれた頃とは細胞も感受性も、何もかもが違うのなら、それは果たして自分と言えるのだろうか?
哲学的な分野になると専門外だ。もう、やめにしよう。
お題『一年後』
私は惚れっぽい方だ。
クラスでかっこいいと言われている子はそれだけで気になるし、プールの監視員のお兄さんにも一目惚れしてしまうくらい。
でも、それが恋かと聞かれると首を傾げる。
付き合えるなら付き合いたいが、どうしても、というわけではない。それに、その人が誰かを好きという噂を聞けば諦める。
その感情はお菓子みたいに目移りするもので、数ヶ月すると別の人を好きになっているのだ。
相手を見初めて、体を貫くような衝撃を、未だ受けたことがない。
相手のことを考えて頭を悩ませる夜を経験したことがない。
思わず吐いてしまうような胸を掻き毟るほどの愛を感じたことがない。
何だか辛そうだなんて楽観的に考えている。
あれは恋の一つ前、どちらかと言うときっと憧れに近いものだと思う。そうすると、私は初恋すらまだと言うことになる。
このままだと、恋をしないで死ぬ可能性も出てきた。
人は恋のみによって生きるわけでも無いが、どうせなら体験してみたい。こういう話を書く時、リアリティも出るだろうし。
どこかに邪悪なくらいの重い愛の持ち主はいないだろうか。私と対局にある存在だ、きっと面白い文が書ける気がする。
お題『初恋の日』