子供の頃は、一年がもっと長かった気がする。
僕のそんな呟きに、「相対性理論だよ」なんて返すようになった君がつまらない。前までは何でだろうと膝を交えて議論していたのに。
人は少しずつ変わっていくものだし、僕だって変化しているけれど、やっぱり寂しい。
君から見れば、僕も昔の僕とは違っているのだろうか。
爪や髪が伸びるのも変化だけど、それは切りそろえてしまえば元通りになる。考え方はどうしても、前と同じにはならない。
変化を喜べないのは子供だから、とか、何も変化がないのは生物として退化だ、とか。
自分が塗り替えられていく感覚を喜べだなんて、無茶振りだ。
一年前の僕と今の僕と比べて、何か変わっていないか探してしまう。そうして、前の僕の未熟さに気付いて頭を抱える。
無駄なことだ。嫌な気分になるのなら尚更、やめておけばいい。
けれど、どんどん短くなる一年を、自分の変化に気付く為と銘打って振り返らなければ、忘れてしまいそうなのだ。
薄れる記憶を呼び起こして、変化に気付かなければ、また自分が変わっていく気がする。今この瞬間にも、手指の先からじわじわと変わっている錯覚に陥る。
生まれた頃とは細胞も感受性も、何もかもが違うのなら、それは果たして自分と言えるのだろうか?
哲学的な分野になると専門外だ。もう、やめにしよう。
お題『一年後』
5/8/2024, 10:36:35 PM